初めての出会い
放課後、いつものようにピアノを弾いていると、開けっぱなしにしていたドアから琉夏の奴がひょっこり顔を覗かせた。
「セーイーちゃん!ねぇねぇ、セイちゃんってば!」
無視してピアノを弾き続けていると、琉夏が負けじと首に絡み付いてくる。それでも俺は琉夏を無視した。長年の付き合いで、それは単に腐れ縁みたいなものだけど、こいつと関るとロクな目に合わないことがわかっているから。
「うわっ!」
「あれ、感じちゃった?セイちゃんやーらしー!」
「うるっさい!ああもう、おまえは黙ってろ、琉夏。……そして琥一!」
首筋の産毛が全て逆立った。あろうことか、琉夏の奴が俺のそこに向かって息を吹きかけてきたからだ。椅子から立ち上がろうとしても、首もとに絡まっている琉夏の両腕がそれを許さない。身をよじって振り返ろうとするが、琉夏の腕はびくともしなかった。いつからいたのか、気付けばそんな俺と琉夏のやり取りを呆れ顔で見ながら、ドアにもたれて琥一が立っているのが見えた。不機嫌なのがすぐわかるほど眉間に皺が寄っている。面白くないのはこっちの方だと言ってやりたい気持ちを堪えて、仏頂面で立っている琥一に向かって言葉を続けた。
「早くこいつを連れて帰れ!」
「ずいぶんじゃねぇか、セイちゃんよお」
「そうだよセイちゃん、冷てぇよ」
「……で?何の用だ」
こうなるとピアノどころじゃない。取り合わずにさっさと用件を聞いて帰ってもらうのが得策。それも長年の付き合いでわかっている。
聞く体勢に入ったことに満足したのだろう。しつこく絡みついていた琉夏の腕が急に弛緩して、椅子の前に回り込んできた。こいつは油断ならない、このまま座っていてさっきのようなことになったら厄介だ。咄嗟にそう考えて椅子から立ち上がると、愉快そうに口の端を吊り上げている琉夏と正面から向き合った。その横には、ゆったりとした動作でドアから進みでてきた琥一。口元は笑いを噛み殺したようにうっすらと上がっている。
「お、セイちゃんわかってんじゃねぇか」
「そうそう、素直なのが1番だ。…な?」
目配せしながら意味ありげな笑みを浮かべているのを見るたび癪にさわる。こいつらは昔からこうだ。余分な言葉を交わさず、目を合わせるだけで意志疎通が図れてしまう。どうやら兄弟というのはそういうものらしい。こいつらに限って言えば、なのかもしれないが。
「言っておくが、俺は暇じゃない。用がないなら――」
「セイちゃん、いいものあげよっか?」
俺の言葉を遮った琉夏は、ポケットを探り何かを取り出すと、それを拳の中に隠すような仕草をした。昔、そうやって指し出された拳の中から、飛び出してきた様々な物を思いだして自然と身構えてしまう。
「いらない、おまえの『いいもの』が、いいものだったことが一度でもあるか?」
「ひでぇよセイちゃん。俺、セイちゃんがもうすぐ誕生日だと思ってプレゼント用意したのに」
「いま何月だと思ってるんだ、前倒しにも程があるだろ!」
「あれ?そうだった?」
視線を斜め上に投げるようにとぼける琉夏を見て、本気で馬鹿だと思った。そんな琉夏に一瞥をくれてやると、俺の目の前で開かれるはずだった拳を、琉夏は琥一の方へくるりと向けてしまう。
「ちぇっ、つまんないの。じゃあコウにやる」
「おっ!こりゃすげぇ。セイちゃんにやんのはもったいねぇや」
「だろ?」
そうして俺に背を向けて、『いいもの』とやらで二人は盛り上がっている。だがこいつらが、わざとそうしているのが手に取るようにわかった。二人だけで盛り上がっているようで、琉夏がチラチラと視線をこちらに投げてくるから。
「やっぱり……もらってやらなくも、ない」
二人が少し羨ましい。そんな気持ちからきた言葉だった。思惑通りだったんだろう。琉夏の顔が瞬時に輝く。
「素直じゃないなぁ」
「いいから寄越せ!」
別に欲しかったわけじゃないけどと、そんな風に心の中で言い訳しないと格好がつかない気がする。きまりの悪さも手伝って、琉夏の手の平から奪うように『いいもの』とやらを掴んだ。
なんだ、これ…?
エッセンシャルオイルに近いような、ぬるっとした不快な感触ともに、今までに触ったことのない柔らかくだけど萎み伸びきったそれが何なのか、咄嗟に判断がつかなかった。意味がわからずとりあえず眺めてみても、そもそも見た目が何かの抜け殻のようで気持ちが悪い、嫌な予感まで感じる。
よくよく見ても、いや、考えるまでもなく、これがいいもとはとてもじゃないが思えなかった。
「なんだよ、これ。…ああもう。オイルみたいなものが手について取れないじゃないか。なんなんだよ一体」
「ぶは、セイちゃんオッシャレー!オイルとか言ってるぜ、コウ」
「気にすんなセイちゃん、そいつはローションってシロモンだからよ!後で手ぇ洗っとけ、それで解決だ」
「ふざけるな!」
こんなものをプレゼントだと称してここまで足を運んだ二人の神経を疑うし、自分だけが会話についていけない苛立ちから、険を含んだ物言いになってしまう。
「まぁまぁ、そう怒んなって。セイちゃん、それはさ、風船なんだ。だから膨らませてみて?」
「は?なんで俺が」
「いいからくだくだ言ってねぇでやってみりゃわかっからよ」
「い・や・だ!」
言ってから、しまったと思った。キラキラとした瞳を向けていた琉夏の笑顔が、ばっさりと片付けられてみるみる萎んでいく。
俺は反射的に琥一へと視線を走らせた。幼い頃、こういう空気になると決まって琥一からの反撃が待っていたから。だが予想に反して琥一は、あの頃のように俺を小突かなかったし、癇癪を起こしたように怒鳴りもしなかった。
琉夏はと言えば、明らかに落ち込んでいるのに懸命に笑おうとしている。そんな二人からたまらず目を逸らした俺は。
「ああもう、やればいいんだろうやれば!」
謝るよりも、こうした方がいい気がした。
back|next
3/9page,
TOP>>main>>collaboration