あやし奇譚 | ナノ


七つ夜におちる雨 02










五日目



「やあ、こんばんは。来てくれて、嬉しいです」


私が声を掛けるまでもなく、男は首だけ振り向くと、周囲の木々に同化する私の姿を迷いなく捉えて笑った。


私は、返事を返すことなく地面に降りた。

男はいつもの定位置で、釣り糸を沼に垂らしたまま動かない。
私が、その隣に並ぶのを待っているのだろう。

男の隣に向かって進み出る。
先程までの仕事の名残で、足音も気配も立てない。
ふわりと、鼻腔を刺激する異形の血の匂いだけが私の動きの残滓になる。

いつまで経っても不快なそれ。
隣に並べば、男にだって嫌でも届くだろう。

どすんと、わざと大きく音を立て男の隣に胡坐をかく。
昨日までとは違う仕草。
そして、違う顔。


男がこちらに向き直る。
今まで笑みしか浮かべなかった男が、私を見て初めて、不愉快そうに顔を顰めた。



やっぱりな。
そう思った私に





「今日は『お面』なしで、『あなた』と話がしたいと、言ったじゃないですか」

男が漏らした不満の言葉は、私の予想していたものとは、まるで違った。





「昨日までの変装は解いたでしょう。これが私です」

「違います。まだ、被っているじゃないですか」

男は言い切る。
被った顔の下で、『本当』の『私』の顔が、小さく震えた。


見破られている。絶対の自信があったこれを。


自尊心を傷つけられ、頭に血が昇る。
しかし、男の子供のように拗ねた顔を見たら、すぐにそれは引っ込んでしまった。

何故だろう。
普段、私の術を軽んじるような奴に会った時などは、どうやって秘密裏に、陰湿に、徹底的に、私へ暴言を吐いたことを後悔させてやろうか、とすぐに思考が回転し始めると言うのに。
この男に対しては、そんな気分にならなかった。



私は、張っていた肩の力を抜く。

「これは取れない。代わりに、それ以外では『私』を見せてやるから我慢をしてくれ」

がらりと声色を変えて、いや戻して答えた私に、男が目を丸くする。


「なぁんだ。君、僕より若いのか」

歳までも、すぐに見破られた。


そうさ。私は男の外見の年齢までも達していない、只の餓鬼さ。

標準を超えてひょろ長く伸びた痩せた体躯は、腕次第では、十も二十も上の者にだってなりきれる。
今まで、それをこんな速さで見抜いた者はいなかった。のに。

悔しい、そう思う前に、どうでもいいやという自棄のような気分になった。
これも、相変わらずに男が浮かべる、気の抜けるような笑みのせいだ。

ごろりと、地面に横になる。
無作法な私のそれを、男はくすくすと笑って見ている。



「聞かないのか?」

私は、男に尋ねる。


「何をだい?」

私が年下と知って、男の口調も昨日までと変わる。
年少の者を相手にするような、年長の者としての余裕を感じさせるそれ。
何だか面白くない。むっとして、私は男に答える。


「何をしてきたか」

「聞いていいのかい?」

「答えないけど」

「聞く意味ないじゃないか」

再び、男が笑う。無邪気な笑み。


何で、笑える?
私の姿が、見えているのだろう。
私の纏う、匂いの正体にも気付いているのだろう。

男の笑みの、その目に浮かぶのは、畏怖でも、嫌悪でも、蔑みでもない。

それは例えて、親愛、友愛。私が向けられるはずのない、そんな類。





私は今日、仕事をしてきた。
払い屋である私の仕事は勿論

人ならざるモノを狩ることだ。


今日の狩りの対象は人食いの大蛇。
人を喰い、人の知恵を付けた大蛇は、人に化け、配下の低級妖怪共を従え、辺りの村の赤子ばかりを攫い喰っていた。

赤子を喰われた親達からの依頼を受け、五日前から私は下調べに入った。
大蛇の周辺の地理、手下の数と種類、時間ごとの行動を、数日かけて全て把握し、今日が、狩りの日だった。

全て予定通りのそれは、一切の狂いも滞りもなく終了した。



そして今、私はその大蛇の顔を被っている。

生皮剥いで、頭から被っているのではない。
術によって、寸分違わず作りあげているのだ。

こうやって敵将の首を自らに被せることで、残党や、関わりある同族達を釣り上げる。
そして、全て滅する。

これが、私のやり方。
先代の父母から受け継いだ、退魔の法だ。


この男は、大切なお宝を引き上げる為に釣りをしている。
しかし私は、異形の躯を積み上げる為に、この身を餌に釣りをする。

なんとも、同じ釣りでもこうも違うのというは、面白いことだ。



おぞましい術だ。
よく、言われる。

でも私は別にいいじゃないかと思う。
これのおかげで私達は喰っていける。
依頼主達は完全な安心を得る。
どこにも問題など、ないだろう。



ただ、たまに。
ほんの少しだけ、考えることはある。

異形の面を被り、異形を引き寄せ、その血を浴びて、躯を積み上げ、銭を稼ぎ、生きる私。
そんな私は、妖よりも妖らしく、穢らわしい。





「…怖くはないのか?」

この男は、私の変装を見抜いたように、そんな私のしてきたこと、たった今していることも見通しているのか。

殆ど無意識に、疑問は口を出ていた。


「別に?」

男は、相変わらず釣り糸を垂らしたまま、呑気に答える。
あっさりと答えられ過ぎて、逆に次の言葉が告げられなくなる。
悔しくなって、私は男から顔を逸らした。

せめてこの異形の顔が、男の視界にうつらないように。



それから暫く、ぽつぽつと男と会話を交わす。

昨日までとは違い、話題を振り、話を始めるのは、常に男だった。
私は、短い返事しか返さない。

別にいいだろう?
これが私の素だ。
顔を剥がさない代わりに、それ以外では私を見せると言ったのだ。
無愛想だと分かっている。
しかし今まで、私は『私』として誰かと話をしたことなど、数える程しかない。
正直言って、慣れていないのだ。



「今日の君と話していて、改めて思ったけど。君は何だか不思議だね」

男が言う。


「何が」

私が答える。


「君はまるで、アレのようだよ」

男が天を指差す。
つられて目を上げる。
そこには、雲間にひっそりと輝く、星々がある。


「今はいないけれどね。偶にあの中から、真っ赤に燃えて、天の網の上を四方八方にと彷徨い、そしてふっと掻き消えてしまうモノがある。君はそれに似ている」

「…何だ、それ」

男の言葉に、私は偽りの顔を顰める。

そんなもの、私は知らない。見たこともない。

天というのは、星というのは。
遥か高みにあるものだ。
手の届かないものだ。
この地に足を付け、地に這うモノに刃を突きたて、汚れた血に塗れて生きる私とは、幾度輪廻が回ったとて交わることのないものだ。

そんなものに、私が似ているだと。
何と的外れなことを言うのか、この男は。

呆れか苛立ちか、その両方か。
不可解な感情に駆られる私を無視し、男は続ける。


「いつも間近で見るそれは、僕の目に焼きつく。何処までも広い天の網を、行き先も寄りつく先も見つけられず、悶え、命を燃やしつく様に光り、一瞬で消えてしまうそれを、僕はいつか一つでもいいから、この手で掬って天に帰してやりたいと思っていた。
そうしたら、こんなところで、燃え尽きずに地に辿り着いていた一つを見つけてしまった」

「…あんたが何を言ってんのか、私には分からないよ」

「う〜ん、頑張って伝えたつもりだったんだけどな」

「残念。不合格だね」

「厳しいな」

くすくすと、男が笑う。
つられて私も、小さく笑った。





「ねぇ」

男が私に呼び掛ける。


「何?」

「君、天へと行ってみたくはないかい?」

またこいつは、意味の分からないことを。私は、笑って返した。


「そんなの無理さ」

「やってみたことは?」

「みなくても分かる。それに、私は案外人気者なんだよ。仕事の依頼は次々舞い込む。こんな世の中だからね。食っていけるだけの稼ぎと、受け継いだ変装の腕を磨くこと。私の望みはそれだけさ。天に昇るのを許されるのは、神様だけさ」

身体を転がし、天を見上げる。
私にとって遠い遠いその場所は、幼子に読み聞かせる御伽噺の世界へと手を伸ばすようなものだった。



「そっかぁ。…残念だな」

男は、私と同じように天を見上げて、小さく笑った。







六日目



雨が降った。

二日後に雨が降るといった、男の予想は外れた。



空を、厚く暗い雲が覆う。
降り注ぐ大粒の雨が、私の身に纏う、蓑や笠の表面を幾筋にも分かれて流れ落ちていく。
弾む息を吐き出せば、春先であるというのに、白くい靄となって宙に消えていった。
ぬかるむ泥が、足を絡める。
普段よりも厭に近くで、雷鳴が唸りを上げていた。



そんな中で、私と男は対面していた。

男は、いつもの笑みを浮かべていた。
雨を凌ぐ装備もなく、いつもと変わらない格好で立つ男はずぶ濡れだった。



「やぁ、最後にまた会えて、よかった。お宝を見つけたんだ」

男がその手に持ったものを掲げ、私に見せる。



それは、太鼓だった。

大きさは、男の顔位。
太鼓としては小型だろう。
太鼓の膜には三つ巴の紋が刻まれている。
漆塗りのように艶のある木材で作られた枠には、金装飾が施されている。
遠目から見ても精巧で美麗であるそれは、確かに『宝』と呼ぶに相応しい。

銀の鎖に繋がれ、男の手からぶら下げられているその太鼓は
鎖の軋みに合わせてゆらゆらと揺れて
打ち付ける雨をその表面で弾き、そして、その度に淡い金色の閃光を散らしている。

こんな状況でも
私の目と脳は、冷静にそれらの情報を記憶する。
そして、それが何であるかを確信する。



「お宝って、『雷鼓』だったの」

口端を持ち上げて、私が言う。

「うん」

男は、笑顔で答えた。



男の求めていたものが雷鼓であるのなら、男の正体もそこから察することが可能だ。


「なあ。名前は?」

私は、男の名を聞いた。


「雷蔵だよ」

男が答える。


「『雷獣』の名前が『雷蔵』なんて、そのまま過ぎない?」

「分かりやすくていいじゃないか。あと、僕は雷神だよ」

それはまた。
当初の予想よりも、男、雷蔵は随分と格上であった。

まさか、神様だとは。
初めは只の間抜けな下級妖かと思ったなどとバレたら、天の裁きでも受けさせられるかな。
それよりも、散々無礼な態度ばかりを取ってしまったから、裁く気ならばとっくに脳天直撃の雷でも落されているか。

内心そんなことを考えながら
これでようやく、昨日の雷蔵の態度にも納得が行った。


怖くないのか、と聞いて
別に、と答えられた。

天を住まいとする神にとって、多少の力を持つ程度の人の子なんて、地を這う埃の一粒程でしかないのだろう。
それが多少、血生臭くとも関係ない。
埃は等しく、埃としてしか映らない。



「それ、どうやって取ったの?」

雷蔵の持つ雷鼓を指して問う。
それは、どうやっても釣り針に自ら喰いついてはくれないだろうと思う。


「いや、薄々釣り上げるのは無理かなとは思ってたんだけど。今日になって、予想より一日早く雨が降り始めちゃって、どうしようかなって悩んでたら、もういいやって感じになっちゃって。沼の中に飛び込んで自分で取ったよ」

あっけらと笑って雷蔵が言う。
だからそんなにもびしょ濡れだったのか。
というか、もっと早くに気付きなよ。
更に言わせてもらえば、結論が大雑把過ぎるよ。

言いたいことは山ほどあったけど
私の口から出たのは、全く違う言葉だった。



「…帰るの?」

上を指差す。
その上にあるのは、天高く、雷鳴轟かす真っ黒な雲がある。


「帰るよ」

雷蔵が、雷鼓を軽く指で弾いた。
応えるように、徐々に雷鳴がこちらに近付いてくる。



雷蔵の答えを聞いて、胸にぽっかりと穴が開いた。

そうか。帰るのか。
頭の中で繰り返す。

いいよ。帰れよ。
胸に空いた穴の中で、誰かの声が反響する。

小さく小さくこぼれ落ちた、私の心が呟いた声を消し去るように
誰かの声が痛い程に響き、私の身体を震わせる。





「本当は、君も一緒にどうかなって思ったんだけど。昨日、振られちゃったからね」

雷蔵の声に、私は顔を上げる。

雷蔵は笑っている。
お前は、帰るのだろう。
あの遠い遠い世界に。
そこに私も?
何を馬鹿な。
神様だから、考え方が抜けてるの?大雑把なの?


「…あんなびりびりしたのに乗ってなんか、行ける訳ないだろう」

茫然として呟いた私の声。
その声が震えたのは、きっとここまで全力で掛けて来て、まだ息が整わないせいだ。


「そっか」

雷鳴にかき消されそうな私の声を聞き取り、雷蔵が眉を下げて笑う。

困ったように、残念そうに。
いつも通り、心の底からの笑顔の上に、その二つの色を乗せて。

偽りの顔を被ったままの私には、それに返す表情がなかった。





「ねぇ、君の名前も教えておくれよ」

雷蔵の持つ雷鼓の輝きが徐々に強まる。
雨を弾く透明な膜が雷鼓を中心に広がっていき、雷蔵をすっぽりと包みこむ。
その中で激しく電光が飛びかう。
目が眩みそうな光。
それでも、未だ笑みを浮かべる雷蔵の顔が、私にははっきりと見えていた。



「…三郎」

私は絞り出すようにして名を告げた。
乱れた息は落ち着いたはずなのに、その声は未だ震えていた。



「三郎」

私の名を口にした雷蔵が笑う。


「ねぇ、三郎。今度、僕が地に降りて来られた時は、もう一度誘うよ。その時に君が暇になっていたら、僕と一緒に行こう。僕、君ともっと話がしたいんだ。なるべく、君の傍に降りるようにするから。だから…」



雷蔵が最後の言葉を言い終わる前に
雷鳴がその真上に降り注ぐ。


『目を閉じて』

頭に直接響いた声に従い、私は目を閉じた。
直ぐに、目蓋越しにも目を焼くような強烈な光が辺りを照らす。



光が収まり、私はゆっくりと目を開く。
そこには、黒く焦げた地面の後だけが残っていた。








七日目



幾月ぶりの雷鳴轟かす暴風雨は、沼部の様相もすっかりと変えてしまっていた。



その中で唯一変わらず残る、私と雷蔵が並んで腰かけていた石の上に立つ。

目を閉じる。
息を吸う。
目を開ける。

そこに、雷蔵の姿はない。





何だろうな。この感覚は。

只の暇つぶしだったのに。
というか、暇をつぶされていたのは私の方か?


全く、神というのは気まぐれなものだな。
人の心を弄んで
ちょいと気まぐれに摘まんでみたら
ぽいとその辺に放って帰ってしまった。


どうしてくれる?

これから私は
お前に摘ままれ何処かに行ってしまった私の一部を
その痛みに耐えきれなくなる前に、探しにいかなければいけない。

急いで見つけて
血を吹き膿み出す前に、綺麗に繋ぎ合わせなければいけない。





『僕と一緒に』

雷蔵の言葉。

おいおい、分かってないのか、私よ。
雷蔵は神だぞ。
神の言葉なんて、九割九分九厘、その場の気分で発するものなのだ。

気まぐれに差し出した手の事など
生きる時間の違うあいつは、もう忘れているかもしれないぞ。



『君ともっと』

求めるなんて感情、とうに捨てただろう。
求められるなんて行為、私にとっては疎ましいだけだったろう。

やめろよ。つらいぞ。楽にいこう。



『君の傍に』

馬鹿じゃないの。
雷蔵が下に降りて来られる程の雷なんて、そんなホイホイ落ちると思ってるの。
そんなの気軽に落とされてみなよ。死ぬっての。

それに、私の傍って。
あんな高いところから、私のこと見つけられるの?

名前しか知らないくせに。
私は、いつでも誰かに、何かに身を変えてるのに。
これからどんどん成長して、体躯だって育つのに。

本当の『私の顔』なんて、知らないくせに。





私は、顔を剥いだ。

一昨日、私が狩った人食い大蛇の顔。
雷蔵に最後に見せた、顔。

その顔の皮を、沼に投げ込む。
仕事のことなんか、どうでも良くなっていた。
ばちゃりと音を立てて、波紋を広げながら、それがゆっくりと沼に沈む。

これでもう、雷蔵は私を分からない。



何だか疲れて、私はその場に座り込んだ。
雷蔵が糸を垂らしていた、沼の水面を覗きこむ。

昨日の暴風雨で、山からの土砂と、沼の底の腐土が舞い上がり混ざり合ったその水面には、何も映らなかった。





気がつけば、日が傾いていた。

大雨の後は地面が緩む。明るい内に山を降りなければ。



立ち上がろうとして
私が今、素顔をさらしていることを思い出す。

適当に何か作ろうと、数百の顔を記憶する頭の中から探す。

しかし、どれだけ記憶を探っても
思い浮かぶのは只一つ。





両の手で顔を覆う。
暫しして、手を下ろす。

出来を確かめる為
昨日の雨で、沼の傍に出来上がっていた大きな水溜りを覗きこむ。



そこにあったのは

雷蔵の顔だった。





我ながら、惚れ惚れとする変装の腕前だ。
あの特徴的な鼻や、丸い目。
綿の芽のように、ふわふわの栗色の髪の毛。
全て完璧に再現出来ている。

なんて、満足したのはほんの一瞬。

すぐさま、自分の顔に猛烈な違和感が浮かぶ。
耐えきれなくなって、顔を覆い、最初から全部作り直す。
何度も、何度も。

でも違う。
全然違う。

何が違うのか。
上手く再現出来ない苛立ちと
不格好な顔を張り付け続ける苦痛に耐えながら
じっと、水面に映る顔を見つめる。



あぁ、そうか。

そして気付いた。


笑顔がない。

雷蔵の、心の底からの笑顔。
無邪気な笑顔。
くすりと笑う笑顔。
にこりと笑う笑顔。

どれも種類は笑顔なのに、ほんの小さな違いで様々な感情を映し出す

あの笑顔がない。


再現しなくては。
そこまで完璧に再現しなければ、私は満足できない。

先祖代々受け継ぐこの変装の術で
再現出来ないものなど
あってはいけないのだ。


顔の筋を、意識して動かす。
様々な表情を繰り返し試す。

これも違う。
これも違う。

違う。違う。違う。全然違う。

何故出来ない。
得意だろう。笑うのは。

誰かの姿に変装して笑うのは、私にとっては呼吸するに等しく簡単なんだ。





そして、また気付く。

それでは駄目なのだ。

雷蔵の笑顔は、作りモノじゃなかった。
本心から、笑っていた。
心の底から湧き出てくる感情に作られる笑顔だった。

ならば私も、心の底から笑おう。
さあ、笑え。




水面に、小さな波紋が広がる。

何をしている?
笑うんだろう。

泣いてどうする。




最後に気付いた。

私は、心の底から笑ったことなどない。
空っぽのこの心から、湧き出てくる感情などない。

初めてだったのだ。
雷蔵につられて、小さく笑ったあの時が。

初めて『私』が、『私』として笑えた時だったのだ。



思いだせない。
あの時、どんな風に笑ったか。どんな気持だったか。

だって、今の私の隣には、雷蔵はいないのだ。




どうすればいい。
顔がなければ、私は此処から動けない。
でも、今の私が作れる顔は雷蔵だけ。
それなのに、その顔は雷蔵とは似ても似つかない。

笑いたい。
笑わなきゃ。
笑わせて。

雷蔵のように。優しく。穏やかに。照れくさそうに。愛おしく。

誰か。
誰か。
雷蔵。



「…雷蔵」



笑みを浮かべようとして失敗して、醜く歪む、『私』の作る『雷蔵』の顔。

そんな顔を見たくなくて
私は、枷が外れたように溢れ落ちる涙で、水面を乱し続けた。










あとがき

CPとか受け攻め関係無しでも、双忍は好きです。

神様と人間という、距離や違いの有り過ぎる二人。
雷蔵さんは、(外見)原作年齢位。三郎さんは2、3歳若い感じで。

二人の再会話も書きたいです。
本編にも登場させて食満先輩達と絡めたいです。
三郎さんと、どうしても絡ませたい人がいるのです。
(その人は、本編にも短編にもまだ登場していませんが)



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