Otium Licoricia
言葉も出ないような空腹感に襲われてもう五時間くらい。無理なダイエットという名目の絶食がたたったのか、動くことすらできないくらいだった。
体が、動くことを本能的に拒否しているようなそんな気分だ。
視界は残念ながら良好。ただ、めんどうなことにガス代も水道代も払うお金すらない今の状況ではこんなステキな視界があってもどうにもならないことくらいわかっていた。
「ああ、面倒だな」
心底そう思う。生きるのは面倒だ。いや、むしろ生きる為に食うのがめんどくさい。
いっそのことこのまま死んだら幸せかもしれない。いや、多分、きっとそうだろう。餓死なんて最高の死に方じゃないか。自分になにも下さないんだから。
右腕の感覚がなくなってくる。ああ、私は何故この国にきたのだっけ。忘れた。思い出すのは億劫だった。
いくら私が怠惰でも、胃とか腸とかそこらへんは活発に動いている模様。腹の虫とやらがなってくれる。鬱陶しいったらありゃしない。
ドアの外で大きな音と声が聞こえる。
ドアを叩く音。耳に残る不愉快な音だった。
「リコ……! リコ……?勝手に開けるぞ?」
声を出すのも億劫だったし、全てどうでも良かったし。だから、声に反抗なんてしなかったのだけれど。
鍵の開く音。あまり好きでもない古めかしい音がすると、なんだか可愛らしい女の子がそこに立っていた。声は男なのに。外見をどこまでも裏切ってくれてありがとう、と言いたくなるけどうまく口が動かなかった。
「リコリス? おい、リコリース。生きてるよな」
黒髪の美少女っぽい男、多分名前はマサト。記憶は曖昧だけど私は確かマサトとなにかしていた気がする。覚えてないけど。
「ッチ…めんどくせぇな。どうせまたしにかけてたんだろ」
マサトは私の口にサプリと水を流し込んだ。
体がそれに反応してむせかえると、マサトはニヤリと笑った。
「生きてるじゃん」
「……マサ、ト」
「ん? 俺の名前覚えてるの? 珍しい」
マサトが軽く笑う。水を得て、少し生き返った私はマサトに甘えるように抱きついた。
「ちょ、困るんだけど! そういうのはメリにやりなさい。俺はそういうサービスはしないの」
「……死ぬよ」
ポツリと言った言葉にマサトの肩は少し震えた。
「マサトが、口移しで、食べさせてくれなきゃ、わたし、がししちゃう」
マサトは顔を顰めると、バックからスティックパンを取り出し、私の口に押し付けた。
「バカ言え。おまえ、俺に口移しなんてされた日にゃ、お前が怒り狂ったフィアに殺されちまうぞ」
口に差し込まれたスティックパンをもぐもぐと頬張りながら、私はマサトに私が死んだら困るの、と尋ねた。
「困るさ。バイオリンがいなきゃはなしにならねぇだろ。三重奏なんだからよ。フィアの目を盗んで会いにきてやったこっちのことも考えろよ」
暴論を吐き捨てて、マサトはため息をついた。別に私が頼んだわけでもないのに。本当に、マサトは変な奴だ。
「…マサト」
「何」
「お休み」
私は、目を静かに閉じた。そうだ。私は眠かったのだ。マサトがこなかったら永遠の眠りについたかもしれないってくらい、眠かった。
瞼の裏で焦ったマサトの声が聞こえた気がしたけれど、私は、暗い暗い眠りの中へと落ちて行った。
Otium Licoricia = 怠惰 リコリス
怠惰な天才バイオリン弾きのお話。
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