05


この建物はなかなか広いと思う。それから、怖いくらい静かだとも思う。
床暖房なんてないから冷たい床をかれこれ5分。
会わせたい人がいる、着いてこいと、幸村さんが言ってから既に五分、経とうとしてのを体内時計が感じていた。
私は着物で足幅が制限されているため、歩くのが遅い。
彼はスタスタと速めなテンポで、歩く。
距離が開いていく。
今はちょうど2メートルくらいだ。
置いて行かれないように頑張ってついていく。
もはや、小走りにも近い歩調になった。
それでも、距離は少しずつ開いた。
これ以上、歩調を速めるのは正直キツい。
まだ、着かないのであろうか。
聞こう、とも思ったが
会話は歩き始めから今までの間、ない。
ため、聞きづらい。
前を歩く彼は、真っ直ぐ前を見て歩を進める。
振り向くことは、ない。

視線を彼の後ろ姿から外して、俯く。
そうして、きしきし、廊下をあるく音。
たまに外から聞こえる鳥のさえずり。
布の擦れる音。
密かな呼吸。
それらはひっそりとした、音。
音に耳を傾ける。歩調をゆっくり落とした。
その間にも、彼は歩き、距離が開く。
幸村さんが角を曲がる。
視界から、彼が消える。
冷たい床、空気。
きしきし、廊下を歩く音が、少し遠ざかって――――
訪れる無音。


孤独を感じた。


ひやっとした感覚に襲われる。
鳥肌が、立つ。
やだ。独り、は、怖い。
急に、全ての音が途切れた。
私、は駆け出し、角を曲がる。
そして見えた、彼の、幸村さんの、羽織の袖の裾を掴む!


「―ッ!!」
「!…名前殿?いかがなされた」


幸村さんは驚いた顔をして振り向いた。

私は、俯く。
そして返事をしようと口を、開ける。
置いて行かれそうで怖かった。
静寂に残されるのが、嫌だった。
独りは怖い。
なんて、情けなくて、いえるわけがない。
口を、堅く閉じた。
何も言えずに、裾を握った手に力が入った。
他の、言い訳を考える。

「………名前、殿?」

幸村さんの戸惑うような声。

沈黙が走る。
袖の裾を握り、握られたまま立ち尽くす。
このままじゃいけない。
けれど、言い訳が浮かばない。

「………」

裾を掴んだ腕が揺れた。
少し、目線をあげると幸村さんが私と向かい合っていた。

「名前殿」

少し屈まれてのぞき込むように目線を合わせられた。

「どうなされた?」

それから。
子供に掛けるような酷く優しい声で、再度、問われた。
その声、はじわりと私の何かに刺激を与えて、口は言葉を紡ぐ。


「幸村さんに置いて行かれると思ったんです」
「独り、は寂しいです」

幸村さんは驚いたように目を見開いた。
言った自分も驚いた。
あんな、するりと出るとは思わなかったからだ。
気づけば、その本音は言ってしまえば意外と楽だった。
幸村さんは驚いた表情崩さないまま固まっていた。
よく固まる人だなぁ、と思った。
癖、のようなものなのだろうか。と考える。
幸村さんが覚醒して、すくっと立った。
それをつい、目で追った。
今度は幸村さんが俯く。


「名前殿、悪いが手を離してはいただけないだろうか?」
「…はい」


拒絶された。

そうか。
気づけば私が言った言葉は凄く自分勝手で迷惑なものだった。と自覚した。
置いて行かれそうになったのは、歩くスピードが遅いから。
一人になりたくないなんて、今時小学生でも言わない。
とても子供じみた我が儘だった。
拒絶されても、仕方ない。

そっと握った袖の裾を離す。
そこだけ、シワが残ってしまった。
それは手が痺れるほど力一杯握ったのもあって、至極当然だった。
申し訳なく思った。
俯く。



手を、突然掴まれた
誰に、言うまでもなく幸村さんにだ。
その間にも、見ると、幸村さんの顔はだんだん赤く色づいていく。
彼はくるっと、180°方向転換をした。
無言で歩き始める。
くん、と体が引かれた。
スタスタと前を真っ直ぐ見て彼は歩く。
歩調は相変わらず、速い。
だが、距離はどうやらもう開かなそうだった。
引かれる手がとても暖かい。
赤い耳が目に入る。
声こそは出さないものの、へらり、笑ってしまった。


あぁ。
この人は、いい人だ。


*


幸村さんの足が止まる。
襖に向かいあって、襖に手を掛ける。
どうやら到着したようだっt「おやかたさむあああ!!!」



――――っ!?

馬鹿でかい声(らしきもの)が発せられた。
きーん、と耳鳴りがした。
素直に音が突き抜け、がんがんと頭を揺らす。
不意に足場がなくなったような感覚に陥った。
同時に視界が上に傾く。
前に、授業でやった。
耳の前庭という器官が平衡覚を司っていると。
溺れたりすると平衡感覚がなくなるのは、この前庭が麻痺するからだと、聞いた。
溺れると平衡感覚がなくなるなら、今の私はさしずめ、音に溺れたっていうことか。


首の下とお腹に腕が回される。
迷彩服が目に映った。
後ろから何かに、体を支えられるように抱き止められる。
耳鳴り以外の音がしない。
顔をのぞき込まれる。
佐助さん、だ。

「……、………?」

佐助さんはパクパクと口を開ける。
どうやら何かを話しているようだ。
けれど、聞こえない。

「?」
「……………、……?……?…れ様の声、聞こえてる?」

急に、佐助さん低い声が近くで聞こえた。
と同時になにやら騒がしい音が聞こえたが。
「うぉぉぉっ!」

音が帰ってきた。

「今、聞こえました」
「ほんと?よかった。ねぇ、名前ちゃん。あれ。」


「こんの馬鹿ものがあああ!!!」

鼓膜を突き抜ける怒鳴り声。
ど突く音。
それから弧を描きながら宙を舞う、多分幸村さん。
襖に着地する。
バキベキといろいろが折れた音が響く。


ぱちくり。
今の自分はきっとそんな感じ。


「あのお方こそ、この甲斐の国の大将の武田信玄公様」


あはー、と佐助さんは苦笑する。
気が遠くなった気がした。


きみと、しいあか。


(いったいこいつはなんてこった!)
(えらい場違いだよね、私)



*20090129


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