MEMO


▼ 2022.01.20


『相手を性的に興奮させないと出られません』

いつかの不可思議な体験を忘れ掛けた頃合いだった。
またしても二人は揃って白い部屋に立っていた。今度はかなり直接的な表現である。彼女は立札を見ながら呆れたため息をつく。
「今回は随分直球ですね……」
「いや何も書かれてねぇだろ」
訝しげな甚爾の面持ちで、瞬時に彼女は察した。これは自分だけに向けられた脱出条件なのだと。
しかし、焦る必要も指示に従う理由もない。何故なら隣に先日いとも容易く自力で脱出した最強の相方がいるのだ。

「そうですね、幻覚でした。さてさて甚爾さん。この前のフィジカルギフテッドッカーンやっちゃいましょうか!」
「……」
甚爾は無視を決め込んでいる。
「甚爾さん!?!?」
一切の予備知識が無くとも、然るべき時は妙に察しがいいのが彼の長所なのである。

かく言うわけで、甚爾はそっぽを向いて一切協力するつもりがない。
だが下手に食い下がれば、立札に何と書かれているのかを問われかねない。勿論上手く誤魔化せる自信は一ミクロンも無い。
となれば、待ち受けるのは彼女の羞恥の限界か甚爾の飽きが来るまで揶揄される未来だ。

何故こんなにも彼女が必死に脱出方法を考えるのか。それは、数日前から楽しみにしているドラマの最終回が今夜放送されるからである。この部屋に来る前に覚えていた時間は午後七時四十四分。もたもたしていれば間に合わない。

数秒間で迅速に思考を巡らせ、ならば直ちに甚爾を誘惑しようと彼女は意を決した。
しかしながら、何をどうすれば彼を性的に興奮させられるのか皆目見当も付かない。
いずれにせよ考えている余裕はない。彼に何かを言われる前にこちらから先手を打たねば。衒いもなくさらっと言ってのければ案外上手くいくかも知れない。そう直断した彼女は、徐に甚爾の袖を引っ張った。

「と、甚爾さん!」
時を交わさず、彼は視線だけでこちらを見下ろした。その端正で精悍な眼差しに、思わず怖気付く。
忽ち彼女は自分が言おうとしていることが余りにも破廉恥に思えて、みるみる内に頭に火がついたように熱くなった。
冷静な思考が鈍りだし、まだ何も口にしていないのに恥ずかしさだけが込み上げて来て、居た堪れずに視線を落とす。

「あの、その……。お願いが、ありまして……。わ、私に」
口籠り語尾が段々と小さく消えていく。
「聞こえねぇよ」
そう言った甚爾がこちらに体を向けた。更に彼女の心緒は緊張で強張る。
けれど、強く願うように握った拳をもう片方の手で包み込み、情緒と戦いながら懸命に口を開いた。

「わたしに……えっちなこと、してください……」
一拍の無音。しかしこの短い刻が、彼女には十秒二十秒と感じられる程長く重い。
僅かな静謐を裂いて彼から発せられたのは、嘲笑混じりの声だった。
「何だそれ。安直にも程があんだろ」

――ぐっ……、こんなに頑張ったのに……! だめだった……!!

思わず顔を覆いたくなる羞恥で、まともに甚爾の顔を見られない。恐らくこれを種として今から延々揶揄われるのだと悔しささえ込み上げて来た。しかし。

――…………おや……?

甚爾が揚げ足を取りにこない。少しだけ視線を上げてみると、こちらへ体を向けている彼を隔てた向こう側の壁が、まず先に目についた。
その理由は明白で、先程はなかったはずの大きな穴がぽっかりと白い壁に空いていたからだ。

――と……っ、とうじさん……っ!!

――とってもちょろい……!!


おわり。

……で、結局ちょろい甚爾さんが可愛いので、調子に乗ってもう少し頑張って誘惑した結果、この後めちゃくちゃめちゃくちゃした。みたいなオチになるやつです。
ドラマは当然リアタイを逃し泣く泣く見逃し配信か某動画配信サービス的なコンテンツで見たんだと思います。