あやし奇譚 | ナノ


影 01










泣きだしてしまった子供を前に、食満は大いに慌てた。



「ど…どうした!?」

子供の傍にしゃがみ込み、目線を合わせる。
顔を覗き込み様子を窺おうとするが、子供は両手で顔を覆って俯いてしまう。
嗚咽は漏れない。しかし、その小さな肩が時折しゃくり上げ、身体全体が小さく震えている。幼い子供らしくない、静かな泣き方だった。



「ご、ごめんな!最後のは反則だったよな…。お前は真剣に隠れててくれたのに、あんな捕まえ方しちまって…!お前、隠れるの上手だから!俺も追いかけるの大変…じゃなくて、凄く楽しかったぞ!だから、えっと…」

何とかして泣き止まそうと思いつく限りに言葉を掛けるが、子供からの答えはない。



そうしている内に、次第に子供の身体が薄らと透け始めた。


「待て待て待て!」

焦った食満は、咄嗟に子供の腕を掴んだ。
びくりと、子供の身体が揺れる。半分ほど背景の柱に同化しかけていた子供の身体が、再び実体を取り戻す。


「…悪い。でも、逃げないでくれ」

子供の身体に不自然な力が入っているのが、掴んだ腕越しに伝わる。
拒絶とも取れるその態度に、食満の胸が痛む。それでも、掴んだ腕を離す訳にはいかなかった。



「大丈夫だ」

食満は、俯いた子供の頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でた。


「何もしない。何も、怖いことはない。だから、逃げなくていいんだ」

幼子特有の細く柔らかい黒髪が、食満の指の間をさらさらと流れていく。
それを指で梳くように撫でながら、何度も宥める言葉を繰り返す。
子供の様子が落ち着くまで、食満は根気よくそれを続けた。








暫し経って、子供は完全に泣きやんでいた。
身体の震えは収まり、不自然に入っていた身体の力も抜けたようだ。

しかし、その顔は未だ伏せられたまま食満の方を見ようとはしない。
それはこちらを見るのを嫌がっているというよりは、ここからどう動けばいいのか分からず、戸惑っているように食満には感じられた。


少し考えて、食満は子供の前に腰を下ろす。
長時間同じ姿勢でしゃがみ続けたせいで痺れ始めていた足を、胡坐の形に直し


「よいしょ…っと」

俯き続ける子供の両脇に手を差し込むと、そのままひょいと持ち上げ、子供の身体を自らの膝の上に乗せた。


俯いていた子供の顔は、食満の膝の上に身体ごと乗せられることで、食満の顔と同じ位置になる。
自然と、子供の顔が食満の視界の中へと入ってくる。未だ涙の跡は残るものの、その表情には悲しみの色は薄い。突然に高さの変わった視界と、冷たい床ではなく、体温ある人と触れ合う感触に驚き戸惑っているようだった。

ぱちぱちと瞬きを繰り返すその顔に一つ笑みを返してから、食満は子供の顔を、そっと自分の肩に押した。
そうして、目を閉じる。子供の身体を支えながら、自分の身体を僅かに揺らす。
幼子をあやし眠りに誘う揺り籠の様に。とんとんと子供の背を叩きながら、食満は揺れ続けた。
 


いつの間にか、子供の手が食満の小袖の脇へと触れていた。
小さな指がきゅうと曲げられ、そこに小さな皺をつける。
その力は微かなものであったが、それでも確かに、子供は食満へと縋っていた。








「なぁ」

食満が子供に語りかける。



「俺達、一緒に遊んだだろう?楽しくはなかったか?仲良しには、なれそうにないか?」

子供が小さく首を振る。初めての、子供からの反応であった。



「じゃあ、友達になってくれるか?」

子供が、小さく小さく、頷く。
目を閉じながらも、食満の顔に自然と笑みが浮かぶ。
ありがとな、と小さく食満は呟いた。



「友達には、警戒なんてしなくていいんだ。何でも話していいんだ。安心していいんだ」

食満の言葉に、子供は頷きも、首を振りもしなかった。
その代わりに、食満の小袖を掴む指に僅かに力が込められる。
その仕草に何かを感じて、食満は密着していた子供の身体を少し離す。
子供の顔を正面から覗き込むと、今度は子供からも真っ直ぐな視線が返される。
そこから何かが探れないかと食満は見つめるが、子供の表情が僅かに不安げに歪む。

何かを隠している。もしくは、恐れている。
子供の反応から、食満は感じ取る。
しかし、子供が食満に自ら伝えようとしないそれを、無理に聞きだすことは出来ない。
食満は笑みを浮かべて子供を見た。



「遊ぶか?」

子供に尋ねる。


「約束だったもんな。鬼事のあとはお前の好きな遊びをするんだったな。お前と一緒だったら、俺は何でもいいぞ」

くしゃくしゃと、子供の頭を撫でてやる。
先程と同じように、大きく瞬きを繰り返した子供は、乱れた頭のまま、こくりと頷いた。



「よし!…と、その前に、自己紹介がまだだったな。俺は、食満留三郎、だ」

食満の名を聞いて、子供の唇が小さく動く。
たった今耳にした名を記憶から手離さぬように、反復して呟くような動きだった。



「お前の名も、教えてくれるか?」

食満の問いに、再び子供の唇が動く。
しかし、そこからは何の声も聞こえない。小さく震える唇は、何度も同じ動きを繰り返す。音にならない息だけが、そこからは漏れていた。

子供が顔を曇らせ、俯いてしまう。





「大丈夫だ」

食満がその頬に手を沿え、やんわりと前を向かせる。


「焦らなくていい。ゆっくり、お前の伝えたい名を教えてくれ。伝えようとしてくれれば、俺には分かるから」

真っ直ぐに目を合わせ、ふわりと食満が笑う。
子供はその顔に僅かな間見惚れ、そうして再び頷き、ゆっくりと口を開いた。















…分かりやす過ぎるのだ、バカタレが。

食満と別れてから、一人律儀に屋敷内の調査を続けていた文次郎は心の中で毒づいた。



離れてもはっきりと感じられる食満の気配。
そして、それに寄り添うもう一つの気配。
食満がうまく相手の警戒を解いたらしい事は、その場を見ていなくとも分かる。
文次郎が居た時よりも近付いた二つの気配の距離と、食満が発する気配の様子で。

随分と楽しげなそれが、何故か気に食わない。
先程の湿り気で額に貼りつく前髪を、文次郎はいらただしげに掻き上げた。
自分にはこんな性質の悪い悪戯を仕掛けてくる相手だというのに。
それが食満相手ではすんなりと距離を縮めてくるのが。それを、こんなところにまで探しに来る程気にかけ、あっさりと懐に入れてしまう食満が。そして、厄介事に巻き込まれると薄々感じながらもここまで付き合って来てしまった自分が。
何とも言えないが、とにかく気に食わない。


自分自身の煮え切らないもやもやとした苛立ちに、文次郎は人相は段々と凶悪になっていく。
そうしている内に、一人で屋敷内を歩き回るのが馬鹿馬鹿しくなる。

そもそも、この案件に首を突っ込んだのは食満であって、文次郎は成り行きで付き合ったに過ぎない。
妖力回復の借りがあるとは言え、向こうは只今子供と戯れ中だ。少々サボったところで文句を言われる云われはないだろうと、文次郎は足を止め、傍の縁側へと腰掛けた。



背を丸め、膝に腕をつき深く息を吐く。

暫く黙って宙を眺めていた文次郎は、すっと目を閉じる。
周囲の音に耳を澄ませ、意識を集中する。
ふわりと、文次郎の眼下の濃い隈の上に、赤い隈取りが浮き出てくる。



「仙蔵」


文次郎が呼び掛ける。
しかし、呼び掛けた相手の仙蔵は、先程数刻も前に、此処とは随分離れた場所で別れたきりだ。
文次郎の周囲には丁寧に手入れされた庭と空っぽな座敷の並ぶ廊下があるのみで、誰の姿もない。






『なんだ』

それなのに、何処からか声が届く。
文次郎にしか聞こえないそれは、確かに仙蔵のものだった。



『声を飛ばせる程度には回復したのか』

「ああ。そっちの声は少々遠く聞こえる上に、集中していないとすぐ途切れるからまだまだ全快には程遠いが」

文次郎が宙に向かって話しかける。
一見すると、何もない場所に向かって少々大きな独り言を喋っているようにしか見えないが、確かに会話は成立していた。


『随分と早いな。ふむ、留三郎と二人っきりにしてやった甲斐もあったということか。私の心遣いに感謝しろ。謝礼は里に帰ってからでいいぞ』

からかうような色を含んだ仙蔵の声。
それに対して文次郎が不機嫌そうに顔を顰めようとも、声しか届かない相手には伝わりようもない。


「…色々言いたいことはあるが、何故あいつの名が出る」

『お前に急激な変化が起こる時は、大抵留三郎関係と決まっている。留三郎にもきちんと礼を尽くせよ』

「…そのせいで、今は面倒事に巻き込まれてる真っ最中だ」

『ほう…。話してみろ』








『相変わらずだな』

文次郎の話を聞き終えた仙蔵が、率直な感想を述べる。


「ああ。あの野郎は、いつまで経っても懲りやしない」

少しは自覚しろ。文次郎が苦々しげに、ここにいない相手に向かって呟く。



『それはお前も同じだろう』

「…はぁ?」

『自覚がなければ、懲りることも変化することも出来まい』

何かを促すような仙蔵の言葉。



「…訳のわからんことを言うな。そっちはどうなんだ」

それを文次郎は打ち切り、話題を変える。
文次郎の、敢えて深く切り返そうとしないその反応は初めから予測済みであったのか、特に気分を害した様子もなく、仙蔵はすり替えられた問いへ答える。


『粗方片付いた。作兵衛は期待以上の働きをしてくれたぞ。まぁ、多少連れまわし過ぎてしまったようで今は話せる状態ではないが』

「留三郎への言い訳には俺は付き合わんぞ」

『作兵衛の力を借りるに至った元々の原因はお前だということを、懇切丁寧に弁解させてもらおう』

帰って来た作兵衛を見て、食満がどんな反応をするか。
連れまわした張本人は仙蔵であるが、恐らく苦情の大部分は拳付きで文次郎へと宛てられるだろう。そして、その隣で涼しい顔をして、一緒に文次郎を諌める仙蔵の姿が容易に想像できる。



「粗方と言ったな。残りはなんだ」

そんな嫌な想像を頭の隅に追いやり、文次郎が問う。


『最も厄介なものがまだ見つからん』

「…『頭』か」

文次郎が重々しく呟く。


『ああ。予想されていた範囲は全て捜したが、見つからん。更に広域となると厄介だ。時間が掛かる』

「ならば、やはり俺も…」

『しかし、急いても事は好転しない。』

文次郎が口にしようとした言葉を遮って、仙蔵が言う。
淡々としたその口調は、今のお前では来ても役立たずだと言外に告げていた。

握りしめられた文次郎の拳に力が籠る。
冷たくもあるその言葉は事実を告げているだけであり、それを招いているのは文次郎自身の未熟さであり、一人無茶して突っ走り妖力を使い果たすという先の失敗故だ。

無言の間から、文次郎の様子を察したのだろう。
仙蔵が、やれやれとでもいうような溜息をつき、その口調を僅かに緩めた。



『他の四肢は全てつぶした。頭だけでは大した悪さは出来まい。何処かに潜伏し力を蓄えている、となれば話は別だが。それならそれで被害はその一地域のみに絞られる。すれば、探し出すのはより容易になる』

文次郎を落ち着かせる為の仙蔵の言葉。
しかし、文次郎はその言葉の一部に、妙な引っかかりを覚える。


「…もしも『奴』が何処かに身を隠しているとして、力を蓄えるのならばどんな手を使う?」

『さあな。暴れまわるだけの手足ならともかく『頭』の方にはまだ知能も残っているかもしれん。残っていたとしても、ただ力を求めるだけの本能に近いだろうが…。一番手っ取り早いのは、力ある依り代に乗り移り、力を奪うことだろうな』

「…」

『何かあるのか』

「少し…気になることがある」

文次郎の頭に、打ち消したはずのある可能性が浮かぶ。
先程、古道具の並ぶ店の中で食満と交わした会話が思い出される。
壊れた古道具、古美術品達。空虚な空間。
それらの繋がる先が、仙蔵と文次郎が探すモノの元だとしたら…



『おい、文じ…』

「文次郎」



深く思案に暮れかけた文次郎に、仙蔵が何かを呼び掛ける。
それと重なるようにして、背後から文次郎を呼ぶ声。

はっと、思考から引き戻された文次郎が振り返る。
その勢いで集中が途切れ、高めていた妖力も散ってしまった。
朱色の隈取りも消え、ごく普通の人の姿へと戻った文次郎には、仙蔵の声は聞こえなくなった。











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