妄想って素晴らしい おかわり







「飲むぞ」

と、突然に。
ビニール袋一杯に詰め込まれた酒を手土産に食満がやってきたのは、ある休日の真昼間だった。








「…」

甘ったるい味が舌に残る、アルコール度数の低い缶チューハイをちびちびと煽りながら、部屋に唯一のソファーに腰掛けた文次郎は先程からずっと、食満の旋毛を見下ろしていた。

その手元にある缶を煽るたびに、小さく前後へと揺れる食満の頭髪。
適当な長さで切り揃えられて、黒々として艶のあるそれは、きっと指を通せば柔らかく手触りがよいのだろうと。
思い浮かべると共に無意識に手を伸ばしたくなる衝動を、先程から何度も堪えている。


「…飲み終わったのか?」

そんな文次郎の視線を感じ取ったのか、食満が振り仰ぎ、文次郎を見上げてくる。
適度にペースを抑え、意図的にアルコール度数の低い酒を選び飲んでいる文次郎とは違い、対して酒に強くもないのに、手当たり次第に目に留まる缶に手を付け、飲み干し続けている食満の顔は真っ赤だった。
おまけに、気の抜けた風に目尻を下げて、双眸には普段の四割増しの水分を含んで。そんな状態で文次郎の足元へと背を預け、無防備に項をさらし、食満はこちらを見上げてくる。
こいつにそんな気はないのだと分かってはいても、これは何かの試練なのかと文次郎は心中で葛藤せざるを得なかった。


けれどその心中の動揺は、食満との長い付き合いの間で自然と磨き上げられてきた鋼の忍耐力で隠し通す。
素知らぬ体で振り仰ぐ食満の視線を見返してやれば、顔の赤さとは反対に真白い食満の手が文次郎の方へと返される。
求めに応じて、最後に一口ぐいと煽って空にした缶をそこに握らせれば、無数の空き缶と、中身の入った缶とが混在する机の上へとそれを置き、「次は?」と食満が訊ねてくる。
食満には悟られぬよう、今度もなるべくアルコール度数の低そうなラベルの缶を選び指差せば、食満が代わりにそれに手を伸ばす。
途中、伸ばした手が空き缶を幾つか押し退け倒したが、緩慢な動作で取った酒を文次郎へと手渡し、再び自分の手持ちの酒を煽り始めた食満には、それらを元に戻そうという気はないようだった。


「…ちゃんと飲めよ」

ぽりぽりと、酒と共に買い込んできたつまみの菓子を咀嚼しながら、食満が釘を刺してくる。
返事代わりに文次郎は、室温に晒され表面に無数の水滴の浮いた缶のタブに指を掛け、カシュリと音を立てて開けてやった。








今から数時間前。
事前の連絡も無しに突如文次郎のアパートを訪問した食満は、扉が開くと同時に家主である文次郎を押し退けずかずかと室内へと入り込んだ。
慌てて後を追いリビングへと向かうと、何故か部屋の中が暗かった。食満がカーテンを閉めたのだ。
手探りで灯りをつけた時には、食満は既に持参した酒をリビング中央の机の上にずらりと並べて臨戦態勢に入っており

「飲むぞ」

と、再びそう言って、一つ目の缶へと手を付けた。


腰どころか目つきまですっかりと据わりきっている食満の様子から、これは抵抗するだけ無駄かと悟った文次郎は、机を挟んで食満の正面へと腰を下ろそうとした。
けれど、寸前で「そこじゃない」と食満に制される。怪訝に見遣れば、「ここに座れ」と、食満は自分が背を預けるソファーをバンバンと叩いて示した。
指示に従いそちらに周り込みソファーに腰掛け、床の上に直に座る食満を、そこでは座りづらいだろうとソファーの空いたスペースへと引き上げようとすれば、自分はここでいいのだとその手を振り払われた。
意図の掴めない相手の行動に、もしや既に酔っ払ってるんじゃないだろうなと、多少の煩わしさを感じながら見下ろせば、文次郎の手を振り払った食満は、何を思ったかソファーに腰掛けた文次郎のその足の間へと移動した。
そうして文次郎が驚き硬直している間に、ソファーから引き摺り落とし尻の下に置いたクッションの位置を調整してすっかりとポジションを整えた食満は、文次郎へと適当な酒缶を放って寄越し、一人悠然と本格的な酒盛りを開始してしまったのだった。



そして現在。
食満は、初めに比べれば幾分かペースを落としながらも、それでもまだ新しい酒に手をつけ続けている。
時に先程のように後ろの文次郎を振り仰ぎ、文次郎もちゃんと酒を飲んでいるかを確認し酒の補充をする以外は無言で、只々、まるで酒と共に何かを胸の内へと流し込むかのように食満は飲み続ける。
そんな食満の様子を怪訝に思いながらも、文次郎もまた、黙ってそれに付き合っていた。















そろそろか、と。
また暫し時間が経って、文次郎はこそりと取り出した携帯の時計を確認し、頃合を図る。


「おい」

先程までよりも、また随分と酒を口元へと運ぶペースの落ちた食満の、ふらふら揺れる後頭部へと文次郎が声を掛ける。


「……あ?」

随分と長い間を空けて、食満が反応を示した。
その様子から、耳から脳への信号の伝達に随分なラグが発生し始めているということが分かる。


「これは何だ?こんな真昼間から、何の自棄酒だ」

けれど、敢えて文次郎はそれを気にせず問いを続けた。
ぴくりと、食満の背中が揺れる。





「…分かってんなら聞くなよ」

不貞腐れたような、罰が悪そうなその声。
一体何があってこんな酒盛りを始めたのか、大方予想は付いていたが、その返答でほぼ確信出来た。



「…あんなぁ…」

酔いのせいか、何処か舌足らずな調子で食満が口を開く。
何かを話し出そうとして、これだけを発して、また少し間が空いた。
文次郎は、ただ黙して続く言葉を待った。





「俺、…また振られた」










「…やっぱりな」

溜息混じりに、初めから分かっていたと言わんばかりの調子で文次郎が返す。


「やっぱりって何だよ…」

それが気に入らなかったのか、食満がちらりと振り返り、文次郎を睨みあげてくる。
けれど、頬を朱に染め、目尻だけは吊り上げながらも情けなく眉を下げた状態での威嚇などに効果はない。
文次郎は余裕を持って食満の視線を受け流し、背をソファーへと預け、手に持った缶の残りを煽った。


「今までの例から言って、そろそろ峠じゃないのかと思ってただけだ」

「…なんだ峠って。俺は重体患者か」

「ある意味そうだろう。で、乗り越えられなかったから、今まで通り振られたんだろ。自分でも自覚してるから、『また』って付けたんだろうが」

「…」

歯に衣着せずにずばりと言い当てられて、食満は反発心を抑え込むように唇を噛み締める。
反論したくとも、事実であり自覚もしている事ゆえそれも出来ず、せめてもの抵抗に、食満は文次郎から視線を逸らし、拗ねるように立てた自分の膝の上に顔を埋めた。





「…いつ振られたんだ」

無防備に晒される白い項をさり気無く視界から外すよう努め、文次郎が問う。



「……今日、今朝」

くぐもった声で、食満が答える。
それはまあ随分と、出来立てほやほやの傷心だ。


「…今日、出掛ける約束してたんだよ。なのに、朝になったらメール来て『今日の約束、無しにしてくれ』って。『後、もうこれ以上付き合ってもらわなくてもいい』って…」

それを受け取った当時の気分を思い出しているのか、徐々に沈みこんでいくかのような口調で、食満は交際相手から短直に送られてきたメールの内容を話す。


「…」

そして、黙り込む。

ぐすりと微かに、鼻を啜るかのような音が聞こえた。











「あーーー!!もうなんでだよ!!何でいっつも振られるんだよ!!!」

そして、唐突に爆発した。

叫びと共に、食満が飛び起きる。
急なその動きにアルコールの回りきった脚は付いてこれなかったのか、立ち上がった勢いを抑え切れずに、ぐらりと食満の身体が大きく傾く。
文次郎は、咄嗟に腕を掴んでソファーへと食満の身体を引いた。
倒れこむかのような勢いで、文次郎の隣、ソファーの空いたスペースへと食満が着席する。
その衝撃にソファーの足が床と擦れ、ぎしりと妙な音を立てた。


「…分かんねえー。何が悪かったんだよ」

その一連の流れを、自身の身体にもそれなりの衝撃が伝わっただろうにもまるで気にする素振りも無く、だらしなくソファーの背もたれへと凭れ掛かった食満は、そのまま天を仰いだ。
文次郎に掴まれたままの片腕を振り払おうともせず、もう片方の腕で隠すように目元を覆い


「今度こそって、俺頑張ったのに…」

続けて、先程よりもトーンを落としてぽつりと呟くようにそう溢した。




「…」

顔を覆い隠し、天を仰ぐ食満の横顔を眺めていた文次郎は、掴んでいた食満の腕を離した。
支えを失い、ずるずると食満の身体はソファーの背を滑り、文次郎の腰掛ける方とは逆側の肘掛へと頭を置くような位置まで崩れ落ちた。



「…っ痛ってぇな」

そうして、今度は空いた足で文次郎を蹴り飛ばし始める。
力は余り入っておらず、痛くはない。けれど煩わしい。

「何すんだ…」

「…何か言えよ」

相変わらずに顔を隠したまま、不貞腐れた、というよりは罰が悪そうに食満が言う。


「何に対して?」

「今さっきの俺の愚痴に対して!!…慰めるとか!!アドバイスするとか!!」

しれっとして聞き返す文次郎に、後半は半ば自棄状態で叫び返す。


「…自分から慰めを要求するとか恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしいわ!!お前がもっと察しの良い奴だったらこんな思いしなくてすんだのにな!!」

口調ははっきりとしながらも、先程からテンションの上がり下がりが極端に激しい食満は、明らかな酔っ払いだ。
そりゃあ悪かったなと食満の文句を受け流し、文次郎はソファーを立った。
入れ違いに蹴り出された食満の足は、スカリと空を蹴る。
そのまま、先程の食満とは違う確かな足取りで文次郎はソファーを回り込み、リビングの出入り口へと向かおうとした。


けれど、それを食満が引き止める。
腕を伸ばし、文次郎が着込んだ服の裾を掴む。
加減無しに引かれて眉を顰めて振り返れば、ソファーに凭れ掛かったままの食満もまた、文次郎を睨みつけてきた。
不機嫌そうに顰められながらも何処か頼りの無い、何かを求めているようなその顔。
厚い水膜の張った双眸と視線が合い、文次郎は思わず口を開きかけた。

しかし、それを悟られぬように飲み込み、代わりに溜息を一つ吐いて


「お前が毎回女に振られる理由なんか、俺に分かる筈がないだろうが。こうして自棄酒に付き合ってやるだけで満足しろ」

表面上は至極面倒そうに言い捨てる文次郎の口調。


「…彼女いない歴=年齢のがり勉君だもんな。お前は」

それに、食満はわざと煽るように言葉を返す。


「悪いか。興味が無いだけだ。逆に気楽で良い」

けれど、文次郎は食満の挑発には乗らずに、そう言い切った。


「…それでいいのかよ」

食満は、僅かに目蓋を伏せる。

「俺は構わん。無理して作ろうとする方がおかしい」

「…だって伊作が」

「…あ?」

食満の口から久しぶりに耳にする名に、文次郎が反応を示す。


「…何でもない」

けれど食満は、それを誤魔化す。
目線を完全に逸らし、引き止めていた文次郎の服の裾からも、力が抜けて指か滑り落ちる。

その様子に悟られぬように眉をしかめて、文次郎は食満を置いてリビングを出た。






++++++++++

ここまで。
あと半分は、出来次第追加します。


ホント、我慢とか、計画性のない管理人ですいません…_| ̄|○
(ちょろっとコメントを頂いたら、すーぐ調子に乗ってしまうのです)

これ書き終わったら、今度こそメインの更新しますので!!
(長く更新止まってるもう一つの学パロとか特に)




2012/09/06 23:29



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