『逃げ水を追う.1』(10000hit感謝企画)


芽吹いたばかりの新芽が連なる木々の様子をぼんやりと眺めながら、二人話をした。



お互いの身の上を理解しているが為に、殆どは他愛のない話や共通の知人の情報ばかりではあったが。
この学園の門を潜り、皆がそれぞれの道へと旅立ったあの日から今日までの、十年の間の話を。
自分達にしては随分と長く、穏やかに言葉を交わしていた。



その合間合間で、ふと何気なく隣でしゃべり続ける男を見遣った時に
何故か、妙に胸がざわつくような感覚を覚える瞬間があった。

記憶に残る形から随分と印象の変わったその姿、その声に。
それらは、こんな風に染み込むようにゆったりと、目に耳に響くものだっただろうか?、と。
それらは、こんなにも印象深く自分の心を揺らすものだっただろうか?、と。
疑問に思いながらも、その理由を自身と相手に問い掛ける言葉も見つけられず、ただ穏やかに時は過ぎていった。





そうして時が来て、奴が腰を上げる。

帰るのか、と訊ねれば
何かと忙しい身なんでな、と自慢するように笑みを見せられた。



折角の再会の場。そして再びの別れの時。
何か言葉を掛けようかと口を開けば

「お前とまた、こうして話すことが出来るなど、夢にも思っていなかった」

と、奴の方が先に言った。



それはこちらも同じだと、言葉を返した。

幸運と偶然が重なっての再会。
大層驚かされはしたが、けれど決して気分の悪いものではないな、とそう口にして伝えてやれば

俺もだと、奴は笑い
そして、笑いながらふと目を伏せた。



暫しの沈黙が挟まり



「…こんなことは二度と無いのだろうと思う。だから、これが潮時だということなのだろうと思う」



そう言って、奴はまたこちらを見た。

笑みを消し、表情を消し、只真っ直ぐにこちらに向かう真剣さだけが突き刺さるその眼差しは、誰より多く対峙し合っていたあの頃と、十年の年月を経ていても、何一つ変わりがなかった。





「俺は…」









+++



キンッと。
小さな手から放たれた手裏剣が、小気味よい程に的を外れて塀に辺り跳ね返る音で、文次郎は我に返る。

「バカタレィ!もっとしっかり的を狙わんか!」

気を散らしていた自分への叱咤の意味も込めて、声を張り上げる。
文次郎の怒声にぴゃっと肩を竦めた子供たちは、「はい!!」と威勢の良い返事と共に気を引き締め手裏剣を握り直すと、再び的への投擲練習を再開する。

けれど、気を引き締め直したところで、的に掠るのは十投げて二つか三つ。
てんでバラバラなその手裏剣の軌道と、子供たちの何処かあやふやな投擲体勢。
そして、これでも実は先日よりも随分とマシになった方だという事実に、子供たちの様子を観察しながら、この先の道程の長さに想いを馳せて、文次郎は痛む頭を押さえた。





文次郎の頭痛と子供たちの集中力に限界が来た頃合で、授業終了を知らせる鐘が鳴り響く。

ぴたりと動きを止めて、一斉にこちらを見上げてくる子供たちの大きな瞳。
期待に輝くその瞳の正直さに呆れた息を吐きながらも、望み通りに文次郎は授業終了を告げてやる。

途端、蜘蛛の子を散らすかのように方々へ元気良く駆けて行く子供たち。
ちゃんと後片付けをしていけと怒鳴りかけて、駆けて行く子らの手の中にはきちんと今日の授業で使った手裏剣が仕舞われた木箱があることに気付く。
全く、こういう時の手際だけは一流なのだから侮れない。

がしがしと頭を掻いて、今日の授業の内容を記入する日誌を手に自分もこの場を去ろうかと踵を返せば



「「「潮江先生ー!」」」

この場に残っていた数人の生徒が、声を揃えて駆け寄ってくる。



「どうした?」

狭い空間に犇く様に身を寄せてこちらを見上げてくる子供たち。
仲の良さの現れであるその距離感に、自分が生徒として在学していた当時、常に学園内での揉め事厄介事の中心にいた、最下級生の三人組のことをふと思い出す。
この子らも、あの頃の彼らと同じ学年、学級であるからだろうか。



「先生、どうかしたの?」

一人の子供が、首を傾げ訊ねてくる。


「何がだ?」

文次郎が聞き返す。


「何か…さっき変だった。ぼーっとして」

「うん。ぼーっと、何か見てたみたいだった」

「何かっていうか、誰か?ねぇ、先生誰見てたの?」

文次郎の問い返しに、初めに問い掛けてきた子供が言葉を選ぶように少し悩んでそう告げると、残る子らも次々と指摘を重ねてくる。





子供たちの思わぬ指摘に、文次郎は言葉を飲み込む。

何でもないから大丈夫だと、文次郎は子供たちに言い聞かせた。
素直な子供たちは文次郎の言葉を信じ、先生が大丈夫ならいいと、先に行った子供たちを追いかける。

先生またね、と元気に声を張り上げ手を振る子供たちに手を振り替えし、文次郎もまた今度こそ踵を返す。



教師としては不適切であろう、授業中に意識を逸らしていた文次郎の心配をしてくれる子供たち。
その気遣いを有り難く、すまないと思うと同時に、子供ゆえの敏さで変調を見抜くその目に少し肝を冷やした。

こんな事ではいけないと、一人長屋へと戻る廊下を歩きながら文次郎は首を振る。





けれど、そうやって気を入れ直してみても。
気が付けば思考はまた、数日前のある出来事の回想へと引き込まれていた。

+++



数日前。
この忍術学園で、文次郎はある男と十年ぶりの再会を果たした。
そして、その男は別れ際にある言葉を残していった。

その言葉が、その時の男の顔と共に文次郎の頭の中から離れない。



(忘れてくれ)

奴は確かそう言った。
自分が今告げた言葉など覚えていなくていいと。


文次郎とて、そのつもりだった。

けれど、記憶の回想は止まらない。


何度も、何度も。飽きることなく、褪せることなく。
気が付けば、いつでも、何処に居ても。

それは、まるで忘れるのを拒むかのように。
文次郎は脳は、あの時、食満留三郎に告げられた言葉を、その時のやり取り全てと共に鮮明に思い返してしまう。








「…何をやってんだ、俺は」

足を止め、文次郎は小さく口に出してぼやく。

今もまた、文次郎の頭には、あの時の食満の姿が浮かんでいた。
自分の言葉だけを告げて、こちらの返事も待たず、別れの言葉も残さず去った後姿を思い返していた。


そうしている内に文次郎が辿り着いてしまったのは、生徒達の長屋の前だった。



今日の授業の全てを終えて、自室のある教員用の長屋の方へと向かっていた筈なのに。
いつの間に、何でこんな所に、と文次郎は今来た道を引き返そうとする。

けれど、振り返った瞬間に脇を駆け抜けた一人の子供の背に。
ほんの一瞬、別の誰かの姿が重なった。

思わず追い縋るようにその姿を目で追う。
けれど、文次郎に気付いて振り返り、ぺこりと会釈と共に挨拶をして再び掛けて行った生徒は、文次郎とは面識の無い他学年の一般生徒だった。





俺は何を考えているのか。
困惑して、文次郎は強く目を閉じる。

今は、ここは、あの頃から十年も経った場所だと、頭の中で言い聞かせる。


けれど、強く言い聞かせようとすればするほどに、文次郎の頭の中にはあの頃の、自分達が学生として在校していた時の喧騒が蘇ってくる。

中にいる教師や生徒の顔ぶれは変われど。
自分自身の姿や立場は変われど。
それを包み込むこの学園の風景は変わらない。

そのせいで、五感全てに深く馴染んだこの学園の至るところが、文次郎の記憶を呼び戻す鍵になる。


決算の前になると必ずと言っていいほどに怒鳴り込みを掛けて来た奴を迎え撃った会計室。
周囲に被害を出さぬようにと、口喧嘩が激しさを増すと共に飛び出て、どちらかが倒れこむまで殴り合った学園の庭。
その後、毎度のように引き摺り連れ込まれ、長々とした説教と共に二人並んで治療を受けた保健室。

数日前から、文次郎の足は気付けばその何処かに向いていた。
そうして、目で追うのだ。そこにいつも居た者の姿を。
そうして、思い返すのだ。その時の相手の様子を。



(俺は)

あの時、食満に告げられた言葉がまた耳に響いてくる。


(お前とこの学園で過ごしていたあの頃から、今も変わらず)

ここに残るのは、記憶だけだ。
けれど、奴が密かに抱いていたという感情など知りもしなければ考えもしなかった文次郎の記憶には、ただ自分といがみ合う顔や、殴り合った手応え、実力を競い合った充足感しか残っていない。
告げられた言葉を実感する為の証拠になるものなど、時の流れたこの場所では見つけられない。


(お前を好いていた)

そんな事を今更告げられて、一体どうすればいいというのか。








++++++++++


一話終了。

このお話は、次の次くらいで終わります。



「やがて〜」を書いた時に、「食満先輩のぽろり告白シーンを読みたい」という有り難い御言葉を頂いて
それからずっと、単独のお話にするつもりで何度か挑戦していたのですがどうも上手く表現できず、結局別のお話の中に混ぜるという感じになってしまいました…
ごめんなさい!(´Д⊂


次から多分、ふっきれ文次郎さんの追跡が始まります。


2012/09/29 00:30



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