アイスクリームと僕の夏
世界はどうやらもうすぐ止まるらしい。
そんなニュース。人間停止予報。政府から、世界からの発表を読み上げる青い顔のキャスターを呆れ顔で眺めて、僕は、テレビのスイッチを、切った。
だってそんなことありえないと思っていたのだ。
人類が停止する? そんなことは信じられなかったのだ。
愚かだった僕は、信じずに、その次の日から起きることすらただ意味もわからずに傍観することしかできなかった。
人間停止予報が発表されてから随分とたった。
最初は信じていなかった僕でもわかるほど、この世界は異常をきたしていた。
ああ、これが停止っていうのかっていうのが僕の主観的な意見。だってそうだろ、ぐちゃぐちゃなんだ。なにもかもが。これはきっと停止なんかじゃない、人類は排除されている。
誰にいつ死がおとずれるかなんてわかっちゃいないけど、こんな理不尽な死ならあんまりだ。
人間停止予報が発表されてから、この地球は、もうニンゲンの住む場所ではなくなってしまった。少しずつ、崩壊してゆく。歩けば足元が崩れ、雨が降れば皮膚が溶ける。雷が落ちれば必ずそこにだれかがいて、車を運転すれば必ず誰かを轢き殺す。
あの瞬間から人は、地球から排除される存在になってしまったのだ、多分。
「人類にしか被害が及ばないのが不思議だよね」
「…そうだね」
アイスクリームを食べながら彼女は笑った。練乳のアイスクリームが溶けて彼女の青いワンピースに染みを作った。
最後のアイスクリームだった。
昨日から、電気が使えなくなっていた。クーラーボックスに急いで避難させたアイスクリームは、溶けかけてはいるけれどギリギリ食べれるようだったので少し安堵した。
横でアイスを食べている少女は、僕が道路で拾った。
できるだけ外には出ないようにしているのだが、食料や衣服、生活必需品を確保するためにはスーパーや誰もいない家から盗まなければ生きてはいけないのだ。犯罪なんてことはわかっているけれど、今の人間にはそれを取り締まる法律も、力もないのだ。むしろそうしなければ生きてはいけないのだから仕方がない。そう、自分に言い聞かせていた。
あの日もスーパーからのかえりで、できるだけ怪我をしないように、安全に外から僕の住処に変えることができるように僕は必死で歩いていた。多分、走ったら「気づかれてしまう」
誰に? 地球に、に決まってるじゃないか。
必死で足を動かしていたら、血まみれの少女が道路の真ん中に倒れていたのだ。もう、このあたりには誰もいないと思っていた。それどころか地球にはだれもいないなんておもっていたのに。
両足はもうすでに動かせないような怪我をしていて、それでいて何故こんな、狙われてしまいそうなおそろしい場所で倒れているのかわからなかったが、道路の横を見たら原因はすぐにわかった。
何の変哲もない住宅街。そのなかの道路に面している一軒分の場所に大きな穴が開いていたのだ。
家族みんなで家でうずくまっていたら、彼女の家だけ地盤沈下をおこしたらしい。隠れていても意味がないのだと、彼女は笑いながら言っていた。
家族は穴に飲み込まれたらしい。
そんななか、奇跡的に僕の「住処」が残っているのは、ここが本当の家ではないからかもしれない。そもそも、壊された後の場所など気にも留められていないのかもしれない。僕の本当の家は、多分もうない。人間停止予報が出た次の日の朝から僕は自分の家に帰ることができないでいた。
僕が知っている僕の本当の家のこと。僕が住んでいた場所に行くための道路は地割れで寸断されたこと、僕が住んでいた地域は大規模な火災があったということ。それだけの情報だったけれど、残念ながら帰る気にはなれなかった。自分から危ない場所に突っ込んでいくほど僕は馬鹿ではない。
今の僕の住処は、横転している高層ビルの一室。電気やテレビはなぜか昨日までは使えた、水道は使えないにしろ、未使用の避難用の道具やら水やらがザクザク出てくる。今の世界では結構いい条件の「家」だとおもう。滅多に外にはでないけれど、もしかしたらここにはだれもいないとか思われてるのかもしれない。
「地球」か、それとも、こんな現象を起こした「誰か」に。
「この先、どうするの」
彼女がポツリとつぶやいた。白い腕は、黒くこびりついた血にまみれて、でもそれは家族の血。
足は折れていて、動かすことが出来そうにない彼女は、多分これから僕の荷物となってゆくのだろう。
でもさ、拾ったからには面倒は見なければいけないなんてわかっていたことだったのだから、それは拾ったあの瞬間から覚悟していた。
「君はどうしたいの」
「私はもう生きたくないな、なんてさ。思ってたよ」
アイスがまた白いしずくを作った。僕はなんとなく手でそれを受け止めた。
「せっかくつなぎとめた命なのにそんなすぐに無駄にするの?」
「君ならそういうと思ってたよ。だから、君がいなくなったり、君が死んだりしたら私は死のうとおもってる」
彼女は無表情のまま、アイスを小さくかじった。溶けかけのアイスは簡単にその口の中に消えてゆく。
「君に救われた命だ、仕方ないしもう少しだけ生きてみるよ。まぁ、地球に拒絶されてるからいつまで生きれるかなんてわからないけれど」
「地球はなんで僕らを見放したんだろうね、仏の顔も三度までってやつかな」
「さあね、聞いてみないとわからないでしょそんなの。聞く手段があるとは思えないけど」
まあ、仕方ないんじゃない? と彼女は嘯いた。そのとおりだ。仕方がない。
だって、人類は今まで地球に何をしてきた?いいことなんてひとつもしていないじゃないか。
結局僕らの行為は地球を怒らせるに等しい行為だったということだろう。
僕は、これが地球がやったことだなんて信じてはいないのだけれど。
「本当ならさ、私受験生だったんだよね。夏は受験の天王山とかいって、塾とか、勉強会とか補習とかで夏休みの予定はすべて埋まっていたんだよ。こうやってさ、それから開放されてもうれしくならないってなんだか不思議な気分だよね、あー私は、人生の大半を無駄にしてきたんじゃないかななんて思ってしまうから辛いよ」
彼女は少しだけ涙をこぼしていた。考えるところがあるのだろう。彼女だって「人間」なのだ。だからこそ「停止」させられる運命にある。いつだって、無表情でいられるはずがないのだ。
「……運命なんて、理不尽でしかないのかな」
「……理不尽だなんて考えるだけ、辛くなるだけだ」
僕は、何の救いにもならない言葉を吐き捨てると、彼女の頭をなでた。
もし、この場所が崩壊したら。もし、彼女が死んだら、もし、僕が死んだら。
考えるのはいいことだと偉い人はいうけれど、考えすぎるのはよくないってわかっているのだ。残念ながら。
もし地球が気まぐれに人類を滅ぼそうなんて思ったなら「人類停止予報」なんて出せないことはわかっていた。きっとこれは、みんなかんがえないようにしているだけで、結局誰かが考え出したことなんだ。
「人類がいたらこのままでは地球が危ない、だったら、私たちが滅ぼしてしまえばいいじゃないか」
って思ったやつらがどこかにいるはずなのだ。多分。
「結局、人類はどこまでも自分勝手ってことさ」
「……どうしたの、急に」
「いいや、ふと思っただけだよ」
怪訝そうな彼女は多分そこまで考えていないのだろう、いや、賢そうな彼女は頭の中ではわかっていてもわかりたくないのだろう。
だって、人間がやっているならば虐殺に変わりない、ただの、自分勝手の押し付けなのだ。そんなの、考えるだけ恐ろしいだけだなんてわかりきっているじゃないか。
「そういえばさ、明日畑からスイカを奪ってこようかなって思ってるんだけど」
「ふうん、いいんじゃない? 君一人で行くんでしょ? 気をつけてよね。必ず戻ってきてね」
「花火とかもいる?」
「夏を満喫しようとしてるの?」
「きっと最期の夏さ。そのくらい地球も許してくれるだろ」
彼女は、食べ終えたアイスの棒を落とすとうずくまって、絶対戻ってきてねと静かに言った。
わかってるさ。僕だって、まだ死ぬつもりもなければ彼女を死なせるつもりもないのだから。
暗い暗いビルの中、静か過ぎる地球の上で、僕は少しだけ明日に希望を持った。
静かになりすぎた地球のはなし。
緑青さんリクエスト「二人だけの世界で過ごす夏」
キリリクありがとうございました!!!
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