Short Story
le scintillement d'etoile

1

「甚爾さん、今から星を見に行きませんか」
「行かねぇ」
 テレビから流れる天気予報にて、来週も今夜のように夜間の底冷えが厳しいという予報が流れた直後。唐突に澪がソファーに横臥する甚爾に告げた。間髪入れずに彼が返した答えは当然のものだと言える。

「どうしてですか」
「いや何で今からなんだよ」
「流星群が見られるんですって。今日が最適の観測日なんです」
 甚爾の前に掲げられた携帯の画面に表示されているのは、今夜の未明に掛けて最も多くの流星群が見られるという旨の記事であった。
 しかし、天体観測が魅力的であると懸命に説明せんとする文字の羅列を流し見ても、甚爾の身内には全く高揚感が芽生えない。
 ましてや今日は急遽立て続けに舞い込んできた任務を澪が次々と勝手に引き受け、強制的に甚爾を付き合わせた。その結果。早朝から出掛けて家に帰ってきたのは日付の変わる間際だったのである。
 そうして寝支度を済ませて眠気がそろそろと歩み寄ってきた頃合いに件の発言である。もはや嫌がらせなのかと思うほどに間が悪い女である。

「そんなもん見て何の意味がある」
 吐き捨てる甚爾に対し、澪は口元に薄く笑みを浮かべながら「物事の全てに意味が必要ですか?」と哲学者じみた言葉を返す。思考が鈍り始めている甚爾に反して彼女はかなり好調子らしい。
 その眼差しを見返しながら、こうなってはどれ程此方が拒否したところで一切引かないだろうと覚る。面倒な押し問答に発展する前に抵抗を諦めたのだった。

2

 車に乗り出発してからおよそ一時間。車通りも外灯も殆ど無い郊外の道を走りながら、澪はハンドルを胸に抱えるようにしてやや身を乗り出す。フロントガラス越しに空を見上げ愕然と呟いた。
「く、曇ってる……」

 続いて道脇に逸れて「まさか」と言いながら停車すると、彼女は携帯を取り出して操作を始める。
 どうせ近郊の天気予報も見ずに思い立ったのだろうと、甚爾は狼狽する運転手には一瞥もくれずに、遙か先まで星の瞬きが遮られる夜半の曇天を遠く眺めていた。
 数分後。彼女は勢い良く顔を上げたかと思えば進行方向を指差し、およそ深夜とは思えない程に明朗な声を発する。

「よし! では甚爾さん、長野に行きましょう!」
「…………。好きにしろ」
 もう今更彼女の突飛押しもない発言には慣れているので驚かない。ついでにこの横暴な運転手は、一度己が決めたら此方の意見など全く聞き入れずに走り抜けてしまうのも経験済みであったから、甚爾は目を閉じて再開される小さな旅路に身を任せた。

 高速道路を使い、いよいよ県を跨ぎ、そして更に二時間が経過した頃合いになると澪は弾んだ声音で「甚爾さん! 晴れてきました! ほら星が見えますよ」とはしゃぎ始める。
 どこまでも子供みたいな奴だと呆れながらも、彼は先程とは打って変わって雲一つ無い濃紺の空を見遣った。彼女の言う通り天高く無数の光が輝いているものの、特にその心緒は揺れ動きはしなかった。
 外灯が全く無い道を登る最中、隣では相変わらず澪が「暗いですね! 迷いそうですね!」と目を輝かせ目的地に近付くのを楽しんでいる。漸くして小高い丘の上に位置する公園に到着した。

 心の底から不本意な事に、やたらと澪が煩い為か若干車内で眠った所以か。甚爾もいつの間にか眠気が消え失せて目が冴えてしまっていた。
 場合によっては「眠い」と我を通して車内に留まろうかとも考えていたのだが、渋々ながらも付き合ってやるか、と考え直し、既に外に出ている澪に続き腰を上げたのだった。

 車を降りてからの道中、後方を急かしたそうに何度も振り返りながら彼女は前を進み、彼は自分の歩く速度は一切変えないままにその背に付いて行く。吸い込んだ夜の空気は思ったよりも不快ではない。

3

 高台までやってくると、澪は空を眺めてまず一つ感嘆を上げ、数分して星が一つ流れるのを見つけると、更に喜色を面持ちに写しながら声を弾ませる。
 しかしその一方で、甚爾も空を仰ぎ見てはいるものの、やはりその景色には何の感慨も覚えずにいた。一体何がそんなに楽しいのかは理解出来そうにない。

 すると隣に立つ彼女が不意に甚爾の袖を引く。
「ねえ、甚爾さん。星を見て何の意味があるかって、仰いましたよね。……もしも。もしもこれを意味と位置付けてもいいのなら。一つだけあります」
 見下ろすと、先ほどまで無邪気な幼子さながらであった彼女の頬の緩みが僅かに強張っていた。
 真摯であるようにも見て取れるが、単純な感情ではないだろうと、甚爾は彼女の機微を読み取っていた。

「貴方の傍で美しい景色を見たという思い出が、残ります」
 一言告げた彼女は、返答は求めないと言いたげに甚爾の腕に自身の腕を絡ませ、そのまま体を寄せて俯く。
 何を思っているかまでは分からなくとも、余り前向きな思考ではない事だけなら察せられる。

 星空から目を背ける彼女に向かって空いている手を伸ばし、徐に顎を掴んで自身の方を無理やり見上げさせた。

「ここまで何時間俺を付き合わせたと思ってんだ。上向いてろ、馬鹿」
 上目の彼女の瞳は頼りなさそうに揺らいでいた。
 しかし視線が交わると忽ち、沈んだ面持ちがどこか驚きを胚胎しながら灯りをともしたように移り変わる。
 静かに息を呑んだ澪の口元から、時を待たずして小さく吐き出した息が白く空気に溶ける。同時に、大きく開かれたその眼に何かが光ったように見えた。
 彼女は眦を細めて清艶に相好を崩す。

「…………。はい。……甚爾さん、一緒に来て下さってありがとうございます」
 その眼差しはどこまでも澄んで、見つめるものさえ透かしてしまいそうな気配を帯びている。
 以前はその眼差しを避けたいと思っていた彼だったが、これも慣れなのだろうか。決して逸らす事はなく、今日に至っては自ら近づいていく。
 それを受け入れるように、澪の冷えた手の平が頬に触れた。

4

 帰りの車内にて、澪は相変わらず運転中も歌ったり反応がなくとも甚爾に話し掛けたりと、長時間の運転の疲れなど全く気に留めていない明るさだ。
 しかし甚爾はその声を適度に聞き流しはするも、何故か煩わしくは感じていない。

 それどころか、声を聞いている内に、公園に到着した時の覚醒が嘘のように、何の兆しもなく眠気が訪れる。
 逆らう事なく目を閉じた。眠りに就く一瞬の間際、彼の目蓋の裏にただ一つ浮かんだのは、満天の星空でもなく、流れた星の軌跡でもなかった。