人間という生き物はしばしば転換期とやらを迎える生き物らしい。いや、人間に限らず、生き物とはそういうものなのだろう。

 昆虫は幼虫から蛹に、そして成虫へと到る。鳥は卵から雛を経て、成鳥となる。獣も人も、生まれて幼少を過ごし、大人(成体)となる。

 人はそんな肉体的変化以外でも、帰属している社会での立場というものが変わったり、金や結婚といったそれまでの歩みを変えてしまう時期とやらがあるらしい。

 吾人は肉を持った生命体ではない。そもそも吾人は生命(いのち)ある存在とは言えないだろう。人でいう所の意志が、知識と経験を得る事で、多少なりとも変わろうとも、吾人は吾人である。単なる意志ある護符(タリスマン)にしか過ぎない。

 このまま、我主君たる妹君・ミラベル嬢__今や二児の母君だから、ミラベル夫人か__の子々孫々を見守るつもりでいた。

 だからこそ、こんなことになるとは、欠片たりとも、吾人は想像していなかったのだ。





 吾人の主君のご子息・イジドール殿もそろそろ齢を十数えるほどとなった。このぐらいの歳になると、そろそろ将来の為に大人の手伝いをするようになるらしい。だから若様も家業の手伝いとなる。

 吾人の主君の夫君は行商人をやっていた人物で、今でも買い付けに首都や港町まで足を伸ばしているそうな。今回から若様を連れて、買い付けに行くのだ。

 始めての旅に興奮気味の若様を微笑ましそうにしつつ、いつも身につけている吾人を取り外した。


「いいですか、イジドール。旅には危険が付き物です。しっかりとお父さんの言う事を聴いてくださいね」

「はい!」

「これは私の兄__貴方の伯父が旅の安全にとくれたタリスマンです。貴方が無事に帰ってくるのを助けてくれるでしょう」


 吾人は暫く、若様を守るのが任務のようだ。主殿の手からおずおずと受け取った若様は吾人を懐に仕舞う。

 吾人は、普通に首に掛けて欲しいのだが。


「大切にします」

「イジドールも、あなたも、気を付けてね」

「あぁ、なるべく早く帰る」

「おかあさん! いってきまーーーす!!」


 護衛らしき冒険者を連れて旅立ちだ。冒険者はダンジョンとやらに潜るだけではないのだな。

 我が主君の生活は穏やかなもので、吾人の活躍などいかほどのものか。吾人は暇もとい力を蓄えた分、この旅にて精一杯の幸運と厄除を果たす所存である。






 旅は概ね順調であった。この時期は比較的穏やかで、降りしきる雨に旅路を邪魔される事もなかった。若様も、初めての羇旅(きりょ)は興奮の連続であったようだ。

 あれは何か、これは何か。夫君や旅の護衛の冒険者に訪ねる姿は、芽吹きこれから成長する若葉のようである。

 それもこの羇旅一番の難所の峠に差し掛かる頃には、大分疲れを隠せないようではあった。一ヶ月ほどの長旅で、漸く目的地の港町であるモーリエ港へと到着を果たした。

 モーリエ港は吾人だ生まれた国____ホローズミ随一の貿易港である。この港から世界の何処へでもゆけるのだとか。吾人は人ではないので、そう関係のない話であるが。

 ここで護衛を勤めていた冒険者とは一旦別れて、若様は買い付けする夫君に付いてく模様。何やら外

つ国の珍品やら貴重な品を買い付けているようだ。吾人は暇過ぎて、半分夢現であったが。

 ふと、意識が浮上した時には、吾人は若様と共に丘に来ていた。どうやら宿を抜け出して、モーリエ港を一望できる岬の灯台に行くらしい。小さな冒険であるな。吾人もご子息の感情に引きずられてか、浮き浮きしする。


「うわぁ……!! きっれー!!」


 ご子息は思わず、感嘆の声をあげた。

 岬に向かう途中に繁る林を抜ければ、一気に景観が開けた。底に移し込まれたのは、徐々に海に沈みゆく太陽であった。空は黄金に茜に染まり、刻一刻とその色身を変化させていく。太陽の光を受けた海は時に目映く受け止め、反射させた。

 こういうものを、人は美しいと言うのだろう。

 太陽が沈み切るまで、若様は夕焼けに魅入っていた。今更ながらだが……帰りは大丈夫なのであろうか。夜の闇は深く、濃い。ましてや、あまり知らない異郷の地。いや、ここは吾人がなんとしても若様を夫君の元へ無事送り届けるまでのこと。

 そう、覚悟を決めた時だった。

 林を抜けて、港町へと続く道へ出る途中だ。草をガサガサと揺らすもの__山犬が躍り出た。狼ほどは大きくないと言えども、若君はまだまだ幼い。山犬に喉でも噛まれようものなら、死んでしまう。

 吾人は知能ある護符として最大の能力を発動させた____!!

 吾人を支えていた蔓草が延び、それを起点に若君を囲うように結界が構築された。そして地面に落ちつつ吾人は、山犬を相手取り、防衛魔術の一つ【麻痺(スタン)】を発動させる。

 山犬は不穏な魔術の動きを感じたのか、身を捩らせて避けながら後退する。吾人の間合いはそれほど大きくない。若君、早く町へと走ってくだされ! 声を出せ我が身をこれほどに、疎ましく思った瞬間はない。

 次いで、追尾式の【光弾(ライト・バレット)】を頭上と、山犬に向けた。上手く、誰か気付いてくれ!

 きゃうん! と情けない声を上げた山犬の隙を付いて、若君は一気に町へと掛けていく。吾人はその遠くなる背中を感じながら、山犬を若君の所に行かせないように、手札を切るのみ。存在許容限界まで魔力を注ぎ【光槍
(ライト・ランサー)】を放った。

 光の槍が山犬の腹に迫るのを掠れた意識で見ながら、吾人は若君の迎えを信じていたのだった。





 そして、吾人が魔力を吸収して、目覚めた時には____。

 ____森の中、最後に意識を失った所だった。








150730 なろう掲載
160508 転載


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