▼ 八方塞の恋 -20- -20- 「つまりだ、鈍感堅物無自覚思春期真っ最中のお前の、理解に苦しむ思考回路と短絡的且つ的外れな勘違いによる先の行動のせいで、この一ヶ月の私の影の努力は水の泡になったということだ」 机の上で組んだ腕の中に、文字通り埋まるように顔を沈めた文次郎の頭部へと、仙蔵の容赦のない口撃は続く。 「…無自覚思春期真っ最中とはなんだ」 抑揚のない、くぐもった文次郎の声が、僅かに開いた腕の隙間から漏れる。 「そうやって訊ねるところがだ。というか、他は認めるのだな」 手心など加える気の一切ない仙蔵の答えは、間を置かずに返される。 ぐぅ…っと、否定か肯定か、どちらの意とも取れないような唸りが文次郎から上がった。 「何だ、蹴られた腹が痛むのか?それとも胸か?己の過ちを認めて胸を痛めるというのは中々に殊勝なことだ。お前が心から悔いているというのなら、土下座と明日から一週間の使い走りで許してやらんこともない」 ちらりと、文次郎は組んだ腕から瞳を覗かせ、仙蔵を見遣る。 相変わらず堂々と他人の席を占領して居座る仙蔵の、文次郎を見下ろす表情は冷たかった。 「私はな。向こうは、どうか知らんが」 荒んだ文次郎の上目遣いを嫌うように、顔を顰めた仙蔵がふいと目を逸らす。 それ以上に反論も、首を支える気力もなく、がくりと、文次郎は再び腕の中に沈み込んだ。 入学から、未だ一ヶ月。 真新しかった制服には、既に無数の傷や汚れが付いていた。 そして今日、また一つそれが増えた。 それはもう見事に、くっきりはっきりと腹の上に残った靴跡。 手を伸ばしそこに触れようとすれば、ズキリと、未だ鈍く腹部全体に響く痛みが残っている。 急所であるみぞおちからは僅かに外れている。故意に外したのか、激昂のあまりに狙いを外したのかは分からない。 それでも、昼休みもその後の午後の授業も終え、既に放課後になっているというのに、痛みは多少の治まりを見せても、一向に癒えてはくれない。 これは、あと数日間は食欲が沸かなそうだ。 本気で蹴られたのだろう。 ということは、本気でキレさせたということだ。 それだけのことをしたということだ。 そう考えて、再び文次郎の気分は暗く沈みこむ。 これは、この靴跡と痛みを残していった相手に対しての怒気ではなかった。 仙蔵の言うとおり、自身の過ちを認めることで抱く、後悔の念だった。 そう、認めざるをえない。 過ったのは文次郎の方であった。 今日の昼休みの出来事。 クラスメイト達も疎らに残る教室内で、文次郎は喧嘩をした。 相手は食満留三郎。 他クラスではあるが、恋人である善法寺伊作に会う為によく訪れてくる、ある意味このクラスの有名人。 そして文次郎にとっては、入学式当日にちょっとした諍いから面識を持ち、それから一方的に意識をしていた相手。 何故意識をしていたか。その理由は様々だ。 けれど、確かに文次郎にとっては筋道の立った、納得の出来る理由だった。 しかし、食満を意識すればする程に沸き立ってくる、不快というか、もどかしいというか、不可解というか、そんな奇妙な苛立ちだけは、どのように理屈を付けようとしてもしっくりとこなかった。 自分でも理解が出来ない不明瞭な部分が、明確な存在感を持って胸の内に鎮座するというのは、正直かなり不愉快なもので。 単純な話、文次郎は苛立っていた。 苛立つ自分に、文次郎をまるで意識していない食満に。 その隣にいつも寄り添う善法寺に、面白がってからかってくる仙蔵に。 日々、苛立ちを募らせていた。 そして、その苛立ちを文次郎は全て一人に転嫁した。 食満が、不意に話しかけてきた。 けどそれは、文次郎にではなく、仙蔵にだった。 何故かそれで、文次郎の苛立ちは頂点に達したのだ。 理由など分からない。 だがそこで、確かに文次郎の中で何かが切れた。 そこから文次郎が実行に移した行動は、主観的にも客観的にも、何処から見ても褒められたものではない。 問答無用で食満に掴みかかり、苛立ちを言葉にしてぶつけ、抵抗する食満と揉み合った拍子に、食満の大切な品らしきものを無残に壊した。 その結果もたらされたのが、見惚れるほどの見事な蹴りと痛み、怒号と確定的な嫌悪の言葉、そして一袋の薬用シップ。 そしてこの薬用シップがまた、文次郎をここまで沈み込ませる原因の一つになっていた。 ++++++++++ ここまで。 ここでどっぷりと後悔してもらってから、文次郎さんには次のステップへと…アップして頂きたいなぁ〜、なんて。 2012/05/10 22:56 |
prev|TOP|next |