あやし奇譚 | ナノ


晴天のち人魚 01







澄み渡る青空。
柔らかく温かい日差し。
程よい涼気と秋気を含んで吹き抜ける風。

今日は、絶好の洗濯日和だ。








「お前らいいかー?」

井戸から汲み上げた釣瓶を構えて、食満が声を上げる。


「「はーい」」

声を揃えて返事を返した子供達は、さっと、地面に置かれた大きな水桶から距離を取る。
ざばぁと派手な水音と飛沫を上げて、食満が傾けた釣瓶から桶の中へと井戸水が流れ落ちた。
空になったら再び井戸の底へと釣瓶を落とし、水を汲み直す。
カラカラと井戸上部の滑車が滑り、掴んだ綱越しに釣瓶が水面へとついた感触が伝わる。
効率良く水を汲む為に重石のついた釣瓶は、満杯近くまで水を入れればかなりの重さとなる。
息を吐いて力を込め、ゆっくりと引き上げ始めれば、滑車は先程よりもずいぶんと苦しげな音を漏らして回った。



汲んで、空けて、また汲んで。
何度かそれを繰り返し、そこそこに桶に水が溜まってきたら


「いいぞー」

「「はーい!」」

食満の指示に従って再び元気に声を上げた子供達が、傍らに積んであった洗物をどさどさと桶の中へと入れる。
次いで、草履を脱いで自分達も中へと飛び込む。
足の指間に入り込む水の冷たさに瞬間肩を竦めながらも、水面と布地の間に含まれた空気を踏んで潰す感触の愉快さに直ぐに笑みを浮かべ直した子供達は、笑い声を上げながら足踏みを始めた。

きゃらきゃらと、耳に心地よい楽しげな子供達の笑い声が届く。

しかし、そんな中に入っていけずに食満の傍で立ち尽くす子供が一人。





「平太」

食満が、その子供の名を呼ぶ。



「…はい」

おずおず、といった表現がぴったりとくるような、控えめで小さな返事。
見下ろす食満の視線を感じたのか、平太は頭上に差した小さな和傘を僅かにずらし、食満を見上げる。



「平太もやってみないか?」

食満は向こうで楽しげに洗濯物を踏み洗う子供達を指差し言った。
つられるように、平太の視線もそちらへと向かう。

暫し何かを考え込むようにじっとそちらを見た平太は、再び振り仰ぎ、食満へと視線を送る。
何かを言いたげな、問いたげなその視線。



「大丈夫だ。お前は水に濡れたってふやけたりしないぞ」

食満は、平太の和傘の柄を持つとは逆の手に握られているものに気付き、その懸念する事を察して言った。

平太が手に握り締めた小さな巾着袋。
いつでも身の傍に置いておけるようにと首から紐で吊ったその袋には、平太にとって何より大切なものが入っている。
平太は、それが水に濡れるのを恐れているのだ。



「預かろうか?」

食満が手を差し出す。
平太は戸惑うように、差し出された食満の掌と、己の手の中の巾着袋の間で視線を彷徨わせた。

食満にそれを預けることに対して不安があるのではないのだろう。
心から食満を信頼しきっている平太にとって、食満の手元以上に安全と思える場所はない。

それでも平太が渋るのは、これを預けてしまえば水に入るのを拒否する理由が無くなってしまうということ。
つまりは、巾着袋の中身とは関係無しに、平太自身も水に濡れることを恐れているということだった。








一見すれば極普通の人の子である平太の正体は、付喪神だ。

付喪神とは、長く時を経た依り代に霊魂や力が宿り変化して生まれる人外の生き物。
その多くは人の生活の中で長く丁寧に使い込まれた器物などから生まれ、人の世の中で人知れず生き続ける。
妖と分類されながらも、神と名付けられ、人の領分の中で生きる。三つの世界、全てからはみ出ているようで、全てに属する。
そんな、不思議で奇妙な生き物だ。



そんな付喪神である平太は、一枚の護符から生まれた。

付喪神としては少々特殊な経緯からこの世に生まれた平太は、生まれた頃からこのように完璧な人の子の姿をしていた。
けれどあくまで完璧なのは姿だけで。依り代が受けた影響により、自我も芽生えず、自分が付喪神であるということも理解出来ぬまま生れ落ち、そのまま誰とも接せず一人きりで過ごしていた平太には、本来付喪神として本能的に知っている筈の様々な事が欠如していた。

水に怯える、日差しを避ける、というのもその例で。
護符、つまりは紙を依り代とする平太は、依り代が傷付く行為を嫌う。
紙は水に濡れれば破れる、日差しを浴び続ければ褪せていく。だから自分もそうなのだと、思い込んでしまっているのだ。



実際にはそうではない。
確かに付喪神とその本体は影響を与え合う。性質や特徴を同じくする。
けれどそれを補う為に付喪神達は皆、自然と人の形に近付いていくのだ。

付喪神達は長い時間を人と共に密接に過ごしていく中で、少しずつ人の姿を真似、その性質を取り込んでいく。自身の弱点を補い、中和し、身を守るために。勿論、必要であれば人以外からも。

周囲からの影響を受けやすい共通の性質を上手く利用して、付喪神達は成長していく。
だからこそ、中には神と呼ばれる程力をつける者達も出てくるのだろう。

平太も同じだ。
人の特徴を取り入れた平太の身体は、少々の日差しや水くらいでは何の支障もない。
初めから人の姿で生れ落ち自身を付喪神と認識せずに過ごしていた分、性質の変化は容易く、無意識の内に行われたのだろう。
問題は、無意識の間にそれが行われてしまったが故に、平太の意識が付いていけていないということだった。





「先輩ー、どうしたんですかー?」

立ち尽くしたままのこちらの様子に気付いて、先程まで賑やかに水桶の中で騒いでいた子供達が駆けて来る。



「しんべヱ、喜三太。悪いな」

子供達の一人、小柄でぽってりとした体格の、いかにものんびり屋といった顔つきをした子供、しんべヱの手の中にあった水気を絞った洗濯物が入った籠を食満は侘びを入れて受け取り、足元へと用意してあった次の洗濯物の入った籠を差し出す。
食満の手にはそれ程大きくも重くもない籠であったが、平太と同程度、食満の腰ほどまでの背丈しかない子供には十分な大荷物であろう。
けれど、しんべヱはひょいと食満の手から籠を受け取ると、寧ろ食満の手にあった時よりも軽がるとそれを持ち上げ、どこどこと少々重量級な足音を立てて再び水桶の方へと戻っていった。



「はにゃ?」

そのしんべヱを追いかけて踵を返そうとしたもう一人の子供、喜三太は、食満の隣で傘の影に隠れて俯いている平太を見て、不思議そうに首を傾げた。



「どうしたの〜平太?平太も一緒に、お洗濯しよう?」

喜三太が平太の顔を覗き込む。
子供らしく無警戒で無邪気で、少し無遠慮なその仕草。


「…!?」

いきなり至近距離に顔を寄せられて驚いたのか、平太が身を引く。
そうしてから僅かに身を強張らせる。まるで喜三太を避けたかのようになってしまった自身の仕草を後悔したのだろう。


けれど喜三太は気にした風でもなく、きょとんとして首を傾げると、食満を振り仰いだ。
くすりと、食満は苦笑を返す。





「喜三太、平太も一緒に連れて行ってやってくれないか?」

ぴくりと平太の肩が揺れた。
食満は、じりじりと後退しかける平太の背に手を沿え支え、同時に前へと少し押し出す。

少し早急かもしれない。けれど、ようは慣れの問題なのだ。
苦手意識というものは、それが嫌悪や恐怖へと変わる前に手を打った方がいい。
無意識に刷り込まれてしまったものを意識的に取り除くのがどれ程困難か身を持って知ってるだけに、食満はよりそう思う。


「いきなり水の中に入ったりしなくてもいいから、ちょっとでも触れてくるといい。大丈夫だ。俺はここで見てるし、喜三太達も一緒にいる」

努めて穏やかに、安心させるように言い聞かせる。
平太は食満を信頼してくれている。けれどその信頼と言葉だけでは、一歩を踏み出させるには少し弱い。
必要なのは、共に、同じ視点でその一歩に付き添ってくる者の存在だ。



「そうだよな、先輩?」

そう悪戯っぽく、笑みと共に喜三太へと同意を求めれば





「は〜い!!」

平太と同じ付喪神である喜三太は、へりゃりとした独特の口調に力を込めて元気に答えた。




「大丈夫だよ!」

縋るように傘の柄を握る平太の手の甲へと自身の手を重ね、先程よりも少し距離を保って喜三太が平太を覗き込む。


「僕だって始めは水はあんまり好きじゃなかったけど、慣れるとすっごく気持ちが良いんだ〜。僕だけじゃなく、皆と一緒に水に入るとすっごく楽しいし、平太も一緒なら、もっともっと楽しくて気持ちが良いと思うな〜」

無邪気で純粋な言葉は、耳にも心にも、するりと届く。

ゆっくりと平太の顔が持ち上がる。
先程避けられたことなど微塵も気にした様子もなく、ニコニコと自分に笑みを向ける喜三太を見て、強張っていた頬の緊張が緩み、ほんのりと色づく。

一緒に行こう?と、二度目の喜三太の問い掛けに
こくりと、平太が小さく頷きを返した。



「いってきま〜す!」

とほぼ同時に、喜三太は平太の手を引いて駆け出した。



急な勢いのそれに負けじと足を進めながら、平太がちらりと後ろを振り返る。
食満は、いってらっしゃいの意を込めて手を振り見送った。

水桶のところまで到着すれば、既に二回目の洗濯物を桶に入れ終わっていたしんべヱと共に、喜三太が水の中へと飛び込む。
飛び散る雫に身を引きながらも、平太はその場に何とか留まった。
どうすればいいのか分からない平太の様子を見て、ごにょごにょとしんべヱと喜三太は何かを相談し合う。
そうして、二人は平太の両手を取った。
平太の傘はしんべヱが代わりに差し、そうして三人揃って水面へと手を伸ばす。



そこまで眺めたところで、食満は先程しんべヱから預かった籠を持って、干し場へ向かって歩き出した。
水桶からは、一人分の声量が増えた、心地の良い楽しげな笑い声が毀れ始めた。















紐に吊られ、吹き抜ける風と共に揺らめく洗濯物を眺めて、食満はのんびりと天を仰いだ。

季節は、秋に近付く白露の初期。
これから先、少しずつ風や気温、人の気持ちまでが陰気を帯びてくる。
今日ほどの快晴は、もしかしたらこれが最後かもしれない。

こんな良い天気の日を、仕事も無く、子供達とのんびりと過ごせるなどとても幸せなことだ。
そんな幸運な日の残りを、どのように過ごそうか。
心だけでなく全身を安らげながら、食満は思い巡らせる。

目を閉じて、子供達の喜びそうなことを、自分のやりたいことを思い浮かべる。
いくつかの候補を絞ったら、すぅと何度かの深呼吸を繰り返して、ぱちりと目を開けた。


「そろそろ乾いただろうから片付けるぞー!」

遠くで駆け回って遊ぶ子供達に声を掛ける。
これさえ片付けてしまえば、今日のやるべき事は終わりなのだ。
ならばさっさと片付けて、後は全力で今日を楽しんだ方がいい。

そう気合を入れて、食満は肩を回した。






子供達に指示を与えながら、テキパキと片付けを進めていく。
今日の洗濯物は、食満達の衣類だけではなく、仕事で使う布類やそれに関係するもの、ついでに布団の敷布なども一緒に洗濯してしまったので中々大量だった。
けれど、それも後もう少しで片付く。


「しんべヱ、平太、そっち持っててくれないか」

食満は一際場所を取る、敷布の布を吊っていた紐から取り外した。
両手で端を持って広げれば、染みのない布の白地が日の光を反射してとても眩しい。
しんべヱ、平太の支える反対側の端へと、食満は端を持って近付き畳み込もうとした。





けれどその時。

「…ん?」

食満は、先程までは白一色だった布の表面に、僅かな黒い点のようなものが出来ていることに気付いた。

何だこれは?風で塵でも飛んできたのだろうか?
そう疑問を浮かべた僅かな間に、見る間に点は大きく、歪に広がっていく。いや拡大されていく。




それは、影だった。


黒点を凝視していた食満の耳に、不意に声のようなものが届いた。
それは何故か頭上から徐々に近付いてきているようで、食満は天を、太陽を仰ぎ見た。
つられるように、子供たちも共に天を仰ぐ。





「!?」

そして、眩い円形の太陽の光の中に何かを見つけて、食満は目を見開いた。


「平太しんべヱ!しっかり端持って踏ん張れ!!」

急いた口調で、唐突に食満が指示の声を上げる。
食満と共に太陽を見上げていた二人は、戸惑いながらも、指示通りに手に持ったままだった布の両端を握り締めた。

そして、僅か数秒後。




「…ぁぁぁあああきゃあっ!!」

勢いよく近付く何かの声、悲鳴が頭上すれすれまで迫り、眼前を上から下へと通過すると同時に、三人が広げる布の上に少しの衝撃。
その上に降ってきたのは


「乱太郎!?」

一人の子供だった。






天高くから落下してきた子供を受け止めたにしては随分と軽い衝撃。

目を見張る平太と、のんびりと驚いているしんべヱ、喜三太。
そして布の上で目を回して気絶している乱太郎。

自身も予想外のことに内心動揺しながらも、皆に怪我がないかを最優先で確認した食満は、再び背後から鳴る何かの音を聞き取り、勢いよく振り向いた。



かたかた、がたがたと。

小刻みに震えるように揺れていたのは、先程水を汲み上げた井戸の釣瓶が括り付けられた滑車、そして洗濯後片付けがまだだった灰汁の混じった汚水の入った水桶だ。
俄かに高まっていく振動は器自体の揺れではなく、その中に入った水、水面が激しく波打っている為に起こっているものだった。


その光景の意味すること、次に起こる事態に食満が気付く。
対処の為に、食満が動き出す。
けれど間に合わなかった。





水桶から、井戸から。勢いよく水が吹き上がった。


重力に逆らい、天を目指して。
ぐねぐねと身をよじる蛇のように水柱が立ち上がる。

呆然と、地上で食満達はそれを見上げる。


そして、食満の背丈の数倍程の高さで停止した水柱の先端に、乱太郎と同じく空から落下してきた何かがぶつかる。
辺り一面に、大小無数の水滴が飛び散った。

空から落下してきた何かを受け止めた水柱は、衝撃を水を伝って外へと逃すかのようにぐねぐねとトグロを巻くようにうねり、高さを縮め

再び弾けた。



横殴りの豪雨のような水滴が、食満と、子供達と、乾いたばかりの洗濯物を襲う。
子供達は悲鳴を上げて平太の和傘の後ろへと非難し、食満は子供達の前へと立ち、弾ける水雫の中心を見据えた。

そうして、水の勢いが納まった頃。
皆が視線を向ける先、灰汁交じりの土色の水溜りの中心、形の歪んだ水桶の中には誰かが倒れていた。

まるで水揚げされた魚のようなその姿。
いや、半分は確かにそうだった。

桶の中で倒れているその人物の小袖の裾から覗く下半身は、つるりとして鱗のない、魚の鰭のような形をしていた。





「…久しぶりだな、伊作」

顔中を引き攣らせ、髪から滴る水滴を拭いながら、食満は漸く声を絞り出す。
様々に感情が入り混じった何とも言えないその声色。
ただ今の食満が、腹の底から呆れ、怒っていることだけは確かだった。




「…やぁ、久しぶり…留三郎」

伊作と呼ばれた人魚から、今にも掻き消えそうな声が返る。
ぱたりと一度鰭のついた尾が持ち上がり、そして力尽きるように地面に落ちた。









あとがき
人魚伊作さんと、風の子乱太郎さんの登場。
何故二人が空から降ってきたかは次回で。
洗濯はやり直しです。

何でもない日常風景、皆の交流みたいのを書くのが好きです。(ほんわ〜とするような)
お話の流れの邪魔にならない程度に、ちょこちょこ入れて行きたいです。



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