「この気持ちの処遇は、お前が決めて欲しい」
「于禁、殿」
「返事は待つ。いつでも良い」

そういって于禁は透雨に背中を向け、自室へと戻って行く。。
晴天の中、于禁に話があると言われ、恐らくは次の戦についてだろうかと着いて行けば、予想とは全く違う言葉がかけられた。
規律を正す于禁の重低音が紡いだのは、透雨への愛の告白であった。

風が吹き、桜の花弁が于禁の姿を隠した。思わぬ言葉に透雨の足は縫い付けられたように頑なに動かず、心の臓が敵の武将と鍔迫っている時とは比にならないくらいに、拍動によってその存在を主張している。
嬉しくないわけがない。透雨は、初めてあの将軍と会ったその日から、于禁をずっと慕っていたのである。しかし、透雨にとって気持ちを伝えるのは不安の付き纏うものであった。

翌朝、透雨は定刻通り目を覚ます。昨日の一件に喜びと不安を抱えているが、于禁に返事を待つと言われたのだ。透雨は于禁に自身の気持ちを伝えなければならぬのである。そわそわとした動きで平服を身にまとい、赤の髪飾りを整え、好人もいる宮へ淑やかに歩を進める。
宮に赴けば、目当ての人物はすぐに見つかった。眉間の皺が、何時もより幾許かくっきりと深く刻まれている気がする。
「于禁殿」
「透雨か」
「その、お話したいことがあるのです。今日、どこかでお会い出来ませんか?」
于禁は透雨よりも遥かに上背があり、見上げなければその表情を窺い知ることは出来ない。地を見るように俯く透雨からは、薄茶色がどこを向いているのかすら分からない。
一瞬の静寂の後、于禁が口を開く。
「……夜となるが、構わぬか」
「構いません。夜にまた、この場所に来て頂けますでしょうか 」
「ああ」
「透雨様!」
副官が透雨を呼ぶ声が響く。あぁしまった、もう行かなければならないのか。はっとして顔を上げれば、鋭いながらもひとつまみ程度の柔らかな光が薄茶色に浮かんでいるのが見えた。
「ありがとうございます、于禁殿。……その、また夜に」
透雨が于禁へと背を向け、ぱたぱたと走り去る。風にたなびく銀髪の隙間から、朱に染まった耳がのぞいている。その背を視線で追えば、彼女を呼んだ副官と歩く姿が目に入り、どろりとした嫉妬の念が于禁を襲った。

職務を終えた透雨が窓へ目を向ければ、金色の光がちらつく濃紺の帳を纏った空が広がっている。約束の刻限である。中庭へ向かわなければ。はやる足を抑えられず、はしたないとは思うが、裾を翻しながら透雨は向かう。
中庭へ着けば、夜桜の下に凛と立つ于禁が目に入る。
「申し訳ございませぬ。わたくしがお誘いしたのに、貴殿を待たせしてしまいました」
「いや、さほど待っていない。……それで、用件だが」
「その……昨日の件で、于禁殿にお聞きしたいことがあるのです」
「聞こう」
「はい。……えぇと、本当にわたくしで良いのか、と、そう思うのです」
透雨は于禁から目を逸らし、自身の手をぎゅっと握る。
「既に存じているとは思いますが、わたくしは蔡文姫殿のように繊麗な女ではありません。詩歌は世辞でも得意と言えませんし、そも、凡そ女とは言い難い、怪力女です」
それでも、わたくしを好いて下さるのですか。
まるで涙を流しているような声であった。
透雨は特異体質であり、常人と比べはるかに膂力がある。筋繊維の密度が異様に高く、見た目には分かりにくいが、その身体はしなやかな筋肉で武装されている。将として生きる今、この体質は幸運と言って差し支えないものであるが、透雨にとっては、女として生きることへの枷と感じる部分があった。于禁からの告白は嬉しさを覚えたが、これを受容してもらえるのか、沼に沈むような不安が大きかった。
しかし、于禁はそれを知っている。
「確かにお前のその膂力は常人とは一線を画すものだ。だが、私はそれを含め、お前を愛してしまっている」
そう言うと、于禁は透雨の握られていた手を取る。一回り以上も大きなその手はあたたかく、まるで透雨を包み込むかのようであった。その温度は透雨のなかへ染み入り、于禁への溢れ出た思いが涙となって流れ落ちる。
「う、于禁殿……」
「泣くな、全く。……返事を、聞いても良いか」
大きな手が透雨の涙を拭う。
「っはい、于禁殿。わたくしも、貴方をお慕いしておりました……初めてお会いした、あの日からずっと」
尚も薄桃の輪郭は涙で溶け、于禁の手を濡らす。しかし、その顔は憑き物が落ちたように晴れやかであった。
「于禁殿……わたくし、とても嬉しく思います」
大きくあたたかな手に、剣による胼胝はあるが小さくやわらかな手が重ねられる。頬を擦り寄せれば、まろい頬のなめらかな感触が于禁へ伝わる。白銀の髪が月明かりに照らされた美しきおんなの姿に、月世界の姫の寓話を思い出す。あの寓話は月へと帰ってしまうものであったか、それならば、この者は私が守らねばならぬものである。空いた手で細い腰に手を回し、腕の中へ閉じ込める。
「……文則と呼んでくれ、名前」
字で呼んで欲しいと言えば、透雨は破顔する。
この宮中において于禁を字のみで呼ぶ者はおらず、透雨を初めてその存在として許すことになる。それは透雨も同様であった。
「はい、文則殿。わたくしのことも、どうか名前とお呼びください」
「ああ、名前」
文則、名前。互いの字を呼ぶ声が夜闇に溶ける。于禁の背にしなやかな腕が伸ばされ、二人の境界が密に着く。
「これからは、共に過ごすことになる。異論はあるか」
「ありませぬ。ずっとお傍に置いてくださいませ」
どちらともなく、顔が近づく。結ばれた二人は、星空の下に口付けを交わす。

その後、程なくして二人の婚姻の儀が曹操の下で盛大に執り行われた。
魏軍の将軍二人の婚姻に、民は祭りだといわんばかりに喜んだという。

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