俺とお前の特別な関係

いつものように紺色の暖簾を左手でかき分け、乾いた音のする引き戸を開ける。通い慣れた居酒屋は、今日も繁盛しているようで騒がしく席はほぼ埋まっていた。葉山が入ってきたのに気づいたのか、若い店員が申し訳なさそうな顔をして駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませ!本日はすでに席が満席になっておりますが……」

「そうなんですね。でも、もう中で人が待ってくれてるはずだから大丈夫だと思います」

居酒屋のなかを静かに見渡すと2人がけのテーブル席に、半分ほどビールが入ったジョッキを片手に俯き肩より長く黒い髪をテーブル席に垂らしながらながらスマートフォンを操作する千里子の姿が目に入った。葉山は店員に一言断って、千里子の向かいの席に向かった。

「千里子さん」

声をかけると、千里子はようやく葉山が居酒屋に入ったことに気づいたようで、顔を上げた。仕事で遅くなるとは伝えたとはいえ、不満なようで表情に出ている。こういうところは昔から変わらないなと思いつつ、葉山は向かいの席に腰かけた。

「遅いよ葉山。葉山が早く来ないから、飲みたくなって先に飲んじゃってたよ」

千里子は大げさに肩をすくめて半分ほど残っていたビールを飲み干した。泡はほとんど残っていなかったし、もしかしたらかなり待たせてしまったかもしれない。悪いことをしたと思う。

「ほんと申し訳ない、残業が急に発生してさ。ここの代金俺が持つからそれで許してよ」

「……まあそういうことならゆるしてあげなくもないかな? 葉山何飲む?」

ビールと伝えると、千里子は店員を呼び、ビール二つといくつかフードを注文した。先ほどまで触っていたスマートフォンには、ソリティアの勝利画面が映し出されていた。大学時代からこういうゲームが好きなのも変わらないな、なんて考えていると、冷えたビールがすぐに運ばれて来た。何も言わず、静かに乾杯をしてビールを口に含む。成人になりたての頃はこれが美味しく感じることなんてなかったのに、今では美味しいと感じるのは少しは大人になったからだろうか。大学の頃は飲みきれなかったらいつも千里子に飲んでもらっていた。社会人になり、飲む機会が必然的に増えたため慣れてしまったが、千里子に飲んで貰うことがもうないと考えると少し不思議な気分になる。

「葉山と飲むのも久しぶりかなぁ……。この前何月にあったっけ」

「んー、1ヶ月前じゃない。その時は石川も一緒だったと思うけど。2人で飲むのは多分……半年ぶりくらいか」

「あー、そっか。まあ私は葉山と2人で飲むほうが気を使わなくていいしラクなんだけどさ、彼氏が嫉妬しちゃうから」

軽く笑いながら千里子はそう言った。千里子は大学の頃からほとんど彼氏を切らしたことがない。本人は恋愛に依存してるからだなんてうそぶいていたが、それ以前に彼女が目立つから周りが放っておかないだろう。薄い化粧で女っ気はあまりないが、潤んだ大きな目や柔らかそうな唇は色気があるし、姿勢やスタイルはとてもいい。何より明るい性格は葉山の周囲からも評判がかなり良かった。

「まあでも、俺と2人で飲むってことは今彼氏がいない時期ってこと?」

「せーかい。まあ葉山を誘うのなんて大体そういう時だからわかってるか」

千里子はいつも通り、「ちょっと聞いてよ」から始まる愚痴をつらつらと話し始めた。ジョッキをつかむ手はすこし揺れ、酔っているのか悲しいのかいつも潤んでいる目は更に涙目になっている気がした。
大学の頃から千里子は恋人と別れると必ず葉山を飲みに誘う。そして吐くまで飲んで、朝まで愚痴を吐きまくり、元恋人のことを忘れるのだ。この習慣がいつ始まったのかは正確なことは覚えていないが、半年に一度は必ず誘われるので、今回もそろそろかなとは思ってはいた。曰く、千里子は付き合ってからのギャップが激しいらしい。明るくてサバサバしているのは見せかけで、本当は甘えたいのに見せかけのせいで甘えることができなくなり、耐えられなくなり破局する、と愚痴を吐いていたのを聞いたことがある。
(まあ、俺は付き合ったことないからよくわからないけど)
そもそも自分でいいじゃないか、と考えたことがないわけではない。ただ、今の愚痴聞きポジションは千里子にとって唯一無二のものだから手放しがたいものなのだ。千里子が臆病な性格で居続けるかぎり、彼氏のように別れるわけでもなく一番近い位置で千里子を見て居られる。それが葉山の幸せだった。大学を卒業してもう6年。もし彼氏になんてなってしまったら、おそらく千里子とのこの6年間はなかっただろう。そう考えると一番最善なのがこの立ち位置だ。

「……葉山、聞いてるー?」

千里子は不機嫌そうに葉山の顔を睨むとすこしだけ残って居たビールを飲み干した。いつものことながらピッチが速いので、あとで潰れることだろう。

「あ、うん。聞いてるよ。いつも通り甘えられなかったんだろ」

「そうなんだけどー……。もうさー、葉山が私と付き合ってよー」

大学を卒業してから、冗談のように千里子は度々こんなことを言うようになった。しかも甘えた声だからタチが悪い。真に受けても良いことはないとはわかっているし、本音でもないだろう。何より今の立ち位置が気に入っているので、いつも苦笑いしながら受け流すことにしている。

「千里子にはもっと良い奴がいるだろー。弱気になるなよ」

千里子は目を伏せると、空のジョッキを通路側に置いた。そして、ふと明るく笑った。
「もーありがと。なんであんたみたいな良い奴が彼女できないんだろうねー。世の中って理不尽」

「理不尽だよなー。俺お買い得物件なのにさ」

茶化しながら夜は過ぎていく。千里子との関係を崩したくないからこそ千里子の一番になれない。千里子もそうだと嬉しいと、心の中で静かに願いながら、酒浸りの夜は更けていく。
いつか、お互いにあの頃はなんて話せる日が来るのがお互いの一番の幸せなのだと信じながら。





友達以上両思い未満

キリリク「社会人の友達以上恋人未満な関係」(6666番!)
ありがとうございました





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