「ありがとう、お兄ちゃん!」 「ありがとう!」 仲良さげに揃って駆けだした少年達が、自分達を見送る青年の方を振り返り礼を言った。 兄らしき背丈の少年が一回り小さな弟の手を引き、弟の方は兄に遅れまいと必死に足を動かしついていく。 二人の手には赤と青の色紙で作られた揃いの風車が握られて、二人が駆けると共に、風を受けてからからと回っていた。 つい先程まで「こいつが壊した!」「わざとじゃない!」と、二人ともが泣きべそをかいて決して相手の顔を見ようともしなかったのに、今はその涙の名残すらなく満面の笑顔だった。 礼を言われた青年が手を振って見送る。 するとその瞬間、二人の兄弟は笑い声だけを残して、すぅっと宙に消えてしまった。 「もう喧嘩すんなよー!」 たった今起こった怪異に、けれど青年は全く動じず、少年達の消えた宙へと声をかけた。 すると何処からともなく、「はーい」という少年達の返事が聞こえ、パタパタと遠ざかる小さな足音が続き。 やがてその音も完全に消えた。 一人、人気のない通りに残った青年は、近くの長屋の壁に寄りかかり手の中の竹串をくるりと回した。 先程の少年達が持っていた風車を修理するさいに使った串の余りだった。手持無沙汰に、くるくると回す。 くるくるくるくる。 回し続けている内に、ふと、竹串が青年の手から消えた。 青年が視線を下げると、青年が回していた竹串は小さな鬼達の手にあった。 子鬼達は青年がしていたのを真似ようとしているのか、何匹かが串に集まって手を伸ばしていた。 だが子鬼達の身体には串は長すぎ、また一本しかない。 子鬼達が縺れ合って串の取り合いを始めた様子を見て、青年は懐から鋏を出し、パチンパチンと串を切ってやった。 丁度良い大きさになった串で子鬼達は思い思いに遊び始める。 そうしてそのまま揃って建物の影へと入って行き、見えなくなった。 いよいよ何もすることのなくなった青年が、ふぅと息をつき、空を見上げた時 「食満先輩!」 青年にかかる声があった。 「お待たせしてすいません。ただいま戻りました」 息を切らせて駆けこんできたのは、青年よりも少し年若い少年であった。 歳は十二から三。 千筋模様の小袖の裾を膝小僧まで捲りあげ、動きやすいように紐で留めている。 髪は日に焼けて色が落ち薄らと栗色で、頭頂部で結った髷は首の付け根あたりまでの長さがある。 顔立ちにはまだ幼さが残るが、その瞳には活発さと当人の意思の強さが感じられ、全体的にはどこかの職人か商人の丁稚のような印象を受ける少年だった。 「ご苦労さん。悪いな、任せちまって」 一方、少年を労う青年の外見は、歳は十五から六。 動きやすさを重視した格好の少年に対して、こちらは脛丈までの海松色の小袖を着流し、踝程までの丈のやたら縞模様の上張をはおっている。 小袖の丈や袖から覗く手足には肌を守る為の腕抜と脚絆をつけており、肌の露出は少ない。 髪は黒く艶があり、髷を結ってはいるがその長さは不揃いで短く、少し切れ長の瞳は見る者によってはきつい印象を受けるかもしれないが、青年が全身に纏う雰囲気、目鼻立ちがすっきりと整ったその顔に浮かべる表情は穏やかで、尚且つ燐とした清浄なものを感じさせていた。 丁稚のような印象を受ける少年に対して、こちらは身なりから出を判断するのは少々難しい。 腕抜や脚絆は職人や農民がよく身につけているものだが、職人としては若すぎるし、日がな一日田に出る農民としては肌が白い。 ならば商人や武家の子息かといえば、仕事を終えて戻ってきた少年に対して向けた労いの言葉と笑顔は、従者や丁稚の者に向けるものにしては親しみに溢れ過ぎていた。 この二人。 少年の方の名を、富松作兵衛。 青年の方の名を、食満留三郎と言った。 「あそこの御仁な、良い人なんだが…どうも苦手だ。一度捕まると話は長いし、毎度食事の誘いを断るたびにああも心底残念そうな顔をされては申し訳なくなる」 「先輩のことをいたくお気に入りのようでした。仕事は丁寧で気も利く、心根の良い真面目な若者だと」 「よく言われ過ぎだな」 「…今度窺う時には、お孫さんとの縁談を用意しておくそうです」 「う〜ん…」 食満は苦笑して困ったように頭をかいた。 今日、作兵衛には修理を依頼されていた品を依頼人のところにまで届けてもらってきた。 その依頼人と言うのがある商店の主人であり、丁度孫ほどの見かけである食満を、働きぶりも人柄も合わせてとても気に入ってくれており、何か用事が出来た際には他の修理職人に任せず、食満達が来るまで仕事を取っておいてくれ、賃金も弾んでくれる等、色々と贔屓にしてもらっている。 ―それは有難いのだが、仕事を受けに行く度、依頼品を届けに行く度に自分の半生を語られ、店の経営の不満を聞かされ、中々良い縁談がまとまらないという孫娘の紹介をされてしまう。 それらを最後まで聞いていると毎度かなりの時間がかかってしまい、そろそろ辞そうかという頃会いになると、それでは一緒に夕餉でもどうかという誘いが始まる。 そろそろ退出と辞退の口実も尽き始め、仕方なく今回は作兵衛へと代わりに行ってもらったのだ。 所帯を持つ気はさらさらないが、いつもいつも贔屓にして仕事を回してくれる御得意様だ。無碍にすることも出来ず、人としての柄も良い相手であるだけに、対応に悩んでしまう。 「それじゃあ、これからどうしましょうか?」 この次の御誘いを断る為の上手い口実を考えていた食満は、作兵衛の問いに思考を戻す。 「そうだなぁ。今日は依頼品を届けに来ただけで急を要する依頼も修理品もないことだし、これで終わりにするか」 「はい。先輩は、もう戻られるんですか?」 「いや、俺はちょっと用が…」 会話を交わしながら二人並んで歩いていると、不意に食満が言葉を切り、足を留めた。 「先輩、どうか…」 隣を歩く食満を見上げながら歩いていた作兵衛も、急に動きを止めた食満に合わせて足を止める。 次の瞬間。 辺りは、夜になった。 「な!なんだこれ!」 驚きの声を上げた作兵衛が、辺りをぐるぐると見渡す。 時刻はまだ牛の刻を過ぎたばかりの筈。 太陽はようやく空の頂に昇ったばかりで、落ちるにしても早過ぎるし、急過ぎる。 いや、太陽はまだ昇っていた。 作兵衛が太陽を探して空を見上げれば、先程までと同じ位置に同じ大きさでそれはあった。 しかし、その色は朱に染まっていた。 雲ひとつない真っ暗な空に、目に焼きつきそうな程鮮やかな朱に染まった太陽がぽつりと浮いている。 その光景は、突然の暗転に動揺した作兵衛の心に、更なる不安と焦燥を掻き立てた。 シャン 空を見上げて呆然としていた作兵衛の耳に、無数の鈴が連なり鳴るような音が響いた。 「お仕事です」 何かが耳元で囁く。 「っ!!」 作兵衛は喉から出かかった悲鳴を押し殺してその場から後ずさった。 勢い余ってすぐ傍に立っていた食満に肩からぶつかり凭れかかる。 普段の作兵衛ならばすぐさま食満に詫びを入れる場面だが、今の作兵衛にはそこまで気を回す余裕はなかった。 先程まで作兵衛が立っていた場所には、小さな老人が立っていた。 柔和な笑みを浮かべ、少し腰を丸めて杖を付き立つ老人は、作兵衛の膝程までの背丈しかなかった。 「お仕事でございます」 老人の口が開き、先程と同じ声が聞こえる。 その顔は変わらず柔らかな笑みの形ではあるのだが、まるで能面でも張り付けているかのように変化しない。 老人が杖をつき、こちらに一歩近づく。杖に括られた鈴の束が、シャンと鳴る。 「し…、ししっ、仕事?!」 問い返す作兵衛の声が裏返る。 一歩一歩と近づいてくる老人から距離を取ろうと、作兵衛は老人が近づいた分だけ後ずさる。 しかし、傍に立つ食満は何故かぴくりともその場から動かないので、結果作兵衛は益々食満の傍へと身体を寄せることとなる。 「はい。お仕事でございます」 老人が応え、恭しく頭を下げた。 「我が主人から、貴方様方へ」 老人が言い終え下げた頭を元に戻すと同時に、作兵衛の顎に後ろから指が伸ばされる。 ぐいと強い力で引かれ、強制的に上を、食満の顔を見上げさせられる。 「特別なお仕事でございます」 そこにあったのは食満の顔ではなく。 作兵衛の足元にいる小さな老人と全く同じ、被り物のように固まった笑みが、作兵衛の目の前にあった。 「っぎゃああぁぁ!!!」 作兵衛が力の限りに叫び声を上げる。 「やり過ぎだ!!!」 とほぼ同時に、老人の頭へと強烈なゲンコツが落ちた。 「…へ?」 怯え竦みあがった作兵衛の目の前から、老人が煙のように消える。 その影から現れたのは、拳を握りしめ元々切れ長の瞳を更につり上がらせた食満だった。 唖然として立ち尽くしていれば、どこからか、くすくすという笑い声が届く。 見上げると、すぐ傍の長屋の屋根の上に影があった。 影の形から察するに、獣のようだ。 細く長く、しなやかな身体つき。 三角にとがった両耳。 ふぁさりと優雅に揺れる、四本の尾。 狐妖だ。 「もういい加減もどせ!仙蔵!」 食満が声を怒らせて狐の名を呼ぶ。 「分かった分かった。そう怒鳴るな」 仙蔵と呼ばれた屋根の上の狐妖が、またくすりと笑う。 そして、しなやかなその身体を揺らし、長屋の屋根から飛び降りた。 狐が音もなく地面に着地する。同時に、空を覆っていた闇が晴れた。 朱に染まっていた太陽は元通りの色を取り戻し燦々と頭上で輝き、暗転したのと同じ急激さで周囲全てに光が戻る。 狐が着地したはずの地点には、青年が立っていた。 齢は大体食満と同じくらい。背丈は僅かに食満の方が高い。 身なりは、そこらの町人と対して変わらない至って普通の小袖の着流しなのだが、その貌は見たものが思わずはっとする程に整っていた。 きりりと整った鼻立ちに、切れ長で鋭い目。 食満の瞳が意志の強さを感じさせる切れ具合であるのなら、その青年のものは歌舞伎の役者が使う流し目のような。男とも女とも取れぬ、妙な色気を感じさせる切れ具合であった。 髷は結わずに、首のあたりで緩くまとめられた腰近くまである黒髪は肩をさらさらと絹糸のように流れ落ち、その動きはあの狐のしなやかな体と尾の動きを思い出させる。 「いやぁ、期待以上の反応!私は非常に満足だ!」 黙って立っていれば、町中、老若男女が見惚れるだろう人外な美しさのその青年、改め狐妖・仙蔵は、その顔に子供のような笑みを浮かべ、興奮したように声をあげた。 あとがき 仙蔵様、登場。 続きが長過ぎたので、ここで一旦一区切り。 予定ではこんな長文ではなかったのに、書いている内に二倍三倍に膨れていく不思議…。 文次郎が出てこない…。 [back/title/next] |