My last 改稿版
春嵐に告ぐ -3-

『苦手だった人』

1

 安曇真琴は自身の顔が苦手だ。「見る人次第」と曖昧には収められない中性的な見た目であるからだ。
 更に悪い事に、やや女性寄りの顔立ちらしく、幼い頃からしょっちゅう初対面の相手に性別を間違えられた。
 中学の思春期真っ只中な時分、女子生徒に馬鹿にされてから、見事に自分の顔がコンプレックスとなり、以降は前髪で目元を隠す髪型が固定となった。
 顔を隠しても、結局「女顔」から「根暗」に蔑みが変わったに過ぎなかったが、彼には性別に関わる部分を揶揄されるよりも、性根を曲解される方が楽だった。
 それだけではなく、彼の視線の行方が読み辛くなったお陰で、幼い頃から見えていた異形の者達とも遠ざかれている気がした。

 しかしひょんなことから関わりたくもない呪いと深い縁のある、呪術高専に半ば強引に入学することになり、卒業後は流されるがままに補助監督という職務に就いていた。

 正直事務仕事は全くもって得意ではない。かと言って折衝だとか情報収集なんてもっての外だ。
 強いて言えば、道を覚え最短の経路を考えたり、車を運転したりするのは好きなので、足付けはすぐに慣れた。しかし出来ることなどその程度だ。
 彼に唯一補助監督たり得る技能があるとしたら、せいぜい帳を下ろせる事くらいしかない。それ以外は非術師と何ら変わりない人間である。
 せめて職について三年。それまでは補助監督としてできる限りのことをして、どうにも向いていないと分かったら諸々理由をつけて辞めよう。限りなく後ろ向きな考えで高専に居座り、だらだらと三年目を迎えた。

 特に続けたい理由もなければ、辞めたい理由もない。もう三年考えるか……なんて受動的な考えが芽生えたある日。最悪なことに、次年度の入学者だという少女に目を付けられた。
 子供に「目を付けられた」なんて甚だ情けないが、事ある毎に彼女は安曇に絡んで来るので、あながち間違った表現ではない。
 本当に最悪だった。こういうやたらと人懐っこく明るい人間は性分がまるで合わない。
 過去、自分を蔑んだ女子の姿を思い出しそうになるのでたまったものではない。少女の存在を疎ましく思っていたのだった。

2

「安曇さんの目の色って、綺麗ですよね」
 白主澪が安曇に告げた「初めまして」以降初の発言がそれだった。

「……はい?」
「以前、ちらっと見えた時に思ったのですが、瞳の中心に向日葵が咲いているみたいで、綺麗だと思いまして」
 目を付けられたのはこの会話が発端である。それ以来、事あるごとに子供の如くしつこく覗き込もうとする澪が心底鬱陶しかった。

 そうしている内に数ヶ月が経った。気付けば期日としていた三年が過ぎてしまっていたが、安曇はそれさえも忘れてしまっていた。
 任務を受ける機会が増えた澪の送迎に当たることが増え、しつこさが倍増したからだ。
 移動中もやたらと話しかけてくるし、車内でラジオでも流そうものなら唐突に歌い出す。つまり純粋にうるさい。

 ある日それに耐えかねて、せめて澪に対するストレスを一つでも軽減しようという思いで前髪を切って出勤した。
 対して心血を注いでいた仕事でもなかったので、澪から逃れる為に仕事を辞める選択肢も勿論あった。しかし、それを理由に辞めるのはどうにも彼の自尊心が許さなかったのだ。
 この目を隠しているから澪にとっては物珍しく思えて、やたらとしつこくされるに違いない。見えるのがごく普通のものとなれば、こんなものかと飽きるだろう。きっと、子供のように。

 勿論今まで自分を守る為にあった髪を切るのに抵抗がなかった訳ではない。
 だがふと彼は、この職場には人の外見にとやかく言うような矮小な人間が一人としていない――約一名余計なことを言ってきそうな人物はいるが、その人の茶化しはもはや子供が構って欲しい時のそれだと思うと、今では大して気にならなくなった。ので、もうこれ以上過去に固執するのも馬鹿馬鹿しく感じ出したのだ。

 前髪が軽くなり、明るく鮮明となった視界は、安曇を新天地にて散策しているかのような気分にさせた。
 出勤すると、当然ながら所員には「どなたですか!?」と口々に驚愕された。
 しかし、澪の好奇心から逃れたいのだという意図を伝えると、初めは驚いていた誰もが労いの声を掛けてくれた。やはり彼女の好奇心は自分に限らず誰にでもその面倒臭さを発揮していたらしい。

「でも、白主さんは悪気があってそうしている訳じゃないと思うんです。ただ純粋にその人のことを知りたくて、行動にでちゃうのかなって」
 同僚の言葉に、ゆっくりと安曇は頷いた。
「……確かに。そうなんでしょうね」

3

 その日は朝から澪を任務先に案内する予定があった。いつも通り、安曇は定刻よりも少々早めに待機していた。

「お待たせしましたー!」
 すると、後方で明るい声が飛んでくる。いつもの調子で澪がやって来たのだ。
 振り向けば、目を合わせた澪ははたとして立ち止まり安曇を凝視する。誰かと問われるかと思いきや、予想外にも忽ち彼女の表情があどけなく綻んだ。
「安曇さん! 髪型変えられたのですね!」
「……はい」

 興味深そうで尚且つ嬉しそうに澪は安曇の周りをくるくると回る。
「安曇さん!」
「何ですか」
「ちゃんとお顔が見える方がかっこいいですね!」

 澪はそう言って破顔すると、更に興味深そうに様々な角度から安曇を眺め出した。
「……白主さん。鬱陶しいのでもうやめて下さい。出発しますよ」
「はい! では今日もよろしくお願い致します!」

 返って面倒な事になった。そう思った時、安曇は運転席に乗り込みながら無意識に笑みを浮かべていた。
「安曇さん。CDを持って来たのですがかけてもいいですか?」
「だめです」
「えー!」
 出会った頃に抱いた不快感は何故か少しも彼の内には残っていなかった。全くもって、慣れとは恐ろしいものである。