ながい夜でも明けるから



瞼を開くと、窓から見える外の世界はもう夜に満ちていた。

学級裁判を終えてタワーから脱出した俺達は、重い足取りで各々のコテージへと戻った。備え付けのベッドへと沈み込むと、そこには久しぶりの心地よいマットレスと羽毛の感触。俺はそのまま寝てしまっていたようだが目が覚めてしまったらしい。もう一度寝ようとするが、目が冴えてしまっているのか眠る事が出来ない。

「……散歩でもするか」

コテージを出て行く宛もなく歩く。辺りはすっかり夜の帳に包まれ、真っ黒な空にたくさんの星が彩りを添えている。これは絶好の散歩日和だな、なんて思いつつふらふら歩いて行くと、いつの間にか海岸へ辿り着いていた。
昼間は澄んで真っ青な空の色を映し出す海が、月と星空の輝きを映す鏡として一面に広がっている。

「……綺麗だな」
「夜だしねぇ」
「!?」

近くから聞こえた声に驚き、思わず後ずさってしまった。視線をずらすと、ざかざか砂を鳴らしながら俺の方へ向かってくる存在と視界に入った。暗い夜でも目に付く黒と金のツートンカラーに、どこか陰を落とす真っ赤な瞳を持つこの少女は。

「鬼龍院、何でここに?」

鬼龍院響己。超高校級のドラマーと呼ばれる人物だ。

「ん?あー、まぁ、あれだよぉ。ふら~っと散歩。気が付いたらここにいた感じ~。うん」
「気が付いたらって……」
「僕的にはむしろそっちこそどうしたのって感じなんだけどね?」

今夜中でしょ?と言って鬼龍院は俺の近くで足を止める。俺を見上げるその表情は紫色のマフラーで覆われ、窺い知る事は出来ない。

「何故か目が冴えてさ、それで散歩してた」
「日向も散歩かぁ。同じだね」

普段と違って抑揚の無い、感情の色を感じられない鬼龍院の声に何処か恐怖と哀しみを抱いた。

「……なぁ、鬼龍院。お前今……何を思ってる?」

俺の突然の問い掛けに、目の前の彼女は首を傾げる。

「何をって……何も?」

高い位置で縛られた髪を揺らしながら#名字#は答える。傾けられた首はもたげられ、真っ赤な瞳が俺を捉えた。宵闇に映えるアンタレスの様に丸くて大きなその目は女子曰く不変的に"可愛らしい"と評される筈なのに、今の彼女を見ていると俺にはそう思う事が出来なかった。

「何もって……」
「え?……ああ、日向の聞きたいことは何となくわかったよぉ。そうだねー、強いて言えば」

このまま死にたいねぇ、と鬼龍院は続けた。その言葉で俺の背筋に何かが走り抜け、咄嗟に彼女の小さな肩を掴んでしまう。

「鬼龍院お前まさか!?」
「でもさぁ、死ねないんだよねぇ」

掴む手を振り払うわけでもなく、淡々と言葉が紡がれる。

「あーあー最後にあんな呪いかけられちゃったからなぁ」

そう言いながら彼女の腕が鬼龍院の口元を覆うマフラーへと伸びるのと同時に、重い息を吐かれる。

「こーいう覇王様にかけられた呪いってさぁ、覇王本人にしか解けないんだよ」
「……それって、田中の言った……」
「あはは、この僕がこーんな小さな呪いに縛り付けられるなんてとんだ御笑い種だよぉ。腹立つなぁ」

そう言ってけらけらと愉快そうに笑うが、その目に光はない。 狛枝とはまた違う狂気を滲ませる血色はマフラーを握りしめる。……きっとこの少女は、マフラーの持ち主を想っているのだろう。
クロとして断罪された田中眼蛇夢……紫色をしたマフラーの持ち主と鬼龍院は、聞いた話によると幼馴染みだったらしい。あまり積極的に皆と関わろうとしなかった田中だが、鬼龍院とはいつも2人でいる姿を見かけた。そのマフラーは、そんな2人を繋ぐ最後の砦なのかもしれない。

「……鬼龍院、」
「ほんともう眼蛇夢ってばさぁ。小さい頃僕に振り回されてたからって今になって当てつけかっつーのあぁでも僕ちゃんと眼蛇夢のお母さんの料理食べきってるかなら違うか違うねあぁもうやだなんで死んじゃったんだよなんで置いていったんだよやだよやだ僕が独りで生きてけるわけないじゃんか知ってるだろ馬鹿野郎覇王とか言っといてこのザマじゃないか!!」
「鬼龍院!!」

静かな海に、鬼龍院の悲痛な叫びと俺の怒号が響き渡る。
……この少女は、鬼龍院は今、何も見えていない。目の前の俺ですら、認識していない。
それでも、ここで今こいつを放っておいたら、それこそ取り返しのつかない事になる。それだけは理解出来る。

「鬼龍院、落ち着け。ゆっくり呼吸しろ」
「やだよぉ……眼蛇夢……殺してよぉ……」

赤色の瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ、マフラーをしとどに濡らす。思わず肩を掴んでいた手で、鬼龍院の顔を無理矢理だが上に向かせる。
ぶれていた瞳が、ようやく俺を捉えた。

「聞いてくれ、鬼龍院。……田中は、お前を守る為に犠牲になった……そうじゃないのか?」
「っ、」
「アイツは……田中は優しい奴だった。ここで知り合った俺ですらわかるんだから、お前にわからないわけがないだろ?……だから、お前を残したんだ。そうじゃないか?」
「……それ、は」

鬼龍院の言葉が詰まる。言葉をぶつけるのは、今しかない。

「田中がかけた"生きろ"って呪いに鬼龍院はもうかかってるんだろ?……だったら、特異点であるお前なら、その呪いを通して田中の想いを読み取れるだろ?違うか?」

田中眼蛇夢という男は、愛する人に……鬼龍院響己という存在は生きていてほしかったんじゃないのか?……田中は、お仕置きとやらにかけられる前に、鬼龍院にこう言っていた。

"貴様はこの俺様が唯一寵愛した女だ。俺様の許可なく死ぬ事なぞ許さん"

俺の言葉をトリガーに、田中からかけられた言葉を思い出したのだろう、鬼龍院は言葉にならない声を上げて泣き始めた。それはギリギリまで溜め込んだダムを決壊させる様な激しいものではなく、迷子の子供が親を探してしゃくり上げる様な、憐憫の情を誘う静かなものだった。
上を向かせていた手を動かし、柔らかな髪の毛を撫でる。

俺達は、生きないといけない

だから、お前も生きてくれ

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