あやし奇譚 | ナノ


百千鳥の唄 03







「私に、考えがある」

逃げた野狐とそれに捉えられた文次郎を追おうとした食満を引き止めた仙蔵が、そう言った。



悪いが聞いている暇はない、と断り屋根に昇ろうとした食満は、仙蔵の顔を見て口を噤んだ。
先程の野狐の攻撃を防ぐために至近距離で起こした爆発の余波で、仙蔵の美しい顔は所々煤け、自慢の黒髪は前髪の先端辺りがチリチリと焦げていた。
何よりも優雅であることを好み、自身の容姿にも至上の拘りを持つ仙蔵らしからぬその姿。それなのに、食満を呼び止めた仙蔵は満開の笑みを浮かべていた。
仙蔵の笑みは、童子のように幼さを滲ませる無邪気な笑みほど機嫌の良い証拠だが、妖艶とも云える美しさを纏う時には、間逆の証明となる。正しく、今現在浮かべる笑みがそうだ。
それを長年の付き合いから知っている食満は、今の仙蔵の機嫌をこの上なく正確に把握した。



「自棄になって暴走する相手に対して、策もなく攻めに出ても余計な反撃を受けるだけだ。まずは落ち着くことだ」

仙蔵の言葉に、食満はこくこくと首を振って頷いた。
そういうお前の方こそ一旦落ち着いた方がいいのではないか、との言葉は頷きと共に飲み込んで。








「…この付喪神の様子、お前はどう見る?」

策を練ると言って考え込んでいた仙蔵が、唐突に切り出した。



「どうって…」

正直、今すぐにでも駆け出したくてたまらない食満には、冷静に思考を巡らせる余裕はない。
それでも仙蔵が切り出してきた話ならば、無意味なものではない筈だ。
そう考えて、食満は仙蔵の指差す先、平太を見た。



「おかしいだろう」
「ああ…」

未だ意識の戻らない平太。その全身に浮かんだ、黄色い痣のような染み。
本体からの影響を多分に受ける付喪神として、平太の現状は何処かおかしい。それは確かなのだ。しかし、その理由が分からない。
詳しく調べれば、食満にならばその原因と修復方法が見つけられるかもしれない。
だが遠目から、野狐の身体の中に捕らわれたままでは、上手く人形の様子を窺うことは出来ない。
だからこそ一刻も早く、人形を取り戻さなければいけないのだ。
再び思考が同じ地点に行き着き気を急かせる食満を置いて、同様に考え込んでいた仙蔵が口を開く。





「本当に、これの本体はあの人形か?」

仙蔵の問いに、食満が目を見開く。


「それ以外考えられないだろう。この屋敷の中で家人に関わりが深く、強い力を持つのはもうあの人形だけだ。平太の姿も、その行動理由も、全ては人形に込められた子供の願いと身代わり人形としての役目を果たす為だ」

「私もそう感じた。状況的にも、お前の目から見てもそうならば、間違いはないのだろう。
けれど、幾ら高名な人形技師が作ったからと言って、持ち主が大層強い想いを込めていたからといって、只の人形がお前に術を掛けたり、結界を張る程の力を。野狐の目に留まる程の力を持つものかとも私は思う。お前があの人形を作った、とでも言うのなら別だろうがな」



「…確かに」

そうかもしれない。
仙蔵の疑問を受けて、食満は改めて、これまでの平太の行動、その周囲で起こったこと、家主達から聞き出した話を思い返す。

そうして、もしかしたらとある可能性に思い至る。




「…力を持っているのは人形自体ではない、ということか?」





「そう考えると、どうなる?」

食満のたどり着いた可能性に、同様に辿り着いていた仙蔵が、先を促すように言う。



「…店主の奥方は、あの人形には呪いと願が掛けてあると言っていた。災厄を身代わる呪いと、子供を守る願。それと、人形を大切に扱っていたという子供自身の想い。それらが、付喪神である平太を作ったのは間違いない筈だ。けれどそれは、あくまで平太の姿と行動の指針、生まれるきっかけとなっていただけで、力の根源となっていた訳ではない」

食満は、思考の道筋を踏み外さぬよう、脳内で一つ一つを確認しながら言葉を紡ぐ。


「だろうな。そして、呪いを掛けるにしても余程強力でない限り、その効果を持続させるには他からの力の供給が必要だ。定期的に、常に近くにある物からもらうのが望ましい。人形自体に特に力がないとすれば、それは何処から来る?」

「…中だ」

食満の断定の言葉。それに仙蔵もまた深く頷き同意を示した。



そして、二人の意見は一致した。

平太の真の本体は、何か強力な力を持つ別の寄り代である。
身代わりの呪いを掛けられたそれは、人形師の手によってあの男児型の人形の中へと入れられ、人形を贈ったという業者に持ち主を守る願を込められた。そして、それを受け取った子供の想いが注がれた。

それらが重なって、作られたばかりの、只の力の塊だった寄り代から平太が生まれた。
人形という限りなく人に近い器の中に入れられていた為に、生まれたばかりの平太はほぼ完璧な人型を形成していた。
野狐が取り付いたのは人形自体ではなく、その中に埋め込まれた寄り代であった。
けれど、言わばその外殻である人形自体も中に仕込まれた寄り代の力を受けてある程度の力を持つようになっていた。
力を蓄え外に出ようとした野狐は、家人を災厄から守ろうとする平太の意思と、本来人々の身代わりとしての役目を持つ人形の殻に阻まれてそこから抜け出せなくなった。

その結果、こんなにも衰弱するほどに平太の力は吸い尽くされ、限界を迎えた人形の殻を破って、膨れ上がった野狐は出てきた。
その小さな身体では、全てを飲み込み、耐え切ることは出来なかったのである。










「それを踏まえて私が提案し、留三郎が実行した。野狐を滅するのではなく、封じる方法を」

文次郎が野狐に連れ攫われていた際の自分等のやり取りと、辿り着いた結論を掻い摘んで説明した仙蔵は、その手の中の人形、野狐の封じられた器を掲げて見せ言った。


仙蔵の案とはこうだった。
野狐の討伐を、力尽くの消滅から封印へと切り替える。
その為に必要な手順、術式は仙蔵が用意する。
他に必要なものは、荒れ狂うの野狐を閉じ込めても持ち堪えられるだけの力を持った寄り代。
野狐が粗方食い尽くした後の屋敷内には、それに相応しい寄り代は残っていない。
だが、平太と同じ方法を使えばそれを作り出すことが出来るのではないか。

そして食満が知恵を出し、実行した。
子供部屋から人形の一体を失敬し、その中に核となる力持つ寄り代を仕込んだ。
その際に食満の血を内部に塗りこむ。食満の身代わりとして野狐を騙す為だ。その為にも人形を選んだ。

準備を終え、食満は漸く野狐を追って屋根へと登った。
文次郎と協力し、野狐から人形を取り戻す。後は自らを餌に野狐を誘き寄せ、仙蔵が待ち構える封印地点へと導くだけだった。




「そんな手筈が整っていたのなら、一言教えておけ…」

文次郎が憮然として言う。
食満の行動からその意図を察して文次郎は動き、結果それは二人の作戦に添ったものだから良かったが、もしも違えていたならば大層危険だったのではないか。
予め知らされていたのならば、食満が一人囮に立った時も、野狐と共に屋根から身を投げた時も、あれ程に心揺らす必要はなかったというのに。



「…伝えておくって言ったろ、仙蔵」

苦々しい文次郎の視線を受けて、自分は悪くないと、ふいと顔を逸らした食満が言う。



「何度も声を飛ばしたぞ。だが、お前は何かに夢中で、さっぱり聞こうともしなんだ」
「…」

結局は、文次郎が悪いということであろうか。



「…その核ってのは何を使ったんだ」

潔く諦め、文次郎が話を切り替え問う。



「俺の笛だ」

食満が答える。
やはり文次郎の方は見ずに。
けれど、伏せられたその瞳は僅かに寂しげであった。


運良く文次郎に目をやられていた野狐は、残された嗅覚だけで食満の血の匂いを頼りに追ってきた。
それでも、野狐に気取られることもなく封印の陣の中に飛び込ませるには、その中に横たわる人形を食満自身だと思い込ませなければいけなかった。
血の匂いだけでは心もとない。そこで、食満が作り、ここ数日常に持ち歩いていたあの笛を使った。
それならば食満の気が深く染み付いているし、寄り代の核となるだけの力も備えていた。
足りない力や人形の強度などは、仙蔵の術で補ってやればいい。

そうして、野狐の封印は完了した。
後は、この人形ごと浄化、若しくは滅してやればいい。



「お前達を傷つけ、何より私の手をこれ程に煩わせてくれたのだ。どちらにせよ、それなりの礼はしてから片付けてやる。…と言いたいところだが、まぁ、これ以上に怨念や祟りを溜め込まぬうちに、さっさと浄化して天へと帰らせてやるさ」

人の悪い笑みを浮かべて見せた仙蔵だが、最後には笑みを潜ませ粛々としてそう言った。
対峙していた時には挑発や侮蔑の言葉を投げつけてはいたが、仙蔵とてこの哀れな老狐の顛末に何の感慨も抱いていない訳ではなかったのだ。
野狐の封じられた人形を懐へと仕舞うその手つきは、何処か丁重でもあった。










「で、こっちはどうなのだ」

野狐の件は片付いた。後は、平太である。

仙蔵の問いに、食満は人形を作兵衛へと預け、人形から引き抜いた小さく折り畳まれた紙をゆっくりと開いた。




細長い長方形のそれは、護符のようであった。
護符に書き込まれた凡字や何かの印が辛うじて読み取れる。
誰の作かは分からない。けれど僅かに残る力の残滓やその形姿から、かなり高徳な人物が書いた符ではないかと思われる。
その符の全面は、謹製されてから何十年も経っているかのように、褪色した鶸色に覆われていた。平太の身体に現れている黄色の染みと同じ現象。やはり、平太はこの護符の影響を受けていた。





皆が、言葉無くその符を見下ろしていた。

その護符は、明らかに寿命を迎えていた。
符としては勿論、紙としても、今にも崩れてしまいそうな程に脆くなっていた。

覗き込む作兵衛、文次郎にも、見守る仙蔵にもそれは直ぐに見て取れた。
自ら手に広げ、見て触れている食満にも、当然分かっていた。

この護符を、修理することは出来ない。
そっくり同じ形のものを用意することは出来るかもしれない。けれどそれでは駄目だった。
この護符から生まれた平太は、この護符が崩れると共に命閉じてしまう。








食満は、護符を平太の胸の上に乗せた。

「先輩…」

作兵衛が声を掛ける。けれど、それ以上に何を続けていいのか分からず、結局唇を噛み締めて俯いてしまった。
そんな作兵衛の頭に、食満が手を乗せる。ぽんと、撫でるように一度叩いて離す。



「我々の力を注いでみればどうだ?」

仙蔵が言う。食満は首を振って答えた。
寄り代自体がここまでボロボロでは、いくら仙蔵や文次郎に力を注いで貰ったところで、底の抜けた器に水を注ぐようなものだ。
そもそも、仙蔵たちの妖力では強力すぎて傷ついた護符は耐え切れない。
先ずは、寄り代の受けた傷を癒さなければならない。けれど、物理的にはもう不可能だった。


符に触らないよう、食満は平太の身体を抱きしめる。
脱力した小さな身体は、少しずつ温度を失ってきていた。
食満に抱きしめられた拍子に、平太の片手が地に落ちた。握り締められていたその手から何かが毀れ、地の上を転がった。それは、食満が平太にやったもう一つの笛であった。
食満との出会いの時に渡されたその品を、平太は野狐に操られても、乱暴に放り出されても、最後まで手放さなかった。けれど、もうそれを握り締めているだけの力も残っていないようだった。



食満の胸を満たしていたのは、無力感であった。
食満にはもう何も出来ることがない。
散々助けられたのに。守られたのに。食満は結局、平太に何一つ返すことが出来なかった。

手を伸ばし、地の上を転がる笛を拾い上げる。
この笛の音を始めて吹いて聴かせてやったときの、ふわりと木々の蕾が色づくように浮かんだ喜びの表情を、もっと見たかった。
もっともっと、楽しいことや、幸せなことを感じさせてやりたかった。
けれど、食満の記憶に残る平太の顔はいつも何処か寂しげで、苦しみを耐えるようなものばかりだった。
そんな顔しか浮かべさせることが出来なかった。

きつく、唇を噛み締める。切れて滲み出す血の味が苦く感じられた。
息苦しくないように、けれどしっかりと抱きしめる平太の身体から、ますます温度が消えていく。
確かにその腕に抱きしめている筈なのに、重さが感じられなくなっていく。

何かをしてやりたかった。
平太が消えてしまう前に。意識は戻らなくとも。気付くことはなくとも。
せめて苦しまぬように。せめて一人寂しいままでは終わらないように。
自分に出来ることならば。自分が渡せるものならば。何でもいい。何かをしてやりたいと。
食満は、無意識にそう強く願っていた。









平太を抱きしめる食満の背が、小さく震えていた。
作兵衛も仙蔵も、静かにそれを見ている。

そんな中で、文次郎だけが何かに気付く。
見下ろせば、自分の首元に掛けられた首飾りが、淡く光を纏い始めていた。



弾かれるように文次郎が動く。
顔を俯ける食満と、その腕の中の平太。二人の身体を乱暴に引き離す。

「…っ何すんだ!!」

突然のことに驚いた食満の腕から平太の身体がずれ落ちかける。慌てて抱き止めた食満が叫んだ。
漸く文次郎へと向けられた食満の瞳。僅かに赤く染まった目尻に涙が浮かんでいる。けれど、文次郎の目にはそれは映らなかった。



「お前こそ、何しようとしてる」

文次郎の声には、怒りが滲んでいた。
予想外に鋭い視線を突き立てられて食満が怯む。けれど、食満には文次郎が言う意味が分からない。


「何って…」

「同じことをする気か」

戸惑う食満の言葉を遮り、文次郎が続ける。





「…簡単に、切り売りして与えるな」

今にも胸倉に掴みかからんばかりの低い声で諭すように言った文次郎は、首飾りを手で押さえていた。
その手の指の隙間から、次第に光量を増す淡い光が漏れている。



首飾りは食満の感情に応えて光を発し始めた。
また何かの作用が働く予兆だと、身に付けている文次郎には分かった。

文次郎は食満がまた、この首飾りと同じように己の魂を平太に与えるつもりなのだと思った。
平太の命を繋げる為に、己の一部を犠牲にしようとしているのだと思った。

魂とは本来、誰かに分け与えるものではなく、己一人が持つものだ。
道理に外れたことをすれば、それだけの反動が返ってくる。
文次郎一人に分け与えるだけでどれ程の負担が掛かっているのか、過去にどういったことが起こったか。
文次郎は誰よりも知っていた。だからこそ食満を止めた。

けれど、怒りの理由はそれだけではなかった。
文次郎は自身のそれに気付いていない。
様々な感情の入り混じったそれは、一番近い感情の名で呼ぶのならば、嫉妬だった。
自分にだけだと思っていたものを、簡単に与えようとする食満が許せなかった。
食満がどれ程平太に心砕いているか、それはよく分かっている。
文次郎とて、平太が消えずに済むのなら手を尽くしてやりたい。しかし、それとこれとは別だった。

そんなにも簡単に渡してしまう程に、食満は自分の身を軽く見ているのか。
この首飾りに入ったものは、そんなにも簡単に渡してしまうような軽いものだったのか。
そう考えたら、止めに入らずにはいられなかった。



対して、その一言で文次郎の意を察した食満もまた、胸の内を一気に激昂させた。

食満は、平太に何かをしてやりたいと思っていた。自分に出来ることならば、何でもいいと。
けれど、それは魂を分け与えることなどでは決して無い。

食満は、それだけは二度とすまいと決めていた。
これ以上に、自分の身勝手に誰かを巻き込み、縛り付けることだけはしてはならないと言い聞かせていた。

そもそも、今文次郎は何と言った。簡単にだと。切り売りだと。馬鹿にするな。
幼い頃の食満が、一体どれ程の思いで首飾りを作ったのか、文次郎は分かっていない。
本来一つで、一つの肉体に収まるべき魂を、簡単に切り分けることなど出来るはずがない。
食満自身にもどうやってそれをやってみせたのか分かっていないのだ。未だ心に深く痕を残す、あの時の強烈な感情を再び抱くなど出来はしないのだ。

食満は、幼い頃の己の行為を常に後悔している。けれど、その時に抱いた想いは真実だと思っている。
それを、文次郎は軽々しく口にした。過小して捉えた。
罵声に変換することも出来ない程の怒りが込み上げる。それと同時に、虚しさに似た空洞がぽかりと口を開く。
その理由を、意味を、今の食満は冷静に考えることは出来なかった。



元を辿ればその感情の根源は同じであるのに、やはり二人の想いは噛み合わず、すれ違っていた。
溢れ出る強烈な感情は、それを相手に伝える的確な言葉を見つけ出すのも待たずに相手へと向かってしまう。
たった一言。それだけを伝えれば済むというのに。二人はその一言を未だに見つけることが出来ない。








込み上げる感情をぶつけることも出来ず、食満は平太を抱え文次郎から顔を背ける。
それを、文次郎は己の制止を無視して行為を続けようとしたのだと思い込んだ。

もどかしさに唇を噛み締めた文次郎が、不意に妖力を高める。
ふわりと、その背後に漆黒の尾が現れる。目下から顔全体に、朱色の隈取が浮かぶ。

食満の腕の中で目を閉じる平太に手を伸ばし、そこに全身から妖力を搾り出す。


「やめろっ!!」
「文次郎っ!!」

それに気付いた食満、仙蔵が制止の声を掛ける。しかし、文次郎は無視する。



「馬鹿野郎!!離せ!!」

その行為は意味のないものであった。
平太の本体は、既に傷付き過ぎて文次郎の力に耐えることは出来ない。
だからこそ、平太の方へと力を注いでいるのだろうが、あくまで平太は本体から派生した存在にしか過ぎない。
平太自身の身体にいくら力を蓄えても、本体へとそれを供給することは出来ないのだ。

文次郎にも、それくらいは分かっていた。分かった上でやっていた。
凄まじい勢いで妖力が減っていく。このままの勢いで注げば枯渇する。
それでも、食満が己の一部を削るくらいならば、自分がやる。限界まで注げば或いは。
その考えだけで、文次郎は平太へと力を注ぎ続けた。



口で言っても文次郎を止めることは出来ない。食満が、文次郎を力尽くで止めようと手を伸ばす。
平太に力を注ぎ続ける文次郎の手首を掴む。もう一方は、文次郎の身体を突き放そうと、先程拾った笛を手に持ったまま突き出した。文次郎の胸元に当たった食満の拳、そこに握った笛の先端が、光を発する文次郎の首飾りに触れた。

その瞬間。



首飾りの光が、猛烈な勢いで広がり、弾けた。













今が夜であることを忘れそうになる程の、眩しい光が辺りに広がる。


四人は、突然の光に目を眩ませて視界を失う。
間近で光を浴びた食満も、反射的に目を瞑り、平太を光から守ろうと抱き寄せた。

光はたった一瞬のものだった。
爆ぜるように弾けた光は、留まることなく空に掻き消える。
掻き消えた後には、また元通りの夜の闇が戻ってきた。

けれど、光を浴びた視力は直ぐには闇に馴染めず、食満は何度か瞬き、必死に目を凝らした。

滲む視界に、すいと流れるように横切る光が見えた。
何だろうと、思う間もなく再び次の光が横切る。
次々と、次々と。食満の視界を光が横切る。
そしてその光は、どれも色が違った。

黄金に、花緑青、菖蒲、桃色、花浅葱。
色鮮やかなその光は蛍火のように淡い光だが、どれもこれも蛍ではありえない色ばかりだ。
次いで耳に届く、何かの音。
仙蔵の結界に包まれ、外から入る音のない無音の屋敷の中で、自分達が立てる以外では久しく聞く、耳に心地の良いその音は、歌声だった。


その音を聞いて、はっと食満は目を見開く。
何度か擦り、ようやくはっきりとしてきた視界の中。
そこに広がるのは、この日何度目かに目にする光景。
食満の作った笛から生まれる、あの光る小鳥達の舞い踊る姿であった。




「何だ…」

呆然として見上げる食満の隣で、文次郎が呟いた。
見れば、文次郎もまた食満と似たような表情で小鳥達の舞を見上げている。

作兵衛と、少し離れた場所に立つ仙蔵の二人もまた、初めて見るその光景に言葉もなく目を奪われていた。




小鳥達は舞い踊る。
上に下に。円を描いて、羽ばたき、羽を煌かせ、光を振りまきながら。
そして、鳥達の囁き合うような歌声が鳴る。
唄はいつまでも途切れず、それに合わせて小鳥達の舞いも止まらない。

食満は、己の手の中にある笛を見た。
けれどその笛は食満の掌の上でころりと転がるだけで、何の変化も無かった。

この小鳥達と歌声は、食満の笛からしか作り出せないはずなのに。
一体何処から現れているのか。

そう不思議に思い、食満が首をめぐらせて周囲を伺えば、すぐ傍で光を発しているものがあった。


それは、文次郎の首飾りであった。
淡い光を放つその首飾りの宝玉の中から、一つ、また一つと色付く小さな光が毀れ出し、ふわりと宙を漂ったそれはゆっくりと鳥の姿に変化する。
そうして、雛が巣立つかのように翼を広げると、頭上の舞の中へと飛び立っていく。

食満の視線で文次郎もそれに気付く。
見下ろして、自らのそれに驚きの表情を浮かべるもそれだけで、この現象は文次郎自体には影響を与えていないようだ。

ならば歌声は何処から響くのかとよく目を凝らしてみてみれば、囁き合っているのは宙を舞う小鳥達自身だった。


言葉も無く、食満たちは鳥たちの舞を見上げていた。




ふいに身の傍から小鳥の鳴く声が聞こえ、食満は視線を落とす。
そこに、舞から外れた、翡翠色の小鳥がいた。
ちぃちぃと可愛らしい鳴き声をあげながら、小鳥はそっと、食満が抱える平太の胸の上に着地した。
光そのもので出来ているかのような小鳥には、実体がない。
暗闇の中ではっきりと輪郭を浮かび上がらせるその光で、小鳥の表情を見ることは出来ない。
けれど、よてよてと平太の胸の上を歩いた小鳥は、平太の青白い頬に顔を寄せると、まるで愛おしむように顔を擦り付けた。

平太の頬から離れた小鳥は、くるりと振り向く。
羽を広げ、宙へと飛び立ったその鳥は、そのまま頭上の群れへと帰るのかと思えば、旋回して再び戻り、そして平太の胸の上に乗った護符へと向かい飛び込んだ。



褐色した紙面に吸い込まれるようにして小鳥が消える。
小鳥の纏っていた翡翠色の光が、ほんの一瞬護符全体を包んで消えた。
それを合図に、頭上を舞っていた小鳥達が次々と護符に飛び込み、その度に七色の光が護符を包んだ。

昼間と夕方、文次郎の首飾りに小鳥達が入っていったのと同じ。
ただ今回は、首飾りから生まれた小鳥達が、平太の護符へと飛び込んでいく。


成り行きを見守るしかない食満たちの目の前で、護符に変化が起きていく。
符の全体を覆っていた褐色した染みが、少しずつ退いて行く。
今にも崩れそうに無数の罅の入っていた表面が滑らかさを取り戻していく。
そうして、その下からは本来護符に書き込まれていたのだろう呪いの字が現れる。



頭上を舞う小鳥達の大半が消えたところで、すっかりと護符は謹製されたてのような真新しさと神聖さを取り戻していた。

そこに、残った小鳥達が一斉に飛び込む。
小鳥達は護符に飛び込む前に溶けて光の粒になると、その周囲を包んだ。
光に包まれ、護符がふわりと宙に浮き上がる。
くるくると、誰の手にも触れていないのに、勝手に護符が細長く丸まっていく。

そして、光に包まれたまま護符は、食満の掌の笛の中へと、吸い込まれるように消えていった。

笛は、ぽうと一瞬光を宿し、直ぐに元通りの竹の筒へと戻った。






声を発することの出来ない食満の腕の中で、熱が生まれた。
続いて、少しずつ腕にかかる重みが増してくる。

食満は、そっと指先で平太の頬に触れた。
先程までは感じられなかった、確かな熱が皮膚を通して伝わってきた。

震えそうになる息を飲み込み、食満は平太を見下ろす。
その眼差しの先で、ゆっくりと平太の目蓋が開いていった。











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