少女がふと上を見上げると、そこには石の鳥居が立っていた。 突如視界に現れたその鳥居に、少女は目を瞬かせる。 こんなところに鳥居などあっただろうかと、祖父からの教えが大半を占める記憶の中を探る。 けれど、いくら思い返してみても、少女の知る山の中にこんな鳥居の存在はなかった。 気付かない内に道を逸れて、見知らぬ場所へと出てしまったのかもしれないと少し戸惑う。 しかしそれでも、少女よりもずっと山のことに詳しい祖父を含め、村に住む大人達の誰からも、こんな鳥居があるという話は聞いたことがなかった。 ふらりと、少女は鳥居の方へと向かって歩み寄る。 間近に立って見上げた鳥居は、大きかった。 少女がうんと首を持ち上げて、漸くその上方が視界に収まるほどに。 端から端まで大きく足を広げて十歩も飛び歩いて漸く辿り着けるほどに。 大きな、とても大きな鳥居だった。 少女にはこの鳥居が、この世のものではないのかもしれないと思った。 他の誰からも話を聞いたことがないのは、他の誰にもこれは見えないからなのかもしれないと思った。 恐怖や畏怖は不思議と感じなかった。 元々少女は、こういった奇怪で奇異なモノがよく見えてしまう性質だった。 時には恐ろしいモノを見ることもあったが、そう言ったものは見るだけで分かった。 『あれに近づいてはいけない』 そういった無意識の警告の様なものが脳裏で打ち鳴らされ、全身を包むからだ。 けれど、この鳥居に関してはそういった感覚は一切なかった。 木々に囲まれた薄暗い山道の中で、傷一つない薄萌葱色の石の鳥居は仄かな光を放っているかのように際立ち、異様な存在感を放っていたが、少女はその美しさに目を奪われていた。 こんなに綺麗なのだから。恐ろしさなど何も感じないのだから。 きっと大丈夫だろうと、根拠もなくただ少女はそう感じ、信じ、鳥居へ向かって足を踏み出した。 鳥居を潜った少女の足元から、じゃりりと、固い感触と物音が伝わる。 驚き、視線を落とせば、そこにあったのは白磁色の小さな石がびしりと敷き詰められた道だった。 つい先刻まで鳥居の向こうから見ていた時には、この先に続くのはここまで少女が踏みしめてきた柔らかい土と木々から散り落とされた葉や草花が積み重なった薄暗い山道であったのに。 まるで鳥居を境に世界が切り替わってしまったかのように、少女の目の前には何処までも続く白石の道が伸び、そしてその道が続く先と道以外の周囲は、朝靄のように白く濃厚な靄へと包まれていた。 ふと振り返れば、未だ少女の背後には大きな鳥居が聳え立っていた。 けれど、その鳥居の向こう側、先程まで少女が登ってきた山道もまた、靄に包まれる白石の道へと変わっていた。 引き返すべきだろうか。 ほんの一瞬迷いが頭を過ぎるが、少女の好奇心がその迷いを上回る。 瞳を輝かせ、靄に包まれる白石の道の先へと、少女は足を向ける。 ほんの数歩前へと進んだところで、少女の背後に聳え立っていた鳥居が靄に包まれ消えた。 靄が移ろい、空気が晴れても、そこに再び鳥居が現れることはなかった。 けれど、振り返ることを忘れ、ただ前へと突き進むことしか頭になかった少女はそれに気付かなかった。 少女は靄に包まれた白石の道を歩いていく。 不思議とその視界は晴れていた。 どうやら少女の周り、道の幅と等しいだけの前後左右だけ靄が晴れるようだった。 その代わりに、少女が突き進み暫く経てば、少女が前に進んだ分だけ背後の道を閉じるかのように霧が覆い隠す。 その靄の動きは、奥へ進みたいという少女の願いに応えているようにも、少女を奥へと誘い込み退路を断とうとしているようにも、どちらにも捉えることは出来たが、やはり少女は気付かなかった。 そんな中で、少女は一つ気付いたことがあった。 白石の道を作っている、びしりと敷き詰められた丸みを帯びた白磁色の石は、ただ敷き詰められているのではなく、良く見れば所々に何かの紋様を象っていた。 隆起する石の並びであちらこちらに描かれたのは、水面にたつ波紋のような、川を流れる水流のような流動的な紋様だった。 格式高い寺院の庭園を思わせるそれは、そういったものを見慣れない少女の目には殊更珍しく、そして美しく映った。 はじめの内はその紋様を自身の足跡で乱すのがもったいなくて、少女は道の端を足跡を残さぬよう慎重に歩いていた。 けれど暫く歩くうちに、少女が進む白石の道に敷き詰められた石達は、足を踏み出したその瞬間は少女の草履に避けられ並びを崩すのだが、足を離した次の瞬間には元に戻ってしまうということが分かった。 それどころか、そんな道の上に石で描かれた紋様は、少女も、他の誰も触れていないのに、緩やかに、独りでに動き、絶えず形を変えていたのだ。 それは正しく、誰の干渉を受けることもなく波打つ、波紋を起こしては飲み込み消えていく水流のような動きであり、少女は思わず、白濁として底の見通せない川の水面を、滑るようにして浮くようにして、流れに逆らい歩いているような気分になった。 不思議で、綺麗なものだらけのこの空間。 浮かれながら心を弾ませ、そしてどれ程進んだことだろうか。 不意に、靄の先に見えるものがあった。 それは一宇の社であった。 まだ遠く、靄を纏ってぼんやりと浮き立つようにしか見えないが、古く、小さな社だった。 漸く見つけた鳥居に次ぐ確かな形を持った建造物の姿に、少女は更に顔を綻ばせた。 よく見ると、社の周囲を漂う靄だけは色が違っていた。 辺り一面白に霞む中で、薄らとした藤紫色の靄を纏う社は、なんとも神秘的で幻想的な光景として少女には見えた。 もっと近くで見たいと沸き上がってくる欲求に任せて、少女は社へ駆け出そうとした。 「いけません」 しかし、そんな少女の足を止める声があった。 身を竦めるよりも早く、反射的に少女は声へと向かって振り向いた。 「あれに近づいては、いけません」 声を発していたのは、少女とそう歳の変わらない一人の少年だった。 あとがき いきなりの謎展開、そしてオリキャラ。(前章以上に、自重は何処かへ行ってしまいました) 今回の序幕はあと何ページか続くのですが、続きは幕間的な感じで、お話が進むと一緒に少しずつ足していこうかと思います。 最後までにはちゃんと意味が通じるよう、繋がるように頑張ります。 [title/next] |