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騒がしくも愉快だった朝食を食べ終わったのは、約2時間前。(こちらの時間でいうなら1刻前)

今の時刻はお日様も天辺に登った、いわゆるお昼頃。
武田の姫(仮)になった私に与えられた部屋は昨日の離れの一室である一輪挿し(花の名前がわからん)と、掛け軸(なんと書かれているのか達筆すぎて解読不能)がかかったわびさびのある和室だった。新しい畳の匂いがすごく癒やしだ。
姫としての教養なんかはここになれた頃を見計らってたたき込まれ始めるぞ、と1刻前にお館様様から教えていただいた。(名前よ、覚悟しておけぃ!と豪快に笑ったお館様様は輝いていた。)
ふるり、と悪寒がした。
(それにしても、静かだなぁ)

あふう、と短く欠伸をした。
さすがにこの時間に雀はもはやちゅん、とは鳴かず変わりに忙しなく女中さんがあるく廊下が、思い出したようにきしり、と鳴いた。

…あえて言おう。暇であると。

食後とはいえ眠くなることはなかった。
なぜなら、なんて偉そうに言えることではないけれどシエスタ(お昼寝)するほど睡眠欲求がなかったからだ。授業中は眠れたのになあ、と部屋の隅っこに置かれた少しくたびれた私の学生鞄に目をやった。

鞄の中には私の時代になら人の目にはばかられるようなものや、高価なものは入っていない。
高価と言えるものがあったとしたら、28000円の電子辞書とか。自腹だったから、学生の私にはこれは凄い高価だった。
あとは家族から拝借したデジカメに親から与えられた携帯と、これまた自腹のMP3くらい。
これでもこの4つを売ったとしてもせいぜい5桁がやまだ。
ただ、この時間ではそうではないのだろうとおもった。

私はそれらを取りに行くために立ち上がる。
するとこれまた上質な着物がしゅるり、と柔らかく擦れる音がした。

ずしりと堪える重さのそれを抱えて、私はまた元の位置、部屋の隅っこに戻る。
隅っこはいいね、心が癒されるよ。言い過ぎた。
それから、じじじ、と音をたてるジッパーをゆっくり開けた。
みっちり、鞄のなかはいつもと同じ密度を保っていた。
使い古した青いペンケースに未使用のルーズリーフ。
学校の授業中に書きとったルーズリーフをいれたファイル。
配布されたプリントを保管してるファイル。
電子辞書にデジカメに携帯電話にMP3。
それと鞄の容量が許すだけ詰めた教科書と、参考書。それと英単語帳。

そのなかから、おもむろに電子辞書を取り出した。
堅いケースの中に収納されたそれを開いて、電源をいれた。
動くか少し心配したがモノクロの画面に"Welcome"が表示されたので安心した。
画面には電源を切る前に使用していた一括検索画面が表示されている。
んー、と唸りながら少し考えて、画面に表示されていた英単語を消し、おもむろに"た た み"とキーを叩く。

たたみ【畳】
和室に敷く,わらとイグサで作った敷物。

「おー、よかった使える。」


それじゃあ、と呟いて"さ な だ ゆ き む ら"。とキーボードをたたいた。


"該当する語句がありませんでした。"


・・・・・・・・・あれ。
幸村さんって出ないんだ。意外だ。
彼はあんなにもキャラクターが濃いのに。
ちがった、強そうなのに。
握ってくれた手はあんなにごつごつして、血豆とか、つぶれたあとだってあったし。
体のいたるところに古傷だって、生傷だってあったのに。
あの武田信玄に殴られて吹っ飛ばされても生きているくらいなのに。
マイナー、なのかな?
でも・・・・・・・・・・あれ?

疑問に感じて"た け だ し ん げ ん"とキーをたたく。
これならば出るであろうと確信していたからだ。
なんてったって大河ドラマにも出たんだから。
"該当する語句がありませんでした。"


嘘だ。
なにこれ、嘘だ。

"お だ の ぶ な が"
"該当する語句がありませんでした。"

うそ、

"と よ と み ひ で よ し"
"該当する語句がありませんでした。"

嘘だ、

"う え す ぎ け ん し ん"
"該当する語句がありませんでした。"
"だ て ま さ む ね"
"該当する語句がありませんでした。"


「なんだこれ。え、なん、で。」


故障した?いや、それはない。
畳は出たし、英単語だって出てたし。
さぁ、と血がひいた音がした。

"タイムスリップをした"
そんなのは武田信玄に会った時点で理解してた。
じゃあ、なんだ。
じゃあ、これはなんなんだ。

語彙が足りない頭を恨む。
かたかた、手が震える。

ここは、日本のはずだ。
言語、食事、建築物は日本のものだ。
武田信玄は日本史に登場する人物だった。
同姓同名にしろ、明らかに日本人の名前だ。


…仮定するなら、ここは日本であって日本じゃないのか。
もしくは過去の現在は、現在の私のいた時代のものにはわからない。なんで。変わる恐れがあるから、てか。
今、わたしにはこれらを確かめる術はない。


ここは甲斐の国。
お館様、幸村さん、佐助さん。彼らは多分、戦国武将というもの。
今の季節は雪を見る限り冬。
時間は、太陽の位置から多分12時くらい。
今は、戦国時代の真っ只中。

わかっているのはこれだけ。
なんて、少ない。
電波が届いたなら、携帯電話が使えたら、ネットワークが使えたらよかったのに。
そしたらきっと、こんなもどかしい思いをせずに済んだ。
これじゃあ、帰る術どころか、自分で自身の身を守るための術もわからない。
これじゃあまた迷惑がかかってしまう。

「わしの娘にならぬか?」
「よろしくね、名前ちゃん」
「名前殿が寂しくないようにしただけだ。」



衣食住を与えてくれた、あんな私の話を聞いてくれた、あんなに優しくしてくれた。
今以上に、これ以上あの優しい人達に迷惑をかけたくない。
これくらいは、自分のことくらいは自分でしなきゃ。


電子辞書の電源を落とす。
それから鞄を抱き上げて、膝の上に抱えた。
開いたままの鞄から覗く教科書や参考書、MP3などがもとの時間にいた証拠。
辞書をしまって変わりに参考書を一冊取り出す。
赤ペンでチェックがついたり、付箋がたくさんついたそれはまだはっきり成りたいものがわからない私が成りたいものになるための抵抗の証。

行きたい学校も、学部も決まってない。なりたいものも漠然としたままの高校3年生の春を迎えた。

これから夏がきて秋が来て、それから受験シーズンが来てしまう。
周りはもう輝く目をして成りたい自分を語るのに、自分はのらりくらりとまだ宙ぶらりん。

成りたい自分を決めなきゃいけないのになんで私はここにいるの。


もし。
戻ったら受験シーズンだったらどうしよう。
受験シーズンが終わってたらどうしよう。
みんな卒業してたらどうしよう。
みんないなくなっていたら、…。


「早く、帰らなきゃ。」

言い聞かせるように、ポツリと声に出した。
親や友人や、先生のためじゃない。自分と彼らのために。





きみと、えない先




(置いていかれるのはやっぱり、)
(私は浦島太郎のようにはなりたくないの)

*20090801



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