あやし奇譚 | ナノ


鬼のなく夜 02










「何言ってるんだ四郎兵衛。お前も一緒に帰るに決まってるだろう」










声が降って来た。





両腕で頭を抱え蹲った四郎兵衛の頭上から、それは聞こえた。

力強くて、場違いに明るくて。
根拠なんかないのに、その口から出た言葉は全て真になると、無意識に信じてしまうような。
あの、先輩の声がした。


そっと、四郎兵衛は顔を上げた。





「迎えに来たぞ、四郎兵衛」





両手足を四郎兵衛の身体に覆いかぶさるようにして地面に付き、涙と血に塗れた四郎兵衛の顔を覗き込んで、待ち望んだ言葉をくれたのは



「な なまつ せんぱい」


四郎兵衛達の長であり、兄であり、先輩である、七松小平太であった。










「よっと」


七松が軽々しい動作で身体を起こす。
七松が四郎兵衛の上から退いたことで、遮られていた周囲の様子が視界に入ってきた。

二人の周囲には、先程まで村人たちの手に握られていた筈の様々な農具や松明が、無造作に転がっていた。
それらは、一本残らず壊れていた。
柄から真っ二つに折れていたり、刃がボロボロになっていたりと、尋常ではない力が加わったような、鉄よりも硬い物にぶつかり砕けたような、そんな壊れ方だった。

そこから少し離れた所には、依然として村人たちが四郎兵衛達を囲む輪を作っていた。
しかし、その顔には先程までの狂気的な悪意と殺意は浮かんでいない。
何人かは腰を抜かし、気絶しているものさえいる。

「せ、せんぱい…」

「ん、何だ?」

僅かな間に激変した周囲の状況に、四郎兵衛が戸惑いの声を上げる。
それに七松は変わらない笑顔で答えるが、四郎兵衛が次に言葉を続ける前に





「滝」

七松が、村人たちの背後の暗闇に向かって声を掛けた。



「やめろ」

七松が何かに制止をかける。
僅かに遅れて、周囲を囲む村人達の最後尾から悲鳴があがる。
その声に弾かれる様に幾人かの村人が振り返り、そしてまた新たな悲鳴が起こる。
悲鳴が連鎖し、それを避けるように人々が逃げまどい、包囲の輪の一部が開いた。






そこから現れたのは、一人の青年であった。
女と見まごう程に美しく、線の細い青年が、氷のように冷たい表情でそこに立っていた。

しかし、村人たちが悲鳴を上げたのは、その青年の異様な美しさに対してではない。
その青年の額から、長く鋭く突き出た、歪にゆがんだ一本の角を見て取ってのことだった。



「…鬼だ」

青年を遠巻きに見る村人たちの一人が、絞り出すような声で言った。
その言葉に、引き攣るように息をのむ音が続き、幾人かは手に持った農具を持ち上げ構えた。

青年に向かって、数人で襲いかかろうとでもしたのか。
しかし、動き出そうとした直前に、青年の背後にあるモノを視界に入れて、村人たちの足が止まる。

青年の背後には、既に数人の村人達が倒れ伏していた。
縦も横も、ほっそりとした青年より二周り以上は大きい体格をした大人達は、地面の上にうつ伏せに転がったまま、ぴくりとも動かない。
死んでいるのか生きているのか見分けが付かないその様子に、再び周囲から悲鳴が上がる。
ぎりりと、農具を持った男達が顔を歪め、憎しみを籠めて青年を睨みつける。






「四郎兵衛!」

青年を見て恐怖して後ずさる村人たちに対しては、まるで虫けらでも見るかのようにぴくりとも表情を動かさなかった青年は、七松の隣でようやく上体を起こした四郎兵衛の姿を見て、血相を変えて駆け寄って来た。


「大丈夫か!こんなに怪我をして!ここも、ここも!」

「…たき やしゃまる せんぱい」

恐れ慄く周囲を無視して駆け寄った滝夜叉丸は、地に膝をついて四郎兵衛の身体を支えた。
血塗れの手足を、傷に触れないよう注意しながらその傷の具合を確かめる。

茫然としたように見上げてくる四郎兵衛の額に浮き出た小さな角や、鋭く伸びた手足の爪を見て、滝夜叉丸はその美しく整った顔を歪めたが、すぐにそれを表情から消し、四郎兵衛の頭を自分の胸へと抱え込んだ。


「…怖かっただろう、恐ろしかっただろう。もう大丈夫だ。私たちがいるぞ」

滝夜叉丸は、白く美しい手肌や着物が四郎兵衛の身体についた血や泥に染まるのにも構わず、ぼさぼさになった髪を手櫛ですいて整え、そっと四郎兵衛の頭を撫でた。
何度も何度も、優しく、宥めるように撫でてやった。





ぶわりと、四郎兵衛の目から再び大粒の涙が零れる。
耐えきれずに肩が揺れ、喉がしゃくりあげる。
緊張の糸が途切れたように、その涙と嗚咽は止まらなかった。

次第に、四郎兵衛の額に突き出た角と長く伸びた爪と牙が、ゆっくり元通りに戻っていった。
暫ししてそこにあったのは、漸く再会出来た母に安堵のあまり泣きつく幼子のような、いつもの四郎兵衛の姿であった。



「四郎兵衛。金吾はどこだ?」

七松が、泣きじゃくる四郎兵衛の頭をわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でながら聞く。
四郎兵衛は金吾の居場所を伝えようとするが、七松のその大きな手の感触にまた大粒の涙が溢れだして来てしまい、途切れ途切れの言葉しか出て来ない。



「そうか。ここから一里程の木の下に隠して来たんだな。偉いぞ、四郎兵衛。ちゃんと金吾を守ったんだな。流石は俺の後輩、俺の弟だ」

しかし、七松はそんな四郎兵衛の言葉もしっかりと読み取ってくれる。
それが嬉しくて、貰えた言葉も嬉しくて、漸く金吾を暗い森の中から出してあげられることにほっとして。
四郎兵衛は、とうとう声を上げて泣き出した。



「私が迎えに行ってきます。三之助、四郎兵衛を任せるぞ」

滝夜叉丸が七松へと告げ、そしてその傍にいつの間にか現れていた、もう一人の青年へと四郎兵衛を預けた。


いつの間にそこに現れたのか。周囲を囲む村人たちは、誰ひとりとして気付かなかった。
少年と青年の間にあるような、ひょろりと長い未発達な体格のその青年には、先程の青年のように目に見える角は生えていない。
しかし、青年の頭髪は、金吾と同じように前髪の中央の一房だけが金色だった。
周囲に落ちる松明の灯りを受けて怪しく輝くその色は、その青年が人ではありえない、異端な存在であることの証明であった。



「俺が行ってもいいっすよ」

「いい。遠慮する」

「…つぎや せんぱいぃ」

張りつめ過ぎて今にも弾け切れてしまいそうな緊迫した空気の中、場違いにのんびりとした三之助の声が響く。
滝夜叉丸に変わって四郎兵衛の背を支えた三之助は、しゃくりあげる四郎兵衛の背を、宥めるようにぽんぽんと叩いた。


「頑張ったな、しろ」

そう言って、滝夜叉丸とも七松とも違う手つきで四郎兵衛の頭を撫でた。








それからすぐに、滝夜叉丸が金吾を連れて戻ってきた。


「きんご!」

「大丈夫。眠っているだけだ。怪我も、お前程酷いものはない。すぐに良くなるだろう」

未だ意識は戻っていないものの、先程よりも金吾の顔色は良くなっていた。
恐らく、滝夜叉丸が応急的な手当てをしてくれたのだろう。


「ありが とう ございます…」

眠るようにそっと目を閉じる金吾の顔を見て、四郎兵衛はまた泣いた。











「よし。滝は金吾を、三之助は四郎兵衛を連れて先に帰れ」

漸く揃った後輩たちを見渡して、七松が指示する。



はい、と短く応え、三之助が四郎兵衛を背負った。

「…ななまつ、せんぱい」

四郎兵衛が不安そうに七松を呼ぶ。


「大丈夫だぞ。私もすぐに行くからな」

七松が、いつのも笑顔を四郎兵衛に向ける。
いつも通りの、お日様みたいに真っ直ぐで、強い笑顔。
しかし、四郎兵衛の心からは何故か不安が消えなかった。


「行くぞ、しろ」

それを遮るように、三之助が背負った四郎兵衛の身体を僅かに揺らした。
四郎兵衛は、はいと答えて、しがみ付く腕に力を込めた。



四郎兵衛を背負う三之助が、ふいに闇の中に消える。
それを追うように、金吾を抱えた滝夜叉丸も闇へと足を向ける。

闇へと消える直前、滝夜叉丸は七松へと視線を向けた。
七松は、それにも笑顔で返す。
しかし、その目は先程四郎兵衛にみせていたものとは違う色を宿していた。
滝夜叉丸は一つ小さく頷きを返し、そうして先の二人を追うように闇へと消えた。

















「さて」


一人残った七松が、周囲を見渡す。

そこにはまだ、村人たちが残っていた。
しかし、その顔に戦意は薄い。化け物を前に戸惑い、背を向けて逃げ出すことも、凶器を振り回し襲いかかることも出来ない。そんな様子だった。




「お前は…」

「ん?」

「お前らは…何者だ!?」

そんな空気の中、先程四郎兵衛への一斉放火の口火を切った壮年の男が口を開く。
どうやら、この男がこの集団のリーダーであるらしい。
口調だけは勇ましいが、その手に持った鍬は情けなくもぶるぶると震えており、顔面からは血の気が失せている。


「さ、さっきの…あの鬼の子の盾になった時といい…後から現れた鬼や、怪しげな子供といい…何なんだお前らは!」

勇気を奮い立たせたらしい男の言葉に、再び、村人たちの勇気が恐怖を上回ったらしい。

そうだそうだ。
折角追いつめたのに鬼共を逃がしやがって。
また怪我を治したら現れて、今度こそ子供たちを攫って行くかもしれん。
今すぐ追いかけて殺せ。皆殺せ。
子鬼も、鬼も、怪しい奴も、全部殺せ。

口々に、悪意ある言葉が吐きだされる。
しかし、まだ行動に移す程には勇気が絞り出されていないのか。
それとも眼前で不敵に笑みを浮かべながら立つ男を恐れているのか。
その場から動きだすものはいない。





「何者か、かぁ。難しいな、それ」

「…は?」

先程四郎兵衛が向けられ苦しんだもの以上の悪意を正面からぶつけられ、それでも全く堪えた様子の無い七松が、けろりとした調子で答えた。


「私たちが何者か、なんて。明確に答えるのは難しいなぁ。なんせ、私たち自身にもよく分かっていないのだから。だから、お前達の好きなように呼んでもらって別に構わないぞ。まぁ、角持つモノを全て『鬼』と呼ぶのなら、私たちは皆『鬼』なのだろうが」

そう言う七松の額には、三之助と同じく目に見える角は生えていない。
それでも、己を含めて自分達は『鬼』であると、七松は答えた。



「けれど一つ言えるのは、お前達が追い掛け回して殺そうとした二人は、お前達には何の危害を加える気もなく、何の害もない。お前たちの子供と同じ、普通の子供だということだ」

「嘘をつくな!なら、あの恐ろしい姿はなんだ!あの角や爪や、牙は!子供の姿で我々を騙して、弱い者から引き裂き食らうつもりだったのだろう!」

「理不尽に追い回され傷つけられて、自分の身を守ろうとするのは当たり前だろう?お前達だって、現に今、そうやって武器を持っているじゃないか。自分の身を守ろうと、子を守ろうとしてのことだろう。弱い者から食らっていく。それは今お前達のやっていることと同じだ。何故、あいつらから狙う?狙うならば、目の前にいる私だろう」

七松が、自分の胸を指差して言う。

七松は丸腰であった。
武器になりそうなものも、身を守る道具も何一つ持っていない。
一見すれば、そこらの村にもいる極普通の青年と同じだ。


しかし、村人たちは見ていた。
先程、七松はその身一つで四郎兵衛に襲いかかった凶器を全て受け、そして無傷で今立っていることを。



「人とお前らみたいな化け物を一緒にするな!」

村人の一人がそう言う。
先程の、傷付いた仲間を気遣い、宥め、労る。人の家族と変わらないやりとりを見ていながらも、村人たちの目には鬼は鬼にしか見えぬようだった。








「俺は、前に居た村で家族を鬼に喰われた」

長の後ろから一人の男が歩み出る。

「あの時の、光景を忘れねぇ。あの時の、鬼の恐ろしい顔を忘れねぇ」

顔の右半分に、何かで抉られたかのような醜い傷跡の残るその男は、憎々しげに顔を歪めてそう言った。






「その、家族を喰った鬼ってのは、あの二人なのか?」

男の歪んだ顔を見ながら、暫し考え込んだ七松が問う。



「は?」

「それとも、私たちのうちの誰かか?」

一瞬、意味が分からないという顔をした男に、続けて七松が問う。



「…違う」

「じゃあそれは関係ないな。私達はお前達の身内を誰も害していない。害する気もない」

これで解決だな!と、七松が笑って返した。




「関係ないはずないだろうが!お前らは鬼だ!俺達を殺して喰うんだ!喰われる前に殺す!やられっぱなしでいられるか!!」

激昂した男が、顔を真っ赤に染めながら叫ぶ。





「じゃあ、その理屈でいくと、私も人間全てを殺していいんだな」

「何!?」

「私の一族は、人間に狩り尽くされた。生き残りは殆どいない。ある日突然、襲われて殺された。人間達が武装して攻め込んできた。然程身体の強くない私達は一方的に殺された。大人達は首だけを持ちかえられ、誰のものかも分からない死体だけが私の周りを囲んでいた。お前達の理屈なら、私は人間全てを憎み、復讐する権利があるんだな」

七松は、さして気に病む風もなく己の一族の末路を口にする。
男や、周囲の村人達が僅かに静まった。


「あぁ、でも勿論そんなことやらないぞ。私は人間が嫌いではない。中には嫌いなやつも殺してやりたいやつもいるが。でも、好きなやつもいる。友達もいる。子供なんかは特に好きだな。遊んでやると、私も楽しい」

慌てたように、七松は手を振って否定した。







「…そんなら、尚更お前らを生かして帰せねぇ」

「ああ。逆恨みで俺らの村を襲われちゃたまったもんじゃねぇ」

「殺せ」

「そうだ。やられる前に、殺せ。弱ったもんから殺せ!」

しかし、村人たちの耳には七松の言葉は届かない。
再び、村人たちを狂気が支配していく。




「そうか…、やっぱりあいつらを襲いに行くのか。やめてくれないのか?」

七松が、至極残念そうに首を傾げ尋ねる。
それは七松からの最後の問いであったが、村人たちは誰一人としてその場から退こうとはしなかった。












「よし。じゃあお前ら全員、ここで死ね」

七松が、先程までと全く変わらぬ口調で言う。

口端が持ちあがり、笑みが深くなる。
その目が大きく鋭く見開かれ、獲物を狙う猛禽類のそれに変化した。

七松の身体から発せられる気配が切り替わる。
僅かに足を開き、身を落とす。何かに備えるように。

たったそれだけの動作で、村人たちは凍りついた。





確かに、目の前の青年は初めの攻撃を身体一つで受け切ってみせた。
しかし全員で一斉にかかれば或いは、皆そう思っていた。
それが、全く浅はかであったと、この一瞬で誰もが理解した。

青年は、自分達を説得しようとしていたのだ。
自分達が気を鎮め、村へと帰るのを待っていた。

しかし、自分達はその機会を逃した。
青年と、その背後にあるものに武器を向けてしまった。





「私は強いからな。お前達みたいに他者をじわじわ傷つけたりはしないぞ。どんなに憎い相手でも、弱い相手でも、全力で、一息で終わらせてやる」

そう言った七松のぼさぼさに伸びた長髪が、ふわりと浮きあがる。
風に吹かれたのとは違う。村人たちの手にある松明の炎はゆらりともしていない。

メキメキと、恐ろしい音がした。
七松の頭から、次々と鋭い角が皮膚を突き破って伸びてくる。
大小の六本が生え揃ったところで、額の中央から最後の一本が伸びてきた。
一際大きいその角は、中央の辺りで斜めに折れていた。
不規則な断面のそれは、折れていても尚他の六本よりも大きく長く、恐ろしい程に鋭かった。


不意に、村人たちの視界から七松の姿が消えた。
悲鳴を上げる間もなく、次の瞬間には家族を鬼に食われたと激昂していた男の正面へと現れる。
周囲の村人もその男も、金縛りにあったかのようにぴくりとも動くことが出来なかった。



「お前たちの家族が、お前のように漠然と『鬼』を憎まなくても済むよう。私が村に残った者たちに伝えてやろう。
お前たちの家族を殺したのは、私だと。『鬼』ではなく、『七松小平太』だと。
私を殺しに来るならいくらでも相手をしよう。しかし、私の家族に手を出すのなら容赦しない。お前たちの愚かな父達のように、逃がしはしない。そう、お前らの子供にはしっかりと伝えよう」

だから安心していいぞ。

そう言って、七松が笑った。
その口の中には、ぞろりと鋭い犬歯が生え揃い、見開かれた瞳は血の色に染まっていた。



そうして、笑顔のまま小平太は、その手を振り下ろした。









あとがき
体育委員の皆さんは、鬼です。
細かい種族とか境遇は色々違うのですが、一応血の繋がりのない家族ということになってます。(管理人の脳内で)
用具委員と同じくらい、体育委員会が好きです。



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