神格化されたメモリー







とある昼下がり、神忌は館の一角にある図書室で分厚い本を読んでいた。いつもの騒がしい彼女から一変し、片方だけ覗く赤い目のみを忙しなく動かしながら、手元にある本と共に思考の海へと潜り続ける。

数十分経っただろうか。何者かが廊下を走る音が辺りに木霊したかと思うと、がちゃりと図書室のドアノブが勢いよく回る。扉を開けて入ってきた平腹は短い髪を振り乱しながら辺りを見回し、視界に神忌の茶色の髪が入り込んだところで、彼はひょこひょこと彼女の元へ向かう。

「神忌!」

何度か呼びかけるが神忌からは何も反応がなく、近付いて本と顔の間でひらひらと手を振る事で、ようやく現実世界へと彼女の意識を引き戻すことが出来た。

「やっと気付いた!」
「あー……平腹か……どうした?」

からからと笑っている平腹を少々不審に思いながら本に栞を挟み、本を閉じたところでやっとのそりと顔を上げて問う。

「いや何もない!で、何読んでんの?」

眩しい笑顔で返答したかと思えば、すぐさま疑問が飛んでくる。会話のキャッチボールかと思うが、これはむしろドッチボールだろう。言葉を変えれば殴り合いだ。

「これか?アタシがここに来た時期の資料だ。」

神忌がその手に持っている本をひらひらと掲げる。

「神忌がここに来た時の?ってことは?」
「まぁざっと2.300年前のだな。」
「すげー昔の!」
「うっせ。」

空いている手で平腹を軽く叩き(しかし彼女の怪力から繰り出された平手はそれでも威力が強い)苦笑する。江戸の生まれである彼女は、他の獄卒と比べてそこそこ古参の方であり、比例して年齢を重ねているのであまり触れられたくはない話題なのである。

「にしても何でそんなん見てんだ?」

首をかしげながら平腹が問う。それを聞いた彼女は少しもごもごとさせた後に口を開く。

「変わらないな、と思ってな。」
「ほ?獄都なら結構変わったぞ?」

オレが来た時よりも!と平腹が言う。それを聞いた神忌は目を逸らし、髪をかきあげながら溜息をついた。

「え?」
「あー、確かに獄都は変わったぜ。そりゃもうかなり、な。けど違うんだよ。……アタシさ、変わらないのは。」
「……どういう意味?」

よくわからない、といった風に尋ねる。瞳の奥に爛々と好奇心の光を宿しながら首をかしげるその動作は、言うなれば雛鳥を彷彿とさせる。

「……これだけ長い間獄卒として存在しているアタシが、あの時と比較して何も変わっちゃいない。何百年間も成長してないんだよ。……そう思うと、何か情けなくなってきてなァ。」

自分で言って更に気分が落ち込んだのか、先程よりも深い溜息をつき、心なしかいつも煌々と光る猩々緋が鈍く、暗くなっているように見える。それを見た平腹は、意味をよく理解していないがあの神忌をここまで落ち込ませる変化と成長とやらに感心するという、彼女が知れば容赦なく鉄槌が下される様な事をぼんやり考えていた。そして記憶にある自分が来た当初の獄都と今の獄都を比べ、暫くして口を開く。

「んー、オレが来た時よりかなり変わったぞ?ってーかそんな気にするモン?」
「……はぁ?」

珍しく、至極真面目そうな顔で述べる平腹に、神忌が思わず素っ頓狂な声をあげる。まるで当然だ、とでも言うような表情に思わず毒気が抜かれる。

「だってさ、それって神忌がずっと自分のペースでいるってことじゃん?むしろ何百年も何も変わらず見守ってるってことじゃね?てか今更神忌が変わったら、神忌が神忌じゃなくなるみたいでやだね!」

いつもの笑顔で矢継ぎ早にそう言うと、平腹は神忌の近くに置いてあった椅子に座り、もたれかかる。その一部始終を横目で見ていた彼女は本日何度目かの溜息を零した。

「あーなんか馬鹿らしくなってきた……。」

平腹に聴こえないように小声で呟くと、片手で額を覆って肩を震わす。よくわからないまま平腹がその様子を見ていると、ガタンと音を立てて読んでいた本を元の場所へと戻しに行った。

「平腹、そろそろ飯だろ?行こうぜ。」

本を棚へと返し、座っていた場所へと戻ってくるなり言った彼女の顔にはもう重暗い雰囲気は無く、片方だけ覗く猩々緋は、いつもと同じ様に奥に意思の強さを潜めて爛々と輝いていた。

「おう!」

(神忌なんか元気なった?)
(は、どうだろうな?)

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