あやし奇譚 | ナノ


前途遼遠 02







「ならば良い」

その小さな瞳に込められた決意の程をじっと探っていた仙蔵は、拍子抜けするほどあっさりと兵太夫を許した。





仕置きを受けると思い込んでいた兵太夫も、傍で見ていた伝七も。
その予想外の言葉の、予想外の軽さに目を丸くする。
そんな二匹の様子にも構わず、先程までの真摯さなど何処かへ吹き飛ばした仙蔵は、愉快で愉快でたまらないといった様子で笑っていた。

「ふふっ、流石は私の門下、立花の仔だ。お前が認めるのならばその三治朗という者は良き人の子なのだろう。どんな者なのだ」

ぽかんと口を開けて呆けていた兵太夫は、そこで漸く自らの友を認めてもらえた事に気付き、喜びに顔面を輝かせた。



「三治朗は山伏の子です!三治朗は凄いんですよ!僕の変装に気付いたのに変わらず仲良くしてくれて、どうしたらもっと上手く化かせるか相談に乗ってくれたんです!二人一緒にやったら、大人の山伏だって化かしてやれたんです!」

「そうか。自らの向上のきっかけとなる出会いは良い。けれど友と言うのならば、互いに刺激を与え合い共に高みへと昇るよう努めなければ駄目だぞ」

「はい!だから今度は、僕が三治朗に術を教えてあげるんです!先輩に今まで教えて頂いた術をちゃんと教えてあげられるように見直ししてきました!」

喜色満面で千切れんばかりに尾を振って、兵太夫は仙蔵に友の事を話す。
対する仙蔵も、頷き、助言を交えながらそれを聞く。





「…っ先輩!どうして咎めないのですか!?」

事の流れについて行けず、二人の会話に入り損ねていた伝七が声を上げる。
その顔には、何故、どうしてという困惑が、ありありと表れていた。

上昇した気分に水を挿されたようにでも感じたのか、兵太夫が伝七を睨みつける。
それを受け止めながらなお、伝七は納得がいかないと噛み付くようにして仙蔵に向き合った。








妖というものは、基本的に人とは生きる世界を別とするものである。

人にとってその存在は不確かであり、無いものとして扱われ蔑み見られることもあれば、 無闇矢鱈と持ち上げられ縋り付かれることもある。
畏怖の対象になることもあれば、討伐や虐殺の対象になることもあり、逆もまた然り。
稀な例として共存を望まれそれが成功することもあるが、基本的に二つの世界は相容れない。
それらを長い歴史の中で知り尽くしている高位で長命な妖達は、自分達と人間達との世界の間に明確な線引きをする。



そんな妖の中の一種、狐妖は、主を持って仕えることを本分とする。
そして、より強い力を持つ主に選ばれることを無上の誉れとする。
例えば神。又はそれと同列に並ぶ名のある大妖などにだ。

全ての狐妖が名のある神や大妖に仕えることが出来る訳ではない。
名のある神や大妖が皆、狐妖を従妖に持っている訳ではない。
けれど、その二つの結びつきは古く、強い。

それが基因となってか、狐妖という種は自らの一族に対しての矜持が強く、反対に主となりえる神属や高位の妖以外の他種族を見下す傾向が強かった。
中でも『人』に対しては特にそれが顕著であり
『人という生き物は、我等の主を気まぐれに祭り上げ、持て囃し、敬虔に祈りを捧げたかと思えば分を弁えずに欲を出し、大それた願を掛け、それが叶えられなければ役立たずと罵り捨てる、低俗で野蛮な生物である』
と、これが古くから狐妖に根付く人間という種族に対する見方であり、そんな傲慢な生物に誇り高い狐妖は接するべきではないというのが、里を治める上役達の考えだ。


その為、伝七や兵太夫のような幼い狐妖には、里に入って先ず第一に、人間に関わる事を禁忌とする教えが仕込まれる。
これは、狐妖の里における掟であり、破れば当然罰が下る。
破った当人だけではなく、その管理を任された長上の狐妖にもだ。

しかし、兵太夫はそれを破った。
人里に赴き、人に正体を明かし、友と呼ぶ程に心を近づけてしまった。
それが里に知れれば、咎を受けるのは兵太夫だけではない。
兵太太夫と伝七を受け入れてくれた立花の家の名に、慕い敬う仙蔵にまで迷惑がかかる。

そんなことがあってはいけない、掟は守るべきものなのだと、伝七はきつく兵太夫を睨みつける。





「親しき者が出来たということを、どうして咎める必要がある?」

けれど、本来ならば共に兵太夫を咎めるべき立場の仙蔵は、こう問い返す。


「でもそいつは人間で、掟では…」

言葉尻を窄めながらも伝七は言い募る。
けれどその心中は、賛意を得られない困惑と、教え込まれた狐妖の掟の絶対性と、意の伺えぬ仙蔵の言葉の間で揺れ動いていた。

顰められていたその瞳には少しずつ涙の膜が張り始める。
気張ったその身体が、ふるふると震え始める。
それでも伝七は、兵太夫を睨み続けていた。










「では、今日はお前も共に、兵太夫の友に会いに行ってこい」

そんな伝七の様子を見て、思いついたかのように仙蔵が言った。
その言葉に、張り詰め切れてしまいそうな緊張感を持って睨み合っていた二匹の瞳は、再び丸くなる。

我ながら良い案だと、こちらを見上げてくる二匹の唖然とした様子を受け流して満足げに笑った仙蔵は、自身の尾で抱え上げたままだった二匹の身体を引き寄せ、その身なりと毛並みを整え始めた。



「…って、何でですか!?」
「こんな奴を三治朗に合わせるなんて嫌です!!狐妖の印象が悪くなる!!」

漸く我に返った伝七と兵太夫が共に抗議の声を上げた。
キンキンと耳に響く鳴き声をあげ、二人ともが仙蔵の提案に対して異を唱え、その異の内容に再び睨み合う。



ともすれば、そのまま先程のもみ合いが再開してしまいそうな空気の中。

「伝七、兵太夫」

二匹の気繕いを終えた仙蔵が、二匹の名を呼んだ。



先程までの軽妙さを潜ませたその声に、ぴたりと二匹の抵抗が止まる。

仙蔵はするりと尾を解き、二匹を地へと下ろし、己と向かい立たせる。
二匹を見下ろすその瞳からは、笑みが消えていた。
容姿の美麗を誇る者が多い狐妖の中でも群を抜いた美しさを持つ仙蔵の姿は、そこからほんの少し表情を潜めるだけで、『神の遣い』と呼ばれ崇拝される狐妖の像に、これ程相応しい者はいないだろうという程の気高さを纏う。

見惚れそうになるその仙蔵の貌を見上げながらも、二匹の赤狐は緊張に身を固める。
今目の前にいる仙蔵は、先程までの童のように悪戯好きで、格下の赤狐にも隔てなく接する年長者ではない。
立花の一族の家長、二匹の長上としての厳かな威厳を放つ、二匹に対して絶対の権限を持った高位の存在、四尾の白弧の顔であったからだ。



「命ずる。お前達は共に人里に降りて、兵太夫が知り合った人間と会って来い」

先程の提案を今度は命令として、改めて仙蔵が下す。
先とは違い、それに反抗や口答えは許されない。


「「…はい」」

狐妖としての本能、そして長として誰よりも仙蔵を慕い敬う二匹は、僅かな逡巡の間を持ちながらも、その命令を受けた。



けれど受諾してもなお、伝七はその命令に納得がいかなかった。
兵太夫を止めるでもなく、自分にも掟を破ることを命ずる仙蔵の意が、伝七には分からなかった。
兵太夫もまた、不服そうに顔を顰めてはいた。
けれどその心は、もうじき会える友のことを想い、軽かった。
「行くぞ」と、兵太夫が伝七へと声を掛け、背を向け歩き出す。
兵太夫と正反対に重々しい足取りで、伝七がそれを追いかけようとする。

その背に向かって、仙蔵が声を掛ける。



「直に会って、兵太夫の友が信頼に足る人間か、掟を破ってまで友として心を寄せるに値する人間か。お前も共に見定めてくるといい」

伝七が振り返る。
人里へと発つ二匹を見送るその顔には、柔らかな表情が戻っていた。



「それで認められぬような人間であったのなら、私に言え。兵太夫の記憶からその人間の一切の情報を消すなり、二度と人里に近づけぬように術を掛けるなり、何でもしてやろう」

続く仙蔵の言葉に、伝七の動きが止まる。
さらりと伝えられたその内容。当然であろうその処置。
しかしそれを言葉にして示されて、伝七の心に僅かな曇りが生まれる。

仙蔵ならばそのような術も、きっと簡単に施せるのであろう。
そもそもそうなることを求めて仙蔵へと進言したのだ。
けれど、そんな術を施され、記憶も消されてしまった兵太夫の事を想像すると、生まれた心の曇りが広がっていく。



そんな伝七の様子を見て、仙蔵は覚られぬよう、ひそりと笑みを溢した。

「なぁ、伝七。掟とは…、まあそれなりに重いものだ。だが、何よりも優先すべきものではない。重んじるべきは、信じるべきは、先ずは己の目だ。
私は私の目で見たモノを信じる。その私の目が、兵太夫にもお前にも、他者を見定める目は十分に備わっていると言っている。異なった視点を持つお前達が共に見定めれば、更に多くが見通せると信じている。
だから見て来い。掟など、他所から仕入れた概念など捨て、その目で見て、感じ、考えて来い。その上で、どのような処置を私に願うべきか、決めてこい」

そう言って、止まっていた足取りを後押しするかのように、ふわりと伸びてきた仙蔵の純白の尾が伝七の背を押す。



「罰など気にするな。そもそも破ったことがバレなければ罰は下らん。この立花仙蔵、秘蔵の愛弟子達だ。人目も妖目も、化かす術は御墨付き。お前達ならば大丈夫だ」

足を縺れさせそうになりながらトコトコと数歩歩き、仙蔵の先の言を少しずつ咀嚼し理解した伝七の顔が、徐々に朱に染まっていく。


(褒められ…た?)

無意識に緩んでいく顔を必死に抑え、先を行く兵太夫を追いかけようと駆け出した伝七の背に「それともう一つ」と、思い出したかのように仙蔵が続ける。


「兵太夫の身を案じるのならば、理論で無理に引き止めるのではなく、共に傍で経験してやり、何かがあれは力を貸してやれ。その方が兵太夫も素直に感謝もし易いし、お前達ももっと仲良くなれるのではないか?」

全てを見通すかのように告げられた言葉に、一気に伝七の顔が真朱に染まった。

にやにやと、そんな伝七の様子を悪戯な笑みで仙蔵が見送る。
勢いよく顔を逸らした伝七は、何も言葉を返せず、そのまま全速力で駆けて行った。



















赤狐達の姿が消えて、暫しして。



『何だ、そのだらけた面は』

初めに姿を現した木の枝の上で、ぱたぱたと白く美しい四本の尾を揺らし暇を潰していた仙蔵に、何処からか声が掛かる。



「我が家自慢の弟子らの愛らしさと成長具合に想い馳せていたのだ。その幸せ気分も、たった今終了したがな」

出所の分からないその声に驚くでも、周囲を見渡すでもなく、仙蔵は気だるげな声を返す。



『…赤狐だけで人里に赴かせるなど、危険はないのか。いくら二尾並の力を持っているとはいえ、所詮は仔共。咄嗟の場合の判断力には欠けるだろう』

「相変わらずに、見かけに反して過保護な奴だ。あの仔らなら問題ない。それに喜八郎が二匹の後に付いて行った。何かがあれば奴が守る。そもそも、うちの仔に何かをしようとする者がいれば私が只じゃ置かない」

『…過保護はどっちだ』

呆れたように息を吐き出し、声はそこで一旦終わる。


ざあっと一瞬強く、仙蔵が居座る木々の枝の間を風が吹き抜けた。
仙蔵の腰掛ける位置まで風と共に舞い上がった土埃を、尾の一振りで仙蔵は払い除ける。
風が止み、不機嫌に細めた目尻を吊り上げ、真下を見下ろした時。

そこには、一匹の黒狐が姿を現していた。






「…相変わらず風遣いの荒い奴め。なんだ、まだこの前留三郎に避けられたことを引き摺っているのか。切り替えの出来ない男だな。そんなだから女子にも雌にも留三郎にも避けられるのだ」

「…あいつの事は関係ない。というか知らん、あんな阿呆」

尊大に枝の上から見下ろされ、数日前の出来事を掘り返し挑発され。黒狐・文次郎は一瞬眉を寄せたが、すぐにそれを収める。



「綾部はいないのか?」

「伝七、兵太夫達の護衛についていると先程言った」

からかいに乗ってこない文次郎に気分を害したか、気だるげに枝の上に身を伏せた仙蔵が気のない声を返す。



「呼び戻せ。護衛には、お前自身で付けばいい」

「何故?」

「…」

仙蔵の問い返しに、一瞬文次郎が口篭る。
その一瞬の間に、仙蔵は何かを感じ取る。
先程と同じく格好は気だるげながらも、瞳だけは力を取り戻し、再び「何故?」と仙蔵は問い返す。




「綾部に、指令だ。里の上役達からの」

「内容は?」

「綾部に受理させてから、綾部に話す」

そんな仙蔵の僅かな変化に、文次郎も気付いていた。
これはあの時の、野狐に関する仕事の時と同じだ。
あの時もこうして、何処からか話を聞きつけた仙蔵に問い質されている内に、気が付けば仙蔵も野狐退治へと参加していた。

何故か仙蔵は、いつもいつも、文次郎へと里の上役から下された仕事に首を突っ込みたがる。
元は文次郎一人に任された仕事だったというのに、気が付けば仙蔵に先導されるようにして事の始末を行っていることが多い。
そのおかげで助かった、仕事が速く片付いたという例もないわけではない。
けれど、割合で言えばその逆の例の方が、圧倒的に多いのだ。



「喜八郎に、単独か?」

今回こそはそうはさせない。
只でさえ厄介そうな案件なのだ。更なる厄介を招いて溜まるか、と文次郎は口を噤み、情報の流出を極力抑える。


「…」

「文次郎?」

けれど、いくら口を噤もうとしても、問いかけを無視することは許されない。
普段は力量、位、そして友として対等である文次郎と仙蔵であるが、こういった腹の探り合いや問答で、仙蔵に勝てた試しはない。





「…いや。綾部と、うちの三木にだ。俺は同行するが」





「ほぅ…」

観念したかのように告げた文次郎の言葉に小さく頷いた仙蔵が、腰掛けた枝の上から笑みを浮べて見下ろしてきた。
今度は、その笑みに対して文次郎が何かを感じ取る。
過去に何度も仙蔵に関わり被害を蒙ってきたからこそ発達した、文次郎の直感が警告を鳴らす。



「何やら大儀そうな仕事だな。それならば、私直々に請け負ってやろうではないか」

にまりと。全開の笑みと共に仙蔵が言う。



「…いや、いい。この任は綾部にと、上役達からの指名だ。俺はあくまで同行だけだし…」

文次郎は仙蔵の提案を辞する。

「いやいや。そんな大層なご指名をこなすには喜八郎では力不足かもしれん。それに、奴は酷く気まぐれだからな。里の上役達からの指示になど従わんだろう」

「それをどうにかする為にお前のところに預けられたんじゃなかったか?」

「悪いが私の教育方針は、長所を伸ばす方向に特化しているからな。喜八郎にとってのあの奔放さは長所なのだ」

「つまりは放任主義で野放しにし続けたら悪化したということか?」

「表現が悪いな。が、まぁ、大きく外れてはいない。私の命令にだけは従うから前よりはいいさ。そういえば奴は今日、あの仔らを見送ったらそのまま鬼が島に遊びに行くと言っていたな」

「遊びと任務、どっちが大事だ」

「友と任務は比べるものではないぞ。お前だって、留三郎と任務を天秤になどかけられまい。まぁ、どうしてもという時には優先すべきは友だな。私のところではそう教えている。僅かな期間で終わってしまう楽しみよりも、恒常的に味わえる楽しみの方が重宝すべきだ」

「…だから一々奴を例に出すな!それと胸をはって答えるな!!お前のところは指導方針というか根本からおかしいんだ!!」

「うちの仔らを侮辱すると許さんぞ」

「どちらかというとお前個人だ!!」

一度仙蔵に目を付けられてしまったが最後だとは理解しつつ、それでも最大限の努力として、淡々と文次郎は仙蔵の戯言交じりの言を受け流そうとした。
けれど、やはり論述では仙蔵に圧倒的有利がある。
突かれれば感情的にならざるを得ない『話題』があるという点だけで、文次郎に勝ち目がないのだ。







息を荒げて怒鳴る文次郎を上から見下ろすのに飽きたのか、すくりと立ち上がった仙蔵が音も無く地上へと降りてくる。

「まあ落ち着け。名を出されたくらいでそんなにも簡単に取り乱すようでは、次に顔を合わせる機会を得た来た時にも先日の二の舞を踏むぞ。話さねばならぬことがあるのだろう、あいつに」

「…」

文次郎を取り乱させた張本人からの宥めの言葉。
白々しいさは透けて見えるけれども、その言葉の内容に間違いはない。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、文次郎は荒ぶった気を静める。







「で、指令の内容とはなんだ?」

文次郎が落ち着いたところを見計らい、再び仙蔵が問い掛ける。
眩しい程の笑み。逃げることなど許さないというかのように、肩に前足を乗せ圧を掛ける。

これ以上の抵抗を無駄を覚り、文次郎は深く、諦めの溜息を吐いた。




「…先見の老狐が予言をした。間もなくある地に神が降りられる。それを向かえ、従妖の契約を行いに行く」







あとがき
新しい狐妖キャラ、出せなかったので次回に回します!(次回こそ!多分!)


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