すーすーする。空気が、露出したわたしの足を撫でた。真夜中の高層ビルの屋上。わたしはその縁に座り、足を宙に垂らしていた。やっぱり高いところは冷えるなぁ。足と同じように露出された二の腕を、抱きしめるようにぎゅっと掴んだ。だけど冷えきった手でいくら腕を掴んだところで、なんの慰めにもならない。
「待つんだ、」
「……ダイゴ」
「どこに行くんだい」
足をふわふわと揺さぶりながら、風になびく黒い髪と、短いスカートを見下ろしていた。その行為に、意味なんか何もなかった。
追いかけてきたんだ。わたしは後ろからした声にゆっくりと首だけで振り返る。そこには立入禁止の文字を無視して、屋上へと入ってきた悪いやつがいた。いけないんだ。わたしがそれを指摘すると、ダイゴはそれはきみも同じじゃないかと返してくる。…うん、そうだね。息を切らしたダイゴにこの声が届いたのかは、はたしてわからないけど、ゆっくりと、静かにわたしもそれに同意した。
「どこか、遠いところに行くよ」
「……行くな」
「ダメだよ。それだけは、ダイゴのお願いでも聞けない」
「聞いてくれ」
「嫌」
「違うんだ、僕は、きみが好きなんだ」
会話が噛み合わない。わたしは遠くへ出かけると行っているだけなのに、ダイゴはわたしに愛を告げた。ふふ。薄く笑うわたしにダイゴはまた好きだと繰り返した。知ってるよ。漸くわたしがそう言葉を返せば、ダイゴはついに口をつぐんだ。
「知ってる。ダイゴ、わたしもあなたが好き」
「だったら…」
「でもダメ。わたしとダイゴは付き合えない」
「どうして」
「わかってるでしょう?それなのに聞くなんて、意地悪ね」
わたしとダイゴが、出会ってからちょうど1年ほどが過ぎた。出会いはほんの些細なものだった。わたしとダイゴは驚くべきほど性格が食い違っていた。だけどそれが逆にお互いを引き付けた。わたしは直情型の人間だ。ダイゴの回りくどさは面倒ではあったけれど、それに、惹かれてた。両思いなのも、わたしたちはちゃんと知っていた。それでも、今日までわたしとダイゴは結ばれることはなかった。その理由はしごく簡単で、ダイゴには、生まれたときから許嫁がいたからだ。
「謝って、別れるさ」
「無理よ。それは、デボンにとってよくないわ」
「じゃあ僕がきみを浚って逃げる」
「……嬉しい。でも、気持ちだけで、いい」
立ち上がる。髪と、スカートが揺れて、そしてしょっぱい滴が風に一緒に流れていった。空へと瞳を向けるわたしの後ろで、ダイゴが慌てて駆け寄ってくる音がした。来ないで。来たら、許さないから。わたしの言葉に足音は止まる。
「やめてくれ」
「…ダメ」
「好きなんだ」
「わたしもよ」
「僕は、」
僕は、きみがいないと生きていけない。叫ぶように紡がれた言葉に熱かった瞳はさらに燃えた。ダイゴの言葉はとても嬉しくて、投げかけられる言葉に、甘えてしまいたくなる。だけど、わたしはダイゴの障害物にしか過ぎないのだ。わたしは、遠いところに行かなくては。
「大丈夫。ダイゴは、わたしが居なくても生きていける」
「やめ、」
「ありがとう。…バイバイ」
もう一度だけ振り返って、絶望的なあなたを瞼の裏に焼き付けて、わたしは風になる。ひゅうううう。風を切り、泳ぐ音がした。ビルの屋上には、わたしを追いかけないダイゴの悔しげな表情が小さく見えた。ほらね。ダイゴは、わたしがいなくても生きていける。わたしは小さく微笑んだ。そして。
「クロバット」
スーパーボールを空に投げる。ダイゴの姿は既に見えないところまでわたしは落ちていた。後はきっと、この闇よりも暗い夜がわたしを隠して浚ってくれる。クロバットはわたしを掬いあげ空を飛んだ。
「どこか、どこか遠いところへ」
風と一緒に出かけます。だからどうか泣かないで、ダイゴ。わたしはあなたの中で死んでしまった方が、あなたのためになるのだから。だけどわたしは生きてるから。クロバットが羽ばたく羽音はわたしの言葉を飲み込んで、消し去っていった。
怪盗解凍かいとう