あやし奇譚 | ナノ


前途遼遠 01









ぼとりと。

熟れ過ぎた果実が腐り落ちるように地に落ちたのは、生首だった。





木の根にぶつかり僅かに撥ねて、びちゃびちゃとその断面から血雫を飛ばしながら首は地面を転がる。


ころころ、ごろりと転がって。

見開かれた二つの目玉が真上を向いたところで、回転は止まった。


共に今生を歩んできた身体から無残に切り離され、只の無機物と化した首。
血の気の失せた肌は泥に汚れ、白濁色の蝋の塊のような眼球からは涙を流し、薄く開いた口からは血泡が溢れ出る。
その顔に浮かぶのは、絶望と悲嘆の極みで時を止めたかのような、言い表しようのない表情であった。




不意に、完全に動きの止まっていた筈のそれが、もぞりと地面の上で身じろいだ。

べちゃりという瑞々しく耳に残る音。
見れば、先程まで仰向けに天を見ていた首は、地面に片頬を押し付けるような形に倒れていた。


ぶくぶくと溢れ出す血泡の下で、ゆっくりと生首の唇が動く。

声を発する機能など、とうに失っている筈なのに。
そもそも、付け根辺りから断ち切られた首には声帯すら残っていない筈なのに。
ブツブツ、ブツブツと。
掠れて、潰れて、毀れる呟きは、何と言っているのかも聞き取れない程に小さな声であるのに、耳を塞いでも脳の中にまで響いてくる。


切断面から流れ出た水分を吸って、束になって肌に張り付いた頭髪の隙間からは、相変わらずに見開かれたままの片目が覗いていた。
白一色であったその目玉には、先程までは無かったはずの瞳が現れていた。

びくびくと小刻みに震える濁った黒い瞳が、ぎょろりと天を見上げる。
目蓋が動き、頬が持ち上がり、唇が弧を描く。

にまりと歪んだその顔は、あまりにもおぞまし過ぎる笑みだった。















「「先輩ーーー!!!」」



数拍の沈黙の後、人里離れた奥深い森の中に声が響き渡る。

声を張り上げたのは、赤黄色の毛色の小さな二匹の仔狐。
その毛色は、古来からこの国に住みつく『動物』としての狐の中では極一般的な色。尾の数も通常通りの一本だった。

しかし、只の動物は人語で鳴き声など上げはしない。
この二匹は、見目こそ普通の狐と変わりはしないが、歴とした妖、赤狐に列する狐妖の一種だった。





「…つまらんな」

つぶらで愛らしい筈の瞳を吊り上げ周囲を見渡す仔狐達に、声が降る。

言葉通りに、至極物足りなさそうなその声。
見上げれば、仔狐達の頭上、枯れ木のように罅割れた地肌を覗かせる木々の細い枝の先端に、一匹の白狐が姿を現していた。


まるで、初めからずっとそこに居たかのような自然さで。
けれど、確かに先程までは何もなかった場所に突如現れた白狐は、その毛色に映える紅い化粧のような隈取の施された両眼を細めて地上の仔狐達を見下ろすと、優雅な仕草で前足を折り、枝の上へと身を伏せた。
今にも折れてしまいそうな痩せ細った枝は、まるで小鳥でも乗せているかのように、しなりも揺れもしなかった。



「お前達…、そこは『きゃー』なり、『わー』なり悲鳴を上げて、ひっしと抱き合って助けを求めるところだろうが?」

ぱたりぱたりと、その背後で艶やかに光沢を放つ白磁の毛に覆われた四本の尾が揺れる。
期待外れ、といった心底残念そうな白狐の言葉。
被害者と加害者の立場を見失ってしまいそうになる、物憂げな仕草。



「立花先輩!!お暇なのは分かりますが、からかうのは止めてください!!」

しかし、対する仔狐の一匹、より赤みがかった毛色の赤狐・伝七は、そんな白狐・立花仙蔵のしめやかな態度に惑わされることもなく、はっきり、きっぱりと苦情を申し立てる。

本来、厳しい掟と上下関係に縛られる狐妖にあって、序列として最下級に位置する一尾の赤狐が、四尾の白狐に意見をするなど許されるものではない。

けれど、不敬にもあたる赤狐のその言動を仙蔵は諌めなかった。




「何を言う。暇潰しなどとは心外な。私はお前達が何やらきゃんきゃんと揉めておるから、それを仲裁してやろうとだな…」

「いきなり生首を放り投げる仲裁なんてありません!!」

仙蔵の白々しい言い分は、又も伝七に一蹴される。

確かに、喧嘩の仲裁ならば、生首を投げ込む以外にも如何様にもやり方はある。
仙蔵が術で作った生首を投げつけたのは、登場時に漏らしたぼやきからも明らかなように、赤狐達の慌てふためく姿が見たかったからだ。
しかし、狐妖としての生を受けてからの短くも長い時間を仙蔵の下で過ごしてきた赤狐達は知っている。
仙蔵の悪戯に対して素直な反応を見せることは、逆に仙蔵を喜ばせ、付け上がらせるだけなのだということを。

素直に明かせば、高度な術で作り上げられた先程の生首の生々しさには、一瞬どころではなくばくばくと胸が跳ね上がり、もう少しで仙蔵の期待通りの叫び声を上げてしまうところだった。
けれどそれを悟られまいと、伝七はぐっと面を上げて気丈に振る舞っていた。



それに対して、仙蔵はひっそりと笑みを漏らしていた。
未だ頭上の仙蔵を見上げて抗議を続けている伝七は気付かない。
確かに悪戯自体に素直に驚きを返してくれなくなった事はつまらないが、今ではそんな小さな意地を張る姿の方こそが、仙蔵にとっては面白いということを。

初めて出会った時にはあんなにも小さく丸っこく、自分より高位な存在である仙蔵に近付こうとも馴染もうともしなかったというのに、今では堂々と意見をし、抗議までする。
そんな仔狐達の成長した(ある意味すれたともいう)姿を観察することは、退屈な日々の中での仙蔵の楽しみの一つであった。









「分かった分かった。私が悪かったから、そろそろ許せ」

するりと音も無く地上に降り立った仙蔵は、尾で伝七達の身体を掬い上げた。
まるで鞠のように軽々と、仙蔵の純白の尾は仔狐達を持ち上げ包み込む。
顔を寄せられ、端整な貌に笑みを浮かべて覗き込まれて、先程までは抗議の為に顔を赤らめていた伝七は、新たに昇った別の熱で更に顔を赤らめてしまった。

途端にしおらしくなって尾の中に顔を埋めてしまった仔狐を見て、仙蔵は先程までとはまた違った、柔らかな笑みを浮べた。




「さて…」

そして、伝七を上手く宥めた仙蔵の視線は、始めに一言、伝七と共に声を揃えて仙蔵を叫んでから一言も口を開いていない、赤狐・兵太夫へと向かう。


「お前達は一体何を揉めていたのだ。取っ組み合いの喧嘩など初めてではないか?」








伝七と兵太夫。
この二匹の小さな赤狐は、仙蔵が当代の家長を受け継ぐ立花家の門下生であった。

二匹の姓はそれぞれ、黒門、笹山と別にあり、そこから分かる通り、二匹は立花の一族の血を引いてはいない。

本来狐妖は、狐妖のみが生息する『里』の中で更に、それぞれの『血族』という括りで分かれ生活する。
そしてその血族にも序列があり、上級の一族の者に下級の一族の者は決して逆らわない。血族を越えて馴れ合うことや、交じり合うことなども皆無と言ってもいい。

そんな序列の中で、仙蔵の生家である『立花家』は最上級に近い名家であった。

しかし、仙蔵はそういった序列などには構わず、自身の気に入った者達には自由に門を開いて招き入れていた。
出自が低いが故に才を伸ばせずにいるものを拾ってきては、気侭に指導し、家人同然に接していた。

狐妖には、古くからの掟や仕来りが、数多く存在する。
それらを重視する里の上役らや高家の者達は、仙蔵を変わり者扱いし、立花の家そのものをも蔑視した。
けれど仙蔵はそんな周囲の声など意に介さず、自分の流儀を突き通している。
中には直接に侮蔑をぶつけて来る者もいたが、そんな者達の声は、家の名の力だけではない仙蔵自身の力を見せ付けることによって跳ね除けていた。



そして、上記のような経緯の中で仙蔵に見出され門下となった二匹は、門下の中でも最も歳が近く同時期に仙蔵の下へとやってきたにも関わらず、普段から折り合いがあまり良くなかった。
決して仲が悪い訳ではないが、同時期に狐妖として生まれ落ち、同等の力量を持ち、同じ長上を慕い、そして性格にも似通った部分が多い。
それらの要素が重なって起こる互いへの対抗心、競争心から、二匹はよく衝突し合っていた。

仙蔵の昔馴染みである友人達の中にも、似たような関係性を持つ者がいる。
時に相手にトドメを刺す勢いで取っ組み合い意地を張り合う奴らが巻き起こす喧騒は、まだまだじゃれ合いの域を出ないこちらの微笑ましさや愛らしさとは比べるべくもない。
けれど、一見複雑なようでいてその実は至極簡単な感情のすれ違いから起こっているという点では、どちらも同じようなものだと仙蔵は感じていた。





喧嘩の理由を問われても唇を噛み締め俯くばかりの兵太夫は、中々口を開こうとしなかった。
伝七に比べ黄色みが強く、細くすらりと伸びた身体を覆う毛並みは乱れ、地面の上でもつれ合った時についたのか、所々に落ち葉や枯れ枝が絡まったままだった。
力の使い方だけではなく、普段日常の生活の作法にまでも及ぶ仙蔵の指導を守り、常に身形を清浄に保つことを忘れない兵太夫らしくもない、その姿。



どうやって口を割らせようかと思案を巡らせた仙蔵は、徐に舌を出し、兵太夫の汚れた毛並みの毛繕いを始めた。
母狐が小さなわが仔を慈しみ世話を焼くようなその仕草は、赤子同然の二匹が仙蔵の下に来た頃のことを思い出させる。

それに驚いたのか、兵太夫が顔を上げた。
毛繕いを続けながら柔和な眼差しで向き合ってやれば、何かを言いたげに顔を顰めえう。
そのまま暫し様子を伺えば、やがて意を決したかのように小さな口が開かれた。








「そいつ、掟を破ったんです」

しかし、その出鼻を挫くように伝七が先に告げた。

兵太夫が伝七を睨みつける。つんと伝七は顔を背ける。
どうやら、仙蔵が兵太夫ばかりを構っていたことが面白くなかったらしい。
先程までは顔を赤らめ恥らっていたというのに、こちらの表情もまた、歳相応に拗ねたようなものへと変わってしまっていた。


「主を持たない赤狐が人に近付くことは掟で禁じられているのに。勝手に人里に近付いて、人に会ってたんです。その上、今日またその人間のところに行こうとしてて。どうせ、向こうは罠を用意して待ってるに決まって…」

「三治朗は友達だ!!そんなことしない!!」

棘のある言葉で仙蔵に報告をする伝七の言葉を、突然に声を張り上げた兵太夫が遮る。
突然の大声に、伝七だけでなく仙蔵も僅かに目を丸くして兵太夫を見遣る。



「だ…だから何度も言ってるだろう!人間と友達になんかなれる訳ないじゃないか!!」

「三治朗は違う!!僕の友達を悪く言うな!!」

「何だよ!こっちは親切で言ってやってるのに!」

「余計なお世話だ!!」

売り言葉に買い言葉。
先程もこうやって言葉をぶつけ合う内に感情が高まっていき、取っ組み合いの喧嘩へと発展してしまったのだろうことが容易に伺える。

切り捨てるように言い放たれた兵太夫の最後の言葉に、伝七がぐぅと歯を噛み締める。
そして再び火がついてしまったのか。
二匹は仙蔵の尾に包まれながらも相手に向かって足を伸ばし、きゃんきゃんと言い争いを始めた。











「やめないか、お前達」

間に挟まれていた仙蔵が二人を引き離した。
縺れ合っていた二匹の毛並みは一瞬にしてぼさぼさに、ついでに巻き込まれた仙蔵の尾の毛並みも乱れてしまっていた。





「兵太夫」

声の調子を落とした仙蔵の呼びかけに、兵太夫はびくりと身体を固める。

「今の話は本当か?」

静かな仙蔵の問いに、兵太夫は俯きながら「はい」と答えた。



「何故人里に近付いた?」

続く仙蔵の問いに、兵太夫は口篭る。
それでも俯いていても感じられる仙蔵の視線に促され、ぽつりぽつりと言葉を続ける。





「人を…、見たかったからです」

「何故?」

「本当に、里の皆が言うような生き物なのか…知りたかったからです」

「禁を破ってまでか?それが、お前にどのような危険を招くか承知でか?里に知れればどんな罰を受けるか理解してか?」

「…」

自身の行動の報いの重さを知らしめるような響きを込めた仙蔵の問い掛けに、兵太夫は答えを返そうとして、けれど何も口に出来なかった。



「伝七の言う通り、お前と出会った人間が次に会った時にも友好的とは限らない。罠を構えているかもしれない。捕まえて見世物にされるかもしれない。それでもお前はその人間を友と呼び、信じられるのか?たった数回接しただけで、その人間の本質を見極めることがお前に出来るか?」

敢えて淡々と問いを紡ぐ仙蔵は、俯く兵太夫の様子を見ていた。
冷淡にも見えるその瞳は、問い掛けによって浮き出る何かを探り取ろうとしているかのようだった。


返事も返せず震え俯いていた兵太夫は、最後の仙蔵の問いにあった『友』という言葉に反応を示した。

そうして、真っ直ぐに仙蔵を見上げると





「言いつけを破ってごめんなさい。おしおきは僕一人で受けます。でも、三治朗は良い奴です。友達は、やめられません」

そうはっきりと、言い切った。












あとがき
仔狐ちゃん達登場。
新しい狐妖さんはもう少し、黒狐さんも次のページでは出てきます。(その筈です)

潔く今の内に謝罪をしておきますが、この章では前章よりも狐妖とかその他の設定とか、各人物の事情とか心情を細かめに書きたいと思っています。
もちろんメインは文食満なのですが、メイン以外も盛りだくさんになるかと思います。
つまりは、かなりの文章量になることが予想されます。

…ご了承下さいm(_ _;)m



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