血の匂いがした。間違いない。
人間には分からないだろうが、姫宮の犬神の嗅覚はごまかせない。
雫鬼は振り返り、首を横に振る。

「大したことはない。かすり傷程度だ」

「でも、怪我をされているんでしょう?治療させて下さい」

「治癒術が必要な程じゃ…」

「駄目です」

被せるように言われ、雫鬼は小さくため息を吐く。そして縁側に腰を下ろし、右袖を捲った。

「まあ、これはかすり傷とは言いませんよ?」

傷の形状的に、爪のようなもので一撃与えられていた。出血はあまりないが、放っておけば化膿するかもしれない。
姫宮は右隣に座り、消毒と治癒術をかけていく。
傷に翳された姫宮の手に灯る淡い緑色の光を見つめながら、雫鬼は口を開いた。

「一日にどれくらいの患者を診ているんだ?」

「そうですね…、多い日は100人以上、少なくても50人は診ています。怪我人の数は以前より増える一方です」

「…そうか、ならやはりお前は、少し休むべきだ」

姫宮は傷口から雫鬼の目に視線を移す。純粋な「心配」がそこにはあった。
姫宮は何故、雫鬼がわざわざ怪我を隠すような真似をしたのか理解した様子で、口元に笑みを浮かべる。

「本当に…お優しいですね」

治癒術は、術者の精神力を代償に発動する。
毎日何十人と治療している姫宮の精神は、かなり疲労していた。
無償で傷を癒すなんて都合の良い術は存在しない。負担は全て術者に掛かるということを、雫鬼はどうやら知っていたようだ。

「私の身を思って、わざわざ傷を隠したのですか?」

「、……」

感づかれた事に、雫鬼は少しバツが悪そうに視線を逸らす。
その横顔が僅かに赤らんでいるのを見て、姫宮もまた気恥ずかしそうに目を細めた。

「討伐に出ている者は、日替わりだったりでちゃんと休息をとっている…だがお前達治療部隊は毎日働き通しだろう。…それではいつか身を滅ぼす」

「治癒術を使える者は多くありません。これでもまだ人手が足りない程です。休む訳にはいきません」

姫宮も戦場に出られるくらいは戦えるが、そちらに回ることが出来ない程、治療部隊は人手が足りていない。薬の調合も追いつかないくらいだ。
黨雲やほかの神々も毎日駆け回っている。
その様子を知って尚、自分だけ休むことは姫宮には出来なかった。




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