Short Story
Is Pancake Burning?

1
 今日は甚爾さんを無理やり引き連れ、人気のパンケーキ屋さんにやって来ました。
 ピンクと白を基調とした淡い内装の外観を前にして、甚爾さんの目付きは今直ぐこの店を爆破してやりたいと告げています。
 そんな不機嫌で鋭い表情も素敵だなぁと思いながら、いざ店内に入ると、可愛らしい内装のあちこちで、花が咲いたように若い女性達が各々の席で談笑する姿が広がっています。

 ですが、その話題を全て浚う程の色めきに似た騒めきが、一体感を持ってこの空間を占めている、そんな不思議な熱感を感じました。
 もしかしたら芸能人のどなたかがいらっしゃるのかも知れないと思いつつ、案内される席に向かい歩き出すと、女性達の視線が忽ち甚爾さんに向くのがはっきりと分かりました。

 私は、彼女達の興味の対象が甚爾さんに移り変わったのがどこか誇らしく思えて「甚爾さん、甚爾さん。みんな見てますよ」と袖を引いて見上げましたが、早速無視されました。
「ねえ甚爾さん。……あの人格好良くない? ってみんな言ってますよ」
「馬鹿かオマエ。アイツあの成りでよくこの店入って来れたなって言ってんだろ」
「珍しくネガティブですね。凛々しい甚爾さんがこの可愛らしいお店にいる状況こそが魅力的なのですよ」
「くだらねぇ」

 他愛無い会話をしながら私達が案内された席に近づくと、その席の奥でどこかで見たような……というより寧ろ日本人離れした特徴的な風貌からして、ほぼ一択に絞られる一人の男性が、メニュー表を眺めていました。

――あれは……。

私が視線を向けた瞬間、その方も顔を上げて此方を見遣りました。白銀の髪色に、サングラスの隙間から見えた鮮やかな蒼の瞳。間違いありません。

「五条先生」
「あ、澪」
 先生は私と目が合うと、サングラスの奥の目を細めて微笑んでくれましたが、私の隣の甚爾さんに視線を移すと、性の悪そうなせせら笑いを浮かべて口角を上げました。
「……と、甚爾サンじゃん。奇遇だねぇ。席隣なの?」

 甚爾さんはあからさまに疎ましそうな表情で小さく呟きます。
「なんでこんな所に」
「甘いもの好きとして一度はここのパンケーキを食べておかないとと思ってね。……それに、僕がこんな店で一人パンケーキ食べてたら、あの人めっちゃ格好良いのに可愛い! ってなるでしょ?」
「…………。馬鹿が此処にも居たか」
 どこかで聞いたような先生の主張には私も同感です。けれど甚爾さんは更に虚無といった表情になってしまいました。これはとても楽しいひと時になりそうです。

2

 奥のソファー席に座る先生が「甚爾サン、僕の隣座りなよ」とあからさまに嘲笑を含んだ声音で言いますが、無視して甚爾さんは斜向かいの椅子に座ってしまいました。
 その為私は甚爾さんの正面の席……つまり五条先生の隣に座る事になったのですが、すかさず先生が「机くっ付けちゃおう」とグラスの乗った机を音も立てずに器用に移動させ、なんだか歪な三人席が出来上がったのでした。

「メニュー澪しか見てなくない?」
「甚爾さんは甘い物食べませんから」
「……なんで連れて来たの」
「甚爾さんをこの空間に放り込みたかったからです。店員さん呼びますね」
 机に置かれた小さなベルを鳴らすと、なんとも言えない表情で店員さんが席までやって来ました。気持ちは分かります。私も彼女の立場でしたら、余りこの席には関わりたくありません。

「ティラミスパンケーキのホイップ増し増しと、ローズヒップピーチパンケーキのホイップ増しでお願いします。あ。ピーチパンケーキだけは一口サイズに切っておいてください。……あと、ブラックコーヒータピオカを」
「おい。コーヒーの語尾に余計なもん付いてんぞ」
 甚爾さんの為にと頼んだコーヒーに早速突っ込みが入りました。聞いていないようでしっかり聞いている、そんな所が好きです。

「無問題ですよ。最近私、語尾にタピオカって付けるのがマイブームなんですタピオカ」
「そうそう。最近の女の子はそうやって自分らしさを極めていくんだってさタピタピ」
 遂に甚爾さんは一切私と先生とは目を合わせてくれなくなってしまいました。

3

 そうこうする間に頼んだ物が運ばれて来て、私と先生は甚爾さんに気づかれないよう一瞬目配せをして、ごく自然にパンケーキを食べ始めます。
 ここだけの話、世間の流行りに全く興味が無い甚爾さんはタピオカが一体何なのか知らないのです。可愛いです。
 今ここで未知との遭遇を果たす甚爾さんが一体どんな反応をするのか。私と五条先生は野生動物の観察が如く、彼に不信感を抱かせないようこの場に溶け込んでいる次第なのです。
 甚爾さんは、やけに太いストローを訝しげに見つめていましたが、口をつけてタピオカの入ったコーヒーを遂に一口飲みました。そして一瞬目を開くとすぐさま口を離し、眉根を寄せて口元を片手で隠しました。

――……やりました! 突然口の中に入って来た異物をどう処理しようか、甚爾さんが困っている……! ついでに私を物凄い殺気立った目で睨んでいらっしゃるけれど、その表情とても猛々しくて大好きです。

「甚爾サン、タピオカ美味しいですかー?」
 追い討ちを掛けるように五条先生は高い声音で問いました。恐らく私の真似だと思うのですが、似てる似てない以前に馬鹿にされているようで少々イラッとします。
 それはさて置き。いつもの甚爾さんなら一言であしらって無視を決め込むのでしょうが、それも無くただ先生を睨みつけるだけに留まっていました。
 恐らくさっさと飲み込んでしまいたいのに、思いの外コーヒーよりもタピオカが口内に入って来てしまって、噛まざるを得ない状況になっているに違いありません。
 嬉々として私と五条先生は穴でも開きそうな程の眼力で凝視しつつ、カメラを構えてタピオカを咀嚼する甚爾さんを今か今かと待ちます。対して甚爾さんはこいつらの思い通りの姿を見せまいと耐えている模様です。

 甚爾さんがタピオカをもちもちする瞬間は近い、そう思ったのも束の間。非常に残念な事に、私は甚爾さんの喉の強靭さを見誤っていたのです。
 なんと甚爾さんは噛まずに全てのタピオカを飲み込むという強硬策に出ました。一歩間違えば喉につっかえかねないというのに、最早肉食獣さながらの咽頭です。そんな野生的な面も好きです。
 それを見た五条先生は小さく手を叩きながら、こちらの負けを認めずしっかりと追撃します。

「上手にごっくん出来ました」
「二度と喋んな」

4

「甚爾さん。私もうお腹いっぱいです……」
「は?」
 食べ始めて半分くらいの内は美味しさに感動しつつ、これなら一人でも食べ切れるとたかを括っていたのですが、残り三分の一に差し掛かった辺りで私の胃はホイップクリームを受け付けなくなってしまいました。
 調子に乗ってホイップ増しにした事が仇となったのです。

「代わりに食べてくれませんか……」
 申し訳ない顔を全力で作って、俯きがちに甚爾さんに視線を飛ばしますが、あっさりと躱されてしまいます。

「テメェの残り物なんて誰が食うか。自分でどうにかしろ」
「うう、先生。甚爾さんが冷たいです」
 私はよよと目元を覆って五条先生に体を傾けると、先生は優しく頭を撫でてくれます。
「よしよし可哀想な澪。僕が代わりに食べるから、……もう泣かないで」
「先生……」
 私と先生はどうしようもない茶番劇を繰り広げた果てに見つめ合います。そして、やきもちを焼いた甚爾さんが「代わりに食べる」と言い出さないかと、そっと対面を見遣りますが、彼はどこまでも無反応で無表情です。
 なんなら私達に向けられた冷めた視線が心の底からの侮蔑を表しています。

「何あれ、あの人本当に澪の事好きなの?」
「えっ、好きですよ。……多分。なにせ不器用な方ですから、甚爾さんは。最高に可愛いでしょう? ではめげずにフェーズツーに移りましょう」
「オーケー」
 こそこそと口元を隠しながら私と先生は打ち合わせ、どうにか甚爾さんにパンケーキを食べさせようと次の策に出ます。

 早速、私は適度な大きさに切られたパンケーキを、五条先生に向かって差し出しました。
「はい、五条先生」
 フォークに向かって五条先生の口唇が近づきます。
 男性の無骨さが全くないその端正な唇が開き、私と先生は一旦停止して再び甚爾さんを見遣りますが、彼はまるで最低視聴率のしょうもない恋愛ドラマでも見ているかのような眼差しで、私達の動向を心底興味なさそうに眺めていました。

 余りの無反応さにとうとう私の方が痺れを切らしてしまい、半ば身を乗り出して甚爾さんに問い詰めます。
「甚爾さんどうして止めてくれないんですか!? 私は五条先生に“はいあーん“なんて少しもしたくないんですよ!」
「後半別に言わなくて良くない? そこまで拒否されるとちょっと傷つくんだけど」
「だって先生、私の初“はいあーん“なんですよ」
 荒ぶりつつある私を制止するように、先生は私の肩を軽く叩きます。
「ちょっと落ち着きな。きっと澪の大好きな甚爾サンは“間男へのはいあーん阻止"が初めてだから正しい止め方を知らないんだよ」
「つまり……甚爾さんは純愛至上主義のドロドロ三角関係初心者という事ですね……!?」
「ご名答」

「おい馬鹿師弟、好き勝手に話進めんな」
「隠さなくてもいいのですよ、甚爾サン。……僕が丁寧にレクチャーしてあげる」
 五条先生はまたしても微妙に似ていない私の真似を交えつつ、完璧な角度と表情で甚爾さんにウインクを飛ばしました。甚爾さんはそれはそれは深く呆れを孕んだため息をついて、そっぽを向いたのでした。
「…………勝手にしろ」

5

 その言葉に一ミクロンの遠慮もせず全力で甘える事にした私と先生は、五条先生役を甚爾さん、甚爾さん役を五条先生と、早速キャストを入れ替えて実施に移ります。
 私は対面するそっぽを向いた甚爾さんへ、パンケーキと共にこの思いも込めてフォークを差し出しました。
「はい、五条先生……」
「澪、さっきの棒読みと違ってえらい感情が篭ってるね」
「当たり前ですよ。目の前にいるのが実際には甚爾さんなのですから。さ、先生。甚爾さん役を」

 すると、五条先生は私の手首を掴んで動きを止めました。そして未だかつてない真剣且つ不機嫌そうな眼差し(恐らく甚爾さんの役に入っているのでしょう)で、無言のまま掴んだ私の手を自分の方へ引き寄せてパンケーキを奪い取るように口にしたのです。

 確かに甚爾さんだったら、何も言葉にする事なく行動なさるでしょう。五条先生の解釈は完璧で、加えて完成度の高い演技に、不覚にも甚爾さんの姿が重なりそうです。

「…………って、先生何食べちゃっているんですか!?」
「ちょっと役に入り過ぎちゃったかな。あ、これ美味しいね」
「そうでしょう。桃の甘さとローズヒップの酸味が……。違いますよ! 私、甚爾さん以外の方と間接キスしちゃったじゃないですか! どう落とし前付けてくださるんです!?」

 恐らく、と言うより確実に、五条先生はわざと食べてしまったに違いありません。先生は甚爾さんを揶揄っているようで時々私にも地味な嫌がらせをしてくるのをすっかり忘れていました。不覚です。
 私は即刻店員さんに来て頂いて、新しいフォークを持って来て頂くようにお願いしました。
 私と店員さんが話す間に、甚爾さんと先生が何かを話されていたものの、私は憤慨の最中にあったので聞き取れはしませんでした。
 けれどもどこか甚爾さんが楽しげな目を僅かに見せたので、次第に先生に対して嫉妬心が膨らんでいき、店員さんが去った直後、二人の会話を切り裂くように割って入ったのでした。


◆◇◆◇

「……甚爾サンさぁ。あの子の教育どうなってんの。僕が口付けたフォーク、床に落としたのと同義扱いしてるけど」
「知るか。んな事よりさっさと帰らせろ」
「あ。今ざまあみろって思ってるね。実はちょっと嫉妬してた?」
「うっぜぇな。してねぇよ」

(2020/11/22)