My last 改稿版
願い 14

1

 月日が流れ、二〇二〇年となった。強い日差しと肌に張り付く湿気が弱まりを見せる初秋。
 未だ残る暑さが人々を茹らせる正午、高専の校庭で澪は真剣な面持ちで構えていた。距離を空けて対峙するのは、訓練用の薙刀を携えた真希だ。

 入学以降、澪は体術の訓導を虎杖悠仁と禪院真希の二人から受けている。
 悠仁は自己流を交えた体軸の変化方法と技の研鑽に努めさせる指南であるのに対し、真希はその学びを実戦で活かすための解釈に重点を置く。
 二人の内、特に厳しいのは真希だった。澪が隙を見せれば容赦なく急所を狙われる。勿論そこを攻撃されることはないが、もしも実戦だったのなら何千、何万回死んだか分からない。
 けれどひと月ほど前から、練習用ではあるが武器を用いた鍛錬に付き合ってくれるようになった。多少は澪の成長を認めてくれているということだろう。
 しかし未だに澪は彼女から一本も取れずにいる。何度かあと一歩という所まで詰めるに至ったが、素手以上に柔軟な立ち回りと鋭い読みで叩きのめされてしまう。
 その度に次回こそは、と新たな戦法を熟考して挑むという繰り返しが現在である。

 真希は来年の三月になれば高専を卒業する。それまでには何としてでも一本を取るという目標を密かに掲げ、この日も澪は挑むのだ。

 先に動き出したのは真希の方だった。たった一歩で一気に間合いを詰め、初期動作がほとんど見えない太刀筋は、容赦なく首を狙ってくる。
 澪は膝を深く沈めて回避した。そして屈んだ体勢のまま足払いを仕掛けるが、真希は後方に飛び退く。
 素早く追いかけ、今度は眼前に向かって正突きを繰り出すが、柄で受け止められる。
 ここまでは予測済みだ。澪は淡々とした足捌きで真横を擦り抜けるが、その間にも横腹、頸椎を狙い連続して突く。
 しかし一秒以内に繰り出した高速の打撃は、長刀とは思えない滑らかな動きの柄に全て弾き返された。

(相変わらず、容赦ない……! というか、死角を狙ったのに、長刀に目でもついているんですか……!?)
 木製とは言え拳に滲む痛み、次いで悔しさ、それに相反して生まれる敬意と得も言えぬ高揚感。
 無意識に澪は笑みを浮かべる。
 次の一手を仕掛ける為、一旦後退しつつ距離を取った。
……その矢先。構え直しの隙を狙い、真希は間合いの遥か外より薙刀を背に隠しながら迫って来た。

(早い……! けど、やっと誘いに乗ってくれた……っ)
 寸前まで軌道の読めない竹製の刀刃は、彼女の間合いに入った瞬間、その背から唐突に現れる。太刀筋はかなり低い。
(きた……予想通り!)
 長刀が狙うのは、ほんのわずかだけ隙を見せていた足元――脛だ。澪はこの動作を完全に見切っていた。
 すかさず樫製の柄と竹製の刃の接合部分を狙い、体軸を捻って踵で踏みつける。すると繋ぎの部分が音を立てて割れ、刃は地に落ちた。

 蹴った足を引きながら、澪はとどめと言わんばかりに真正面から胸部を突く初動に移る。
 対して真希は全く動揺する気配はない。澪の構えと同時に、体術の攻撃動作に体勢を切り替えていた。体躯を捻って旋回蹴りを放つ挙動だ。

……これも予測していた反応。
 このまま馬鹿正直に正拳を打ち込めば確実に真希に避けられ反撃を食い終了。かといって攻撃を止めて相手の蹴りを受け止めたとて、膂力や筋力の違いで押し負ける。

(ならば。強力な攻撃を身に受けなければいい)
 その思考に準じて、澪は正拳突きを狙う身体の流れは変えずに寸前まで真希の意識を引き付けた。
 旋回蹴りが放たれる瞬間、体軸を変化させ、蹴りが向かってくる方向に倒れ込むようにして素早く避ける。
 そのまま身体をしならせ、頬を地面に限りなく寄せた。狙うは真希の胸元。あとは爪先を伸ばし蹴りを斜め上に高く差し込むだけ。

 だが、その矢庭。脛に予期せぬ痛みが走り、反射的に足を引っ込めた。
 真希は澪が蹴突をするよりも早く、ぐるりと上下を反転させた石突で、蹴りを受け止めたのだ。澪が真希の長刀と破壊した際と同じ防御方法である。

(長刀は捨ててなかった……っ。誘い込まれたのは私……! と言うか! かなり痛いです、真希先輩!)
 先を読んだつもりの渾身の一手は、更に先回りされていた。澪の読みは浅すぎた。最早苦い笑みしか出ない。

 筋肉の殆ど付いていない脛は、受けた衝撃をほぼ直に骨へと伝えてしまう。練習用の薙刀の石突には革製の打包が付いているとはいえ、痛みは澪の動きを一気に鈍らせた。
 足を戻して起き上がろうとするが、地面と平行状態の姿勢のまま、薙刀の石突が澪の蟀谷に掲げられた。

「……。参りました」

2

「カウンターと最後の横蹴りは結構危なかった」
 今回の鍛錬も澪の完全敗北で幕を閉じた。
 けれど折れた薙刀を見遣りながら、真希はどこか楽しげだった。

「先日新たに悠仁先輩に技を教えて頂いたので、早速試してみたんです」
「やっぱアイツ仕込みか……流石だな。にしても、今回の組み立ては中々面白い。参考になった」
 彼女の貴重な賞賛に、澪は嬉しさで頬を色付かせる。本来は思い切り抱き着いて喜びたい所ではあるが「調子に乗るな」と窘められそうなので、懸命に体躯の内へ高揚を抑え込んだ。

「なあ、そろそろ得物も使ってみようぜ」
 ゆくりなく告げられた提案に、一拍おいて澪の喜びは陰った。
「ですが、私は」
「分かってる。でも実戦で使えって話じゃねぇよ。訓練として実際に使ってみた方が分かることは多い」
「訓練として、ですか……」

 ふと澪は口元に手を当てて沈思する。
 真希の助言は詰まる所、鯛も鮃も食うた者が知るということだろう。

 およそ一年半ほど前、四級として呪術師としての一歩を踏み出した。二年生として迎えた春に三級、そして夏に二級昇級を果たした。
 一年以上呪術師として目立った働きがないことが功を奏したのか、これまで不自然な襲撃を受けることも、等級に不相応な任に就くこともなかった。しかし今はまだ学生として保護される立場が働いているだけかもしれないので、油断は禁物だ。
 高専卒業後はモラトリアム期間を経て、真の意味での呪術師としての活動が始まる。計画が進めば、遅かれ早かれ、人間と命を賭して戦う時が必ず訪れる。
 それは呪術師として避けられない道でもあり、白主家を守る者として覚悟せねばならない責務なのだ。

 人間の方が、呪霊よりもよほど厄介だ。例え格下だとしても、人は集団を形成し戦術を組み立て、実力以上の力を得る場合がある。運が悪ければ苦戦どころか敗北もあり得るだろう。
 そして澪には致命的な弱点がある。刃物への耐性の無さだ。複雑な術式や熟考した策などを練らずとも、刃のついた武器で挑まれれば瞬時に片がつく。
 刃を向けられた際に精神を乱されず対処出来るに越したことはない。その為の近道はこの手に武器を持ってこそ。真希はそう伝えたいのではないか。

 与えられた言葉の真意を求めて思考を巡らせている内、薙刀の柄が唐突に眼前に現れた。そのまま軽く額を叩かれて思案は急停止する。
「あいたっ」
「また難しく考えてんだろ」
 澪は額の軽い痛みを摩りながら眉を下げて見上げる。真希は緩く笑みながら続けた。
「ごちゃごちゃ考えんな。自分が強くなる為に色々試してみる、くらいでいいんだよ」
「強く……ですか。ただ、私はどうやっても先輩達のようには成れません」
「そうか? 諦めんのは勿体ねぇと思うけどな」
「またまた。褒められて伸びる性分ですが、無意味におだてると調子に乗りますよ?」
 澪は口を小さく尖らせて戯けた口調で返す。けれど、真希の反応は変わらず真摯であった。
「知ってる。だから世辞じゃねぇ」

 穏やかに告げる真希の眼差しに偽りはない。元より彼女は思ったことをはっきりと口にする気質だ。相手の機嫌を取るような発言などは誰が相手だろうと一切しない。

「澪は随分強くなった。四月頃の死に掛けの顔が嘘みたいだ」
 その笑顔は、安心したような爽やかさがあった。彼女の柔和な笑顔に反して、澪は少々苦い笑みを返す。

……今年の春過ぎの出来事だ。
 その時分の澪は、周囲の優秀な人々と己を比較し、弱さに焦燥し、結果として自分自身さえ全く見えなくなって空回る日々を繰り返していた。
 周りの人々の憂慮もつゆ知らず、とうとう焦る余り無理を言って恵の任務に同行し、当然ながら散々な結果となった。

 それを端緒に知った。
 忙しない日々の中で目的を見失っていたこと、弱さを受け止め支えてくれる人々がそばにいて、時には彼らの優しさに身を預けても許されるということを。
 それらが身内で覚醒した時、己を変えていく力を得た。その過程があるからこそ、澪の心境は少しだけ複雑だった。
 二級よりも上を目指してみたい。けれど、己の強さに固執し、また目的を見失ってしまいたくはない。諦めをはらんだ笑みを浮かべた。

「……。先輩達が強く導いて下さったお陰ですよ」
「違うな。私たちがどれだけ手を引っ張ってやったとしても、オマエ自身が足を踏み出さなきゃ結果は出ない」
「……真希先輩…………」

(やっぱり、ここの人たちはみんなすごい。私の迷いを断ち切って、奮い立たせて、信じさせてくれる……)
 澪は瞼を少しだけ伏せたが、次に真希と向き合った瞳から、迷いを消す。
「……ちょっとだけ、武器を使った鍛錬に挑戦してみようと思います」
「よし。次は早速薙刀を使ってみるぞ」
「はい……!」

 言いながら、澪は控えめに真希に寄り添う。一年以上の年月を経て、すっかり人と触れ合うことの心地良さを覚えた、甘えの仕草である。
 褒めて欲しいという期待と懇願を込めた眼差しで見上げると、真希は仕方がなさそうに小さく息をつき、頭に手を添えた。これは甘えを許容する真希なりの合図だ。
 許しを得た拍子に、澪は真希に抱きついた。

(私は、本当に恵まれている……。入学したばかりの頃は、まだ分かっていなかったけれど、今ならその有り難さがよくわかる。みんなのおかげで、私は少しずつ変わっていける……)

「ありがとうございます。真希先輩」
「なんか今日のお前、気色悪いな……」
 頭を撫でていてくれていた手は、額にその掌を添えたかと思うと、澪を遠ざけようと押し返し始めた。

「純粋な感謝をお伝えしただけなのに何故!」
「オマエと悟が媚びてくる時は大体何か企んでる時だからなぁ」
「それ五条先生だけですよ! それに、これは媚じゃないです! 真希先輩のような武術の達人に教えを施してもらえる幸せを感謝しているのです!」
 澪は首ごと顔を退け反らせつつも真希から頑として離れず抵抗しながら抗議した。

「過大評価だ。武術の達人だなんて恥ずかしくて言えたもんじゃねぇよ」
「またまた。先日の大規模な殲滅戦で誰よりも功績を上げた上に、ついに一級に成ったでしょう? どんどん目標に近づいているじゃないですか!」
「肩書だとか周りの評価だけじゃ意味がねぇ」
「……?」
「目指してる人がいるんだ。あの人みたいになれなくちゃ、強くなったなんて口が裂けても言えないし、禪院家当主の座なんか程遠い」

 思いもよらぬ言葉だった。真希の性格からして、澪を躱すための謙遜や冗談ではなさそうだ。
「そ、そんなに強い方がいらっしゃるんですか? 真希先輩以上に武を極めている方が?」
「ああ」
 頷いた彼女の表情はどこか苦しそうで、悔しそうである。まるで、見えているのにどれだけ手を伸ばしても届かないものを見上げているような、そんな表情だった。
(真希先輩がそこまで言うなんて。禪院家の方かな……? それとも真希先輩の師匠とか……? いえ、そもそも人……なのでしょうか?)

 彼女は本来持って生まれるはずだった呪力の殆どを代償とする、先天的な縛りによって得た力がある。
 そんな彼女の才を上回る存在がいるとしたら。その思考が自然と澪の口から溢れる。

「その方は。真希先輩と同じく、天与呪縛を身に受けているのですか」
 真希は澪を遠ざけようとする手を離し、小さく頷いて肯定を示す。その答えを聞くや否や澪はつま先を伸ばして熱望した。
「なんとか私にも合わせていただけませんか! それが難しければ、遠巻きに眺めるだけでもいいので!」
「無理だ」

 これもまた即答であった。首を傾げつつ澪は眉尻を下げた。
「余程の地位の方なのですか?」
 御三家当主並みの地位を持った人物か、あるいは総監部の中でも最上位クラスの人間なのだろうか。だとしたら確かに易々とは会えない。
 しかしもしそうであったとしても澪の関心は消えはしない。名前だけでも聞かせてもらおうなどと、食い下がる心意気だった。
 だが次に真希が口にしたのは、全く想像していない一言であった。

「……もう死んでるんだよ」
 子供さながらの好奇心溢れる瞳とは打って変わって、たちまち澪は目の色を変えた。強い意思を伴う鋭い光を湛えた瞳だ。
 真希の体に回していた腕を解いて、一歩下がる。恭しく真希の目を見据えながら、澪は端然とした声調で告げ、深く頭を下げた。

「どうかその方のことを詳しく教えてくれませんか。……お願いします」
「話聞いてたか? 知った所でもう会えないんだぞ」
「はい。……その方が亡くなっているからこそ、知りたいのです」

 瞬間、真希ははたとして口を開く。
――……降霊術か」
 神妙な双眸を見据え、澪は深く頷いた。
「その方を降ろせたら、私の目的を果たす近道になるかも……。それに手合わせが叶えば、真希先輩にとっても何かヒントに繋がるかも……!」
 しかし、見上げた眼差しは返答に迷っているように澪の視線から外れた。けれど、間も無くして再び視線が交わる。
「…………。分かった。私が知ってることだけでもいいなら」

3

 二〇一八年、十月三十一日の渋谷にて。
 特級呪霊との交戦の折、真希は圧倒的な膂力と戦闘技術を持った男を見たのだという。しかし会話をすることもなく、その男は特級呪霊を圧倒すると、同じくその場にいた恵を掻っ攫うようにして立ち去ってしまった。けれど、恵にその後を訊ねると、一線を交える最中に突如自死したのだという。

 禪院家現当主であり真希の叔父である直毘人は、正体不明の男を既知している様子であった。
 真希は事件の収束後に問い質し、男について幾つかの情報を得た。
 その男の名は、禪院甚爾。
 彼は禪院家に生まれた人間であり、一切の呪力を持たないという特異な呪縛を身に受けていた。しかも本当は二〇〇六年に亡くなっていたという。
 故人が何故現代に現れることになったのか。その理由は降霊術によるものだ。
 渋谷での事変後、禪院家にて保管していた遺骨の一部が何者かによって奪われた形跡が見つかった。これにより、渋谷に禪院甚爾が現れたのは降霊術を用いた呪詛師の仕業だと判明したのだ。

――……悪いが、それ以上のことは分からない。どうも、うちではその人の存在は無かったことにしたいらしくてな」
「そう……ですか……」
「でも、呪詛師が彼を降ろしたのなら、何故仲間であるはずの特級呪霊を倒したのでしょうか……」
「恵がいうには、その人が自裁した後、姿が別人の男に変わってたらしい。それから、離れたビルで降霊術師の婆さんが死んでたんだと」
「なるほど。肉体情報を下ろした媒体は、術師とは異なる人間……。先に術師が討たれて術式が暴走したのかも……」
「でも、降霊術の婆さんと戦ってた猪野さんは、その人の肉体を降ろした男に全く歯が立たなかったし、婆さんには指一本も触れられなかったって言ってたぜ」
「術師死亡による術式暴走よりも前に、イレギュラーが起きていた……?」

 降霊術は他の術式に比べて、失敗の反動によるリスクが高い。
 余程の凡愚ではない限り、事前の準備や確実性のある方法を用いて甦生を行うのが定石だ。己の身ではなく他者に情報を降ろすのなら尚更、裏切りや術師への直接攻撃を回避しなければならない。
 老婆の仲間の男は、あらかじめ強い洗脳を施されていただろう。つまり、降霊対象以上の力量を持つ相手と対峙したとて、媒体よりも先に術師が討たれる可能性は限りなく低い。
 呪殺を生業としている人間であったのならば、余念は怠らなかったに違いない。
 だが、完璧な事前工作で甚爾の肉体を操る手筈が整っていたにも関わらず、情報を下ろした際に問題が発生したのだ。

「そのイレギュラーって、例えば?」
「……恐らく、人の域を超えた肉体の情報に媒体が堪えられなかった、とか」

 戦闘に降霊術を用いる場合の定石は「肉体情報のみの降霊」だ。魂の情報を降ろしてしまえば、その瞬間から媒体は術師の思い通りには動かなくなってしまうからだ。
 だから、間違いなく降霊術師の老婆は仲間に「禪院甚爾の肉体情報」のみを降ろしているはずだ。
 しかし、何故か媒体の自我は甚爾の肉体に上書きされ、甚爾に意識を乗っ取られた。そして術師は彼に屠られる結末を迎えた……。
(いや、自分で仮説を立てておきながら、全く意味がわからない……。そんなのあり得ない……)

「それって、降霊術が一切通用しないってことだよな」
「そう、ですね……。少なくとも、並みの術師では…………」

 降霊術の定石を打ち砕いた最たる原因は、真希をも凌ぎ、彼を超人足らしめる強力な天与呪縛である可能性が高い。
(一切呪力を持たないのに、術式が通用しない肉体? 私の降霊術なら、縛りを使えば完璧にコントロールできる……?……やってみたい……)

 生まれながら否応なく強大な呪いを背負わされた男。
 一体どんな人物で、どれほどの強さがあるのか。それに、特級呪霊を倒す力を持った彼が死すこととなった原因は何なのか。考えるほどに澪の興味は倍加していく。

「澪」
 ぐるぐると巡る思考に楽しさを見出してきた澪に、真希は先ほど以上に暗く沈んだ表情を向けた。
「悪い。…………もう一つだけ、知ってることがある」
「些細なことでも構いません、是非教えてください!」
「…………その人が亡くなる何年か前だけどな。禪院から籍を抜いてんだよ」
「ふむ。もしかして、婿に入られたと言うことですか?」
「ああ。だから、生前の姓は禪院じゃない」
 そして真希は口を噤む。けれど、澪は何故こんなにも彼女が言いづらそうにしているのか理解できていない。首を傾げて続きを催促すると、観念したように真希は口を開いた。

「……伏黒だ」
「え……?」
 伏黒、という姓は実に珍しい苗字だ。真希の実に居た堪れなさそうな態度からして、偶然の一致ではない。
「恵先輩の、お父様……なのですか」
「オマエがここまで興味を持つとは思わなかった。……勿体ぶって悪かった」
 澪の期待は音を立てて崩れてしまった。