My last 改稿版
春嵐に告ぐ -2-


1

 夜が更け始めた時刻。高専の宿舎の一室で、澪はベッドにいくつもの服を広げて熟考していた。
(明日は、このニットにしようかな……でもこのライトブルーのワンピースもいいなぁ。だけどこのショートブーツを履いてみたい……)
 夕方、任務から帰ってきた野薔薇から、明日は自分も一緒に買い出しに行くと聞かされた。それからずっと澪は女子三人での外出があまりにも楽しみでソワソワと落ち着かない。その上、五条が贈ってくれた服や小物たちは、好みの意匠のものばかりで、嬉しさに眠気が綺麗さっぱり吹き飛ばされてしまった。
 これに決めた、と明日のことを考えながらベッドに入ったのはもう三時間前のことで「でも……」と余計な思考が浮かんでからずっとこの調子だ。
 ようやくして最終決定した時には、もう空の底が明るくなり始めてしまったのであった。

2

「うーん。いないなぁ……」
 夜通し選び抜いた服を着て、澪は予定の二時間も前から高専の敷地内をうろうろと歩き回っていた。
……探し人が見つからない。しかしもうそろそろ出かける時間。諦めて宿舎に帰ろうかと立ち止まり考え込む。

「澪!」
 呼び声の方向を見れば、野薔薇と真希がこちらに向かって走ってきていた。
「おや? 野薔薇先輩。真希先輩も! おはようございます」
「おはようじゃなくて! 寝坊してないか確認しようとしたらいないんだもん。心配するじゃない」
「申し訳ありません……」
「散歩でもして道に迷ったのか?」
「いえ。実は、五条先生を探していて……」

――……なんか困ったことでも起きた?」
 ふいに現れたのは新たな声。
 野薔薇達の背後から突然姿を見せたのは、澪が探しているその人である。今日の彼の目元を隠すのは黒い布ではなくサングラスだ。澪は探し求めていた彼に会えたことと、今日は瞳を見られるかもという期待で、頬を綻ばせた。
「先生!」
「あ、やっぱりその服気に入った? 可愛いね」
「ありがとうございます! 全部素敵で……迷いに迷ったのですが、今日のお出かけはこれに決めました! 改めて先生にお礼を言いたくてお探ししてたんです」
「律儀だね。でも、もしかして徹夜した? 嬉しいのはわかるけど、体調崩したら元も子もないんだから、無理しちゃダメだよ」
「む……。はい、申し訳ありません……」
「あ、そうだ。今日の買い物のお金渡してなかったね」
「や、やっ、大丈夫です! もう十分なので!」
「でもさ。外出用の服だけで、肝心なジャージ買い忘れちゃったし」
 すると野薔薇と真希が顔を見合わせ、さっと澪の方に寄って五条から距離をとる。
「えっ。ちょ、っと待って。その服、先生が買ってあげたの?」

「そうだよ。昨日出張帰りに澪が好きそうな服を見かけたから」
 至極軽い調子で五条は答えた。しかし、野薔薇は目を丸くし、真希は顔を渋める。
「たった数日でアンタ達そういう関係!?」
「悟オマエ……馬鹿なんじゃなくて節操なしだったのか……」
 澪は思いがけない女子二人の反応に困惑した。
「そういう? 節操?」
「大丈夫、大丈夫。この子、お金どころか着替えも持たずに出てきちゃったから、困ると思って用意しただけ」
 五条の言うとおりである。澪も口は挟まなかったが二、三度頷いて見せた。
「へーえ……」
 しかし何故か真希は守るように澪の腕を引き、野薔薇は自分の背に隠すように前へ進み出る。五条は困ったように腰に手を当ててため息をついた。

「言っとくけど、君達のことも相当可愛がってるつもりだよ。しょっちゅう高級な肉や寿司を要求するのはどこの誰だっけ?」
「でもねぇ。食べ物はともかく、洋服って……しかも、これ絶対自分の趣味入ってますよねぇ。真希さん?」
「違いない。コイツこういうキレイめとか清楚系みたいな雰囲気、好きそうだしな」
「わかるわぁ……」
 ひそひそとした動作ながらも、かなり大きめな声で二人は声を交わす。相変わらず澪は状況が読めずに目を瞬かせて三人を交互に見やった。すると、五条はおもむろに財布を取り出し、数枚の札を取り出すと、野薔薇達に向けた。

「電車とバス乗り継いで移動すんの大変だよねー。はいタクシー代」
「五条先生は清廉潔白! ありがとうございます!」
 五条から札を受け取った野薔薇は恭しく敬礼した。

 真希と野薔薇を見て仕方のなさそうに息をつく五条を見ながら、澪は肩を落とした。
(……。多分、私の所為でまた先生にお金の負担をかけてしまった……。お礼を言わなきゃと思ったけれど、迷惑だったかな……)
 すると、温和な笑みを口元に浮かべた彼が近寄ってきて、そっと澪の髪を撫でた。
「澪、二人とはぐれないように。それだけは絶対に気をつけてね」
「は、はいっ」
「楽しんでおいで」
 仰ぐようにサングラスの奥にある眼差しを見つめた。眦が優しく綻んでいるのがかすかに見える。彼にとって、これくらいは迷惑でもなんでもない。そう語りかけてくれるような瞳に、甘えてもいいのかも知れないと勘違いを起こしてしまいそうだった。

「ほら見て、真希さん……好きあらばってやつ……?」
「やっぱ間違いねぇな……」
 澪を撫でる手を止めた五条は、意地の悪そうな笑みを浮かべて腕を組み、真希達の方を向く。
「おやおや? もしかして乙女達の嫉妬かなぁ。二人もこっちおいで。優しくなでなでしてあげよう」
 淑女をもてなさんとするように、五条が恭しく手を広げて見せると、途端に真希は「ゾッ」という声をあげて駆け出した。野薔薇は胸元に腕でバツ印を作って「いりませーん!」と顔を渋めて首を振る。
 二人を揶揄う横顔から、蒼い瞳の虹彩が窺える。楽しそうに微笑を湛えた色が綺麗で目を奪われていると、ばっと野薔薇に腕を掴まれた。

「ほら、ぼーっとしない。真希さんめちゃめちゃ速いから置いてかれるわよ」
「は、はい!」
 いつの間にやら随分と遠くに行ってしまった真希を、野薔薇と共に慌てて追いかける。けれど、手を引かれながらも澪は一度振り返って、五条に手を振った。
「行ってきます!」
 ひらひらと彼は手を振り返す。サングラスで目元の表情は判然としないが、きっとあの優しい眼差しを向けてくれている。そんな気がした。