甘いアルコールの匂いに浮かされて舌を絡めあう。ぴちゃぴちゃという水音は普段なら耳をふさいでしまいたくなるほどなのに、痺れた神経には快楽として伝わって俺の気持ちはどんどん高まっていく。

「んぅ……っふ……」

息継ぎのたびに彼が甘く息を漏らす。
男同士で――とか、彼とはライバルで――とかそんなことどうでもよくなるような音。
 始まりはなんだっただろうか? たしか……




 「経験は無いって聞きましたけど、流石にキスしたことないとか、ないですよね。」

 からかう様な大和の視線に龍之介はぐぅっと喉を鳴らす。
キスなんてしたことがない。だってアイドルになって目線こそ合わせられるようになったが、手をつなぐことだって満足にできないのだから。大和はきっとそれを知っていて言っているのだと思うと、少し癪だ。

「そんなのあるわけないだろ。」

視線をそらして怒ったように吐き捨ててみる。
ちょっとうまく言えた気がして、調子に乗って続けてしまう。

「キスだけで満足させてきたからね。」

自然に浮かぶアイドルの俺の微笑みが憎たらしい。なんだよそれ。って頭の中で突っ込んでももう遅い。
大和の目は愉快気に細められていて、そう、猫が笑っているみたいだと思ったんだ。

「じゃあそのテク見せてくださいよ。」
「へ?いっ、いいとも! 」
「くくくっ、アンタって最高。じゃあ、負けたら相手の言うこと何でも聞くってことで。」
そういうと、彼は俺にちゅっと軽いキスをしてきた。そのときの俺はずいぶんと酔っぱらっていて、「あぁ望むところだよ! 」なんていって大和の腰を抱き寄せる。

 本当は、女の子は少し苦手で、柔らかくて、小さくて、いいにおいがする彼女たちは触れれば壊れてしまいそうでいつもギクシャクしてしまう。
 だけど今、俺の髪を掴む手はごつごつとして固いし、俺が必死につかんでいる腰は、細いけどしっかりとした筋肉の感触。割と鍛えてんだなーなんて。アルコールと爽やかな整髪料の匂い。
 彼の舌が生きてるみたいにうごめいて俺を責め立てる。すごい。これが大人のキスか・・・・・・なんて思いながら俺は意識を手放した。




 目を覚ました龍之介を迎えたのは耐え難い頭痛で、これは天に「プロとしての自覚が足りないんじゃないの」とどやされるな、なんて考えているとカーテンがバッと開かれる。目を刺すように明るい朝日に思わず顔を覆うと、くつくつという笑い声が聞こえた。

「命令、決めたぜ。」

ああ、そうかそういえばそんな約束をしていたっけ。と顔をむければ彼は窓枠にもたれ掛かるようにしてこちらをみている。その表情は逆光になっているため伺いしれないが、おそらくあの猫のような笑みを浮かべていることだろう。

「うん、何? 」

サイドボードに手を伸ばしペットボトルを手に取り勢いよく飲み干す。生ぬるい水にすこし頭痛が和らいだ気がした。

「ゲームしようぜ。」
「……ゲーム? 」
「そう、ゲーム。これから一ヶ月間、俺はアンタに全力でアプローチする。一ヶ月後アンタが俺のことを好きになってたら俺の勝ち、そうじゃなかったらアンタの勝ち。簡単だろ?アンタは一ヶ月後、俺が俺のこと好きになった?と聞いた時にいいや。と答えれば勝てるんだから」
「それが命令? 」
「そうよ。お兄さん頑張っちゃうから。」

大和の表情は相変わらず見えない。
 大和には悪いけれど、龍之介は大和を「ソウイウ」目で見たことは一度もない、彼のことはライバル、もしくは良い飲み仲間くらいにしか思っていないし、そもそもの話、龍之介は女の子が好きな普通の男で、大和もそうなはずだった。
 困ったな。
 こういうことは前にもあった。龍之介は「ソッチ」の人にもよくモテる。告白されたことだって初めてではないわけだ。
 大和もきっとわかってるんだ。だからこそ、この勝ち目のないゲームを持ち出して、アプローチを避けられないようにしたんだろう。なにもせずに重いだけを募らせるよりも、終わらせたかったのかもしれない。
 ならば受け入れることはないが、それで彼の気が済むならそれでいいだろう。と自分に言い聞かせ頷く。

「わかったよ。」
「んじゃあ、決まりね。」

 目が明かりに慣れたせいか、すこしだけ大和の表情がわかった。彼はいつものような笑みをうかべながら、目はどこか寂しげな色をたたえていたように見えたが、龍之介はそっとそれから目をそらした。





 それからはというと、拍子抜けするくらい今まで通りだった。週に一回「いつが暇? 」というラビチャが来るくらいで、彼としたことと言えば、飲みに行くことと一緒に映画を見ることくらい。一緒に映画を見たときなんかすごく盛り上がった。大和が作ってくれた簡単な料理をつまみながらみるアクション映画はおもしろかったし、その後も夜通し感想を言い合ったり、俳優の真似をして笑いあったりした。
 こんな気分になったのは久しぶりだ。
 向こうにいた頃はこうやって友人とよくどんちゃん騒ぎをしたものだが、こっちに来てからはそんなことができる友達はおらず、大和が初めてだったのだ。
 楽も天もこういうタイプではないし、自分のアイドルとしてのイメージを思うと、親しくする相手は選ばなければいけない。
 仕事用の十龍之介でいなくても良い相手というのはとても貴重だったのだ。
 ゲームが終わるまであと一週間。
 このゲームが終われば自分たちはどうなってしまうのだろう。一週間後、龍之介は大和をフる。それでも大和は変わらず良き友人でいてくれるだろうか。そう考え出すとたまらなくなり、龍之介は隣にあった大和の腕をつかむ。
 彼の体は大げさに震え、驚いたように目を丸くしてこちらを見ている。

「なに、どうした」

 もしかして、おなかすいた?何か作ろうか?と立ち上がろうとする大和を押しとどめるように腕を握る力を強くする。彼はみるみる赤くなったかと思うとうつむいてしまった。
 龍之介は大和を伺うようにみながらつぶやくようにして言う。

「ねえ大和君、もし俺が君のことを好きだといったらこのままでいてくれるの? 」

 大和がはっと息をのむのがわかった。そしてかすかな震えも腕から伝わってくる。

「お前さんってホント残酷ね。」

 絞り出すような声で言われて龍之介は思わず手を離す。強い力で握られていた腕は白くなっており、龍之介自身の手のひらも白くなっていた。もしかしたら痕になってしまうかっもしれない。

「あ、ごめん……。」
「気にすんな。って言いいたけど……流石にちょっとキツいわ。悪い、今日は帰るな。」

龍之介は呆然と彼を見送ることしかできなかった。
彼が出て行った後、オートロックのかかる音を聞きながらしばらく扉をながめ後ろへと倒れ込む。
 俺は大和くんを傷つけた。多分、すごく。

「そうだよなあ……。」

竜之介が大和の腕をつかんだときの赤くなった横顔。
彼は本気だったのだ。それを俺は――

「あー……本当に最悪だ……。」

どうすればいいか、どうすれば大和は俺と「友達」でいてくれるか。そんな考えばかり巡る頭に嫌気がさす。

「どうすれば……。」

それから六日、大和からの連絡はなかった。 




 とうとう最後の日がきてしまった。

「おい、龍。」

大和君から連絡はないし、俺から声かけるとしても今日って仕事で夜遅いんだよな……。大和君、夜苦手みたいだし。
 十二時こえるともうふにゃふにゃしだして、龍之介が話しかけると必死に起きようとしていた姿を思い出す。眠いのと尋ねても絶対に首を縦にふらず、大丈夫。と言ってはすぐ船をこぎ始める様子は、それまで龍之介が想像していた大和とはずいぶんイメージが違っていて驚いたことを覚えている。
 夜しか会えないから頑張ってくれていたのかも。と思うと自分の仕打ちはあんまりではないかと、頭を垂れるしかない。

「なあ、おいってば。」
「はぁああああ……。」

机に頭をごんっと置きため息をつく。ひんやりとした机が思考のため熱くなった額に心地いい。

「龍之介! 」
「わっ、なんだよ」

ぐりぐりと額を机に押しつけていた所を楽に声をかけられ思わず跳ね起きてしまう。楽は美しい眉間にしわを寄せ怒っていた。

「なんだよじゃねえよ。さっきから呼んでんのに無視しやがって・」
「え、嘘ごめん。何? 」
「……お前、大丈夫か? 」
「へ? 」

気の抜けた声を出す龍之介に楽は眉間のしわを深くする。

「最近おかしいぞお前。すぐため息つくし、今日勝手に天のドリンク飲んだの気づいてねーだろ。」
「えぇっ、俺そんなことしてた?いけない、天に謝らないと……」
「んなことより、何があったか話せよ。アイツだって気を利かせて早く帰ったんだから」
「え、今日ってもう終わりなの?だって新曲の話し合いがあったはずだろ? 」
「お前……それは明後日になったって昨日マネージャーが言ってただろうが! 」

本当に何があったんだよ……と怪訝そうな楽に、もしかしたらいい答えがあるかもと、俺は彼の名前を伏せて事の経緯を話し始めた。




「ふぅん。」
「ふぅんって……。」

龍之介が話し終わると、楽はすっかりと興味を失ったようでくるくるとペットボトルの蓋をもてあそんでいた。

「で、お前はどうしたいんだよ。」
「だから……彼とは友達でいたいんだって。」

苛立ったように吐き捨てられた言葉に、楽は深いため息をついた。

「まあ、そうだよな。あー……田中君?はお前のこと好きで、全部受け入れてくれるんだろ?そりゃ手放したくないよな」
「そういう、訳じゃないんだけど……」
「じゃあどういうことだよ。お前は相手に好意をもたれたまま友達でいてえんだろ。」
「いや、普通の友達がいいっていうか……」

楽が机の上でペットボトルの蓋をコインのように回転させる。
高速で回るそれを龍之介はついつい見つめてしまう。不安定な形のためかコインよりもすぐ止まってしまうそれを何度も楽は爪で弾き、回す。

「じゃあそのためには、田中……?に我慢させるって訳か?もしお前が一緒にいるために田中……と付き合ったとしても、お前はそいつを抱くつもりも、抱かれるつもりもない。好きだともいわない。それって酷くないか。」
「それは、そうなんだけど……。」
「じゃあさっさとフってやれよ。それで終わりだろ」

ぴんっと弾かれたペットボトルの蓋が龍之介の足元に落ちる。
カランカランとプラスチックの転がる音がやけに耳障りだ。拾い上げてテーブルの上にのせれば、龍之介の目の前に座っていたはずの男は、立ち上がってコートを着ている。

「これで終わりか?じゃあ俺、二階堂と待ち合わせしてるからもう行くぞ。」
「は? 」
「あ? 」

驚きのあまり、身を乗り出してしまう。
どうして、楽が?今日会うべきは俺なんじゃないの。という言葉が脳内をぐるぐると回る。

「な、なんで楽が大和君と……。」
「わりぃかよ。俺が二階堂と飲みにいっちゃ。」
「い、いや悪くないけど、だけど……。」

もごもごと口ごもる龍之介に楽は人の悪い笑みを向ける。

「大和君は俺のなのにってか? 」
「し、知って……!」
「しらねーよ。田中君が二階堂だなんて。」
「知ってるんじゃないか!……もういい!俺も行く。」

自分のコートを掴み楽を押し出すように控室を出る。
そういえば、ゴミを捨て忘れた。と頭の隅で思ったが、そんなことのために戻っている場合ではなかった。

「はぁ?なんで。」
「大和君がいるんだろ、直接話す。」
「へぇ……まあ俺はいいけど。」

楽はそれっきり黙ったままで、ケータイを操作し始めた。
タクシーを何とか捕まえて、乗り込む。楽がなにやら運転手に告げているのを聞き流しながら。龍之介は己のなかのもやもやとした気持ちについて考えていた。




 楽に連れられて入ったのは完全個室制の居酒屋で、たしかTRIGGERで来たこともあったはずだ。
 よう、待たせたな。なんていいながら楽が入っていくと数日ぶりに聞く大和の声がした。なにやら軽口をたたき合っているらしい二人にもやもやとしたものを感じながら、龍之介も部屋へとはいる。
 すると、大和の笑い声がピタリと止んだ。

「なんで十さんがここに……。」

 先に来ていたらしい大和は、ぽとりと手からお手拭きを落として、目を見開いている。

「こいつが、連れてけってうるさいから。なあ、龍。」
「……うん。」
「なんか、お前に話があるんだってよ。」

 楽がそう告げると、大和は拾い上げたおしぼりをまた取り落とす。そして膝の上に落ちたそれを見つめそのまま動かなくなってしまった。

「大和君……。」
「……。」
「はー……俺ちょっとトイレ行ってくるから、なんか適当に頼んでおいてくれ。龍、ここわかるだろ。」

 楽はそういうと、部屋から出て行ってしまった。
 気まずい沈黙が流れる。
 龍之介は耐えかねて、膝の上で拳を作ると大和の方へと頭を下げた。

「あの、その、ごめん! 」

 君を傷つける気はなかった。とか無神経だった。とかいろいろ考えてきたはずなのに、言葉にならず息だけが漏れていく。

「そんなこと、言いに来たんだ。」

 頭上から振ってきた言葉は思っていたよりも柔らかで、思わず顔を上げる。立ち上がった大和が龍之介を見下ろしていた。
 まただ、頭上の明かりに照らされて逆光になった大和の顔は見えない。

「うん……本当にごめん」
「別にいいよ、わかってたし。賭けはおにーさんの負け。それでいいでしょ」

 これでいいでしょ。呆れたような優しい声。いつもの大和だ。
 しかし、龍之介はどこかで引っかかりを感じていた。そう、表情が見えないからだ。
 本当に?本当に俺のことを諦めてしまったの?

「よくない。」
「は?なに言って……。」

 立ち上がりざまに大和の腕を引けば、つんのめるように数センチの距離に彼の顔が近づく。緑の瞳は波打っており、早朝の木々のように濡れていた。
 その瞳を見た瞬間俺は、彼に口づけていた。呼吸を奪うように、あの日の彼を真似るように。
 歯列をなぞり、こじあけ、奥で縮こまる舌を撫で、上顎をくすぐる。

「んぅ……っ、っふっく……。」

逃げようとする大和の頭をつかみ髪をすきながらもっと深く口づけようとした。しかし強い力で胸を押される。

「っぁ……何で……こんなこと……」

 目尻を赤くし、涙をいっぱいにためてこちらを睨みつけてくるその様子に、龍之介は腹にズンと重いものを感じた。
 ああ、そうだったんだ。思い返してみれば最初からそうだった。

「今のゲームは俺の勝ち? 」
「っへ……?」
「俺の勝ちだよね。じゃあ命令してもいいかな。」
「なに言ってんのアンタ・・・・・・」
「ゲームをしようよ大和君。これから一ヶ月、俺が君にアプローチをして、大和君のことを惚れさせられたら俺の勝ち。惚れなかったら大和君の勝ち。ね、いいよね? 」

 アイドルの時の俺のような顔をしてそう言いながら彼の髪をなでれば、大和の瞳からはらはらと涙がこぼれる。

「最悪だよアンタ、ホント最悪・・・・・・」

 気が抜けたようにへたり込む大和を抱きしめ、耳に口づける。
 最初から大和君と口づけたあの時から、そして彼を離しがたく感じたあの時、俺はとっくにゲームに負けていたんだ。



 
 泣き止んだ大和君を連れて店を出ようとしたとき、思い出してケータイを開くと、楽から『俺は帰る』という短い文章と何かと戦っているような王様プリンのスタンプが送られてきていた。
 これは明日謝らなくちゃな。なんて笑いながら、タクシーに自宅の住所を告げた。
 隣に座る大和は小さくなっていて、バックミラーに見えないように手をつなげば、肩をふるわせてまっすぐ前をにらんでいる。
 ばれないように気を使っているのだろうか?演技派なはずの彼のぎこちない様子に楽しくなった龍之介はさらに大胆に指を絡める。わかってしまえばどうして今まで気づかなかったのだろうというくらい、大和に対する愛しいという想いが溢れて止まなかった。





 龍之介の家に着いてからも、借りてきた猫のようにおとなしい大和を風呂におしこめ、着替えさせる。
 シャンプーの場所もタオルの場所も説明する必要がない。着替えだってすでに置いてある。
 その後は食べ損ねた夕飯を簡単に済ませ、どちらともなくベッドルームへと向かった。
 ベッドで向かい合い、数回ふれあうだけのキスをする。軽いリップ音に、耳が熱くなるのを感じてうつむく。
 すると今まで黙っていた大和がやっと口を開いた。

「十さんってわかんねえ。さっきあんなに激しいのしてきたくせに、こんなの恥ずかしいわけ? 」
「あれは勢いで……。ご、ごめんね……」
「謝るなって。そーいうとこ可愛くて良いと思いますよ。」

 大和がすりすりとしなだれかかってくる。猫みたいなその動作に思わず頬がゆるむ。

「ねえ、今日はこのまま寝ようか。」

 タオルケットで大和を包み横に倒れる。
 大和は此方を向くとすんっと鼻を鳴らし、満足げに微笑む。

「なあ十さん、俺ね。」

 今、世界一幸せだわ。



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