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「……?」
縁側で夜風を浴びていたサイは、ふと空を見上げる。
今、誰かに呼ばれたような気がした。
振り返って部屋を見れば、アカネは布団で寝息を立てているし、廊下にも庭にも人影はない。
不思議な感覚ではあったが、サイにはその呼び声がどこから聞こえたのか、何となく分かっている様子だった。
黙って月夜叉を握り、腰に差す。
そして、アカネを起こさないように足音に気をつけながら、屋敷を出た。
足取りに迷いはなく、真っ直ぐに辿り着いたのは朱雀門だった。
一度門を見上げ、死気の溢れる陰の地へ足を踏み入れた。
ただ真っ直ぐに歩き続けて暫く。
サイは足を止めた。
ザリ、と足元の砂が鳴り、僅かに砂埃が立つ。
サイの赤い瞳の先には、月を見上げる黒狼がいた。
その横顔を何も言わずに見つめていると、やがてゆっくりと狼はサイを見る。同じ、赤い瞳だ。
「呼んだのは、お前だな、影狼丸」
二人の間を風が吹き抜け、髪と衣が靡く。
影狼丸は一度目を臥せ、僅かな笑みを浮かべながら再び開いた。
「聴こえるんだな、お前には、俺の声が」
嬉しそうな、でも、寂しげな声色だった。
音のない空間に、その声は充分に響き渡る。
「お前じゃないかと思った。何となくだったが…」
夜だというのに、ここまで黄泉に全く遭遇しなかった。
それは、初めて二人が対峙した時と同じ。
アカネに言われて気付いた、自分そっくりな顔。自分のことを一方的に知られている訳。
影狼丸には、聞きたいことが幾つもある。
互いに刀を提げていたが、どちらも抜く気はない様子だ。
沈黙の後、先に口を開いたのは影狼丸だった。
「生きるのは、楽しいか?」
突拍子のない内容だったが、影狼丸の目は至って真剣だ。
サイは少し間を置いて、頷く。
「ああ」
「…そうか」
影狼丸は数歩、サイに近付く。
向かい合う形で、真っ直ぐに互いを見た。
「お前と俺のことを、話してやる」
サイは僅かに眉を寄せ、影狼丸の言葉を待った。
「俺は、今お前が立っている場所にいるはずだった」
「…?」
サイの眉間に更にしわが増えたのを見て、影狼丸は薄く笑う。
「…分かる訳ないよな。だがこれは真実だ。"サイ"は元々俺の名であり、その体も俺の器だった…」
「…どういう、ことだ」
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