あやし奇譚 | ナノ


人形 02









文次郎の纏う風の外では、周囲の景色が流れるように移ってゆく。

二人分の体重を支えるだけの風を集めて乗るのはそれなりに骨が折れるはずなのに、文次郎の肩に担がれたままの食満の身体には、殆ど振動らしい振動は伝わってこない。
らしくもなく食満の身体を気遣う文次郎の意図がそれだけで伝わり、食満は何だか面白くないような、むず痒いような落ち着かなさを覚える。
それでも、ここで無駄に暴れて余計な負担を掛ける訳にもいかず、食満にとっては不本意である姿勢のまま、目的の地へと到着するのを待った。





そうして文次郎が降り立ったのは、一軒の旅籠屋の屋根の上だった。

先の古道具屋からそれなりに離れた街道に立つその店の前には、日が落ちてもぽつぽつとした人の往来があり、すぐに地面に飛び降りようとした文次郎を、食満が引き留める。
二人揃ってボロボロの傷だらけ。そんな目立つ姿の男二人が屋根から店の前に飛び降りるところを人に目撃されれば、要らぬ詮索を受ける。

人の往来が切れる一瞬を狙って、食満を抱えた文次郎が極力音を抑えて地に降りる。
その肩から慌てて食満も飛び降りる。着地の瞬間僅かに足元がふらついたが、これ以上文次郎の世話になってやるものかという意地で、それを支える。
そんな食満の意地も全て見通しているのだろう。わざとらしく溜息を吐いた文次郎が灯りの漏れる旅籠屋の戸を引いた。



闇に慣れた目に、宿内の灯りが差し込み一瞬目が眩む。

「いらっしゃいまし!」

中に入った二人を、明るい下女中の声が迎える。


「二名様で、お泊りで?それともお食事でも?」

前掛けを揺らし、ぱたぱたと二人に駆け寄った女中が要件を伺ってくる。
食満は自分達の格好を怪しまれはしないかと、さっと汚れきった小袖の表面を払い、血の滲んだ手指を隠す。
しかし、こんな時刻に、如何にも何処かで暴れてきましたと言わんばかりの男二人の姿を間近で見ても、女中は笑みを浮かべたまま微塵も動揺した様子は見せなかった。

戸惑う食満に対して、文次郎はじっと女中の顔を見下ろしている。
馬鹿かお前は、怪しまれるじゃないか。
先に来ているという仙蔵を呼ぶなり適当に要件を告げるなり、何らかの反応をしてくれればいいものを。と心中で愚痴る。

動きのない文次郎を促そうと、食満が文次郎の小袖の裾に手を伸ばす。


「おや、お客さん。随分とお顔の色が悪いですよ。どうかなさったんで?」

しかしその前に、女中が食満へと顔を寄せて来た。
温かい色合いの灯篭の灯りに照らされて、食満の身体の不調を示す青白い顔が見えてしまったのだろう。

文次郎の脇をすり抜け女中が駆け寄り、食満へと手を伸ばす。
得体の知れない客人に対して、距離を置くどころか近付いてくるその女中の勢いに、食満が身を引く。
「気にして頂かなくとも大丈夫」と口にする前に、するりと伸ばされた女中のほっそりとした白い指が食満の額に触れる。
氷のようにひんやりとした感触に、思わず食満が肩を竦める。
そんな食満の反応にも構わず、女中の指はそっと、食満の前髪をはじく様に額の上を滑った。



一瞬で離れたその指と共に、食満の身体から何かが抜けたような感覚があった。

(え?)

次の瞬間には、先程からずっと食満の身体を包んでいた倦怠感が消える。
眠りの中に強制的に引き摺りこもうとするかのような、意識に掛かる靄もさっぱりと晴れていた。


「ふふふっ、これでもう心配のうございますね」

呆気に取られている食満を見て、女中が一つ笑い声を上げる。
その笑い方と、食満に掛かった術を指先一つで払ってみせた先の技を見て、食満が目を見開く。





「…仙蔵、か?」


まさか、という響きを含ませながらもほぼ確信している状態で、食満は目の前の女中に呼び掛けた。
くすくすと笑う女中が、顔を隠す様に袂を掴んで持ち上げた。
一度完全に顔を隠し、再び袂を下ろして覗かせた時

そこにあったのは紛れもない、仙蔵の顔であった。





「遅かったな。お前たちを待っている間暇だったのでな、少々遊んでいたのだ」

先程までとは口調も声色もがらりと変えて、涼しい顔をした仙蔵が答える。

遊びで変化の術まで使い女装などするものか?と一瞬頭を過るが、仙蔵ならば別におかしくもないか、とも思う。
どんな時でも仙蔵は、楽しむ時には全力で、徹底的に遊ぶのだ。

それに、と食満は下女中に変化した仙蔵の姿を見遣る。
最低限にしか変化の術を施していない仙蔵は、体格や顔立ちなどはほぼ普段の人型に変化した時と変わらない。しかし、その仕草、表情、化粧、それらの要素全てが加われば、何処から見ても本物の女人にしか見えない。

仙蔵の変化姿を誰よりも見慣れているのだろう文次郎は一瞬で見破り、正体を明かした今では何やら顔を顰めているが、仙蔵のこういった変化姿を初めて見る食満は全く気付くことが出来なかった。

純粋な感嘆の意で持って仙蔵のその変化姿を眺めた食満に、仙蔵がくゆりと身をくねらせ食満にしな垂れかかり、怪しく目線を流して寄越す。


「ふふっ、久しぶりだな、お前のそんな素直な反応は。どうだ。気に行ったのなら、これからお前の前に現れる時はこの姿にしてやろうか。床を共にする直前までならば付き合ってやるぞ」

「んな!?」

「…おい」

慣れた仙蔵からのからかいの言葉であったが、その姿が普段と違う女人の変化姿であったからか、さっと食満の頬に朱が走る。
直ぐさま、低く不機嫌そうな文次郎の声が遮りにかかる。
そんな2人の反応に、今度は子供のようにくすくすと肩を揺らして笑いを溢し、仙蔵が身を離す。



「いい加減、話を進めたいんだが」

仙蔵が二人に向き合う位置に戻ったところで、文次郎が仕切り直しをする。


「分かった分かった。奥に作兵衛を休ませる為に取った部屋がある。話はそちらで、ゆっくり腰を落ち着けてからでいいだろう」

そう答え、仙蔵が再び袂で顔を隠し、女中の姿へと変化する。


「旅のお二人様。相部屋で申し訳ありませんが、お部屋までご案内させて頂きますので、どうぞこちらへ」

完全にした女中へとなりきった仙蔵が、二人を宿の中に向かって招き入れた。










「先輩!」

部屋に入った二人を、作兵衛が待っていた。
ボロボロの着物に、術が解けても未だ顔色の戻らない食満の様子を見て驚いたように腰をあげようとした作兵衛を食満が手で制し、作兵衛の隣に腰掛ける。


「大丈夫だ」

心配げに見上げてくる作兵衛に短く声を掛ける。
仙蔵から作兵衛は部屋で仮眠を取っていると聞いていたのだが、恐らく近付いてくる食満達の気配を感じて飛び起きたのだろう。
小袖や頭髪には寝乱れたのを直し損ねた跡があるし、食満の様子を窺う顔には疲労が色濃く残っている。


「怪我はなかったか?」

「はい。仙蔵さんががっちり警護して下さったので」

その代わりに鬼程こき使われました、とまでは言わずに作兵衛が答える。
言われずともその表情から察したのだろう。食満は久方ぶりに気を緩め笑みを浮かべると、自らの手に付いた血泥が作兵衛に移らないよう気をつけながら、ぽんとその頭に手を置いた。
労を労う食満の仕草に、居た堪れないような恥ずかしさと嬉しさに頬を染めて、作兵衛は俯いた。








「さて、皆揃ったところで、先ずは私達の話しを聞いてもらおうか。私達が里の老人たちから依頼された『捜し物』のことだ」

そう言って仙蔵と文次郎は、食満と作兵衛の前に向き合うようにして腰を下ろす。
作兵衛の頭から手を降ろし、食満が二人に向き直る。
作兵衛も、三人の様子に何かを感じたのか、顔を上げ口を引き結ぶ。





「半月と少し前。我々狐妖の中から、『血狂い』が出た」

「…『血狂い』?」

「人にとっては、『野狐』と呼んだ方が分かりやすいか」

聞き慣れない単語に眉を顰めた食満に続けて告げた仙蔵の『野狐』という言葉に、隣に座る作兵衛が肩を揺らして反応する。



「一般的に、人々は我々狐妖を『善狐』と『野狐』に分けて区別する。人に幸福をもたらすものを『善狐』、人に災いもたらすものを『野狐』という風に。両者は全く別の存在である、とな。しかし実際には違う。我々狐妖には善も悪もない。あるとすれば、それは仕えた主に因るものだ。だが、稀に我々の中から魂を狂わせるものが出る。多量の『血』に酔い、求め、彷徨う。同族も、他種族も、人も関係なく、只殺め、血を啜り、祟りを振りまく悪鬼となる」

淡々と仙蔵が言葉を紡ぐ。
紡ぐ言の葉に揺られるように、ゆるりと部屋を照らす燭台の灯りが揺れる。



「我々狐妖の慣習と上に立つ老人たちは、何より『面子』を重んじる。『血狂い』は老人達にとって狐妖の恥であり、面汚しだ。『血狂い』が出た際には、同族の内で始末すると決められている。しかし老人たちは腰が重い。呑気に話し合いなんぞをしている内に、そいつは人間の拝み屋だか修験者だかに払われてしまった」

仙蔵が、はぁと深く息をつく。


「別に、私からすれば手間が省け、被害が最小限に抑えられるというのなら、誰が払おうが問題はないだろうと思うのだが、老人たちにとってはそうもいかない。その上、その拝み屋だか修験者だかは、力はあっても、最後の詰めが甘かったらしい。『血狂い』の汚れた『四魂』と妖力は四肢と共に引き裂かれたが、滅される前にバラバラになって各地に逃げてしまった。そこで、これ以上の恥を上塗りする訳にはいかないと、文次郎と私に、逃げた四肢を追い、今度こそ欠片も残さず滅し切る仕事が回って来た。しかし、四肢は思ったよりも広範囲に散り逃げ続けていた。配分を考えずに力を使い続けた文次郎は鈍(なまくら)になり、そこで富松の力を借りた、という訳だ」

仙蔵が作兵衛に目をやる。
ぎゅっと、膝の上で手を握った作兵衛が何かを思い返しながら口を開く。


「…『あれ』が、元は二人と同じ狐妖だったなんて…信じられねぇです。あれは…何というか、只々おぞましくて、気持ち悪くて、どこか空っぽで。色んなものを何処かに落して来て、最後に悪意しか残らなかったみたいな。そんな感じでした」

「…やはり、お前の感覚は大したものだな。お前の言うとおりなのだろう。人や我々の霊魂を形作る『荒・幸・和・奇』の『四魂』は、血に狂い地に堕ちた瞬間に調和を失い、荒ぶる魂が他を喰い尽す。人と違ってそれを抑制する直霊を持たない我々妖は、人よりも簡単にそうなり易い。勿論、それは当人の意志の問題でもあるのだがな」

仙蔵の言葉に聞き入る作兵衛の隣で、食満がちらりと文次郎に目を遣る。
文次郎は、真っ直ぐに食満を見ていた。強い意思の籠った眼差しが、食満がそちらを向くのを待っていたかのように食満の視線を絡め捕った。その視線の意味を、食満は察する。しかし敢えて口にすることはしなかった。



「で、それをお前は作兵衛と一緒に捜し、処理してきたのだろう?それが、俺達の方の話とどう繋がる?」

文次郎から顔を逸らし、食満が仙蔵へと問う。
文次郎はあの屋敷で、倒れ伏す平太を指して『俺達が捜していたモノだ』と言った。
平太と、先の話の『血狂いの狐妖』が、どう繋がるというのか。


「文次郎と私は『両足』を。そして富松と共に『両手』を、そこまでは完全に私が滅して来た。しかし、各地に飛び散ったのはそれだけではなかった。一番厄介な部分、『頭』も払われずに何処かに逃げのび、見つからなかった。
只暴れまわるだけの四肢に比べ、『頭』には『血狂い』となった狐妖の知能が残っている。自らが逃げ延び、生き延びる為に必死に知恵を働かすだろう。
まずは時間稼ぎだ。より遠くに逃げのびる為の。今だから分かることだが、私達が始末した四肢は『頭』から注意を逸らす為の餌だったのだろう。
そして次には、失った妖力を取り戻すことだ。妖力さえあれば、消滅した四肢の代わりなど、いくらでも作れる。しかし、弱り切った状態では再び他者を害し血を啜り、力を得ることは難しい。
文次郎にも言ったのだが、一番手っ取り速く簡単な方法は、何か強い力を持った寄り代に乗り移ることだ。寄り代は失った四肢の代わりに自分を隠す蓑となる。その中で、ゆっくりと力を吸い取り蓄える。そうして、期が熟せば外に出る。そうなっても大丈夫なだけの力を取り戻している。
奴は、必死になって寄り代となるモノを捜しただろう。力を取り戻すには、一つでは足りない。数も揃い、出来れば質も良い。そんな絶好の餌場を求め彷徨い、そして奴は見つけた」


話の途中で言わんとすることを察した食満を押し留め、仙蔵が最後まで言い切った。
食満の顔から血の気が失せる。きつく拳を握り、その手で心臓を抑える。
文次郎へと目を向ける。文次郎は、再び真っ直ぐにそれを見返す。



「あいつは…、平太の寄り代の中には、『野狐』がいる」

文次郎が、確信を持って告げた。










食満が弾かれる様に膝を立て、立ちあがる。

「何処へ行く」

その行動を読んでいたのか、文次郎が手を伸ばし腕を取って引き留める。

「平太のところに決まってんだろう!!」


先の話の通りだとすれば、平太は『野狐』に取り憑かれている。

付喪神にとって寄り代とは、本体であり、命と力の源だ。
世界と自分を繋ぐ柱。自分をこの世界に生み出してくれた様々な人の思いの籠ったそれ。そんな大切な物の中に、異形のモノが住みつき、その命と力を啜っている。それがどれ程の不快であろうか、苦痛であろうか。
付喪神達との関わりの深い食満には、それを思い浮かべるだけで胸の中が焼けついてしまいそうだった。


あの古道具屋での怪異の始まり、一斉に壊れた道具達。
恐らく、はじめに『野狐』が店へと逃げ込んで来た時に、真っ先に目を付けられ犠牲となったのだろう。

たった一晩のうちに身の内を侵され、力を吸い尽され、次々に命果てていった。
そこに宿っていた付喪神はどうなっただろうか。本体と共に消滅出来ていたのならまだ良い。
だがもしも、帰る場所を失い、身を守る術を失い、正気を失い。『野狐』の気に当てられ、魑魅魍魎となって怪異を引き起こしていたのだとしたら。
神職の者によって場ごと清められた時、彼らの悲鳴を聞けたものは居たのだろうか。
そして、次にそうなるのは平太である。

せめて、せめて平太だけはそうなる前に。今の食満の頭にはそれしかない。
食満は自分を引き留める文次郎の手を力の限り振り払おうとする。


「結界はどうする!!今のままじゃ、お前はあの屋敷の中に入れんだろうが!!」

食満の腕をきつく握って離さない文次郎が、言い聞かせるように食満に言う。

「うるせえ分かってんだよ!!だから仙蔵お前も来い!!今すぐ俺をあの店まで連れて行け!!」

食満が、文次郎へと噛みつく勢いのまま仙蔵にも怒鳴りつける。
仙蔵は未だ畳に腰を下ろしたまま、暴れる食満とそれを押さえつける文次郎を冷厳な眼差しで見上げていた。


「勿論、協力はしよう。これは我々狐妖の身内がしでかしたことだ。だが、その前に落ち着け。私はお前達に見せたいものがあると言ってここに呼んだだろう。文次郎に話を聞いて、周囲を調べて見つけたのだ。それを先に見せたい」

「そんなの後でいい!!俺は今直ぐ行きたいんだ!!」

「平太に関することだ」

仙蔵の口から出た平太の名に、食満がぴくりと反応を示す。息を荒げた食満と仙蔵が睨みあう。





「…分かった」

仙蔵の凛とした眼差しを見つめ続けたことで、食満が僅かに落ち着きを取り戻した。
今にも部屋を飛び出そうとしていた食満の身体から力が抜けたのを感じ取り、文次郎が押さえつけていた手を離し、僅かに上がる息を抑え一つ大きく息を吐いた。仙蔵が、自分に従った食満の様子を見てくすりと笑う。
そんな三人の様子をはらはらとしながらどうすることも出来ずに見ていた作兵衛は、食満を支えに傍に駆け寄った。










食満達を引き連れて部屋を出た仙蔵は再び下女中の姿へと変装すると、ある部屋の前まで三人を連れて行き、一人部屋の中に入った。
部屋の中にいる人物と何やら小声で話をしているようだが、廊下で待つ三人のところまでその内容は聞きとれない。

冷たい板張りの廊下に下ろした素足の裏を、食満はもう一方の足に摺りつけた。
ちらちらと、横に並ぶ作兵衛が窺うような視線を向けてくるのを感じる。
先程はみっともないところを見せてしまった。
作兵衛から遠慮がちに送られてくる視線には、失望の色などは微塵もなく、只々食満を気遣う気配だけが滲んでいる。
それが有難くもあり、それ以上に情けなかった。
後で謝らなきゃな。食満はすっかりと冷えて落ちついた頭の中で考えた。


ちらりと、作兵衛とは反対の隣に並ぶ文次郎を見る。
腕を組み、壁に寄りかかった文次郎の組まれた隙間から覗く腕には、先程暴れた際に食満が引っ掻いた爪の跡が残っている。
食満の腕にも文次郎にきつく握りこまれた掌の跡が残っているのだが、元々の原因は自分が暴れたからだ。

…こっちにも謝るべきか。

自分に非があると分かっていても、そうすべきだと分かっていても、相手が相手であるからか、やはり作兵衛相手のように素直にそれを実行出来る気はしないが。
何となくもやもやとした気持ちで文次郎を盗み見ていれば、気配を察知した文次郎がこちらを見てきた。後々に引き摺るよりは今言ってしまおうかと、食満が口を開く。



「お前達、入ってきていいぞ」

しかしそこでまた丁度良く、仙蔵が部屋の戸を開き、廊下を覗いて声を掛けた。



「なんだ」

「…なんでもねぇよ」

発しそびれた謝罪を喉の奥に飲み込み、食満は部屋の中へと入った。










部屋の中には、仙蔵以外に二人の人間がいた。

仙蔵は戸の傍に立ち三人を部屋へと迎え入れる。

部屋の中央には、一組の布団が敷かれていた。小さな膨らみのあるそこには誰かが横になっているようだ。
その枕元に女性らしき人がこちらに横顔を向け座っている。
部屋に入って来た食満達に気付いたのだろう、振り返った女性は食満達を見上げ、人の良さそうな笑みを浮かべ頭を下げる。
丁寧で品のあるその仕草。さらりと、身体の動きに合わせて女性の長い黒髪が背を滑る。

ぱっと見て、女性の歳は四十の手前か頭くらいだろうか。
布団に横になる人物を気遣ってか、光量の落とされた燭台の灯りに照らされる顔は少し青白く、纏う空気は穏やかではあるが何処か弱々しくも感じられた。

そんな女性の様子から、ふと食満の頭に、昼間古道具屋で話を聞いたあの店主の顔が思い出される。



三人全員が部屋に入り仙蔵が戸を閉めたところで、女性が畳に手を付き深々と頭を下げた。

「私(わたくし)、下坂部小道具屋の店主の家内でございます。主人の御友人の方々という事で。わざわざこんなところまでお見舞いに来て頂きましたのに、このような姿でお出迎えも出来ず、申し訳ありません」

やはり、女性はあの古道具屋の店主の妻だった。
話し方やその雰囲気が、何処か似ている。

店主が店から避難させた者達の中には、従業員以外に自分の家族も含まれていたのだろう。店主の友人や見舞い云々というのは仙蔵が取り繕ったのか。こんな夜遅くに事前の話も見舞いの品もなく、そもそもボロボロの格好でなんて可笑しいことこの上ないのだが、店主の妻には少しも怪しむような様子はない。
もしかしたら、仙蔵が何かの術でも掛けているのだろうか。



「おかげさまで、こちらの宿に身を寄せさせて頂いてからは、少しずつ体調も回復しておりまして。平太も今は眠っておりますが、昼間は身体を起こせる程には元気になったのですよ。どうぞ、こちらに来て寝顔でも見てやって下さい」

店主の妻が、入口付近に立ったままの食満達に声を掛ける。
中へと促すその言葉に、しかし逆に食満の足が止まる。

そんな食満を置いて、文次郎が先に部屋の中へと進み出る。
店主の妻とは床を挟んで反対の位置へ進み、その床に横になる者の顔を見下ろした。

店主の妻には気取られないように、文次郎が食満へと目配せを送る。






「…平太」

文次郎の隣に進み出て、食満が見たもの。
それは、平太にそっくりな人の子供であった。

最後の時に、じんわりと涙を浮かべながら食満を見上げていた小さな瞳は、安らかな表情の中で閉じられていた。
食満が何度も撫でてやった細く柔らかい黒髪は、髷を解いて枕の上に広がっていた。
最後に見た、透き抜けてしまいそうに青白く生気のなかった肌は、若干の血色の悪さは残りつつも、十分に生気を感じられる肌色に戻っていた。


いや、違う。
食満は頭の中で首を振る。

この子供は平太ではない。『あの』平太ではない。


平太は付喪神だ。
生まれたばかりのはずの平太が、何故あんなにも完璧な人型をしていたか、今はっきりと分かった。
それは、この子供の姿を写していたからだ。
だとすれば。





「…こちらの平太君が、普段肌身離さず持っていたものや、特別大切にしていたものなどはありますか?」

唐突な食満の質問に、店主の妻は不思議そうに目を瞬かせながらも、少しの間悩んで答えた。


「えぇ…、この子は生まれつき少々身体の弱い子供でして、他の子供たちのように外に出て遊ぶことが出来ない分、私共が買い与えた室内遊び用の玩具などはどれも大切に扱っておりましたが、その中でも一番のお気に入りは…人形でしょうか」

「人形?」

「人形遊びなんて、女の子のようかもしれませんが…。
少し前に、諸国を旅しては珍しい品を仕入れてくる馴染みの業者が、平太も大層懐いていた方なのですが、わざわざ平太へのお土産にと、人形を仕入れて来て下さいまして。
珍しい男児の姿をした人形で、何でも名のある人形技師の方が作って下さったとか。災厄を身代わる呪い(まじない)と、平太の身体が丈夫になりますよう願も掛けて下さった品らしく、それを頂いてからは、四六時中共に傍に置いておりました」

「呪い…」

「…しかし、私共が揃って体調を崩してしまい、療治の為にこちらに身を寄せる際、屋敷に置き忘れてきてしまって…。何度も平太が取りに戻ると泣いたのですけれども、主人の言いつけで体調が戻るまで屋敷に戻ってはいけないと言い聞かされておりまして」

「…そうですか」

店主の妻の話を聞き、食満が顔を下げる。





「こちらに移られてから、体調の悪化等は診られないので?」

黙り込んだ食満に変わり、文次郎が質問を繋ぐ。


「ここでお世話になるようになったのは丁度五日程前からなのですが、悪化の一路だった平太の体調も、屋敷を離れた途端に持ち直しまして。私も、日ごとに身体が軽くなって」

「…それは不思議なことで」

「えぇ。もしかしたら、平太の大切にしていた人形が本当に身代わりとなってくれたのかもしれませんね。もう少し体調が戻りましたら主人の手伝いの為に屋敷に戻りますので、その時には長く置き去りにしてしまった分、しっかりと手入れをしましょうと、平太とも話をしておりましたの」












それから店主の妻と二三言葉を交わし、夜分に訪問した非礼を詫びて四人は退室した。



「文次郎」

部屋を出て、足を止めた食満は背を向けたまま文次郎を呼ぶ。


「平太の本体、あの時の人形だな」

「だろうな」

二人を襲った渦が消えた時、平太が腕に抱えていた人形。
それが平太の本体。そして『野狐』の隠れ蓑なのだろう。


「仙蔵」

「もう引き留めはせんぞ。私に出来ることならば、手を貸そう」

仙蔵の言葉に、食満がこくりと頷きを返す。


「作兵衛」

「は、はい!」

三人の背を追う作兵衛を振り返り、食満がその肩に手を置く。


「ここに残ってくれるか?」

食満の頼みに、一瞬息を飲んだ作平衛は、すぐに勢いよく首を振った。


「…いえ、お供させて下さい!!」

「そうか…」

食満が、作兵衛の背をぽんと叩く。


「大丈夫だ。富松は私が守ってやろう。今日の道中、散々私を楽しませてくれた礼だ」

するりと、いつの間にか横に並んだ仙蔵が作兵衛の首に腕を回す。





「よし」

ぱしりと、食満が拳を掌で受け止める。

今もあの屋敷で、身の内を異形に食い荒らされながら、一人で屋敷と家人を守っている平太を想う。

あんな小さな身体で、自らを生み出してくれた家人達だけでなく、食満や文次郎までも守ってくれた平太。
恐らく平太は、食満達が再び屋敷に戻ってくることは望んではいないだろう。その為の結界だ。

だが、戻る。今度こそ。平太を守り、救い出すのは自分たちの番だ。



「『野狐』の阿呆野郎、ぶっ飛ばす!!」


















誰もいない屋敷の座敷の一室で、平太は小さく身を縮め、横たわっていた。

胸に人形を抱きよせ、誰の目にも触れないように、その細い腕で囲んで隠す。

人形を抱く両の手には、朱色の鶯の姿が彫り込まれた小さな笛と、ここに来る途中に廊下で拾った食満の上張を握っていた。



平太は、上張に顔を寄せ目を閉じた。
その腕の中で、人形の桐塑で出来た肌に小さな亀裂が広がっていく。









あとがき
解説中心の話となってしまいましたが、やっと今までのアレコレとお話を繋げられました!(繋がって…ますよね)
オリジナル設定やオリキャラ、キャラ崩壊など凄まじいですが、もう気にしないことにしました!
まだ解説の出てきていないところは、残りのお話の中で出てくるか、次章以降での解説になるかと思います。
1章も残り二話!頑張って更新しますので、最後までお付き合いよろしくお願いします。



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