Straight To Video | ナノ
28
一人でいる時間は嫌でも自分と向き合わなければならない。たとえ気を紛らせても考えることを放棄することはできない。クリスが座っていたソファーに名前は脚を抱えて座っていた。
彼女の視線の先には電話がある。
家族は私のことを心配してるのかな…。かれこれ連絡は一ヶ月以上取ってないから。学校にも行けなくなってしまった。友達にも会いたいな。何することなくお喋りして時間を潰して課題に追われて…
―――私の存在はどうなってるんだろう?
名前が巻き込まれたのは大きな事故でマスコミにも大きく取り上げられた。
気づけばこんなことに。
負傷者として?死者として?そもそもカウントされてないのだとしたらそしたら私は行方不明者か。
長居のできない限られた時間で何ができるかなんてわからない。
―――ピンポーン…
『!』
真っ昼間、インターホンが鳴った。名前は様子を伺うようにソファーから立ち上がり中腰で身構え、カチャリと解錠された響きの後に、扉から現れる姿を固唾を呑んで待った。
『―――っ!!!?』
「あ、」
現れたのは見知らぬ男。動揺し反射的に足を引いた名前は存在を忘れていたローテーブルにつまずいて派手に転けた。
『ぃッた…ッ…!』
「大丈夫か?ぅグッ!?」
駆け付けた男が名前に触れた瞬間、彼女の裏拳が顔面にヒット。たまらず怯んだ彼の隙をついて一目散に寝室へ入り、彼女は開けられないようドアに背を押し付けて押さえた。
「…泣けるぜ」
男はどこかへと電話を掛け始める。
「クリス。言われた通りのリアクションだ」
『(クリス…!?)』
名前はドアに耳を押し当てる。
「《名前、聞こえるか?》」
ドア越しにスピーカーモードのクリスの声が呼び掛ける。
「《俺もジルも仕事が立て込んできたから、君が心配で彼に様子を見に行ってもらうように頼んだんだ。彼は味方だよ。会って話を聞いてほしい》」
『……』
男が何度か相づちを打つと通話が切れる音がした。さっきからドアと一緒に押さえて固定するように握りしめているドアノブに、彼も向こうから手を掛けている感覚が伝わってくる。
「無理に開けろとは言わないよ。なんならまた時間が経ってから出直そうか?」
男に名前から返事はない。
彼がドアノブから手を離してその場を去ろうとすると、小刻みにノブが下降した。
「やぁ」
ドアが引かれてビクつきながら名前は顔を出す。
『ごめんなさい、私、…』
膝から崩れ落ちた名前を男は透かさず支えた。ベッドに運ぶため抱き上げた彼女の体は鉄を抱いたように硬直している。
降ろして寝かせようとしたとき、まるで離さないでと言いたげに、彼の胸元は名前にきつく握り締められていた。
指先が白く変色するほど強く握る拳を彼は引き剥がさず手で包み込み、体を抱き寄せると名前もすがるように彼に身を寄せる。
「驚かせてごめんよ」
胸の中で名前は一種の過換気症候群を起こしていた。治めることができるのは本人だけ。男は彼女を抱いて静かに深く呼吸をする。
それは名前にも伝わって、規則正しく上下する胸に触れた耳が呼吸の音を拾う。
「…その調子……」
吸っては吐いて…できるだけゆっくり…また吸って。
本格的にひどくなる前に止められたおかげで、彼の補助なしでも名前の呼吸は正常に戻っていく。甘い声色で包まれた彼の言葉の余韻が尚、心を落ち着かせた。
治まってから目を動かし、初めて見た男の顔は鬼かと思えば優美で凛として、目が合って笑みを浮かべる口の端は決まった裏拳によって切れて赤黒く滲んでいた。
「レオンだ。よろしく」
『……口が』
「あぁ、いいんだ。気にしてない」
彼の首筋から胸元にかけて香る甘い匂い。きっと非喫煙者だ。レオンはクリスに比べれば体型はスマートで腕もずっと細いのに、抱き締められて守られていると同じくらい安心する。
腕に重みが増すということは名前が自分に体を預けてくれているということ。
レオンも一安心していた。
余分な力が抜けて、折れ曲がってしまっていた手足がしなやかな曲線を取り戻しつつあるのが視認できる。
「さて、名前…聞くだけ聞いてくれ。俺はここに暫く帰れないクリスとジルに代わって迎えに来たんだよ」
『……迎え?』
「場所を移らないといけない。大丈夫すぐそこだ。ここから見えるよ」
レオンは立てるようになった名前を連れ、寝室を出て窓を開けベランダへ出た。
長く待ちわびた外の世界。天気は快晴、緩やかに吹く風は雨上がりの独特の匂いを纏う。彼女は思いきって天を仰いだ。溢れる高揚感、目が痛いくらい澄んだ青は美しかった。
そして手摺を覗きこむと眼下に並ぶは数多くの装甲車、ここら一帯は高い壁やフェンスで仕切られているらしい。
『うわぁっ…』
「移動するのは隣のデカイ建物だ。外からでも中からでも行ける」
レオンが指差す方向を向くと確かに大きな建物があった。
太陽によって浄化された悪い気を深呼吸で吐き出して、手摺に寄り掛かると何も考えずに目を細めて遠くを眺めた。
レオンも名前の隣に来て手摺の上で頬杖をつき、徐に彼女の頬に手を当てて親指の腹で撫でる。
『なっ、なんですかっ…!?』
「死にそうな顔色してたから」
触れられたことに驚いたのか、名前は真ん丸に目を見開いて挙動不審に視線を反らして伏せた。レオンは大真面目に心配してからかったつもりはなかったが、蒼白い頬が薔薇色へ変わる様は見ていて可憐で可愛がりがいがある。
一方化粧をしていても自信はないのに、素顔をまじまじと見られる名前はたまったもんじゃない。
だけどこんなにも彼は近くて。
手が離れたあとは再びできるだけ遠くを見ようとしたのだが…
『……あんまり見ないでください』
「どうして?」
『どうしてもです』
本人は平静でいるつもりだろうが、肌が白いだけにみるみる赤みを増す顔色にレオンは静かに口角を上げる。
「…つれないな」
また俯いた名前の頬をいたずらに指の背で撫でると、肩が跳ねてくぐもった小さな悲鳴が漏れた。
これには彼女も少しムッとしてレオンの方を向くと、一歩間違えれば唇が触れてしまうような距離に顔があってなじる言葉が消し飛ぶ。
顔だけ勢いよく反らして前を見据えようにも焦点が合わない。
隣から聞こえる喉を鳴らして笑う声。彼は一枚上手だ。
レオンは口を利いてもらえなくと困るので、この辺で止めておこうと彼女と同じく外を眺めた。
「……さっきから溜め息ばっかりだな」
『えっ?』
「溜め息吐いてる」
『あはは…今頃何してたんだろうと思って…』
そして言葉は半ば一人言のように続く。
『今じゃ自分がどこにいるのかもわからない…。ちょっと前まで自由に一人でぶらぶらすることも、人に会うこともできた。普通の学生やってたはずなのになんでこんなことになっちゃったんだろ……ホームステイ先のおじさんやおばさんにも会えてないや…』
「そうか…。君はどこに居たんだい?」
『△○に半年間……、!』
名前は、はっとしてついベラベラと動いてしまった口をつぐんだ。
「△○か。ここからなら大体…一時間弱、かな?」
『!』
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