「ここ…か?」 食満が、文次郎の立ち止った先にある建物を見遣る。 「…ここだ」 文次郎が、今一度周囲の気を探り、頷く。 食満が五日程前に出会ったという子供。 その子供に渡した笛に残った食満の気を追った二人がたどり着いたのは、ある一軒の商屋であった。 周囲の長屋よりも二回り程大きく古く、中々の格式を感じさせるその商屋の戸は、閉まっていた。 暖簾も看板もなく、その佇まいだけでは、それが何を扱う店なのか分からない。 普通、営業中の商屋であれば、軒先等に客寄せ用の商品が積まれていたり、道行く人を引き留める売り子等がいるものだが、今は通りにいるのは食満と文次郎の二人だけ。店の前を通る町人は一人もいない。 というか、この辺り一帯、異様な程静かであった。 何か良くないモノを感じるという訳でもないのだが、兎に角人の気配を感じない。 まるで、ここら一帯で人払いか、夜逃げでもしてしまったかのようだ。 「で、どうする?」 文次郎が食満を見上げて訪ねてくる。 文次郎は、ここまで食満を案内してきた。 どういう理屈かは知らないが、尽きかけていた自分の妖力を回復してもらった『借り』を返すという名目で。 ここからどうするかは、食満に委ねるべきだろう。 「…どうするって、行って話を聞いてくるさ」 食満が、少々戸惑いを含んだ声で返す。 文次郎がこの店の中から気配がすると言うのなら、あの子供がここにいる可能性は高いだろう。 正直、こんな立派なところの子だったとは思いもしなかったから少々腰は引け気味であったが。 それでも、あの時の子供の、影から覗いていた不安で寂しそうな顔が、笛の音を聞かせてやった時に僅かに綻んだ喜びの顔が忘れられない。 この家に、ちゃんと居場所を見つけられているのなら、それでいい。 あの子が今寂しそうな顔をしていなければ、それが確かめられれば。食満はそれでいいのだ。 「…御免下さい」 からからと滑りのよい戸を引いて、戸の内へと下げられていた暖簾を潜って店の中へと入る。 店の中は薄暗く、誰もいなかった。 「うわぁ…」 そんな中、食満は小さな感嘆の声をあげる。 店の中は物で溢れていた。 薬缶や桶などの日用の生活道具から、壺や軸物、巻物などの古美術品まで。 種々雑多な様々な古物が、所狭しと並べられていた。 「どうやら、ここは古道具屋のようだな」 戸の前に立ち尽くしたまま店内の様子に見惚れる食満の足元を潜りぬけて、文次郎も店の中に入ってくる。 ざっと見渡す限り、生活用品よりも古美術品の方が置いてある割合が高い。 それもかなり年月の経った貴重な物が多く、手入れも行き届き、傷んだものや不良品も殆どない。 それを見るだけで、この店や店主の人柄というものが分かるというものだ。 こういった物に目がない者達からすれば、ここは『宝の山』というやつなのだろう。 と、店内を軽く物色した文次郎は『こういった物に目のない者』の一人である食満を、ちらりと見上げる。 その目は、玩具を前にした幼い童のようにキラキラと輝いていた。 ずらりと並んだ品々を見て。その行き届いた手入れの完璧さを見て。 はぁ…、と感嘆のため息をつく。 品に触れるぎりぎりを、文次郎と喧嘩をする時とは真逆の繊細な手つきでなぞり、体裁も忘れて身を乗り出し、顔を近づけ、一つ一つ観察する。 その度に、何か小さな声でぶつぶつと呟いているが、文次郎には聞き取れても理解が出来ない。 …あいつ、当初の目的をわすれているんじゃないだろうな。 暫くは放っておいた文次郎だが、いつまで経っても意識の戻ってこない食満に痺れを切らす。 わざわざ案内をしてやったのに、と文句の一つでも言ってやろうかとしたその時 食満の表情が変わる。 訝しがるように眉間に皺を寄せた食満は、辺りをきょろきょろと見渡し始める。 天井や床の隅、棚と棚の隙間や、影に顔を寄せて、何かを探すかのように覗きこむ。 「どうした?」 文次郎が、食満に歩み寄る。 「…ここ、何かおかしいぞ…」 「何が?」 文次郎には、ここに特別異変があるようには見えない。 一見は、普通の古道具屋である。 ざっと探ってみても、妙な気配も感じない。 低級な狐狸雑鬼や、魑魅魍魎の類の姿も見えない。 「そうだ。何もなさすぎる」 それが、おかしいんだと、食満が周囲を差す。 「…どういう意味だ?」 「普通、こういった人の出入りの多い場所には何かがいるもんだ。形あるものも、ないものも。ここを通り過ぎていったものの念や気配なんかが残っているはずだ。その上ここは古道具屋だ。様々な人の手に渡り、使われ、長い年月を経てきたものばかり置いてある。そしてどれも丹念に手入れされている。大事に扱われてきた証拠だ。なら、付喪神の一人や二人居てもおかしくはない。いや、居なきゃおかしい。が、どこにもいない。それに、こういった壺や軸物なんかの名のある技師や画師、職人の作ったものには、それだけで魂が籠る。そこにあるだけでその場を浄化する、力が宿る。だが、それもない」 一つ一つ、食満が違和感を指摘して行く。 それを聞き、文次郎も改めて周囲を窺う。 確かに、何も感じない。 これだけの広さの店だ。鼠の一匹、雑鬼の一匹いないというのは、おかしいかもしれない。 付喪神というものの気配は、文次郎にはよく分からない。 奴らは様々なところを本体と共に渡り歩き、時には本体を離れて勝手に動きだしたりもする。 そもそも、何を依り代とするかで、その姿も力も行動原理も全てが違う。 狐妖のように、はっきりとその一族ごとに姿形や力の傾向が分かれ、掟に縛られ生きる妖とは違い過ぎて、文次郎にはそれが読めない。 しかし、食満が言うのなら間違いはない。 普段からたくさんの付喪神達を愛で、また慕われ囲まれながら暮らす食満ならば、どんな小さな気配でも見逃さないだろう。 食満が、きゅっと眉を顰める。 不機嫌に、というよりは気味悪がるように。 「ここは…まるで空っぽだ。あるはずのもんが全部、清も濁も関係なく綺麗に取り払われちまったみたいだ。こんな寂しい空気は、初めてだ」 僅かに視線を落として、呟くように食満が言った。 「…どちら様で?」 そうして話している内に、二人の声を聞き取ったのか、奥から人が出てくる。 「申し訳ございませんが、只今店は閉めておりまして…。御用を伺うことは出来ないのです」 店主らしき身なりの男が、陳列された商品の前で立ち尽くしていた食満に声を掛けてくる。 ふっくらとして人の良さそうな顔のその男は、何故か酷く憔悴した様子で、憂いの表情を浮かべ謝罪した。 「あ!いえっ…こちらこそ申し訳ない!勝手に上がり込んだりして…。その、客としてきたわけではないのですが…」 「はて?…では、どういった御用件で?」 食満が慌てて訂正を入れる。 店主が不思議そうに尋ね返す。 しかし、食満にはどう事情を説明したものか、咄嗟に良い言葉が浮かばない。 徐々に店主の視線が食満を訝しがるものへと変わっていく。 このままでは、不審者扱いで人を呼ばれてしまうかもしれない。 兎に角、何か説明をしなくては。 「その…」 「店主」 しかし口を開いた食満の言葉を遮り、店主を呼ぶ声があった。 食満に向けられていた店主の視線が、食満の斜め後ろへと流れる。 「…お」 ほんの一瞬見開かれた店主の目が、何かを捉え 「おぉ、お待ちしておりました!『拝み屋』の方々でいらっしゃいますか。よく、いらして下さいました!」 そう言って笑みを浮かべると、店主は深々と頭を下げた。 「え?」 突然変わった店主の態度。 今何と言った?拝み屋?誰がだ? そう驚く食満を余所に、店主は腰を上げる。 「使いにやった者の様子では来て頂けないものとばかり…。さ、どうぞこちらへ。奥へとご案内いたします」 奥へと招くような店主の仕草。 それに続くように、すっと、食満の隣に進み出たのは 「!?おまっ…」 文次郎であった。 ただし、狐の姿ではない。人に化けた姿だ。 食満と同じ高さにある文次郎の視線が、黙って見ていろとでもいう風に食満に向けられる。 「そちらの方は?」 「弟子だ」 「!?」 先程から少々挙動不審気味である食満へと向けられた店主の疑問に文次郎が答える。 よりにも寄って、弟子だと?誰がお前なんかの! と、食満の脳内が一気に沸騰しかけるが、ぐっと堪える。 「おぉ、お弟子様でしたか。これは失礼をいたしました。では、お弟子様も是非ご一緒に。急いで茶の方も用意させて頂きますので」 文次郎の言葉を信じきった店主が、二人に笑みを浮かべ奥へと下がる。 二人を招き入れる準備の為、人でも呼びにいったのだろう。 「…お前、なにした?」 店主の姿と気配が遠ざかるのを確かめてから、食満が文次郎へと小声で問い詰める。 「少々術をかけて、俺達を客人と勘違いさせただけだ」 おかげで向こうから招き入れてもらえただろう、と。 食満の鋭い口調をさらりと受け流しながら、文次郎はあっさり言う。 流石、こういうところは同じ狐妖なだけあり、仙蔵そっくりだ。 「…にしても」 何か文句でもあるのかと、食満を睨みつけてくる文次郎。 その人に化けた姿は、先程の仙蔵と同じく、身なりだけならばそこらの町人と変わらない。 ごくありふれた柄の小袖を着流し、食満とそう変わらない身丈。 頭髪は元の毛並みと同じ黒であり、食満と同じく短い髷を結っている。 どちらかというと不揃いな長さである食満のものに対して、文次郎の髷はその毛先や額に垂れた前髪まで、きちんと切り揃えられている。 着物の上からでもはっきりと分かる身体つきは、すらりというよりは、がっしりという表現の方が相応しく。ぴしりと伸ばされたその背筋と佇まいからにじみ出る雰囲気は凛々しい。 着物の下に、袴や刀の一、二本でも下げていれば、武士と言われても違和感はないかもしれない。 目立つ首飾りは、きっちりと着こまれた小袖の襟に隠れているので、今はそれ程目に留まることもない。 問題なのは、顔である。 端的に言えば、目つきが悪すぎる。 そして、その目つきから来る顔立ち全体が、凶悪過ぎるのだ。 こうして人型に変化し、術も使える程に妖力は回復したらしいが、その顔には未だ色濃い疲労の痕が残っている。 毛に覆われていた時には分からなかったが、普段から夜通し野を掛け山を越え鍛錬に明け暮れるせいで、常にそこに居座り続ける目下の隈は、いつもの五割増しで濃い。 本人には自覚がないらしいが、常に不機嫌のような、睨みつけているかのような目つきの悪さにそれらが加わった今の文次郎の顔つきは、目の前に立たれるだけで、懐の金品全て差し出して脱兎で逃げるか命乞いをしたくなるような、そんな顔だ。 「なんでまた…、『拝み屋』なんだ。只の客人ならば、他になんとでも言いようがあるだろう」 じろじろと人型に変化した文次郎を見遣り、食満が愚痴るように溢す。 見慣れた食満からすれば怖くもなんともないが、今の文次郎の風体は初対面の者には物の怪並に恐ろしい。 むしろ『拝み屋』というよりも『祟り屋』と言った方がしっくりとくる位に。 「違うわ、バカタレ」 文次郎がかけた術で店主が自分達を拝み屋だと勘違いしたのだと思っている食満が口した疑問を、しかし文次郎は一蹴する。 「俺は、自分の口から『拝み屋だ』などと一言も言っとらん。向こうが勝手に俺達を拝み屋と勘違いしたんだ」 「でも…、それはお前が術を掛けたからだろう?」 「俺が掛けたのは、俺達を店主が待ち望んでいる客人だと錯覚させる術だ」 「じゃあ…」 店主は、本物の拝み屋を呼んでいて、それを待っていたということか。 そこに俺達が来てしまったから、俺達がそうだと思い込んだ。 しかもあの喜びようからすると、かなり気を揉んで待ち望んでいたのだろう。 …これは、少々申し訳ないところに丁度良く来てしまったようだ。 「で、どうする?」 文次郎が、店の前に着いた時と同じく食満へ問う。 「拝み屋を待っていたということは、拝み屋が必要な状況に、店主又はこの店が今あるということだ」 首を突っ込むのか、このまま失敬するか。 返事は聞くまでもなかったが、それでも文次郎は食満へと問い掛けた。 「…行くぞ」 文次郎の問いに、食満は短く応える。 文次郎の前に出て、振り返る。 文次郎越しに、静まり返った店内をぐるりと見渡し 「ここは、何かおかしい。理由が知りたい。それにここで何か起こっているなら、あの子にも何かがあったのかもしれない。放っておけない」 真っ直ぐに、食満の言葉が文次郎へと向けられる。 文次郎の言葉を待たずに前に向き直ると、食満は一人で草鞋を脱ぎ、店主に続いて奥へと入っていく。 「…お節介ものめ」 呆れたように息を吐き、文次郎が呟く。 「弟子が師匠より先に行くな、バカタレが」 文次郎が食満に続いて店へとあがる。 その少し奥から、何だとバカ文次!と、叫び返す食満の声が聞こえた。 あとがき 中々進みませぬ。 異変の始まり、という感じで。説明ばかりで読みにくいかもしれませんが… (必要な部分と、蛇足な部分の判断が難しいですorz) 一話ごとに大分長さに違いがありますが、管理人的に区切りがいいかなぁ、というところで切ってます。 どうぞ、ご了承を。 [back/title/next] |