あやし奇譚 | ナノ


鬼のなく夜 01







※注意
暗い・若干暴力表現あり。
忍玉キャラが怪我をします。
本編と同じ世界軸、設定ですが、今のところ本編とは関連していません。

嫌な予感のする方は、バックプリーズ














薄暗い森の中。荒く耳に響く、吐息と心臓の音。

がさがさと、背の高い草むらを身体で掻き分ける。
普通の人々が通る山道も、森の動物達の通る獣道からも外れて。
木々の隙間から差し込む月の明りだけを頼りに、道なき道を進む。

ぬかるんだ泥に足を取られ、地面から飛び出た木の根に躓き、目の前を遮るように鋭く伸びる木々の枝は容赦なく肌を裂いていく。

それでも、足だけは止めず。
只々、四郎兵衛は駆け続けていた。





「きんご、がんばって」

後ろに背負った、小さな身体の持ち主にだけ聞こえるよう声をかける。
返事はない。



「だいじょうぶだよ、もうすこし、もうすこしだからね」

何が大丈夫なのか、本当にもう少しなのかは、四郎兵衛にも分からなかった。
それでも、四郎兵衛は声をかけ続ける。少しでも金吾の不安を和らげてあげたい、その一心で。








「…はい」

ようやく返事が返ってきた。
しかしその声は弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。



首を後ろに捻り、金吾の様子を見る。
その顔色は、月明かりのせいだけでなく異様な程青白かった。
がくりと力無く寄りかかった金吾の頭が、駆ける振動で、四郎兵衛の首元で小さく前後に揺れる。
一部だけ金色に染まった金吾の前髪が、四郎兵衛の視界に入る。いつものはキラキラと綺麗に光るそれが、今は泥にまみれてくすんでいる。
四郎兵衛の首に回された腕にも、あまり力が入っていないようだ。



金吾の弛緩した身体を振り落としてしまわないよう、四郎兵衛はもう一度腕に力を入れて、走りながら抱え直した。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ…っ!」

背中の金吾の様子に気を取られていたせいで、四郎兵衛は足元にあった大きな石に躓く。

堪え切れずに、駆けていた勢いのまま前方に倒れこむ。
金吾まで衝撃がいかないように、咄嗟に膝と片手を突きだす。
ずざぁっと、地面にむき出しの膝小僧と掌が摺りつけられ、摩擦と砂利で裂けた肌にべっとりと泥が付き、小石や枝が肉に喰い込む。



しかし、四郎兵衛はすぐさま立ち上がり、金吾を背負い直して再び駆けだした。

正直痛い。
疲れきって感覚が麻痺し始めた手足に、血の巡りと一緒にどくどくと痛みが響く。
視認してはいない傷口も、酷い有様になっているだろう。
身体中を覆う濃い血の匂いに、鼻がおかしくなりそうだ。
それでも、足を止めることは出来ない。





「もうすこしで、かえれるからね」

「…はい」

「ちょっとおそくなっちゃったから、みんなしんぱいしてるよ」

「…はい」

「だいじょうぶ、おれがきんごをつれてってあげるから。せんぱいのとこまで、つれてってあげるからね。そしたら、いっしょにあやまろう?」

「…はい」

「きんごは、しっかりおれにつかまっててくれればいいからね。ぜったい、はなさないでね」

「…ごめんなさ…」

「あやまらないの!おれだって、きんごのおにいさんなんだから。ぜったい、おいていったりしないからね」

「…はい」


次第に四郎兵衛は、金吾に言っているか、自分に言い聞かせているのか、分からなくなってきていた。



それでも、その言葉には一つも嘘はない。全て、四郎兵衛の本心であり、決意だった。

絶対に金吾を置き去りにはしない。
自分に金吾を任せてくれた先輩方の信頼に応える為。自分を信じて身を任せてくれる金吾を守る為。
絶対に、逃げ切ってみせる。

そう、心に決めていた。










足元や周囲に注意を向けながら、空を見上げた。
方々に枝を伸ばす木々に遮られて、僅かにしかその姿を見つけることの出来ない月の位置で、大体の時間と方角を確かめる。

まだ、ここでは駄目だ。
逃げながら滅茶苦茶に走ってきてしまった為、普段使っている『帰り道』からは、全く違う場所まで来てしまった。
その道が開く『時間』からも、大分経ってしまった。



四郎兵衛は、まだ自分達の暮らす島へと続く『道』を多くは知らない。
普段使い慣れた残りの幾つかは、ここからは遠い場所に開くものだ。
金吾を背負い怪我だらけの今の状況で、そこまで逃げ切れるとは思えなかった。


前に、『帰り道』を見失った時はどうすればいいのか、先輩に聞いてみたことがある。

本当は、『道』は四郎兵衛が知るよりも、もっとたくさんあるらしい。
同族と長が認めた者にならば、『道』は簡単に開いてくれる。
でも、余所の人間が一緒に付いて来てしまうと危ないから、それを使う時には色々と決まり事があって。
いつも優しい先輩は、四郎兵衛にも分かるよう丁寧に教えてくれたが、今の四郎兵衛には、まだ全てを理解することは難しかった。

だから、四郎兵衛にはそれを使うことが出来ない。
自分のせいで、他の仲間達を危険な目に合わせることは出来ないからだ。



「なあに!いざという時は、私が何処にいても必ず迎えに行ってやる!だから、お前は私が着くまで待っていればいいのだぞ!」

いつだったか。決まり事を理解出来なくてしょぼくれていた四郎兵衛に、いつも元気な先輩は、そう言って笑って約束してくれた。



うん、そうだ。先輩を信じよう。
先輩はきっと、迎えにきてくれる。
先輩ならきっと、何処に居ても四郎兵衛達を見つけてくれる。
だから自分のするべき事は、只管に金吾を守り、逃げながら、先輩を待つことだ。

脳裏に浮かんだ仲間達の姿と言葉に、弱りかけていた四郎兵衛の瞳に、再び光が戻る。









しかしその瞬間、四郎兵衛の全身を悪寒が襲った。


「また、きた…」


ぶわりと全身に鳥肌が立ち、かちかちと顎が震えて歯が鳴る。


(こわいこわいこわいこわいこわい
こないでこないでこないでこないでこないで)


いくら心で念じても、それはどんどん近づいてくる。
全身を突き刺すような、恐ろしい程の悪意が向かってくる。

まるで、燃え上がる火の中に飛び込んだような。
身体中に無数の鋭い氷柱を打ち込まれたような。
目から口から肌から、それは染み込むように滲むように、四郎兵衛の中に入ってくる。


(いやだやめてこないでこわいよ)

いくら拒絶しても足を速めても、一度纏わりついたそれは離れない。


必死に動かし続ける足から、ゆっくり力が抜けていく。
それと反対に、腹の底から何か凄まじい力が湧いてくる。
自分が自分ではなくなってしまうような、感覚。
それは、とても恐ろしい。四郎兵衛の内側に巣食うそれを、四郎兵衛の全身全霊が、表へと出すのを拒否している。

しかし、容赦なく向かってくるたくさんの敵意が、それを四郎兵衛の中から引き摺りだそうとしてくる。

いや、違う。
それは、引き摺り出されるのではなく、自ら這い出そうとしていた。

自分を傷つけるものから咄嗟に身を守ろうとする、防衛本能のように。
悪意から四郎兵衛を守る為に、力をくれようとしている。



しかし、四郎兵衛には、それに身を任せてしまえば自分がどうなってしまうのか分からない。金吾の事も、守り通すことが出来るか分からない。
だから四朗兵衛は、這い出そうとしてくるそれを力ずくで抑え込み、向かってくる悪意から逃げ続けた。








ずるりと、首にまわされた金吾の腕が滑り落ちた。
慌てて振り向けば、金吾は先程よりも苦しそうに顔を歪めていた。



「きんご!」

四郎兵衛は足を止め、金吾を下ろす。
大きな木の幹に寄りかからせ、頬をぱちぱちと軽く叩く。
しかし意識が混濁しているのか、金吾はぴくりとも反応を示さない。

顔色は先程よりも更に青く、呼吸までもが不規則になってきていた。
恐らく、金吾も四郎兵衛と同じものに襲われているのだろう。
四郎兵衛でさえ、恐怖に体中を震わせながらやっとの思いで退けているそれを、更に幼い金吾の心身が耐えきれるはずがなかった。



(どうしようどうしようどうしよう)

四郎兵衛は、苦しそうな金吾を見やりうろたえる。
落ち着きなくきょときょとと辺りを見渡し、必死に何か策を考えるが、何も思いつかない。

四郎兵衛の目に涙が浮かんでくる。
拭う間もなく、それが玉になっていくつもいくつも頬を伝って落ちた。
そうしている間にも、二人に襲いかかる悪意の塊は近づいてくる。



(いやだいやだいやだいやだ
きんごがしぬのもきんごがきんごじゃなくなるのもおれがおれじゃなくなるのも
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ)


ぎゅうと、四郎兵衛は金吾を抱きしめた。止まらない涙が、金吾の頬をもぬらす。


(いやだいやだいやだいやだ
こわいのはいやだこわいのはいやだ
でもおれはおにいさんだからきんごをまもらなきゃせんぱいのところまでつれていかなきゃきんごだけでもきんごだけでも)








何かを決意した四郎兵衛は、顔を上げ、ぐいと涙をぬぐった。

ぐったりとしたままの金吾の身体を、そっと木の幹の大きな根と根の間に横たえる。
辺りにあった土や木の葉を素手でかき集め、その小さな身体の上に被せ覆っていく。
息が苦しくないよう顔の部分にほんの僅かな隙間を作り、金吾の身体を完全に森の一部へと隠してしまう。

そうして震える足に力を込めて立ちあがると、四郎兵衛は走り出した。
四郎兵衛達に向けられる悪意の元へと、自ら向かって走った。






少しして、闇になれた四郎兵衛の目は無数の松明の灯りを捉える。
ざわざわという、たくさんの人が動き、話す声も聞こえる。

四郎兵衛は近くの木に飛び乗り、わざと枝を揺らし大きな音を立てた。
一斉に、灯りと声と、突き刺すような悪意が四郎兵衛の居る方向へと向けられた。


「居たぞ!」「あっちだ!」「追え!」

たくさんの人々が、そう一斉に口にして向かってくる。


四郎兵衛は走った。
金吾を隠した場所とは反対、出来るだけ遠くを目指して。
全てを自分一人に引き付けるようわざと大きな音を立て、時に自らそちらに近づきながら、涙を拭いながら必死に走った。









そうして、四郎兵衛はわざと追いつめられた。



足を止めて座り込んだ四郎兵衛の周囲を、たくさんの松明の灯りと、人の声と、人々の悪意が囲んでいた。
人々は、追い詰めた四郎兵衛を逃さないように、隙間無く包囲の輪を固める。



四郎兵衛は何も喋らなかった。喋っても無駄だったからだ。


(ぼくたちはなにもしない、わるいことはなにもしてない、ただあそんでいただけ)


追いかけられ始めた時に、四郎兵衛は必死にそう伝えようとした。
けれど、誰もそれを聞いてはくれなかった。信じてくれなかった。
だから、四郎兵衛は説得を諦めていた。


その代わりに四郎兵衛の喉から漏れたのは、低い、獣のような唸り声だった。





「聞いたか…あの恐ろしい声。子供の姿をしていても、やっぱり中身は化け物だ!」

松明の灯りの奥。
四郎兵衛を取り囲むようにしていた包囲の輪の一部から、怯えるような声がした。


「見ろ、あの手足…。恐ろしい程鋭い牙に爪…血まみれだ!あれで俺達の村の子供たちを攫って喰うつもりだったんだ!」

逃げている間から、四郎兵衛は、いつのまにか獣のような四足で駆けていた。
かちかちと寒さに震えるように鳴り続けていた歯は、気が付けば狼の牙のように尖り、土を踏みしめる震える手足には、鋭い爪がぞろりと生え揃っていた。
その両手足を醜く染める鮮血は、全て四郎兵衛自身のものであったが、恐怖に駆られて四郎兵衛の一部しか見ることの出来なくなっている村人たちには、それが分かるはずもなかった。



「恐ろしい鬼め!俺らの村に餌を漁りに来たんだろうが!お前らみたいな化け物に、子供らはやらんぞ!」

包囲の中心にいる男のその言葉に堰を切られたように、村人たちが一斉に四郎兵衛へ罵声を浴びせかける。


「鬼め!」「恐ろしい!」「醜い!」「消えろ!」「殺せ!」

村人たちが、手に手に持った松明や、鍬や、鎌や、包丁を、四郎兵衛へと向ける。

松明の灯りに照らされた四郎兵衛の額には、二本の小さな角が生えていた。
そして、小さな顔の乱れた髪の隙間から除く瞳は、人ではありえない瞳孔の形と光を宿していた。



村人達が、殺せ殺せと武器を付き付け、悪意を向ける。

四郎兵衛は、見た目はすっかりと人々が鬼と呼ぶものに変貌してしまっていた。
追いかけられ一人で逃げている間、恐怖に耐えきれず、内に潜むモノに抗えきれず、徐々に身体が変形してしまったのだった。


しかし、それでもまだ心まで染め切られてしまったのではない。
その証拠に、四朗兵衛の松明の灯りを反射して碧く光る両目からは、絶えず涙が流れ続けていた。





しかし、恐怖と狂気に駆られた村人たちの目にはそれも映りはしない。

四郎兵衛を弱らせる為か、様子を探る為か、村人達は手近な地面に落ちた石を投げつけてくる。
四郎兵衛の身体が、更に朱色へと染まっていく。

避ける素振りすら見せない四郎兵衛の様子を見て、徐々に人々がにじり寄ってくる。
普段は農作業に使う筈の農具を握る手に、恐ろしい程の力が込められていく。

肌を燃やす程近くに、松明の火が押しつけられる。
四郎兵衛に向かってくる一陣の後ろには、逃走を防ぐ為、更に多くの村人たちが武器を構えて待っていた。
そして皆口を揃えて、四郎兵衛への呪詛を吐き出し続けている。





涙で滲んだ四郎兵の視界に、目前まで迫った大きな身体の村人達の影が落ちる。
ゆっくりと、その手に持った物が振り上げられる。





おねがいです。
きんごだけでもかえしてあげてください。





四郎兵衛は呟いた。
しかし最後のその言葉も、恐怖に耳を塞いだ村人達には届かなかった。

四朗兵衛が目を閉じ項垂れる。
一斉に、村人たちの凶器が振り下ろされた。










あとがき
シロちゃんの口調が全部ひらがななのは、一応理由があります。
読みにくいかもしれませんが、ご了承を…



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