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「焔伽…」
山茶花の声が震えたのがわかった。サイからは俯いた表情は見えないが、一粒だけ涙が落ちたことも。
それがよりサイの胸を締め付ける。
「山茶花、すまない…焔伽がこうなったのは、俺のせいだ」
しばらくの沈黙。
山茶花は振り返らないまま、口を開いた。
「嫌な予感はしていた。何か…何か起こるんじゃないかと」
山茶花は焔伽の手を握る。
「一緒に行ってやればよかったな。…ごめんな…」
山茶花の胸中もまた、後悔で満たされていた。軍に縛られなくなった身。何処へでも、行きたい時に行くことが出来たはずだ。
なのにそうしなかった。
焔伽に限ってそんなことは有り得ないと高を括っていた。
「死ぬな…焔伽…私はまだ、お前に言いたいことを何一つ言えてないんだ、」
涙こそ流してはいないが、その声は濡れていた。
「焔伽は黄泉に魂を奪われた。明日までに取り戻せば、目覚める」
その言葉で初めて、山茶花はサイに振り返った。
眉を側め、苦しげに揺れる瞳。
自分の不注意で、焔伽を大切に思う者から焔伽を奪ってしまった罪悪感。
サイはそこから目を逸らさないまま、頷いた。
「必ず取り戻す。焔伽は必ず助ける」
「…でも、魂を奪った黄泉がどこにいるかなんて…」
黙っていたアカネが、不安気に呟く。
アカネの言いたいことは最もだった。陰は陽より遥かに広い。おまけに黄泉は自在に場所を移動出来る上、逃げることも容易い。
似たような影の中からたった一匹の標的を見つけ出すだけでも途方もない話なのに、陰でそれに再び出会うなど。
「俺が囮になる」
部屋中の視線がサイに集まる。
「魂を奪い、わざわざ持って逃げるということは、その黄泉は魂を集めるのが好きなのかもしれない」
殺したいだけなら、魂を抜くだけでいい。
持ち去る必要はないはずだ。
あの時狙われたのはサイだった。サイの魂は黄泉にとって多少なりとも興味のある魂なのだろう。
ならば、それを使えばいい。
サイの提案に、黨雲は低く唸る。
「成る程。再び出会う可能性が最も高いのは、その方法しかないか…」
「一度奴のやり方を見てる。二度は掛からない」
サイの自信に溢れる目を見て、黨雲は頷いた。
「サイに賭ける。今は…これ以上どうしようもない」
魂が戻るまでは、焔伽はこのままだ。どんな処置を施しても無意味。
サイは背筋を伸ばし、軽く頭を下げる。
「ありがとう。お陰で希望が見えてきた」
「いや。…健闘を祈る」
黨雲も姫宮も、長くは留まれない。怪我人は今も運び込まれ、医療班の手は不足している。
姫宮も心配気に焔伽を見つめつつ、黨雲について部屋を出て行った。
空は完全に日が落ち、夜になっている。
サイは月夜叉を握り、静かに立ち上がった。
「私も行く」
立ち上がる山茶花に、サイは首を振った。
「山茶花は、焔伽の側にいてやってくれ」
「けど…!」
「あたしが行くよ」
アカネが言葉を遮り、立ち上がって山茶花を見つめた。
「サイとあたしで絶対取り戻すから、それまで焔伽を一人にしないであげて」
微笑むアカネの強い眼差しに、山茶花は押し黙る。
そして小さく息を吐き、サイを見た。
「…頼む」
短いが、全てを委ねる一言。
サイは強く頷き、アカネと共に屋敷を出て行った。
残された山茶花は、力無く座り込み、焔伽の冷たい手を温めるように握り続けた。
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