3
夜、茶屋の奥の部屋に二人は隠れていた。部屋にはさえと亭主が眠っている。
「狭っ・・・!」
「文句言うな。俺達が姿を見せていたら妖は出てこないだろ。」
「でも何も押入れに隠れる事ないのに・・・!」
「・・・うっさい。・・・来たぞ。」
部屋に何かの気配を感じ、サイはアカネの口を塞いだ。
「いいか、俺が先に出て妖を引き付ける間に、お前が札で動きを止めるんだぞ。・・・・外すなよ。」
アカネはこくこくと頷いて札に手をかけた。サイは手を離し、押入れから飛び出した。夫婦の枕元に座り、名を奪おうとしていた名無しは驚き、慌てて逃げようとした。サイは逃げ道を塞ぐように立ちはだかり、刀を抜く。それに怯えたのか、名無しに一瞬隙ができた。
「アカネ!」
「了解!・・・縛符!」
アカネが飛ばした札は名無しの背中に張り付き、その瞬間、名無しはピタリと動きが止まった。サイは刀を鞘へ戻し、名無しの背に張り付いている札を見た。
「・・・・・本当に効いたんだな。」
「えっ?!酷っ!信じてなかったの?!」
「いや、アカネの事だったから・・・」
「何それ!これは野生の熊さえも動けなくする力があるんだよ。」
サイは感心したように頷くと、妖を持ち上げ、脇に抱えた。
「出るぞ。」
「はーい。」
店の外でサイは妖を下ろした。先ほどの部屋は暗くてよく見えなかったのだが、妖は10歳ばかりの少女の姿をしていた。黒髪に椿の花をつけた、一見普通の子供だ。
「・・・・この子が名無し?」
「あぁ。何か理由があって親から名を貰えなかった子供の魂が集まって生まれた妖だ。名が欲しくて、人から奪う。だがどんなに集めても、名前はその人だけに与えられたものだから、自分の物にする事は出来ない。・・・それでも、誰もが持っているものを自分だけ持っていないのが辛くて奪い続ける。」
「なんか、可哀相だね・・・・」
アカネは名無しの前にしゃがみ込んだ。サイは名無しの背から札を外す。動けるようになった名無しは、もう逃げようとはしなかった。
『名前・・・・欲しい・・・』
目に涙を浮かべる名無しを見て、一瞬唇を噛み、アカネはスッと立ち上がった。
「よーし!あたしが取っておきの名前をつけてあげよう!」
アカネは腕を組んでしばらく考え、何か思いついたのか表情が明るくなった。
「『夢楽咲』でむらさきは?」
「・・・・・・はぁ・・・」
「楽しい漢字をまとめてみたんだけど。」
「アホか。」
「カッチーン!いい名前なのに!」
呆れたとばかりにサイにため息をつかれ、アカネは名無しの横にしゃがんで肩を抱いた。
「じゃあサイならなんてつける?」
サイは名無しを少しの間見つめ、アカネと同じように名無しの前にしゃがんだ。
「・・・・小椿。」
「・・・・小椿・・・?おぉ!何かいい感じ!」
サイは頷いて名無しの頭の椿に触れた。
「椿の花がよく似合ってる。」
『・・・こ・・つばき・・・?』
「お前の名だ。」
そう言うと小椿は嬉しそうに頬を染め、何度も名を言った。それを見たアカネも嬉しそうに微笑む。やがて小椿の体から小さな光の玉が飛び出し、村の家々に入っていった。
「これで大丈夫だな。明日には村人達も名を呼べるだろ。」
「良かった・・・でも、名前って大事なんだね。」
「普段意識しないもの程、大切なものが多いんだ。」
小椿が笑い、朝日が少しずつ見え始め、村が目覚めるまで、あともう少し。
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