「話を聞かせてもらおう」 案内された母屋の一室で、店主に勧められた席に着くなり、文次郎が訪ねる。 些か急過ぎる切り出し方ではあったが、店主の方も特に気にした風もなく むしろ、早く話したくて堪らないという急いた口調で、拝み屋(と店主は思い込んでいる)の二人を招くに至った経緯を話し始めた。 「事の始まりは、半月程前にございます」 代々商いを営んできたこの店。 時代時代で扱う品に多少の差はあれど、丁寧な仕事と客対応でそれなりに繁盛し、町人達にも親しまれてきた店に、ある日を境に異変が起き始めた。 先ず初めに、店で扱っている様々な古道具、古美術品の一部が、一斉に壊れた。 そのどれもが、目利きの店主が自ら仕入れてきた良品ばかりの上、番頭を始めとした使用人達が、毎日欠かさず手入れと管理を行っていた。 それなのに、まるで一斉に寿命を迎えたかのように、ひび割れたり、色褪せたり。酷いものは、まるで力一杯に叩き割ったかのように、粉々になっていたのだという。 初めにそれを見つけた店主は、まだ朝早い時間でもあり、店の者も誰も居合わせなかったことから、性質の悪い悪戯か嫌がらせかと思い、同心へと話を持って行こうとした。 しかし、それからが更なる異変の始まりであった。 客人、周囲の町人が、おかしなことを言い始めたのである。 いるはずの無い者の後ろ姿。 あるはずの物が、全く違う場所で見つかる。 影で蠢く、鼠や猫とは似つかない、異形の塊。 誰もいない部屋の中で自分を呼ぶ声。 ほんの一瞬目を離した隙に、めちゃくちゃに荒らされる部屋。 そのどれもが店を中心とした近辺でのみ起こる、との噂がたった。 次第に町人達は店へと寄り付かなくなり、初めのうちはそんな馬鹿なことがと信じていなかった店の従業員や店主までもが、噂通りのものを目撃し始める。 これ以上に噂が広まり人が離れてしまえば店が立ち行かなくなると、店主は近くの寺の住職を招き、店と母屋の主だった場所を祓い清めてもらうことにした。 念の為にと、店主も店の従業員も全員寺で清めてもらった。 結局何が原因なのかは分からず仕舞いだったが、それで怪異も一旦は収まった。 しかし直ぐにまた異変が起きた。 それも、今度は更に重く。 店の者が身体を壊し始めたのだ。 身体の弱い者、体力の無い者から順に。 医者に見せても原因は分からない。 ただ、どんどんと衰弱し何かに魘される。 その者達は、店からある程度離れたところに移せば若干の回復を見せた。 しかし、未だ全快の兆しは見えない。 いよいよ、町人達の間でも「あそこの店は呪われている」と噂が確信へと変わり、人々が寄り付かなくなってしまった。 途方に暮れた店主は店を閉め、殆どの従業員達にも暇を出した。 店主として、床に伏せる者達への責任を果たす為、自らと、僅かに残ってくれた使用人達で、より高名な拝み屋を探してまわった。 そうしてようやく見つけた拝み屋は、使いの者をやると、用事が立て込んでいていつこちらにむかえるか分からない、との文が帰って来た。 それでもどうにか、と藁にも縋る思いで待ち続け 「ようやく、貴方様方が来て下された。ほんに有難く、感謝申し上げます」 ここまで一気に話し終えた店主が、額を畳に摺りつけるように、深々と頭を下げた。 店主の話を黙って聞いていた文次郎は、ふむと顎に手を当てる。 自分の後ろに(弟子という設定上、仕方なく)控えるように座っている食満へと目をやる。店主の話を聞き、店主や店の者の心中を想い胸を痛めていた食満は、文次郎の視線に遅れて気付き、何だ?とでもいう風に見返す。 それに答えず前へと向き直った文次郎が、店主へと言う。 「話は分かった。取り敢えず店と母屋の中の様子を見たい。人払いを頼む」 文次郎の指示に、店主は分かりましたと腰を上げる。 さっそく、残った使用人達に指示を伝えに行こうとでもしたのか。 しかし、文次郎と食満の横を抜け、襖から廊下へと出ようとした店主の身体が、不意にがくりと傾く。咄嗟に立ち上がり駆け寄った食満が、その身体が床へと落ちる前に支えた。 「も、申し訳ありません…。少々気が抜けてしまったようで…」 店主が自分を支えてくれた食満へと謝罪する。 間近で覗いた店主の人の良さそうな笑顔には、深い疲労の色が見て取れた。顔色も良いとは言い難い。 今日まで怪事の続く店に留まり続けていたのは、次々と周りの者が倒れていく中、店主として家主として、最後までここに留まり、解決策を探さねばならぬという覚悟があった故なのだろう。店主の現状は、その覚悟と責任感のみで心身を支えている、そんな状態なのかもしれない。 「いえ…」 食満は、そんな店主の様子に何も返すことが出来なかった。 人払いの済んだ屋敷の中。 食満の意見で、二人は始めに立ち入った店へと戻った。 食満は、店へと降りて、もう一度そこに並べられた品々を良く観察する。 対する文次郎は、店と母屋を繋ぐ戸口へと立ち、屋敷内の気配を窺っていた。 「どうだ」 暫くして、文次郎が問う。 「…やっぱりおかしい」 先程よりも丹念に店内を調べ上げた食満は、やはり納得がいかないとでも言うように顰めた声で答えた。 「さっき感じた、この店の中の違和感。 ここで毎日やり取りされていたはずの人々の念や気配。人が暮らす場所にならいてもおかしくない、雑鬼や魑魅魍魎の類。それらが、清も濁も関係なく一切感じられない、抜け殻みたいな空気。 店主の話で、神職の者に祓いの儀を行ってもらったと言っていたから一瞬そのせいかとも思ったが、やはりこれは違う。余程強力な法力を持った者が、手当たりしだい浄化したとしても、こうはならない。 祓いとは、清めの力だろう。全てを無に還すものとは違う。これは…良くないものを浄化したというよりは、まるでこの場所に宿っていたはずの命、力、そいったものを、何かが根こそぎ吸い取ってしまった後のような、そんな感じだ」 食満が、何か考えるように口元に指をあてる。 「…事の始まりで、一斉に壊れたという古道具や、古美術品の類。 もしかしたらそれは、この中でも特に古い物や力あるものだったのかもしれない。 ここで起きている怪異の元凶に、力あるそれらが、真っ先に強い反応を示した。そして、その拒絶反応に身が耐えきれず壊れた。…のかも、しれない。 実際に確認してみなければ、はっきりとは分からないが…。そっちはどうだ」 店主の話と店内の様子から推測を立てた食満が、文次郎へと問いを返す。 「そもそも、始めからおかしいのだ」 戸口に寄りかかり、腕を組んだ文次郎がこちらを振り返る。 「店主の話を信じないわけではないが、そのような人に害為す程の怪異が起こっているのなら、お前や俺が足を踏み入れた瞬間、何かを感じ取っているはずだ。しかし、あの時も今も、いくら探ってみても何も感じない。強いて違和感を上げるのならば、お前と同じ『何も感じなさ過ぎる』という部分くらいだ」 屋敷全体から感じるのは、この店と同じ空虚な気のみ。 その気は食満にとっては胸が痛む程の寂しさを感じさせるものだが、只の人にまで強い影響を与えるようなものではない。 「じゃあ…、ここには何もいないのか?」 そう、食満が問う。 「いや、いる」 しかし、文次郎はそれに首を振って答えた。 文次郎が再び戸口の先、屋敷の奥へと目を向ける。 「一体。ひどく奇妙な気をしたやつがいる。…が、空虚で気配を察知しやすい屋敷の中で、それは妙に不安定だ。生まれたてか、消えかけのような。そんな気配だ」 「それは…」 文次郎の感じるそれは、あの子供だろうか。 食満の作った笛を持っていったあの子が、こんな怪異の起こっている屋敷の中に、一人でいるのだろうか。 「…お前があの子供と会ったのは、五日程前だったか」 唐突な文次郎の言葉。 「ああ…って、まさかお前、あの子の事疑ってるんじゃねぇだろうな!」 その意味を察して、この屋敷にいるかもしれない子供のことを案じ、憂いていた食満の表情が一気につり上がる。 「念の為だ。そもそも、そいつは五日前で生まれたばかりの様子だったんだろう。半月前から始まった怪異の元凶である可能性は低い」 「低いじゃなく、ないんだよ!」 「何故そう言い切れる」 「あの子はいい子だ!」 「…」 文次郎は、噛みつかんばかりの勢いで言い切る食満に気取られないよう、心中で息を吐いた。 何日も前に、ほんの一時やり取りを交わしただけで、良いか悪いか分かるというのか。 ―いや、分かるのかもしれない、この男には。 何にでも裏表なく、鈍いようでいて時に文次郎にも感じとれないものを掴み取る。 そんな食満の周囲に集まるのは、何故か純粋なモノばかりだ。 善悪関係なく、ただ何かを求めている、そんなモノ達だ。 そして、そんなモノ達に食満は甘い。 一度懐を開き情をかけてしまった相手に対して、食満留三郎という男は甘過ぎるのだ。 それで今まで何度厄介に巻き込まれてきたことか。痛い目を見てきたことか。 それでも、食満は変わらない。 変わらず、人であろうと人外であろうと、情をかけ、欲しがるものを与えようとする。 それが食満の性分であることも、そう簡単には変えられるようなものでもないと分かっている。 それでも、そんな時には危うくもある食満の行動を見て、文次郎を含む幼馴染達がどれ程に気を揉んでいるのか。 食満はいつまで経っても気付かぬままだし、文次郎とて、口が裂けても言葉にするつもりはなかった。 「半月前…か」 「何だ?」 文次郎が、不意に呟く。 それを聞き取った食満が問うが、文次郎は何でもないと首を振って終わらせた。 「…関係はないだろう」 再び呟いた文次郎は、頭に浮かんだ可能性を打ち消した。 「…そういえば、お前、店主に聞かなくて良かったのか」 その子供のことを、と言外に続けて文次郎が問う。 今では何やら厄介な案件が上乗せされてしまったが、当初の目的は子供を探すことである。 先程言ったように、文次郎も異変の元凶がその子供だとは思ってはいない。が、何らかの影響を受けているか、与えているか。それ位の可能性は残っている。 店主や従業員、客達が見たという怪異の中に、その子供の存在や関わりはなかったのか。店主に、遠回しにでも探りを入れた方が、探す手掛かりになったかもしれない。 食満から店主へと話を切り出すかと思い、敢えて黙っていた文次郎であったが、結局食満は一切それに触れぬまま、店主の話を最後まで聞いているだけだった。 「…いい。今は、早くあの人のことを休ませてやった方がいいだろう」 先程までの勢いは何処へやら。急に視線を逸らした食満の答えは、何となく歯切れが悪い。 その様子で、文次郎はああと、何かに思い当たる。 「お前、相変わらず年寄りが苦手なのか」 「…」 ずばりと言い当てられ、食満は反論出来ずに口を閉じた。 食満は、ある一定以上の歳の人間を苦手としていた。 自分よりも外見的に歳下の相手であれば問題はないのに、ある一定以上見かけに差のある歳上相手だと途端に萎縮してしまう。 先程までの店主とのやり取りでも、弟子という設定上文次郎に主導を持たせたのかと思っていたのだが、どうやら本当の理由はそちららしい。 「歳自体は、お前と対して変わらないだろう」 五十近くの店主と食満を比べて、文次郎はそう言う。 「…だからこそ、どう接すればいいのか分からなくなるんだよ」 普段の調子はどこに行ったのか、ぼそりと、愚痴るように食満が言う。 「そんな調子で、普段どうするんだ」 鍛錬が足りん、といつもの文次郎の挑発。 普段なら怒声が帰ってくるところだが、こればかりは食満自身も自覚があるのか、小さく「うるせー…」と小さく返すだけだった。 「…普段は、ちゃんとしてる」 「なら、何故今もしない」 普段も今も変わらないだろう、と文次郎が呆れた声を出す。 「…お前がいるんだから、別にいいだろう」 文次郎から顔を逸らし、何やら苦々しげな顔をした食満が不貞腐れた風に呟く。 「…は?」 「もういい!調査するぞ、屋敷!さっさと…」 話を切ろうとした食満が、立ち上がる。 少々上擦った声を張り上げ、怪訝な顔をしている文次郎を屋敷へと促そうとして、不意に動きを止めた。 同時に、文次郎も『それ』に気付く。 「…今」 「何処かから見られていたようだな」 先程一瞬、気配を感じた。 屋敷内で唯一感じとることのできる、奇妙な気配のそれだった。 二人の様子を窺っていたらしいそれは、食満が声をあげたと同時に一瞬だけ気配を表わし、すぐに消えてしまった。 「警戒…されちまったかな」 「かもな」 今の大声のせいで驚いて逃げてしまったのかもしれないと、食満が肩を落とす。 「追えるか?」 「無理だ。さっきもいったが、そいつの気配は酷く不安定だ」 万全の体調であったのなら出来なくはないが、今の状態では難しい。 今も周囲の様子を探ってはいるが、それらしいものは感じられない。 食満もそれを理解しているから、無理をしてでも探せとは口にしない。 「…しょうがない。屋敷の中を調べがてら、探すか」 二人は、再び母屋の方へと向かった。 あとがき 進展遅くて申し訳ないです。 なるべく後々に矛盾がないよう、意味不明にならないよう、と気をつけていたら説明ばかりのお話が続いてしまいました。 つっこみどころばかりかとは思いますが、もう少しお付き合い下さい。 毎回、自分的文食満要素をちょこちょこ入れているつもりなのですが、それが皆様に伝わっているでしょうか… [back/title/next] |