My last 改稿版
春嵐に告ぐ -1-


 澪達と別れ高専を後にした五条は、長い道程を経て加茂宗家に足を運んでいた。
(相変わらず、なんか辛気臭い家だよなぁ)
 部外者を訝しむ者達の視線を意に介さず、彼は飄々とした態度で当主の許へと通せと横暴を押し通した。

「……というわけで、白主の一人娘は東京校で引き受けることになりました」
 用意された間で、五条は相対する加茂家当主に経緯を告げた。すると、初老の男は伏した眼差しで嘲笑する。
「そんなつまらない報告の為にわざわざ来たのか。特級術師というのは暇があり余っているようで羨ましい」
「虚勢を張らなくてもいいですよ。白主家も大騒ぎになってますけど、おたくの方が焦ってんじゃないかと思いましてね」
 すると男は鼻で笑いを返す。
「無駄な配慮に感謝だけはしておこう」

 御三家の中でもこの男が最も扱いづらい。加茂家当主は実に人の侮蔑を交わすのが上手く、それでいて反撃も陰湿だ。五条がこの家に訪れた理由は一つ。澪が懸念していた生家への気概を最小限に防ぐことと、降霊術式を隠すことだ。
 正直に事情を告げたところで逆効果なのはわかっているので、彼はとある策略を練った上でこの場にやってきたが、気を抜くと見抜かれかねない。
 根掘り葉掘り探るような声音で五条は問いかけた。

「彼女は随分そちらの嫡男と懇意にしてたとか。……自分の息子を使って何をするつもりだったんです? もしかして、四百年振りに発現した降霊術師を懐柔したかったとか?」
「ほう、憲紀が? そうだったのか。あまりに瑣末な事ゆえ承知していなかった。差し詰め憲紀の気まぐれだろう。……残念だが、あの娘には貴様が期待するような価値はないぞ」

 狸ジジイが。とついつい口に出そうになったのを咽頭に引っ込める。この男が憲紀を澪の監視として、度々彼に命令を送っていたのは知っている。そして憲紀が従順に見せかけて、澪を守るための嘘を吐き続けていたことも。
 この男の言葉がどこまで本心かは読めないが、おそらく嫡男の嘘を信じ込んでいる様子だ。ならばもう少しだけ突いてみてもいいだろう。……あたかも澪に降霊術があると見せかけよと必死な男を演じるために。

「価値は期待するものじゃなくて見出すものですよ。それに、こちらには六眼がある。そんなことも忘れるようなお歳でしたっけ?」
 するとふと加茂の当主は哄笑する。
「六眼は見えぬものも映し出すのか。耄碌しているのはどちらだ?」
「さあ。いずれ時が明らかにしてくれるでしょう」
「あまり安易に大口は叩くものではない。人攫いまでしておいて、大恥と大損もいいところだぞ」
「そもそも誘拐じゃないですよ。僕と彼女は長らく交流があったんでね。だから今回の件は、強制でも脅迫でもなく、彼女の意思で動いたことです」
「……貴様のような横暴な男にしては、やけに姑息な手をつかうじゃないか」

 ふと、相対する男の目が、怪しく光を帯びる。まるで核心を突いた、といわんばかりの、強欲な目だった。……ようやくこちらの策に引っかかったと直感する。

「五条。何故あの娘に固執する? 貴様が学生の時分、あれだけ通っていた白主家に何故近寄らなくなった?」
「僕が生徒を優先するのは、あんたらもよく知ってるでしょ。あの家に行かなくなったのは、執拗に詮索するおじいちゃん達が疎ましかったからですよ」
「得意な術式を手中に収め利用する目的ならば、普通は敵に手の内など明かさんよ」
「彼女を行方不明扱いにして隠しておくって? そんなのいずれバレますよ」
「情報収集が甘かったな。あの娘は近場に出掛けると言ったきり行方が分からなくなっている。誰も東京へ行ったことなど知らなかったのだよ。今日、貴様が明かすまでな」
「こちらの思惑は、降霊術を恣にする為じゃありませんから。術式の所在を明らかにすることに意味がある」
「そうか? 今回の件、随分と尚早で私情が強いようにも見えるが。……貴様、よもやあの娘の“術式ではないもの“を目当てに囲い込んだのではなかろうな?」
 あからさまに五条はため息をついてみせた。

「……年寄りの過度な詮索と妄想には付き合いきれないね。仮にそうだとしてもアンタらには関係ない」
「そう熱くなるな。こちらは何が目当てなのか名言しておらんぞ。……しかし、そうか。その年になっても縁談を断り続けていると聞いたが。やはりお前も例に漏れず、人の子だったということか」
「全く話にならないなぁ。ご年配の方々は人の縁談がどうしてそんなに気になるんですかね」
「何せあの家の女は器量が良いからな。分からなくもない。だが従順なようで強かだぞ。指一本も触れられず、いいように躱されんようせいぜい励め」

 明確な否定をせず、話を逸らそうとしてみても、眼前の男の目は下品に光って同じ話題に喰らい付いてくる。
 そろそろいいだろう。
 呆れを孕んだ表情で立ち上がり、五条は背を向けた。背後から鼻で笑う音が聞こえる。……今のところ、思惑通り勘違いしてくれているらしい。

 かなりムカつくことではあるが、あの男の目には「色恋に惑わされた挙句、加茂当主を欺こうとして失敗し、尻尾を巻いて逃げる愚かな男」として今の自分は映っている。
 相手が加茂の当主だったのは好都合だった。あれはまあ下品で下世話な男だ。しかし、他人を蔑むこと……殊に他の御三家を陥れることに関しては異様に盲目的だ。
 だから小さな穴の空いた網を広げてやれば、己の方が賢いと言わんばかりに穴へと突っ込んできてくれる。バカみたいにほかの獲物達を引き連れて。

「悪いことは言わん。せめて成人するまでは自重することだな」
 追撃の侮辱に対し、返事もせずふすまを閉めた。わざわざ演じるまでもなく腹が立つ男だ。女を色情の対象としか見られない言葉の節々に腹が立つ。猿以下の下劣で愚かな生き物だ。

 入ってきた時と同様、彼はずかずかと加茂宗家の敷地を闊歩する。荘厳な門扉の外へ出ると、まるで澱んだトンネルから緑溢れる大自然に飛び出したかのように、空気が澄み渡っている。

(澪も、ここから家路に着くときはこんな気分だったのか)
 脳裏に描いたのは、あどけなくも清廉な眼差しの少女の姿。素直にこの手をとって「信じる」と言ってくれた、その感触がまだ掌に残っているような気がする。

(…………まあ、あの変態ジジイの妄想もわからなくはない)
 澪は器量はこれからもっと伸びていくことが想像に容易い。
 しかし、五条にとって彼女を初めて見たのは、生まれて間もない赤子の時だ。それをどうして女として見ることができようか。
 あの無垢な笑顔に浄化されたい。あの笑顔さえ見られれば、きっと下品な笑いを忘れられる。……もしも自分が色恋に狂っていたら、そう考えて無闇に突っ走っていたかも知れない。
 彼女にそんな危うい魅力があるのは事実だが、自分はそれに惑わされず、正気を保っていられる。色恋沙汰にかまけるより、成すべきことがあるからだ。
 そんなことを考えながら、東京への帰路につこうとした彼だったが、再び澪のことを思い出す。

(そういえば、身一つで来てたんだっけ。……あれくらいの歳の子は、服でも買っていけばもっと懐いてくれんのかな)
……彼の身内には、劣情とは違う、他の女性には感じたことのない、父性にも似た感覚が広がっていくのだった。