続き


「伊作、まだか?」

がさりがさりと音の鳴る部屋に向かって、食満は声を掛ける。


「ん〜…もうちょっと待って。確かここら辺に…」

何かに頭でも突っ込んで喋っているのか、少々くぐもった伊作の声が中から返ってくる。

はぁ…と一つ、待ちくたびれたように食満は溜息を吐いた。



伊作の委員会で使った器を食堂へと返しに行く途中。
ちょっと用事を思い出したと声を上げた伊作に手を引かれ、遠回りをして六年長屋の方へとやってきた。
途中からずっと盆を預かっていた留三郎を、直ぐに済むからそこで待っていてと廊下に立たせ伊作は部屋へ入り、以降ずっと、こうして何かを探して夜分に響かない程度の、控えめな物音を立てて探し物を続けている。

その間律儀に立って待っていた食満は、様子を伺うにもう少しは探し物は出てこなそうだと察して、静かに戸から離れ、廊下を横切り縁側へと腰掛けた。

音を立てぬよう盆を床に置き、ぼんやりと外の景色を眺める。
眺めるといっても、昼間ほど鮮明に見渡せる訳ではないが、それでも僅かな星明りの下で見る夜の学園というのも六年目となれば見慣れたもので、意味無く眺めているだけでも何かしらの感慨が浮かぶこともあれば、何を不安に思うこともなく無心になることも出来た。

今日の食満にとっての闇夜の風景は前者であり、目的無く眺めていた筈の食満の胸中には、様々な感情が浮き上がる。
けれどそれを食満は嫌い、振り払うように目を反らすと、今度は逆に両手を身体の後方へとついて体重を掛けて反らして、天井を仰ぎ見た。



訓練の賜物である夜目。そして闇に慣れた視界。
それでも、僅かな星明りすら差し込まない、食満が見上げた天井は、一面の黒に染まった面にしか見えなかった。


本来は、床と同系色の板を組んで作られている筈のそれ。
しかし今は、只管に暗く、何も無い。
その一面の黒は、じっと見詰めていると吸い込まれてしまいそうになるほど深く暗く。
気が付けば、食満は目を開けているのか閉じているのか、あやふやに成る程一心にそれを見詰め続けていた。

次第に、確かに床についている筈の両手の感覚が、腰掛けている筈の床板の冷たく固い感触が、ぐにゃりと歪んでいく。
ふいに堪らない不快感が込み上げてきて、気付いた時には片手で額を押さえ、前傾姿勢になって俯いていた。

息を吐き出す。
乾いた息。
何かが込み上げる。けれど吐き出しきれずに、それは喉元に留まり残る。

額から離した掌を見て、食満は視線を横へと流す。
自分の背後、伊作の入っているは組の長屋の二つ隣。い組の長屋。 
ぴたりと閉じられた障子の奥からは、何の灯りも漏れはしない。
主達は就寝中か、それとも不在か。外から見ただけでは分かりはしない。

そんな部屋の障子をじっと見詰める食満の瞳は、確かに揺らいでいた。





++++++++



「はい」

気配のないい組の長屋の戸を見詰めていた食満の眼前を、何かが覆う。

完全に気を抜いていた食満は肩を揺らし、仰け反った。



そこにあったのは、湯飲みであった。
食堂などから拝借した公共のものではなく、食満が自室に私物として置いているものだ。
その上部を指で摘み、縁側に腰掛ける食満の頭上を跨ぐようにして眼前に差し出した伊作は


「どうぞ」

そう言って、軽く湯飲みを左右に揺らす。
ちゃぷりと、中に入った液体らしきものが音を立てる。
それと共に、鼻に届く甘い匂い。


食満が手を出し、しっかりと湯飲みの底を支えたのを確かめて、伊作が手を離す。
そのまま伊作は、食満が視線を向けていたい組側とは反対の食満の隣へと腰掛けた。

突然の伊作の行動と手の中の物を怪訝に思い伊作を見れば、にこりと笑みを返される。


「薬湯だよ。湯ではないけど。効能はそう。安心して、身体に良い物しか入ってないから。今回は香りも味も工夫してあるから飲みやすさも抜群」

探るように顔を近づけ匂いを嗅いだ食満を、安心させるように伊作が言った。

そうは言われても、簡単に信用して口をつける訳にもいかない。
過去の様々な経験から、食満は伊作から差し出された飲食物は、先ず一通り怪しんでから口をつけると決めている。
唐突に、脈絡無く差し出されたものほどだ。


そんな食満の用心、元々は自分の前科のせいなのだが、を分かっている伊作は困ったようにまた笑って、自分の湯飲みの中の薬湯を一口口に含んだ。
ごくりと飲み込む姿を見せて、「ちょっと交換」と言葉を発し、口の中にも何も残っていないことを示す。
手に持ったままだった食満の湯飲みと、自ら毒見をした湯飲みを取替え、また一口。

ね、大丈夫でしょう?
と言わんばかりに、湯飲みを傾けながら視線を向けてくる伊作の様子に、食満も訝しがるふりを止め、湯飲みに口をつけた。



一口飲んで、いつも飲まされる薬湯とは全く違う味に驚いた。
匂いだけでなく、味まで甘い。
まるで何かの果実を絞って入れたかのような。
甘いけれども喉に残るようなものではない自然な甘さで、さらりとして飲み干すにも違和感がない。
これならばきっと、しんべヱなどは目を輝かせて一気に飲み干してしまいそうだ。


「僕の特製調合だよ。僕と留さんが、第一試飲」

上手くいって良かった〜、と隣で湯飲みを傾け、呑気に伊作が言う。
手の中の薬湯の出来と、伊作の気の抜けた声に流されかけたが、先の言葉でやはりこれが実験だったのだということが分かってしまった。

たった今は何とも無くとも、明日の夜明けが少し不安になってきた。
二人揃って腹を下す、なんてことが起こらなければいいがと心中で嘆息する。

それでも、口を付けてしまったからにはどうしようもない。
えぇい儘よ、と食満は勢いよく湯飲みを傾げ、薬湯を飲み干そうとした。




しかし、伊作がそれを止める。

「折角なんだから、ゆっくり飲んでよ。どんな薬も急に大量に体内に取り込んだら作用がおかしくなる。ゆっくり、ゆっくり染み渡らせなきゃ効き目は薄くなる。今の君に必要なものなんだから、ちゃんと飲んで」

そう言う伊作の瞳は、柔らかながらも芯の強いものだった。


「…分かったよ」

保健委員長としての責務や、怪我人の手当てをしている時などに良く見せる伊作のその目は食満にとっての効果は絶大であり、食満は逆らうこともなく、伊作に合わせ、ゆっくりと薬湯を口に運んだ。





++++++



「で?何だったんだ、これは」

お互いに暫し無言で湯飲みを傾け、最後の薬湯を喉に流し込んだ食満は、手の中で湯飲みを転がしながら伊作に尋ねた。


伊作と共に湯飲みを傾ける、というのもそれが実験体としてでなければ別にいいし、日中ならば普段もやっている。

けれど、今は夜半。
少し肌寒い外気の吹き込む縁側で、一日の汗も流さず制服を着込んだまま。
わざわざ自室に寄った用事とは、この薬湯を煎じることだったのだろう。
あの短い間によく煎じられたものだとは思うけれど。
わざわざ、もしかしたら下心があるのかもしれないがそれはさておき、煎じ差し出してくれた好意は嬉しい。

だが、何も今でなくてもいいのではないかと思う。



「今の君に必要な物だよ」

「…さっきもそう言ってたな。必要ってどういう…」

「効能は、疲労回復、睡眠安定、内臓機能回復、食欲増進。全部、足りてないものだろう?」

「…」

さらりと言われて言葉が返せず、思わず食満は口を噤む。



「でもこれは、あくまで弱った身体機能を平常状態まで持ち直す為のもの。根本の原因が他にあるのなら、それをどうにかしなきゃいくら薬を飲んでもどうにもならない。まして、その原因が『心』にあるのなら、ね」

診断結果を告げるような伊作の言葉には淀みが無い。
灯りの下で、よくよく顔色や様子を観察された訳でもないのに。
ほんの少し、やり取りを交わしただけなのに。
完全に見抜かれているそれを、自らも自覚しているそれを、否定し誤魔化し受け流す上手い言葉を、今の食満は思いつけなかった。





「留さん、嘘ついたよね」

黙り込み、手の中の湯飲みに視線を落とす食満を、伊作は見遣る。


「部屋で作業なんて、してないでしょう?」

「…なんで」

分かったのかと、言外に続けて食満が問い返す。


「行燈の油も芯も、減ってなかったもの。遅くまで作業してたんなら、灯りは使うでしょう?」

部屋で薬湯を煎じる際、それも調べていたのか。


「…お前を迎えに行ったのは、本当だ」

「うん。じゃあ、それまで何してたの?」

「…色々」

「色々?」

伊作の口調は柔らかい。
けれど、その問い掛けは食満の答えを待ったまま、かわすことを許さない。

食満の言葉を引き出すことが自分の役目なのだとでも言うような、その強引さ。
それが伊作からの、打算のない好意と憂慮の感情からのものだということが、食満には分かっていた。

少しずつ、沈黙が苦しくなる。
それは、答えを待たれていることに対しての気詰まりだけではなかった。

本当は、聞いて欲しかったのかもしれない。言ってしまいたかったのかもしれない。
自分ではどうにもならないものを、どうにかして欲しかったのかもしれない。

そんな自分の心に気付いて、食満は息を吐いて小さく笑った。
吐いた吐息は、震えていた。





「…探してたんだ。そんで、色々…、心当たりのあるところをぶらついてた」

「探してた?…人を?」

伊作の確認に、食満は頷く。


「誰を探してたの?」

その問いに、食満は視線を動かすことで答えた。
食満の視線が向かうのは、先程までと同じ、い組の長屋。


「…仙蔵?」

違うと思いながらも、伊作は尋ねた。
予想通り、食満は首を振った。

じゃあ、やっぱり。

薄々、というかほぼ、予想していた通りだった。
食満に、こんなにも影響を与えられる人物なんて、伊作の他には一人しかいない。






くつくつと、徐に食満は笑いを溢した。

けれどその笑いは、小刻みで、渇いていて。
まるで自分自身を笑っているかのようだった。


「…やっちまった。俺、言っちまったよ、伊作」

片手に湯飲みを持ったまま、食満は両手を額へと当てる。
背を丸め、再び前へと屈みこむ。

自らの腕の中に隠れるように、伊作を含む周囲全てを拒絶するように顔を隠す食満からは、渇いた笑いだけが聞こえる。

何を言ったのか。
聞き返すまでもなかった。

食満が、探し人に対して心に抱え続けていたもの。
伊作にだけ打ち明けられていた、食満の秘密。



「あいつに好きだって、言っちまった」




+++++

力尽きた。(睡魔〜)

相変わらず、本題までが長〜い。

本当に書きたかったのはこの次からです。

今回のは、食満先輩からの告白話です。

後半睡魔と闘いながらアップしたので、文章的におかしい部分多いかもです…
明日、しゃきっとしたら修正しますので!!

早ければ、明日には続きを上げます。
(勢いでアップしないと憤死します)



…おやすみなさい。

2012/05/15 02:04



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