▼ 『逃げ水を追う.3』(10000hit感謝企画) 「…幾つか間違いがあるようだから、訂正させてもらうよ」 真摯な眼差しで伊作を見据える文次郎を。 そしてその懐から眼前へと出された銭の入った小袋、求める情報を持つのならばそれを買い取るという文次郎の意思を見遣り、笑みを潜めた伊作は言った。 「僕は表も裏もなく、何処から見ても只の薬師だよ。それ以外の商いで銭を取ったことなんてない。 君の言う通りここは交通の便の良いところだし学園も近いしで、良く学園関係者や君のような卒業生達が立ち寄ってくれる。で、そういう子らには任務の最中やちょっとした訳ありで一般の宿には泊まれないという事情を持った子もいるから、僕の長屋を宿として貸し出している。その際に、ちょっとした言伝を頼まれることもある。僕はそれを伝えるだけだ」 「まぁ、そういった経緯で、周辺の治安状況、流通の流れ、ある個人の事情など、僕が見聞きして頭の中に留めているモノは多い方だろうね。けれど、それは商品じゃない。僕を信頼して皆が話してくれたモノだ。金なんかを積まれたところで、簡単に口になんて出来ない」 「最後にもう二つ。留三郎は『親友だった』んじゃない。昔も今も僕らは無二の友で、大切な人さ。そして、留三郎のことで僕が知らないことはほぼ無い。けれど、留三郎のことで僕が君に話せることは全く無いよ」 口を挟む隙も無くそう言い切り、伊作は立ち上がる。 「待て!」 そのまま奥へと下がろうとした伊作の手首を取り、文次郎は引き止める。 声を張り上げる文次郎に対して、それを見返す伊作の瞳は興味を失ったかのように冷えていた。 「…まだ何か?」 一瞬にして硬化した伊作の態度。 それは、食満に関する問掛けをする以前と今とでは、がらりと変わっていた。 淡々としながら、何処か怒りを押さえ込んでいるかのようなそれに。 いつも穏やか過ぎる程に穏やかであった印象の強い男の剣呑な空気に、思わず文次郎は怯みかける。 「何故そうも頑なに口を閉ざす?伊作、お前知ってるんだろう。あいつが俺と会ったこと。俺に…あいつが言ったこと」 しかし、ここで伊作に逃げられる訳にはいかないと、怪訝に眉を顰めながらも文次郎は言葉を続ける。 学園時代、誰よりも食満に近かった伊作ならば、今も食満との繋がりがあるかもしれない。そう考えて今日ここを訪れた文次郎の思惑は、先程の伊作の言葉からも確認できた通り外れていなかった。 そして伊作と食満程の親密さ、文次郎の訪問の理由を察していたかのような先の態度からも確信した。 伊作は知っている。 文次郎と食満は、数日前に一度再会していることを。 その時に、食満が文次郎へと想いをつげたことを。 その事に関係して、今文次郎は食満を探していることを。 それなのに、何故伊作は食満のことを知ろうとする文次郎を拒むのか。 「…逃げ水を」 逃がすまいと捉えながら問い詰めてくる文次郎の様子を、そこから何かを見定めるようにじっと見返していた伊作が、不意に低く呟く。 「…何?」 「君は、逃げ水を追いかけたことはある?」 聞き返す文次郎に対して、伊作がそう問いを続ける。 「…存在しもしないものを追いかけることに何の意味がある」 自身の問い掛けに答えを得られず、逆に唐突に不可解な問いを投げられたことに憮然としながら文次郎が答える。 文次郎の答えに、伊作はふと笑みを溢す。 「本当に君は変わらないね。だからそのままでいていいんだよ。今更、調子よく留三郎の想いに応えようとなんてしないで。あの頃には、気付こうとも、振り返ろうともしなかったんだから。今だってそのまま君の『目標』だけを目指して歩いていればいいんだよ」 穏やかに言い聞かせるかのような伊作の言葉。 けれど、的確に急所に向かって針を打ち込むようなその言葉に、文次郎の動きが止まる。 そして、その隙をついて伊作が手首を捉えていた文次郎の手を振り払う。 おい、と追い縋る間もなく、伊作は店の奥へと踵を返した。 「でも、今のは僕の考え。僕は君に何も話さないけれど、それでも君が留三郎を探すというのなら止めないよ。 ただ言っておくけれど、留三郎を探すのはきっと大変だよ。フリーの忍びなんて何処かの城に雇われている忍びよりもずっと痕跡を追いにくい上に、今の留三郎の忍びとしての腕は君並かそれ以上だ。 それと、これだけは伝えておく。留三郎はもう二度と君に会う気はないし、君に抱いていた想いというのもこれを気に捨て去るつもりだ。それでも留三郎を探すというのなら。留三郎に何か伝えたいことがあるというのなら」 「…君も実感してみるといい。存在しないものを追いかけるというのが、どんな気持ちなのかということを」 そう最後に言い残し、文次郎を置いて伊作は奥へと消えた。 +++++++++ ここで一旦終わり。 今回(毎回?)、伊作さんは文次郎さんを苛める役です。 文次郎さんが色々考え吹っ切れるためにも苛め役は必要だなぁ、ということでこうなりました。 弁解させて頂くと、伊作さんは決して文次郎さんを嫌っている訳ではありませんので! 文次郎さんも伊作さんの中では大切な友人ですが、食満先輩はまた別格で、学生時代から十年間の食満先輩のあれこれも知っているだけに、文次郎さんの本気を見定めようとして〜の、こんな感じなのです。 本編の中でしっかりと描写できず、申し訳ありません…。 続き頑張ります! 2012/10/04 21:05 |
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