あやし奇譚 | ナノ


野狐 01







三度目となる古道具屋の屋敷前。
仙蔵、文次郎の作る風に乗って来た四人が、そこに降り立つ。





「ふむ」

仙蔵がその戸口に手を添え、検分するように目線を走らせる。



「中々良い結界ではないか。だが…」

仙蔵の絹糸のように艶やかな長髪がふわりと浮きあがる。
その周囲に、ぽつぽつと小さく淡い朱色の炎が無数に浮かぶ。
蛍火のような火の玉は、仙蔵の優雅にしなる髪の動きに合わせるように、その表面を滑り、仙蔵の周囲を旋回し流れていく。
順繰りに髪から腕へと流れ、戸口へと添えられる仙蔵の細指へ炎は吸い寄せられていく。
徐々に火光を増す仙蔵の指先に、最後の一玉が吸い寄せられたその瞬間。



炎が爆ぜた。



仙蔵の指先を中心に、まるで導火線に火を付けたかのように凄まじい勢いで炎が四散する。
戸口から広がり、一瞬の内に屋敷中の側面をぐるりと火花を上げて走ったそれは、敷地の丁度中央の屋根辺りで集結し、大きな炎の塊となって宙に打ち上げられた。

ある程度の高度まで上昇したところで、再び炎が爆ぜる。
夏に見る祭りの花火を思い出させるその光景。
しかし、天高く打ち上げられて散っていく花火とは違い、地上近くで爆ぜたその炎の火花は、頂上近くで朱から山吹へと色を変化させると、爆心地から半円状に火の粉を散らし、屋敷の敷地をぐるりと囲むように地に辿り着き、そこに小さな呪の紋を焼き付けた。



「まだまだ甘いな」

自分の術の仕上がりを見て、仙蔵がはんっと鼻をならして言った。
どうだ、と言わんばかりに輝く瞳が、見物の三人へと向けられる。



「派手過ぎだ…」

ぽつりと、文次郎が呟く。
全く同様の感想が残る二人の胸中にも浮かんでいた。しかし、二人は敢えて口を噤んだ。



案の定、容赦の無い仙蔵の拳が文次郎へと飛んだ。





「結界を解くついでに、私特製の結界を上塗りしておいた。これでこの中にいるものは逃げられん。中で何が起ろうとも、周囲に危害が広がることもない」

私が討たれん限りはな、と付け加えて仙蔵が言う。
殊勝な事を口にしながらも、その全身からは『そんな気は更々ないが』という堂々たる自信が滲み出ている。

仙蔵の、こういった見世物に近いような派手な振る舞いや不遜にも映る態度は、勿論仙蔵の持つ確かな実力と、当人の個人的な人格、嗜好による部分が多い。
しかし、緊迫した場面や疲弊した場面などでこそより多く現れる、一見余計であるようなこれらの行為は、仙蔵なりに敵の注意を自分へと引き付け、そして自分の余裕と冷静さを見せつけることで周囲にもそれを促そうとしてのモノであると、付き合いの長い文次郎と食満には分かっていた。

仙蔵の意を汲み取り己の中の冷静さを見直した二人は、視線で以て互いの心中を確認し合い、それを伝え合った。










からりと、一度目と同じようにすんなりと開いた扉を潜り、店の中へ入る。

真っ先に反応を示したのは作兵衛だった。
店へと一歩足を踏み入れた瞬間、作兵衛は眉を顰め、唇を噛み締める。
震えだす身体を、全身に力を込めることで辛うじて抑え込むかのように。
この店と屋敷に潜む異形の気配を敏感に察知し、全身全霊で畏怖している。そんな様子が、傍から見ているだけで手に取るように分かった。



「作兵衛」

食満が呼び掛ける。

「奴が何処にいるか、分かるか?」

食満の問いに、作兵衛が頷く。

「昼間探した手足の方と同じ気配だから、はっきり分かります。案内、出来ます」

作兵衛は表情を固くしながらも力強い口調で答えた。

本当ならば近付きたくはない。
それでも同行を願ったのならば、役に立たずで終わる訳にはいかない。
一刻を争うだろう今、普段作兵衛を極力危険から遠ざけようとする食満が作兵衛の力を必要としているのならば、それに応えずにはいられなかった。





手近にあった行燈に火を付け、作兵衛が先導して母屋へと向かい、その後ろに食満が続く。



「文次郎」

二人の後を追おうとした文次郎を仙蔵が呼びとめ、振り返った文次郎に何かを手渡した。

「傷付けぬようにな」

立ち止る文次郎を置いて、くすりと笑った仙蔵が先を行く。
すれ違いざまにちらりと向けられた視線は、何かを促すような、挑発するような類いのものであった。



「…付けるかよ」

何を、等と聞き返す必要はない。
文次郎は手に馴染む己の獲物、袋槍を懐にしまい、先を行く三人に遅れて母屋へと足を踏み入れた。










再び足を踏み入れた屋敷の中は、耳に痛い程の静寂に包まれていた。

仙蔵の結界に周囲を包まれているから、外から入り込む音や気配もない。
雲や木々は無音で流れ、身を震わせ、吹きつけるはずの風も、屋敷までは届かない。
生と動に飢えた静か過ぎる空間は、まるで死を間際に迎え現世の時の流れから切り離された、老人の内面世界のようだった。



「先輩、…これ」

先導の作兵衛が、廊下の先で何かを見つけ拾い上げる。


それは食満の上張であった。
先の平太との鬼事の際、こことは違う廊下の隅に畳んで置いておいたのだが、今は廊下の真ん中に、無造作に乱れて落ちていた。

その周囲には、何か白い欠片が散らばっている。
手にとって灯りの下で確かめれば、表面に光沢のあるそれは粘土の破片のようであった。
行燈を掲げ、そこから続く廊下の先を見てみれば、転々と、今摘まんでいるような粘土の破片が落ちている。








作兵衛の案内する先と、粘土の破片の続く先は同じであった。
二つが重なり辿り着いた座敷の、薄らと空いた戸を、注意深く食満が開く。





そこに、平太がいた。
こちらに背を向け、うつ伏せに横たわっていた。



食満に続いて座敷に入った作兵衛が、思わず駆け寄ろうと踏み出す。
その肩を食満が掴んで止めた。
何故、という目で作兵衛が食満を見上げる。
しかし食満は答えず、鋭く険しい眼差しで前方をじっと見つめていた。

作兵衛がその視線を追って、再び前方へ顔を向ける。



倒れていた平太が、不意に起き上った。
何の予備動作もない立ち上がり方に、作兵衛も異常を感じ取る。
何処か不自然でぎこちないその動きは、まるで、糸で吊られた人形が無理やりに動かされているかのようだった。



くすくす

何者かの笑い声が響く。



くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす


忽ちに周囲を満たした不気味な声に、作兵衛が耳を塞ぐ。


ずるり、と。
平太の背後の暗闇から真っ黒な尾が伸びる。

食満達は、それの本体を知っているから這い出たものを尾だと判断出来る。
しかし知らないものが見たのならば、それは巣穴より餌を求めて鎌首をもたげた、大蛇の頭のように見えたかもしれない。

作兵衛の目にも、それは尾には見えなかった。
目の前に這い出た異形の物体に、恐怖心が、有る筈のない大蛇の瞳を作り出す。
自らの心が作り出した蛇の目に射抜かれ、作兵衛の足が竦む。

そんな作兵衛を見て、尾の伸びる影の中で何かが笑う。
先と同じように、ゆるりと持ちあがった尾の先端が鋭く形を変形させる。


そして次の瞬間、固まる作兵衛目掛けそれが突き出された。










声も出せず避けることも出来ない作兵衛に変わって、傍に立つ食満が動いた。

先程廊下で拾った自らの上張を前方に広げて投げる。
二人の姿を隠す様に眼前に広がったそれに、黒い尾先が突き刺さる。
厚手の布地に醜い大穴を開けながらも引き千切きれず、僅かに狙いを逸れて、尾は誰もいない畳の上へと突き刺さった。

食満は作兵衛を抱えあげ、戸を蹴破り庭へと出た。
その二人を追って、次なる尾が伸びる。
しかし、それが突き立てられるよりも一瞬早く、食満がその場を飛び退く。

再び狙いを外して土に突き刺さった尾を挟んだ反対側には、同様に飛び退った仙蔵、文次郎が構えを取っていた。



四対の視線の先、食満の蹴破った戸から平太が出てくる。
その背後から、カタカタという音が続く。
ふらりふらりと覚束無い平太の足元に、何か小さなものが並ぶ。
作兵衛が持っていた行燈は、外に飛び出る際に落して来てしまった。
しかし、雲間から覗く月の明かりだけでもそれを確認するには十分な光源となった。



それは平太の本体である、人形だった。

月明りに照らされた人形の桐塑で出来た顔は、その半分程が崩れてなくなり、もう半分にも無数の罅が入っていた。
人形の足元は僅かに床から浮き、細く伸びた人形の影は、月明りでは照らし切れない座敷の内部の影へと繋がっている。



土に突き刺さった黒い尾がずるりと引き抜かれ、土を払いながら影の中へと戻っていった。


『帰っテ来タ』

声が響く。



『お兄ちャン、おにィちゃン達、遊ボウ?、遊ぼウ?、こんどは邪魔さレナイよ、ずぅッとあそベルよ!』

無邪気な子供のおねだりのように、人形が、座敷の影が、その中にいる野狐が弾んだ声を上げる。










「その気持ちの悪い真似は止したらどうだ。油断を誘うどころか酷く滑稽、耳障りなだけだぞ」

油断なく人形を見据えたまま、仙蔵が言う。


「私は面倒が嫌いなのだ。さっさと、その間抜けな面を拝ませろ」










『…言うてくれるわ、立花の餓鬼め』


仙蔵の挑発に応え、周囲を取り巻く笑い声の種類が変わる。
くすくすと、四人を囲み囁き合うように吹き掛けられていた笑い声が、嘲笑のそれへと変化した。


がたりと、人形が震える。
その着物の前合わせがゆっくりと開いていく。
大鋸屑を詰めた布地の胴体がある筈のそこには、ぽかりと空いた穴があった。

ずるりと、その穴の中から黒い半液状の『モノ』が這い出る。

まるで、膿んだ傷口から壊死した成分が溢れ出るような。
汚水まみれの水場の底に沈むヘドロが地表へ流れ出るような。
どう表現してもおぞましいそれは、人形の体積を超えて真下の床へと流れ落ち、蠢いて、少しずつ何かの形を作っていく。



廊下の天井に頭を打つ程歪に膨れ波打つそれの形がある程度定まったところで、頭にあたる部分を覆う液体がざぁと引く。
その下から現れたのは、仙蔵の本体に似た、白狐の顔であった。

どろどろとした半液状の物体で形作られた野狐の身体は、辛うじて獣の四肢の形を保っていた。
その上に、まるで取って付けたかのように乗っている頭は、三角の耳に、尖った口先、細く鋭い両目の周囲には朱色の隈取り、と狐妖の特徴を揃えていた。

しかし、仙蔵と同じ白い毛並みは所々が色褪せたように黄ばみ艶を失い、だらりと開いた口からは臭気ある荒い吐息が漏れ、本来神聖を表す筈の隈取りは水に溶けたように顔中を覆い、それなのに色だけは毒々しい程の血の色をしていた。





「…千年を生きた仙狐も、そこまで落ちぶれれば見る影もないな」

文次郎が吐き捨てるように口にする。



『ついこの間まで赤子だったお前達が、随分な口を聞いてくれる。年寄りを労ってはくれぬのかえ?』

しわがれた老婆のような声。
そして、先程までの幼子のようなたどたどしさを取り払った、老練した狡猾さを感じさせる口調。
これが、目の前の野狐の本性だった。



「生憎と、私は実力主義でな。だらだら歳を重ねた位で仙と呼ばれるようになった老狐に掛ける情けなど持ち合わせないのだ。隠居してのんびり余生を過ごしていれば別だったが、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎた老婆など、恥ずかしくて目も当てられん」

『おぉ、酷い酷い。偏見じゃのぉ、差別じゃのぉ。私がこうなってしまったのには、深ぁい訳があるというのに』

「初めに血を浴びたのは偶発的事故だったとしても、その後血に狂い溺れて殺戮を繰り返したのは自らの意思だろう。同情の余地無しだ」

『どいつもこいつも、婆ぁ相手に手厳しいのぉ。私は只、生き延びようとしただけなのに』





「…おい、野狐野郎」

仙蔵、文次郎と野狐とのやり取りに、食満が割って入る。
気丈に振るおうとしながらも、目の前の異形から発せられるおぞましい気に耐えきれず震えている作兵衛を背に隠し、食満は強く野狐を見据える。



食満を捉えた野狐の血色に染まった目が、にたりと半月型に歪む。

『忘れておった、忘れておった。人間、主には礼を言わねばの。それとも、礼を返すべきかのぅ?』

「…何のことだ?」

野狐の言葉に、食満が顔を顰める。



『主にこの餓鬼が気を取られたおかげで、先程は隙をついて悪戯出来たからのぉ。新しい入れ物も欲しかったところに、丁度良く、若々しい同族の肉も連れて来てくれおった。その点においては、主に感謝せねば』

舐めるような品定めの目が、文次郎と仙蔵に向けられる。
力を取り戻した野狐は、次の寄り代、自らの器として二人の身体を使うつもりなのか。

視線を受けた二人が揃って顔を歪める。
特に仙蔵の、その美しい顔の歪みっぷりは凄まじい。
自分の身体を血狂いの野狐に明け渡すなど、誇り高い仙蔵にとっては想像すらおぞましいようだ。



『…しかし、主が現れたせいで私は中々外に出れんでな。力も生気も粗方吸い尽してやっていたのに、主らを庇おうと餓鬼が生意気にも抵抗しおって、私を身体の外に完璧には出さなんだ。全く。餌は餌らしく、私に力を献上するだけで良いものを』

そう言って野狐が、傍に立つ平太の身体へ尾を巻きつけた。
食満達の目に見せつけるように持ち上げ、軒下の固い石段の上でぶらぶらと揺らし、無防備な首先に尾先をあてる。

野狐の言葉と動きに、食満が歯を噛み締める。
野狐に飛びかかろうと動きかける身体を、必死に抑え込む。

(駄目だ…、今動いたら)

野狐の黒い半液体状の身体は、未だ平太の本体である人形と繋がったままだった。
そして付喪神としての姿である平太の身体も野狐の傍にある。
今の状態では、三人は野狐に攻撃することも、下手に動くことすらも出来なかった。





『さぁ、どう礼を返してやろうか?』

食満達に向かって笑ってみせる野狐は、それを分かって平太を傍に立たせ、手の内にあることを見せつけている。

野狐の尾が持ち上がり、食満と作兵衛へと向かって狙いを定める。
遊ぶようにゆらゆらと揺れながらも、二人の身体をまとめて貫けるようにと、狙った場所からは外れない。

平太を持ち上げる一本を除いた残りの四本が、文次郎と仙蔵へと伸びる。
平太の身体と、尾で狙いを付けた食満と作兵衛の姿をチラつかせ二人の抵抗を抑え込み、その身体に尾を巻き付ける。
ぎりぎりと締め上げられ、文次郎の顔が歪む。
引き剥がそうと力を込めるが、縄のように何重にも巻き付くそれは簡単には剥がれそうにない。
文次郎よりも力で劣る仙蔵にも、それを振り払う事は出来なかった。



『どちらにしようか。白黒両方揃えて神の気分を楽しむ、というのも面白そうではあるが』

「…白狐と黒狐、揃えて制御するなど貴様程度に出来るかな?」

歪んだ笑みを浮かべ、恐怖を煽ろうと野狐が二人に顔を寄せる。
仙蔵は挑発の言葉と共にそれを睨み返す。


『出来るさぁ。私には力がある。お前らのような餓鬼共では到底及ばぬ知恵も経験もある。老いているからと、婆ぁを見くびるでないよ』



「…やたら餓鬼餓鬼と拘るな」

文次郎が冷静に言葉を返す。
野狐の尾に締め上げられながら、仙蔵もまた笑みを浮かべて言葉を返す。

「老いを理由に主に捨てられ、若い孤妖に従妖の席を奪われた事が余程深く傷を残しているようだな。しかしその程度で血狂いになるとは。『命長ければ恥多し』とは聞くが、最後の最後でとんだ大恥を曝したものだ。主に捨てられた理由と言うのも、案外老いだけが理由ではなかったりしてな」





仙蔵の言葉に、周囲に満ちていた笑い声が止まる。
一瞬後、笑みの形に歪んでいた野狐の目尻と口が、引き裂けんばかりに吊りあがった。


『…糞餓鬼が。お前の身体は、力を吸い取り切ったら顔だけ喰って捨ててやるよぉ。お前のような糞生意気な餓鬼は、顔なしの肉塊となって鳥どもに啄まれ、糞に混じって地に落ちればいいのさぁ』

おぞましい呪の言葉と共に、仙蔵の顔へ野狐が黄色く濁った息を吐き掛ける。
その息の余りの臭気に仙蔵が眉を顰めるのを見て、再び野狐が笑い声をあげた。



『まぁ、どちらにせよ中身はいらん』

ぎらりと光を放つ野狐の尾先が、二人の目の前にひたりと構えられる。





『先ずは頭から潰しておこうかね』

言い放ち、突き出された野狐の尾が、仙蔵と文次郎の頭を突き破った。















野狐が二人の頭を突き差した瞬間。
その傷口から噴き出したのは朱色の鮮血ではなく、山吹色の炎であった。



『何!?』

野狐が驚きの声を上げる。
頭部から噴き出した炎は、二人の身体をも一瞬で呑みこんだ。
その身体に巻き付いていた野狐の尾にも炎が移る。その熱に、野狐が一瞬怯む。





「やはり、生きた歳月と実力は比例せんな」

頭上から響く、凛とした仙蔵の声。
その声に視線を上げる間もなく、野狐のすぐ脇に仙蔵が降り立つ。

突如間近に現れた仙蔵との間に、野狐は盾として平太の身体を付きつけようと尾を動かす。
しかしその瞬間、平太の身体を持ちあげる野狐の尾に、先程とは比べ物にならない熱が生まれた。

先程地に降り立つ際、仙蔵は手を伸ばし野狐の尾に印を付けていた。
そこから、先程の炎とはまた違う、紺碧色の炎が噴き出したのだ。

刹那に燃え上がり消えた炎は、その一瞬だけで、野狐と平太を繋ぐ尾の一部分を燃き尽くした。
怒った野狐が仙蔵へと爪を振り下ろす。
優雅に避けて、仙蔵は野狐から飛び退く。



炭となった尾の一部が、先端の重さと衝撃に耐えきれずぼきりと千切れる。
緩んだ尾の隙間から、平太の身体がずるりとすり抜ける。
意識がなく、受け身も取れない平太の身体は頭から地面へ向かって落ちていく。
固い土に叩きつけられる、その直前。

野狐の尾が二人の頭を貫いた直後に駆けだしていた食満が、身を滑りこませて受け止めた。
素早く平太の無事を確認した食満も、身を翻して野狐から距離を取る。



攻撃するのに時間の掛る距離へと離れた二人を追うのを諦め、野狐は残された作兵衛の方へと意識を向ける。
しかし、そこに狙いを定めた尾を突き出すよりも早く、仙蔵同様宙より降り立った文次郎が尾先を切断した。
地に落ちていく尾先の影から飛び出した文次郎が、手に持つ袋槍を野狐へと投げつける。
人形と異形の身体を繋ぐ部分目掛けて投げたそれは、突き刺さる僅か手前で異形の身体に庇われ届かなかった。文次郎が小さく舌を打つ。



『この餓鬼共が…』

忌々しそうに野狐が唸り声を上げる。
未だ炎の燃え残る尾を、仙蔵、文次郎へ向けて振り下ろすが、大振りなそれを難なく避けた二人は、それぞれ別方向へと飛び退いていく。



「餓鬼と見縊るからこうなるのだ。止まった時に生きる老体では、我々にはついて来れまい」

二人の変わり身に気付けず、茫然と成り行きを見ていた作兵衛の前に仙蔵が立つ。
仙蔵の挑発の言葉に、怒りに顔を歪めた野狐が身体を乗り出す。
白く血色を滲ませた頭と、黒く歪な獣の身体が、完全に軒下から外に出た。



それを見て、白い肌に映える紅い唇を、仙蔵は妖艶な笑みの形に持ち上げる。



「長話の間に仕込みは上々。ここはもう我々の舞台だ。無様なお前は、私が優雅に舞わせてやろう」





言葉と共に、仙蔵が指を鳴らす。
すると、上空からはらはらと、まるで金粉のように光振りまく無数の火の粉が降り注いだ。

一瞬にして野狐の周囲が火の粉で満たされる。
仙蔵が再び指を鳴らす。

野狐の顔の側面で爆発が起こった。


衝撃に野狐の顔が反対方向へと逸れる。しかしそこでも、次の爆発が迎え撃つ。

次々と起こる爆発は、野狐の身体の周辺でしか起こらない。
食満や作兵衛、仙蔵の周囲にも落ちる火の粉は、その身体に付いた瞬間に音もなく消える、只の美しい黄金色の光でしかなかった。

仙蔵の制御の元、連鎖的に起こる大小の爆発に野狐が身を捩り、悲鳴を上げる。
爆発と野狐の動きの隙間を掻い潜り、文次郎が野狐の身体に突き刺さった袋槍を引き抜き、半ば野狐の身体へとめり込んだ平太の本体の人形を抜き取りに向かっていく。
しかし、その人形を奪われれば加減をしている仙蔵の爆発が更に容赦のないものになることを察知している野狐は、残りの尾と爪と牙で以て防ぐ。

室内に戻れば野狐と間近で刃を交える文次郎も爆発から逃れ難くなる。そうなれば仙蔵の手も緩む筈。
そうは考えても、野狐がほんの少し屋敷へと向かって動いただけで、そちらへ戻すまいと仙蔵の起こす爆発は激しくなる。一度引き摺り出した獲物を、易々と逃がす仙蔵ではないのだ。



仙蔵と文次郎の連携に、徐々に野狐の身体が焼け焦げ、切り刻まれていく。
文次郎の振り払う袋槍の刃を受け止めようと、野狐が牙をむく。
しかし、文次郎の手首ごと噛み千切ろうと開かれた口の傍で、また爆発が起こる。
その爆風を潜り、文次郎が袋槍を払う。
人形を奪われまいと庇っていた野狐の尾が、ごとりと音を立て切り落とされた。



『ぎゃぁあぁぁ!!』

流石に三本目ともあれば、野狐にも痛手を加えられたようだ。
野狐の口から、劈くような悲鳴が上げる。追撃を掛けようと文次郎が姿勢を下げる。
しかし、野狐の様子に何かを感じて飛び出しかけた足を止める。



『よくも…よくも…』

ぶるぶると野狐が身を震わせる。
野狐の首の下、異形の黒い物体で形作られた身体が、その表面に張った膜のような皮膚の下で何かが蠢く様に波打っている。




「…っ避けろ!!」

間近でそれを見た文次郎が叫び、直後に自らも後方へ飛び退いた。








一瞬後、野狐の身体が内側から弾ける。
皮膚を突き破り飛び出た中身が無数の鋭い触手となり、皆に襲いかかる。



仙蔵は、文次郎の声に反応して周囲を漂う火の粉を一斉に前方へ集めて固め、爆発させた。
咄嗟のことで、仙蔵自身にも衝撃と熱風が吹き付ける。それでも、仙蔵と作兵衛を狙って向けられた触手は全て燃え尽き灰となった。

眼前で弾けた触手に襲われた文次郎は、驚異的な脚力でその場を逃れ、追って伸びてくるそれを全て切り落とした。


地に降りる一瞬の間、文次郎は食満へと視線を向ける。

未だ意識のない平太を抱えた食満は、手が塞がっていた。
それでも、人としての限界を超えた反射速度で触手を見切り、最小限の動きで避け、そのしなやかに動く足で叩き落とす。
しかし、食満へと伸びた触手は他二人よりも数が多かった。

避けきれず、食満の頬を触手が霞める。
屈んで避けた頭の上を薙いだ触手が食満の髪を結んでいた髪紐を切る。
はらりと髪紐ごと数本の髪が千切れ、首の付け根辺り程の長さのある食満の髪がその頬と額に落ちる。

それでも、食満は怯まない。
鋭い瞳は自分と平太に襲いかかる無数の触手を見据え続けていた。



文次郎の視線の先で、新たな触手の一本が食満へと向かって伸びる。
その軌跡を目で追った文次郎は、このままではそれが食満の肩口辺りに突き刺さるであろうことを察知してしまった。

文次郎は、殆ど無意識に、手に持った袋槍を投げつけていた。








文次郎の袋槍が空を切り、触手の何本かと食満の肩口へと伸びていた触手の先端を切り裂く。

目的を達して勢いを失い、眼前を越えて地に突き刺さった文次郎の獲物を見て、食満がそれの飛んで来た先を見る。
素手で地に着地した文次郎と、僅かな間その目線が交わる。





弾かれる様に顔を逸らした食満が、地に刺さった袋槍に向かって走る。
それよりも早く、野狐が文次郎へと飛びかかった。

漸く爆煙が晴れた仙蔵にも、周囲の状況が見えて来た。
食満が袋槍を引きぬき振り返る。


しかし一足遅く、野狐の牙は文次郎の肩へと深く食い込んでいた。


「ぐっ…」

文次郎が短く呻き声を上げる。



「文次郎!!」

食満が叫ぶ。
それに答える隙を与えず、文次郎の肩へ牙を突きたてた野狐は、どろどろの半液体状へと変化した身体を撒き付けると、文次郎を連れて地を蹴り、屋敷の屋根の上へと飛び立った。









あとがき
狐妖怪コンビのターン。
あと、皆の連携的な物が書きたかったのです。

ツッコミ所満載でしょうが…そこはノリで。
(すいません…精進しますので、今はご了承下さい…)



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