さくら、さくら | ナノ





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序章 2 幼馴染


 りんご飴に金魚すくい。
 とうもろこしに射的の屋台。
 太鼓と笛の祭囃子が響く人ごみの中で。

『黒じゃなくてピンクのがよかったのに……』
 小さな手の中にあるものをじっと見つめ、しょぼんと肩を落とす幼い少女。
『ピンクでも黒でもたいして変わらないだろ』
 少女より少し年上の少年は頭の後ろに両手を組んで歩いたり立ち止まったり。
『ちがうよ。ピンクと黒はぜっんぜんちがう』
『水風船には変わらないだろ』
『変わるもん…。黒いのは可愛くないもん』
『可愛くないの釣って、悪かったな』
『わざと黒いの釣ったくせに…。隣にピンクのあったのに…』
 欲しいのはピンクだと分かっているくせに、わざと黒い水風船を釣った幼馴染の意地悪が悲しくて少女の丸い瞳が曇っていく。
『わ、わざとじゃないって…。間違えただけだよ』
『うそだもん…。意地悪したんだもん…。わたしのことキライだから、わざと意地悪したんだもん…っ』
 自分は大好きなのに幼馴染はそうじゃないことに悲しみで胸がいっぱいになってしまった少女は、とうとう泣き出して、人ごみの中をひとりでてくてく歩いて行ってしまう。
『ま、待てよ!キライなんて言ってないだろ!』
 焦った少年が後を追うが、小さな姿はあっと言う間に人の波に呑まれていく。
『迷子になるから!オレが悪かったよ!』
 大声で叫びながら少年は人ごみの中に紛れた少女の姿を探した。

 ただただ悲しくて、溢れる涙を拭いながら歩いていた少女は、ドン、と大人の背中にぶつかったはずみで手の中の水風船を地面に落としてしまった。
『あっ』
 パチン、と音を立てて割れてしまった、黒い水風船。
 すっかり水が抜けて小さくしぼんでしまったそれは、くしゃくしゃになったただのゴム。
『………』
 ピンクじゃなくても、これは幼馴染が自分のために釣ってくれたものだったのに――。

『おーい!さくら!戻って来い!』

 自分の名を呼ぶ幼馴染の声が遠くから聴こえる。
 けれど、ますます悲しくなってしまった気持ちにふさがれて、少女は手のひらに割れた水風船を乗せたままうずくまる。行き交う人々がそんな少女を避けて歩くから、少年は人の中にうずくまる少女を見つけることができた。
『さくら…!』
 少年の手が、少女の手をがっつりとつかんだ。
『見つけられてよかった……。今度はちゃんとピンクを釣ってやるから機嫌直せよ』
 少女は首を左右に振った。
 せっかく釣ってもらった水風船を割ってしまったことに罪悪感が膨らんで顔を上げることができない。
 ピンクじゃなくてもよかった。
 割れないでずっと手の中にあれば、黒でもよかった。
 幼馴染が自分のために釣ってくれたものだったら、何でもよかった。
 今、心からそう思うのに。

 少女は割れた水風船を乗せた手のひらを、そろそろと少年の目の前に差し出した。
『ごめん…なさい』
 落としたのか、と訊く少年にこくんと頷く少女。
『……おまえが悪いんじゃないよ。落としたぐらいで割れちまうコイツがヤワだっただけだ』
 次は落としても割れない丈夫なピンク色の水風船を釣ってやるからもう泣くな、と笑う幼馴染。
 うん、と頷いてやっと笑顔になった少女。
 桜の花弁が一枚、割れた水風船を乗せた手のひらの上にひらりと舞い降りた。

◇◆◇


 境内に上る階段と満開の桜の林が見えてきたとき、さくらはふと、遠い昔の出来事を思い出した。
 神社の祭りでの思い出。もう、10年以上も昔のことだ。
「来週はお祭りだわ」
 さくらは少し遠くの神社を見上げる。今年もまたあの階段の下や参道の脇にたくさんの屋台が並ぶのだろう。今は人などまったくいないこの通りも、祭りの時は歩けないほどの人で溢れる。
 水風船の屋台があったのがあの辺で、落として割ってしまったのがあっちの方で…と、呑気に幼い頃のことを振り返っていたさくらだが、
「いけない、もうこんな時間…!颯矢が待ちくたびれてるわ…っ」
 突如、何故自分がここにいるのかを思い出し足早に神社を目指した。幼馴染の颯矢が神社で待っているのだ。何か頼みごとがあるらしい。
「颯矢が私に頼みごとなんて珍しいものね」
 普段のさくらはどちらかといえば二つ年上の颯矢を頼り、面倒を見てもらっている方だ。颯矢曰く、さくらは無防備で頼りないから何かと心配で目が離せない、のだそうだ。さくらにしてみればそれは少し不本意ではあるのだけど。

 夕暮れ色に染まる田圃道をてくてくと歩いて階段の下までたどり着いた時、微かな人声と気配を感じてさくらはその場に立ち止った。
 目をこらして気配をたどると、やや先の木陰に人がいるのが見える。遠くてはっきりとはしないが女の人ともうひとり。
 木陰での逢瀬――そんなふうにも見える男女の男の方は、さくらのよく知っている人だった。

 ――え…っ?

 身を寄せ合っているように見えていた二人がキスをした、ように見えた。
 そしてその瞬間、さくらの胸のどこかがちくりと痛んだ。
「…や、やだこんなところで…っ」
 いくら辺りは夕焼けに包まれていて人通りなどない田圃道の木陰だからといって、ここは神様がおわす神社なのに。
「あ…、でもここの神様は…」
 ふとあることを思い出してさくらは納得する。
「でも、だからと言ってやっぱり…!」
 だんだん薄暗くなっていく中、木陰の人影はほとんど見えなくなり、もうそこにいるのかいないのかも分からないくらいだが、さくらはそうなる前に二人から視線を外していた。

 なぜだか胸が痛い。
 けれど、その理由が分からない。

「し、知らない…!」
 思わずそう呟いて、さくらは何かを振り切るように境内に続く階段を駆け上がっていた。





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