▼ 妄想って素晴らしい おかわり(二杯目) 相変わらずの馬鹿だ、あいつは。 リビングを出て、自室へと向かう廊下を歩きながら文次郎は思う。 食満がいつも女に振られる理由。 そんなものは簡単だ。食満は、無理をして女と付き合っているからだ。 食満の交際が始まるきっかけはいつも同じ。元々大して意識もしていなかった相手と、告白をされたからと付き合い始める。そして、相手の気持ちに応えねばと自分も相手の事を好きなのだと思い込もうとする。 『彼氏』としての食満は、相手の望みを叶えて、希望を受け入れ、自分から何かを要求することはなく、自分の意見は押し付けない。 それは一見、『理想の彼氏』の姿として周囲には見えるだろう。 けれどそんなものは只の上っ面だけだと、己を取り巻く人間、特に男の感情の機微にやたらと敏い女達が気付かない筈がない。 本心から、食満は自分を好いていない。 傷つけまいと気を遣い、自分を押さえ込んでいるだけ。 そのくせ心の奥底では相手を受け入れることが出来ていないから、真の意味で特別な関係への一歩を踏み込んではこないし、踏み込ませもしない。 そんな関係に、女達が虚しさや苛立ちを感じない筈がない。 だから食満は女に振られる。女がそれに気付き、我慢が出来なくなった時点で。 その理由を食満は自覚していない。 『頑張ったのに』と、先程食満は言った。けれど、『頑張らなければ』続けていくことの出来ない交際などに、続けていく意味はないのだということが、食満には分かっていない。 食満はきっと誰かにに指摘をされるまで、その理由に気付く事はないのだろう。だから文次郎はそれを訊ねられても「自分が知るか」としらを切り、口を閉ざし続ける。 それは文次郎の望みの為。文次郎自身の願いの為。 それにも食満は気付かない。 だからあいつは、馬鹿なんだ。 ++++++++ 薄手のタオルケットを手に文次郎がリビングへと戻った時、食満は完璧にソファーの上で潰れていた。 歩み寄り、無防備に仰向くその顔を何度か小突く。 むにゃむにゃと何とも聞き取り難い言葉が返ってきただけで、食満は起きなかった。 仕方が無く持ってきたタオルケットを身体の上へと掛ける。 だらりとソファーからはみ出た手に握られていた酒の缶を中身が毀れる前に取り、エアコンの風量とスイングを調整する。そうして、床上に座り込む。位置的には先程までとは逆だ。 食満が敷いていたクッションに座り、食満が占領するソファーへと背を預ける。ソファーからはみ出た食満の手が、文次郎の肩に触れそうで触れない、そんな位置で制止している。 その手から取った、食満の飲みかけの缶。殆ど中身の残っていないそれを、ぐいと煽る。 一口程でなくなったそれ。口元から離し、手の中で遊ばせながらぼんやりと眺める。気まぐれにほんの少し力を込めれば、パキンとよく響く音を立てて側面が凹んだ。 歪な形になった缶を、無数の缶が転がるテーブルの上へと置く。新しい酒に手をつけようかと少し考え、結局何も取らずに手を引き戻した。 深く溜め込んでいた息を、文次郎はゆっくりと吐き出す。そうして身体の力を抜き、沈み込むように背をソファーへと預けた。 「毎度こうやって酔い潰れるくらいなら、女と付き合うのなんかやめちまえ…」 眠りの中にある食満の耳には届かぬと知っていて、文次郎は呟いた。 これは文次郎の本心だった。 けれど、ほんの少しの嘘も交じっていた。 文次郎は、食満から新しい交際相手が出来たという報告がある度に 『その交際が上手くいかぬよう』『早く別れが訪れるよう』に願っている。 けれど、その願いの通りに食満と相手との間に別れが訪れた時には 『また同じ事を繰り返せばいい』とも願っていた。 そうすればいつか食満は異性と付き合うということ事態を忌避するようになるのではないか、という希望的観測からだった。 友人という立場でありながらそんな願いを抱くというのは、『最低』だと。助言を与えられる立場にありながら敢えて黙秘を続け同じ失敗を願うのは、『卑怯』だと。文次郎の真意をもしも知る者がいたのならそう詰るだろうし、文次郎自身が自覚もしていた。 理性では分かっていた。 今の食満は必死なのだ。 今まで依存してきた伊作という壁を失い、自分自身の力で人間関係を築こうと。その為に周囲からはみ出まいと、合わせようとして、好意を持ってくれた人間には好意を持って返そうと。そうしなければならないのだと。 食満がそんな行動を取るようになったきっかけを作ったのは、他の誰でもない文次郎なのだ。だからこそ、何より、誰よりも文次郎が理解している。 けれど、それでも願ってしまうのだからしょうがない。 食満が再び誰かに依存するようになれば、と。 その誰かが自分であれば、などと。 漸く、伊作という最大の壁を引き剥がせたのだ。 今というチャンスを狙わずどうすると、理性を抑え本心が膨れ上がる。 だから文次郎は、開き直ることにした。 食満の交際が長く続かない理由は、食満自身の欠点のせいだ。 愚かなのは、食満の上辺だけを見て全てを知った気になり、簡単に想いを告げたりする女達だ。 自分は何もしていない。ただ傍観しているだけだ、と。 文次郎は理解している。 今の食満には、誰か特定の一人を、唯一の特別として心の中に留め置く余裕などない。 今の食満の心は、誰にでも与える友愛という種類の愛情以外を受け入れない。 だから文次郎は、まだ想いを告げない。 文次郎は、食満にとってのその他大勢の友人の中に紛れるつもりも、今まで食満に想いを告げて散った女達のように虚しい心配りを受けるつもりもない。 文次郎は、ただ食満の全てが欲しい。 それを手に入れる為に、今は何も行動しないと決めた。 こうして女に振られる度に自棄になって酒を煽る食満に付き合う度に、傷付き落ち込むその姿を見る度に心にじくじくと響く苦しさからは目を逸らし、助言も手を差し伸べることもしない代わりに、優しい素振りで付け込むこともしない。そう、決めたのだ。 ++++++++++ 「んあ?」 暫く経って、随分と間抜けな声が食満から上がった。 目覚めたのかと後を振り向けば、ごしごしと目元を両手で擦る食満の姿が目に入る。 「やめとけ。腫れるぞ」 「あぁー……。俺、寝てた?」 言葉で制止すれば目を擦る食満の手は止まったが、返ってきた言葉は先の文次郎の言葉には繋がっていない。 どれくらい寝てた?と、食満が問うてくるので、文次郎は携帯を開き、大凡の経過時間と、ついでに現在の時刻を伝えた。 二人きりでの酒宴が始まってからも結構な時間が経っていることを知り、食満が起き上がろうとする。 「寝とけ。どうせ歩けんだろう」 文次郎がそう言ってやれば、億劫そうに上体を起こした食満は、あぁー…と、返事なのか唸りなのかよく分からない声を返してきた。 「…喉乾いた。酒くれ」 寝起きのせいか酒のせいか、少し腫れぼったくはっきりと開かない目を瞬かせ、食満が掠れた声で迎え酒を要求する。 「バカタレ。水飲め、水」 文次郎は、差し出される手を跳ね除ける。 手近なテーブルの上には食満の買い込んできた酒類しか飲み物は無く、今の食満は恐らく足腰が立たない。 仕方が無いと、文次郎は水を取りに立ち上がろうとした。 けれどそれを遮り、食満が身を乗り出してきた。 不安定なソファーの淵へと手を掛け、酒の乗ったテーブルへと反対の手を伸ばす。 「お前、危なっ…!」 文次郎が危険を察知し食満の身体をソファーへと押し返そうとした時には既に遅く、ふらつく自分の身体を支える力もなかった食満の手がソファーの淵からずり落ちる。 そのままぐらりと大きく傾いてく食満の身体に、文次郎は咄嗟に手を伸ばした。 ごん、という固い音。 べちゃり、という生身の肉を打ち付けるような音。 そして、ガチャリガラガラという何かが倒れ転がるような音が同時に鳴り響く。 「…てめぇ…」 ソファーから転がり落ちた食満を抱きとめ、その反動で床に転がり後頭部を打った文次郎は、痛みを受け流すのに暫しの時間を要した後、青筋立てて腕の中の食満を睨みつけた。 「いってー!!びっくりしたー!!すっげいてー!!」 文次郎の上に上体で圧し掛かっている食満は、射抜くような文次郎の視線を受けているにも関わらず、けらけらと笑い声を上げていた。あと少しで硬質なテーブルの淵に身体を打ち付けるところだったというのに。文次郎に抱きとめられているという現状にも気付いていないのか。 受け止められなかった下半身はモロに床に打ちつけ、鳴り響いた音の通りにかなりの痛みが走った筈だが、酔いのせいでそれも感じていないのかもしれない。 「…重い。さっさと降りろ、留三郎」 文次郎は、咄嗟に抱きとめてから食満の身体に回したままだった腕を離した。 文句は山のようにあった。 けれど、未だ酔っ払い状態の食満に言ったところで全て無駄であると諦めた。 それよりも、今のこの状態は不味かった。 形だけを見れば、押し倒されたような。抱き合うような。 そのな至近距離で密着して食満と触れ合うことは、文次郎の心情的に、理性的に、身体的に、色々と耐え難いものがあった。 +++++++ すいません。すっっごい半端ですがここで一回締めます。(眠気MAX) 明日(今日)の仕事の間に、何とか続き思い出して夜には完成させます_ノフ○ 2012/09/09 23:13 |
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