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姫宮が犬神達と共に山に入って十三年。
霊王の生まれ変わりだと思われていた姫宮には人間の魂も宿っていた事が、後々犬神達に知れ渡った。
「どちらにせよ、貴女は我等の指導者です。何処までも、お供致します」
十八になったばかりの姫宮は、既に犬神一族を束ねられる程の技量を持っていた。興味本位で学び始めた治癒術の腕も、今やどの犬神よりも優れていた。
「夢告、私に敬語など必要ありませんよ。あなた方は私の命の恩人なのですから・・・」
姫宮は何度もそう言うのだが、どうもそこだけは譲ってもらえない。犬神達は常に姫宮の身を案じ、彼女にとって脅威になりそうなものから守っていた。この日もまた、山を下りていた姫宮の隣には、夢告がついている。
深く積もった雪。
雪が降ると、景色から音というものが無くなる。自分達の足音以外、何も聞こえなかった。
「お体は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
凍えるような寒さに少し身を震わせた姫宮にすかさず声をかける。いつもと変わらない笑顔が返ってくると、夢告は安心したように一息ついた。
「・・・・これは・・・」
姫宮は何かに気付いたように立ち止まる。夢告も気付いているのか、特に動じもせずに呟いた。
「血臭ですね・・・」
姫宮は辺りを見渡し、白い雪に広がる赤を見つけた。
「あれは・・・怪我人・・・?!」
「姫宮様、危険です。近づかれない方がよろしいかと」
夢告が止めるも、姫宮は黙って首を振った。
「駄目です。怪我人がいるのに素通りなど出来ません。・・・貴方はここにいてください」
「お一人では危険です」
「私一人の方が、警戒されませんから・・・ね?」
姫宮は言い聞かせるように夢告を見つめる。犬神一族にとって姫宮の言葉は絶対的なものであり、彼女がそうしたいのであれば、止める事は出来ないのだ。黙って頷き、何かあれば直ぐに動ける場所に待機した。
血を辿るように歩いていくと、岩陰に人が座っているのが見えた。いや、人の形をしてはいるが、恐らく妖だろう。しかしそれに警戒したのは一瞬の事で、深い傷を負っているその人物の前に膝を付いた。
「しっかりして下さい・・・!」
声をかけると、黒い男はゆっくりと目を開いた。赤い瞳は強い警戒を示している。
「良かった・・・意識はあるんですね・・・」
「なんだ・・・お前・・・失せろ」
相手は威嚇するように言うが、姫宮は動揺しなかった。少しだけ眉間にしわを寄せて、目の前の男を見つめた。
「お前、ではなく、私には姫宮という名があります」
そう言うと、男は少し呆れたような表情を見せる。それと同時に、先ほどより警戒が薄くなったのが分かった。
「怪我人を放ってはおけません。・・・これでも私は治癒術者。傷を診せて頂けますか」
放っておけなかったのは、ただ彼が大怪我をしていたからではない。この人は、私が幼い頃から心の奥に抱えている痛みを知っている気がした。同じ痛みを抱えている気がしたから、無視出来なかった。
「ところで貴方のお名前は?」
「・・・・・・狐暮」
この出会いが、これからの彼女の運命を大きく変える事になるとは、まだ誰も思っていなかった。
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