あやし奇譚 | ナノ


七つ夜におちる雨 01










一日目



男がいた。

仕事帰りに偶々立ち寄った山中の沼のほとりに、それは一人で座りこんでいた。


人ではない。
仕事柄眼は確かだ。
妖か、霊魂か、その類。


でも、だからどうするという訳でもない。
私は仕事以外では妖を狩らない。

人の領分を侵すモノは、妖の領分へと追い返す。
人の命を害するモノは、その命でもって償わせる。

それが私の仕事。


だがしかし、妖といえども、命あるモノに変わりない。
こんな風に人気の無い山奥でひっそりと己の領分を守り、誰に迷惑も掛けず営みを送っているのなら害はない。
そんな命を、無駄に摘むのは嫌だ。





なぁんてのは、冗談建前綺麗事。

本当の理由は、面倒だから。
只でさえ様々な恨みを買う仕事だというのに。
私的な時間でまで余計な面倒に巻き込まれるなど御免だ。
仕事は仕事。休む時はしっかり休む。
出来る男はちゃんと割り切るものだ。


だからあいつのこともどうでもいい。
私は、チラリと見ただけでそれを気にすることもなく、山を降りた。








二日目



次の日の仕事帰り。

また、そいつはいた。


職業柄、あと性格的に、目に入るモノは無意識に観察してしまう。

外見的特徴
仕草


それらを一瞬で記憶し、相手の性格、内面の動きを推察し、行動の予測を立てる。
この仕事を続けていく中で、生き残る為に自然と身に付いたその習慣は、今では私自身の趣味のようにもなっている。



そいつは、外見的には齢拾四〜五。
体格的にもほぼ水準並み。
やたらぶわぶわと量の多さが目立つ、日の光に透ける栗色の髪。
特徴的な大きめの鼻と、丸い目。

妖の外見は不定形であることが殆どだが、人型を取るものに関しては固定であることが多い。こうやって外見的特徴を記憶することは、決して無駄ではない。


そいつは、沼の水面に釣り糸を垂らしている。
辺りに落ちている枝の先端に糸を括り付けただけの簡単な釣り竿。

何を釣ろうというのか。
この辺りの水域で取れる魚の種類を思い浮かべる。

釣った魚は自分の餌用だろうか。
だとすればあいつは弱い。

低級の妖の食料は
人や一般的な動植物と変わらない。
力の強い妖ほど、糧とするモノは特殊になっていく。

例えば、人とか。



一通り観察して記憶して推察しても、特に気になることはない。
個人的な欲求も満たされた。

やっぱり、どうでもいいか。

今日も私は、それ以上の興味を持つこともなく山を降りた。






三日目



そいつはまだいた。

というか三日間、そいつの位置は変わらない。


毎日同じ場所で、同じ姿勢で、同じ枝から、同じ糸を垂らしている。

どれだけ下手くそなんだ?
そろそろ腹も空く頃だろうに。


こんな人里離れた寂れた沼で、一人収穫のない釣りを続ける男。
ほんの少しだけ、興味が湧いた。

別に、そのまま今日も山を降りたって良かったんだけど
今日はちょっと仕事が早めに終わったから。暇だったんだ。

気配を絶って、距離を縮め、そいつの様子を窺う。





呆れた。寝てやがる。





「そんなんじゃ、いつまで経っても釣れませんよ」

さっと服装を変え、顔を変え、声を変え。
男より年配の、枝拾いに山に入った麓の村人という設定を作り、それになりきる。

変装の術は、私の大得意。
改めて距離を取り、わざと土草を踏みしめ掻き分ける音を立ててやり私の存在に気付かせ、不自然ではない程度の距離に立ってから声を掛けた。



「へぇっ!?」

間抜けな声を上げて飛び起きたそいつに、にこりと、愛想の良い笑みを浮かべて見せる。

少しの間呆けて私を見返し、にへらと、寝起きで状況の良く分かっていないそいつが笑みを返して来た。

何とも気の抜ける。
見知らぬ者に声を掛けられて、少しは警戒すべきじゃないのか。
そもそもこんなに容易く近付かれるなど鈍すぎだ。
妖のくせに。そんなんで今日までよく、こんな奥深い山の中で喰われず生き残っていたものだ。

色々と胸に浮かぶ相手への評価を押し込めて、私は再び笑みを浮かべ話し掛ける。



「驚かしてすみませんね。あちらの方で仕事をしてましたら人影が見えたもんで。気になって来てみれば、あんたぐうぐう居眠りなんてしてるもんだから、そのまま沼の中に落ちちまうんじゃないかと心配になって、声掛けちまいました」

この辺りの住人の口調を真似て、それらしい理由を作って伝える。


「えっ、そ、それはわざわざ申し訳ない!中々目当てのモノが釣れず、暇を持て余しておりまして、今日は日差しも良く温かで、ついうとうととしてしまいました…」

私の言葉で状況を理解したらしい男が、羞恥に頬を染めながら頭をかく。


「何を狙ってるんで?」

さりげなく、自然な仕草で男の隣へと腰を下ろす。
あくまで私は男を人であると思い近付いてきたと思わせる。
近付いて、男の反応を見る為だ。
少しでも私に対して可笑しな真似をすれば、私はすぐにでも男を狩る。

前にも言ったように、私は『無駄な殺生はしない主義』ではない。
必要とあれば、私は一切の躊躇なく、やれるのだ。



「ここいらで大物を狙うのなら、雨の降った翌日が狙い目ですよ。水は濁るが、その分安心して魚が出てくる」

「いやぁ、狙いは魚じゃないんですよ」


ちょんと男が枝を引く。
沼から引き上げた糸の先には、何もぶら下がってはいない。

おや、と内心で片眉を上げる。
狙いは魚ではない、という男の発言に対しても。
間近に無防備に近付いた私へ、何の変わった素振りも見せない男の様子に対しても。


「へぇ。じゃあ、何です?お宝でも沈んでるってんですか?」

わざとおどけて尋ねてみる。
まさかそんなと、先程のように頬を染めて言い返してくるかと思った男は



「はい!」

と作りモノの私のそれとは違う、心底からの笑顔で、力強く頷いた。








四日目



「どうです、お宝は釣れましたか」

昨日と同じ変装で、昨日と同じ場所に腰を下ろす男の前に、私は現れた。



「いやぁ、さっぱりです」

男は、苦笑して答えた。



沼のほとりに転がる石の上。
男の隣に腰を下ろし他愛のない話を交わしながら、男の掴む枝の先の糸に反応がないか二人で窺う。
そうしながら、私は男の様子も窺う。

こいつは、本気で言っているのだろうか。
こんな小さく淀んだ沼の中に、『宝』があると。



男の口調や態度には、適当な嘘で誤魔化しているような様子はない。

昨日その言葉を聞いた際には、私をこの場から遠ざけたくてわざと取っ拍子もない嘘を付き、怒らせ帰らせようとしたのかもしれないとも思ったが、今日再び仕事のついでの振りをして現れた私に、男は昨日と変わらない笑みを向けて迎えた。


もしかしたらこの男はちょいと頭が弱く、ありもしない宝をあるものと、そう信じ込んでいるのかもしれない可能性も考える。

しかし、男の話す『人』の言葉は流暢であり、私との会話も、何の支障もなくすらすらと続けることが出来る。
たまに何かを考えて口籠り、会話が途切れることがあるが、それは大抵、私が何かの選択を問う質問を投げかけた時であり、そんな時男は大層悩んで、悩んで、悩み抜いて。何故か、初めの私の選択とは全く違う答えを返してきた。

これは、かなりの悩み癖の持ち主だ。
その上、少々どころか大分『抜けて』いる。



しかしそれを除けば、男の思考におかしいところは見受けられない。

私の言葉も、それに含ませた意味も、難なく汲み取り会話をつなげてくる。
試す意味も込めて、多少難しい言葉などを会話の中に組み込んでみても、返す男の言葉は、大きく的を外れることはない。

その一つしか表情を持たないように男が顔に浮かべるのは笑顔一つだけだったが、その笑顔の上には私との会話によって、驚きや、喜びや、悲しみの色が混ざり、趣を変え、そのどれもが上辺だけの作りモノではなかった。

悩み出すと面倒で、抜けているし鈍いし、呑気だけれども、男のそんな笑顔には、私は何の嫌悪も感じなかった。



そもそも、人型を取るモノたちは人と同格か、又はそれ以上の智を持つ。ならば本当に。


「そういえば、昨日聞きそびれたんですが、ここにはどんなお宝が眠ってるんで?」

取り敢えず、探りを入れてみる。


「えっと…」

男は言い淀む。まぁ、当然だろうなと思う。


「大切なものなんで?」

直接的な答えを求めず、多少遠回りな問いかけに変更する。
この方が少しは答えやすいだろう。


「は、はい。そうですね。僕達の、とても大切な宝です」

僕達。
何だ、仲間がいるのか。

何日も、こんなところに一人きりでいるものだから。
こいつも、なのだと思ったのに。

少しだけ、この男に話し掛けたことを後悔する。



「実は、これは僕のせいなんです…」

「それは、どういう意味で?」

男が、ふわふわの綿のような自分の髪を掻きながら苦笑を浮かべる。
私は一応会話の流れとして続きを促す。



「実は、僕ちょっと抜けているところがありまして」

知っている。


「それなのに、大雑把なところもあって」

危険だな。


「この間、住処の掃除中にゴミと間違えて、大切な宝をここに落してしまって」

落したんじゃなくて捨てたんだな。


「慌てて探しに降りて来たのですが、どうにもこの水の中は底が見えにくく…」

まあ、沼だし。


「どうしようかどうしようかと二日程迷って、こうして釣りあげることにしたのです」

……。





「ほう…」

胸中に浮かんだ諸々を全て飲み込み、私は一言だけ発した。


「水の中に随分と長いこと浸かっているいるから、ふやけてしまっていないかだけが心配で…。あなたは雨の降った翌日が狙い目と助言して下さったのですが、その前に引き上げておかないと、沼の中の生き物たちにもちょっと痛い思いをさせてしまうかもしれないので」

男が、くいくいと枝を引く。
その糸の先には、まだ喰いつくものはない。


男の言葉から、私はお宝とやらが何であるか推測しようとする。
しかし、まだ情報が少ない。

「本当は、一人ぼっちで釣りなど寂しくて嫌になり始めていたのですけどね。あなたが声を掛けて、こうして話に付き合って下さって本当に楽しく時間をつぶせています」

糸の先に注意を向ける振りをしながら考え込む私を置いて、男が話を続ける。
男がにこりと、私に笑い掛ける。
心の底からそう思っている。感謝している。ありがとう。
そんな笑顔だった。


「いえいえ、こちらこそ」

そんな笑みを受けられるのは、慣れていない。
こちらは只の暇つぶしだというのに。真面目になるのはやめて欲しい。



急に、私は居心地の悪さを感じた。

もう帰ろう。
元々、仕事の合間に顔を出したと言ってあったのだから。
いつ席を辞そうとも、不自然ではないだろう。


「…また明日も、来て頂けますか?」

腰を上げた私を引き留めるように、男が言う。


「いえ…明日はちょっと」

明日は不味い。
明日は、今日まで下準備をしてきた仕事の山場だ。
こんなところで呑気にまったり、話なんぞしている暇はない。


「恐らく、あと二日くらいしたら大雨が来ると思います。私は、次に雨が降ったら住処に帰らなければいけません。それまでには釣り上げなければいけませんが、それまでならこうしてあなたとお話しもしていられる」

しかし、男は言葉を続ける。

そんな言い方、やめてくれ。
そんなにも私と話をしたいというのか。
いや、一人がつまらないから誰かにいてほしいのか。きっとそうだ。そっちの理由なのだ。
そんな自分勝手な理由で誘われても、こちらにも都合というものがあるのだ。
そもそも自分勝手な理由で近付いたのは、私だって?
そんなことは忘れたさ。



「やはり、明日は…」

「出来れば明日は、その『お面』なしの『あなた』とお話がしてみたい」



私の言葉を遮り、やけに強く男が言う。
私の心臓が、どくりと、大きく音を立てる。



「ここでまた、待っています」

男は、私の偽りの皮で出来た瞼の奥
『私』の目を見て、にこりと笑って釣り糸を引いた。











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