▼ 『逃げ水を追う.2』(10000hit感謝企画) 忍術学園から程近い、ある山裾の町の中。 『薬種』の二字が大きく書き込まれた看板をぶら下げる、一軒の薬種問屋。 「…わぁ、これはこれは、随分と久しい顔だ」 その問屋の暖簾を潜り店の中へと顔を出した文次郎を出迎えたのは、薬師姿の伊作だった。 「聞いてるよ。忍術学園の教師になったんだってね。凄いなぁ。君の夢にまた一歩近付いたじゃないか」 幾種もの薬草の香りを纏わせて、忍服とは違うゆったりとした着物と羽織を着こんで、十年前から変わらぬお人よしな笑みを浮べて。 上がり框へ腰を下ろした文次郎の隣に慣れた仕草で膝をついた伊作が、熱い茶の入った湯のみを差し出す。 「…夢じゃない」 学園で共に過ごしていた頃の習慣で、受け取った湯飲みの中身の色や臭いを先ず確認してから、文次郎はそれを口へと運ぶ。 「ああ、『目標』ね。相変わらず『夢』という言葉が嫌いなのかい?」 「あやふやで不確かなものを差す言葉で、志す先を表現したくないだけだ」 「…ホント、君はいつまで経っても変わらないねぇ」 そう言って苦笑してみせた伊作は、文次郎の隣へと腰を下ろした。 現在、伊作は忍びを引退し、この町で薬師として働いていた。 学園を卒業した後、伊作は在学当時から頻繁に勧誘を受けていたタゾガレドキの城に、医療忍者として就職をした。 けれど、怪我人を見つければそれが敵であっても放っておくことが出来ない生来の気質と、相変わらずの不運体質のせいで、就職後早々に助けた敵忍に傷を負わされ、伊作は忍として働くことの出来ない身体となった。 それでも、伊作は自身をタソガレドキへと勧誘した張本人であるタソガレドキ忍軍組頭の要請を受けて数年の間は城控えの救護班員として仕え続け、そうして現在、忍びとして使い物にならなくなってからも身を置かせてくれたタソガレドキへの恩義も返し終わり、城からも忍軍からも離れ、忍術学園に程近いこの町に一人居を構えているのだ。 そんな伊作の現状に至るまでのいきさつを、文次郎は人伝に耳にしていた。 伊作自身からも文を貰い、良ければ一度遊びに来てくれと誘いを受けたこともあった。 けれど、こうしてわざわざ足を運びその様子を窺いに来たのは初めてで、卒業の別れの日から十年ぶりのことであった。 「それで、今日は一体どうしたんだい?薬を所望ならば、先ずは医師からの処方箋を。無いのならば僕自身が触診してもいいけれど…何処か身体に具合の悪いところがあるようには見えないね」 医術を生業とする者の目付きで文次郎の全身にさっと視線を走らせ検分した伊作は、けれどその何処にも不調の兆候を見付けることが出来ず首を傾げる。 「君に限って、用も無くふらりと立ち寄ったなどということはないだろう?」 僕が文を送っても会いにはきてくれなかった忙しい君だものね、と。 ニコニコと笑みを浮べながらそう続けた。 多分な嫌味要素を含ませながらも、表面上は爽やかにしか見えない伊作の笑みに 「…あの時は悪かった」 学生時代、個人的な私闘による怪我をこさえて保健室で治療を受けるたびに、長文の小言と共に見せ付けられていたのと変わらぬ伊作のその笑みには、印象の刷り込み効果とでも言うか、見るだけでのあの頃の罰の悪さを思い出される。 忍び働きの忙しさや鍛錬を言い訳に、折角の旧友からの誘いを無碍にしたとの自覚もある文次郎は、素直に謝罪した。 珍しく神妙な文次郎の謝罪に、伊作は「冗談だよ」と言って、密かな威圧感のあった笑みをころりと変えて、穏やかに笑って見せた。 「君の身に大事がないのならいいんだよ。僕以外の誰にも君からの連絡は無くとも、君らしき人の評判ならばたくさん耳にした。それが僕らにとっては文の代わりみたいなものだから。それでもせめて…と思ってしまうのは、僕の我儘でしかないからね」 伊作の言う通り、文次郎はこの十年の間、学園での友人、知人と個人的な連絡を殆ど取ってはこなかった。 それは意識的に。敢えてのことだった。 その理由は、先程も言ったように仕えた先での忍び働きに追われ、その他の時間の多くを自身の鍛錬に注いでいたからというのが建前で 忍びとしてまだまだ未熟な自身の心が、学園での温かな記憶に縋り、逃げ道としてしまうのを防ぐ為というのが本音だった。 決して、学園での記憶、手に入れた繋がりを疎んじ切り捨てようとしていた訳ではなく。 その逆で、決して手放せない己の芯となる部分を得た場所であるからこそ、そこで手に入れたモノに見合うだけのモノを手に入れてから、胸を張って顔向けをしたかったからこそ。 そうして、その実感を得ることが出来たから、今、文次郎は教員として学園に戻っているのだ。 けれど、今になって文次郎は、己の事しか見ていなかったが為のそうした今までの自分の行いを少し後悔している。 それは今伊作がぼやいたような旧友達の憂虞を、今更になって知ったという申し訳なさ。 そして、自分から敢えて薄めた繋がり。その繋がる糸の先で知らぬ間にも移り変わっていた状況、それらに対する自身の情報量の不足に対して。 そしてその後者が原因で、今現在の文次郎は難局に立たされているからだ。 「…今日は、お前に訊ねたいことがあって来た」 中身を飲み干した湯飲みを下に置き、文次郎は漸く本題を切り出す。 「へぇ。それはもしかして、留三郎に関することかな?」 突然の切り出しであった文次郎の言葉に、変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたまま、あっさりと伊作はそう返した。 もしかして、と可能性を示唆する言葉を付け足しながらもほぼ確信に近い。まるでそう言い出すことが初めから分かっていたかのような自然なその返し。 けれど、文次郎もまたそんな伊作の返答に驚くでも怯むでもなく、自身が腰掛ける上がり框へと片膝を乗り上げ、身体ごと正面から伊作に向き合う。 「お前は表向きは只の薬師だが、裏では情報を商いとして扱っていると聞いた。学園から程近く、他の地方へと繋がる道が多く近接するこの地で、特に学園を出た者達の情報交換の仲立ちになっているとも。元居た城とも多少の繋がりが残っているとも。…それならば知っているだろう。お前の親友だったあいつは、食満留三郎は、今何処にいる?」 +++ ちょっと短いですが、ここで区切り。 前回、『次の次で終わり』と書いたのですが、もうちょっと伸びるかもです。 相変わらずの計画性の無さで申し訳ありません。 短く、ぽんぽんと更新して一、二週間以内に完結→まとめアップ、と出来るよう頑張りたいです。 2012/10/01 23:19 |
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