大和は人にプレゼントを贈るのが得意ではない。特に誕生日プレゼントは苦手なんて言葉では言い表せないほどで、嫌いだと言った方が良いかもしれない。サプライズを計画することや当日祝うのは良い。わいわいと騒ぐのは悪くないのが、毎月プレゼントに悩まされるのはどうにも苦しく、この半年と少し、毎月適当に茶を濁すような物を渡しては相手の喜びように胸を小さく痛めたりもしていた。
 人にプレゼントを贈るのは苦手だ。そんな大和が何もかも持っている十龍之介に贈るものなんて全く検討が付くはずもなく、彼へのプレゼントの話題になるたびに途方にくれていたし、その状況を作った龍之介に対し理不尽に腹をたてていた。だから、人のいい彼が「そんな気を使わなくても良いよ」とあたふたするだろうと見越して、楽屋でゆったりとくつろいでいる龍之介に意地悪にも尋ねたのだ。
 龍之介はおだやかな表情でケータイを操作している。せわしなく動く指から、メールを打っているのだろうとわかった。そういえば以前、暇な時間に弟からのメールを返しているのだと言っていた。
そういえばデビューのため沖縄から上京してきたのだと言う話を聞いた時に、弟が東京のことを知りたがって写真をせがむのだ。と言っていたっけ。
大和は龍之介の手が止まったのを確認してから、なんでもない顔で、わざとなんの脈絡もなく龍之介に言った。
「十さん、誕生日に何が欲しいですか?」
 画面から上げられた黄金色の目が大和を捉え、驚いたように見開かれる。いつも優しげに細められている瞳がしっかりと見え、大和はその色の美しさに驚いた。見開かれると黄金色が思っていたよりも澄んでいることがわかる。べっこう飴や上等な蜂蜜のような瞳の周りを乳白色が囲んでいる。大和がじいっと目を眺めていると、龍之介は困ったように目を彷徨わせる。
十龍之介と言う男はどこまでも羨ましい男だ。美しいのは瞳や顔だけではない。彼の肉体は男なら憧れてやまない高身長とやぼったくない筋肉で形作られている。楽と筋トレの話になった時、龍之介の肉体がやはり羨ましいと言った彼は、その照れ隠しのためだろう「なにせ龍には彫像のモデルの依頼がきたことがあるからな」と言っていた。楽のような絵画から抜け出たような男にここまで言わせることも驚いたが、大和も同じ気持ちだった。アイドルをしているのだ人並み以上には自分の容姿がいいことはわかっていても羨ましいものは羨ましい。
 大和の視線で居心地が悪いのであろう龍之介は、いつも断る時にするように胸の前に掌をつくろうとしたが、はたと止まる。掌は開かれることなく指は曲がり、まるで下手くそな猫のポーズのようだ。その格好のままで数秒考えた後、龍之介はぽつりと
「少し考えてもいいかな?」
 と呟いた。そして眉を下げて笑う。
大和は思っていた反応と違ったのと龍之介のポーズの間抜けさにすっかり毒気がぬかれてしまって、ああ。とも、はい。ともつかない、はぁと言う気の抜けた返事を返した。
 何はともあれ、龍之介が欲しい物を考えてくれるのならば、自分で悩む必要がなくなったと喜んで、その日は寮でいい気持ちで缶ビールをぱかぱか開けては三月に怒られてしまった。心配事が消えたからか喉をさわやかに下っていくその液体と一緒に、龍之介とのその会話のことも記憶の隅の方へと追いやってしまっていた。
だから、大和は龍之介からスタジオの廊下で、今夜って空いてる?と尋ねられた時も飲みの誘いだと思い、うきうきと二つ返事で承諾した訳だ。彼の選ぶ店はいつも感じがよく美味い飯が食えて、美味い酒が飲める。断る理由がなかった。

 すこし緊張した面持ちの龍之介に連れられ訪れた店は、こぢんまりとした肉料理の店で、小さな店内はこれまた細かく仕切られており客同士が顔を合わせずにすむような配慮がされていた。
そのためだろうか、店内には女性の声が多く聞こえる気がする。
肉食女子が話題になる今日でも、人前で思いっきり肉を食べるのは気が引けるのだろう。この店はそんな女性に配慮されたおしゃれな、はっきり言って少し物足りないタイプの店なのだと大和は予想して、ビールと一緒に適当に、あまり期待せずスペアリブを頼んだ。龍之介も同じようにスペアリブとウーロン茶を注文した。
「あれ、飲まないんですか?」
「うん。今日は車で来てるから」
「ふぅん」
 本来は大和も飲まない方が良いのだろうが、もう注文してしまったしな。二杯目はお茶にしようとひとりごち机に頬杖をついて、どうにも落ち着かない様子の龍之介を眺める。最近、龍之介を眺めてばかりだと思うが、龍之介は顔に「話があるんだ」と大きく書かれているかのような表情をしており、大和から話し始めるのは憚られた。
龍之介は、お手拭きを持ちそわそわと何度も手を拭いている。大きく男らしい手だ。あの手に比べたら大和の手なんぞ貧相に見えてしまうだろう。全く羨ましいものだとじろじろと龍之介を見ていると、じゅっという肉の焼ける音と、香ばしい香りがぶわっと部屋に広がった。思わずごくっとのどがなる。しっかりとつけられた焼き色がまぶしいそれの表面はぴかぴかと輝いていて、一緒に置かれたビールが色あせるほどだった。
うまそう。なんども唾液を飲み下しながらお手拭きで念入りに手を拭き、いざ、つかみかかろうとしたその時、今まで黙っていた男が意を決したように口を開いた。
「あのさ」
「あん?」
 少し柄が悪くなってしまったのは決して大和のだけのせいではないと大和はもう一度唾を飲み込んだ。誰だって補食の瞬間に待った! をかけられるのはいい気持ちがしないものだ。大和が半ば睨むようにして龍之介に視線を向けると、龍之介はゆっくりと、慎重に、この前の話なんだけど。と切りだした。
「この前、ですか」
 口の中にとめどなく溢れる唾液を収めようとビールを一口ふくみながら大和は、龍之介の言葉を繰り返した。大和はこの時、この前の会話をすっかり忘れていたし、なにより失礼な話だが、目の前の肉に夢中で忘れた内容を思い出そうともしていなかった。
 龍之介は大和のその様子に言いよどんだが、意を決したようにこう返した。
「うん、あの、俺の誕生日の話」
「ああ、何か考えてくれました?」
いいだろうか、食べても。
大和の口はすっかり目の前の肉の為だけに存在するような物になってしまって。龍之介の話に対する相づちが適当になってしまう。目なんてもっと正直で、最初に一瞥を向けて以降は肉に固定されていて、あんなにじろじろと見ていた龍之介の顔を一切見ていない。
いいだろうか? いいよな。だってここは肉を食う場所だもんな。
 大和は自分にそう言い聞かせて、肉をつかんでいざっと口をあける。
「……俺の誕生日までの、大和くんのオフの時間を俺にください」
 じゅわ。かぶりついた瞬間、肉汁が口の中に広がる。そしてスペアリブのうまみが――とはならなかった。
俺のオフの時間? 何だってそんな物が欲しいと言うのだろうかこの色男は……。その疑問が勝ってしまい、味もよくわからないうちに飲み込んでしまう。咀嚼しきれていないそれは喉に軽く引っかかり大和はげほっと一度むせた。心配そうに手をのばそうとする龍之介を手で制し、少しぬるくなりはじめたビールと一緒にむりやり肉を流し込んだ。
「俺のオフの時間……ですか」
 声に少し怪訝さがでてしまっていたのだろう。龍之介はそれを聞き慌てたようだった。
「え、えーっと、俺、こっちに友達が少ないだろ? だから友達と遊ぶとかなくて。楽や天は友達だけど仕事仲間だし、少し違うから」
「俺だってライバルですよ」
 大和はそう答えながら、食べかけの肉を皿に戻す。龍之介との話を終えてからでないとうまく肉を食べられそうにないことはよくわかった。龍之介の顔を見れば、顔を真っ赤にしてこちらを見据えている。こんなに必死な顔で頼んできていたのか。と大和は驚いた。しかし龍之介は大和と目が合うとおろおろと目線を彷徨わせ、がっくりとうなだれる。
「まあそうなんだけど。……だめ、かな」
「いや、だめじゃないですけど……いいんですかそんなので」
 しゅんっと肩を落とす龍之介が見ていられなくなった大和が、慌てて了承すると、龍之介は弾かれたように顔を上げ、身を乗り出すように言った。
「いいんだ! いや、それがいい!」
「そもそも俺とあんたのオフがあう事ってあんまないでしょ」
「うっ、それでも!」
 龍之介の余りに必死な様子に大和は押されていた。そしてなにより早く肉を食べたい一心で龍之介のプレゼントの件を了承する。
冷たくなっていく旨そうな肉と、気の抜けていくビール。それと先の、しかも一度あるかないかの共通のオフ、どっちをとるかなんて明白だった。
 大和の返事をきいてあからさまにほっとした龍之介は、やっと調子を取り戻したようににこにこと笑い、ウーロン茶を一気に飲み干したかと思うと、すみません生ひとつ! と声を張り上げる。
「車は?」
「代行頼むから良いよ。それよりお肉冷めちゃった? もう一回頼もうか?」
 申し訳なさそうな龍之介にひらひらと手を振る。
「いや、冷めてもおいしいっすよ。これ」
 温かいうちはさらに美味しかっただろうとは思うが、それを言い出すほど大和は子供ではなかったし、冷めたスペアリブはそれはそれでおいしく、これを食べ終わってから頼んだとしても遅くないだろうと大和は思った。
「だよね。俺も好きなんだ」
 龍之介は自分の皿のスペアリブを大きな口でぺろりと食べてしまう。それを見た大和は、お、いい食べっぷり。と大和もそれに倣う。人の目を気にしなくてもいいと人は開放的になるようで、大和と龍之介は結局、その後何皿もスペアリブを頼んでは貪るようにそれを食べ、お互いの食べっぷりを褒めあい、何度も乾杯した。
酔うと説教臭くなる大和の話も、この陽気な男は意味の分からない言葉ではあるが相づちを打ち、興味深そうに聞いてくれた。
 そして、大和は龍之介に先一ヶ月の予定を教え、踊るような足取りで寮へと帰った。
 
 ぴろんっと言う音で大和は目を覚ました。
日はすっかり昇りきっており、カーテン越しにも日差しがまぶしい。
ああ、そういえば今日、他の奴らは朝から仕事だったっけ。勢いをつけて起き上がった大和はケータイをつかみ三月が用意してくれたのだろう朝食をもさもさと食べる。
コーヒーをすすりながらラビチャを開けば、龍之介からで『週末、夜が空いているので一緒に出かけませんか』というお誘いだった。
大胆に大和のオフを全部くれといっておきながらいちいちお伺いを立ててくるところが龍之介らしくて、思わず苦笑する。
親指を立てている王様プリンのスタンプを送り、画面を閉じる。友達を作るのに、まるで付き合うための下準備のようなことをするのが、彼の不器用さを表しているようで、これでは勘違いされることも多いだろうな。と納得する。世でささやかれているような笑ってしまうようなプレイボーイ伝説も案外嘘ではないのかもしれない。
「無自覚ってこわいねえ」

 ***

週末の夜はあいにくの天気だったが、大和は龍之介の運転する車で郊外まででた。収録終わりだという彼は、肌触りのよさそうなニットとふんわりとしたシルエットのパンツをはいていた。服装はラフだが、髪型はしっかりと決まっている。その姿を撮影すればそのまま雑誌に載せられるだろう。十龍之介オフの日、デート特集。売れそうではないか。
「十さんって隙がないですよね」
「そうか? よく龍は隙が多い。もっとプロとしての意識を持ってって怒られるんだけど」
 大和は龍之介が少し目を伏せてため息交じりに言ったその言葉が誰から言われた物なのかすぐわかってしまった。
「それって九条の真似?」
「うん。どう? ちょっと自信あるんだ」
 似てる。そう返すと龍之介は嬉しげに、メンバーの話を始めた。アイドリッシュセブンとは路線が違うTRIGGERだが、年頃の男の集まりだ。話す内容や盛り上がる内容はところどころかぶっており、大和は自分たちの話もしつつ相づちをうつ。
そのなかで龍之介が八乙女の何気ない一言がかっこよくてまるでファンのようにときめいてしまうといいだし、大和はありえないと俺が返す、それに龍之介がそんなことないさ、例えば――と一つ八乙女の迷言(?) を言ったところから、交互にどれだけかっこよく、クサい台詞を言えるかといった掛け合いが始まった。
大和が声を低めて、可愛い。といえば龍之介が掠れた甘い声でお前のことしか考えられない。と返す。大和も龍之介もお互いにそのようなことを言う方ではないからか、すぐにネタは尽きてしまい、返すまでに数秒間が空くようになっていった。大和が苦し紛れに言う。
「お前、綺麗に飯を食うんだな……いいぜ、そういう奴嫌いじゃない」
 それを受けて龍之介は少し考えたのち、笑みの乗った声でこう返した。
「そばを綺麗に食う奴は良い奴だよ……」
 龍之介の肩が揺れている。つられるように笑いながら大和はすぐにこう返した。
「俺の打ったそばを食ってみないか?」
「くっ」
 耐えられないと言うように声を出して笑いだした龍之介の方をみれば、ぱちっと龍之介と目があう。それがまたおかしくて大和もくつくつと笑う。龍之介は咳込みながら笑っている。龍之介はハンドルを片手で操作しながら目元の涙をぬぐった。
「そばの話しかしてないじゃないか」
 落ち着こうと深呼吸をくりかえす龍之介が責めるように大和に言う。
「最初に言ったのは十さんでしょうが」
「俺のは……あれがかっこいいと思ったからで……」
 そう返す声は少し落ち着いていたが、目はおかしそうに細められている。
「本当に……?」
「嘘、ちょっとおもしろいと思った」
 言われた天も困ってたし。そういってまた吹き出す龍之介につられて大和も笑う。龍之介の笑い声は大きくよく響く割に、うるさくない柔らかさのある不思議なもので、心を羽でくすぐられているみたいに愉快さを増してくる。
ああ、腹から声だして笑う事なんて余りないのに、今日は笑いっぱなしだ。
 運転を諦めたらしい龍之介は車を縁石に寄せ、ふぅっと息をつき腹をさすった。
「ああ、お腹が痛い」
「そりゃ、あんだけ笑えばな」
「じゃあ大和くんも?」
「俺は鍛えてますから」
「ふふふ」
「なんかいってくださいよ。ツッコんでもらわないと困るだろ……。あーあ、明日筋肉痛になったら十さんのせいだ」
「じゃあ俺のは大和くんのせいだ」
 そう言っていたずらっ子のような表情をする龍之介に、目的地があったのではないかと尋ねると、「目的地があった訳じゃない、車の中だったら話しやすいだろ」と言われ、なるほどと納得する。大和は、龍之介が以前、変装してもばれてしまうのだ。とい言っていたことを思いだし、そしてしっかりとセットされた髪型を見た。
「あのさ、俺、十さんが変装下手くそなのってきっと髪型がかっちりしすぎてるせいだと思うんだけど」
「そう、かな……」
 龍之介はぐっとうなり、自分の前髪を撫でた。オフでもしっかりとセットし、一分の隙もないというのはファンとしては理想的な姿かもしれないが、変装をするのであればてんでだめだ。ただでさえ大きく目立つのだからもっと、ファンの思う姿と離さなければ変装にはならないだろう。
 大和の視線に龍之介は、がっくりと後部座席にもたれかかり、点を仰いだ。
「この髪型にするのだってやっと慣れたんだ……こういうの苦手なんだよ」
 そういいながら龍之介は髪をぐしゃっとかき混ぜる。するとサイドに流されていた前髪がばらばらと落ち、龍之介の目にかかる。それだけで印象が幼くなり、大和は驚いた。これに少し手を加えれば十分ではないか、と大和が言うと、龍之介は前髪を払いながら、不器用だからそのちょっとがわからない。と返してきた。
「でも、あんたメイクアップアーティストやってましたよね。不器用じゃ、あれ無理だと思いますよ」
「あれは、仕事だったから、頑張ったんだ」
 どうしよう。としょんぼりと首を垂れる男を見て、大和はきゅっと心臓がつままれたような心地になる。じゃあ頑張れ。と見捨てられるほど大和はドライな性格をしていなかったし、もともと懐にいれた人間に世話を焼きたがるところがあった。
それに、大和のオフの時間は今、龍之介の物だ。明日の予定を確認すれば、夕方からテレビの収録があるにのみで、帰りが遅くなっても問題がない事がわかる。
大和はしょうがない奴だな。とため息をつき龍之介に提案する。
「ラフなセット、教えてあげましょうか」
 龍之介はこくこくとうなづくと、善は急げだと車をUターンさせる。都心へと向かう車の中嬉しそうな龍之介の顔を、見つつ、寮にいる壮五に『遅くなる』とラビチャを送る。龍之介と出かけてくると伝えてあったからだろう返事は『飲みすぎには注意してくださいね』だった。

***

 龍之介の部屋はいわゆる高層マンションにあり、リビングは多くのファンが想像するモデルハウスのような部屋だった。シックでモダンだが、ところどころによくわからない置物や、子供が描いた絵などが飾られており、生活感が感じられた。
龍之介に申し訳なさそうに来客用のスリッパがないと言われ、大和はそっと靴下を脱いで、靴に押し込めた。床は磨き上げられていて一歩も進めない――なんてことはなく、一人暮らしの男らしく隅につもる埃が大和の心を落ち着けた。
 十は大和をソファーに座らせ、目の前にいくつかの雑誌と、テレビのリモコンを並べた後、いそいそと「髪をぬらしてくる」とバスルームに入った。しばらくして聞こえはじめた水音に大和はどうも落ち着かずに座り心地のいいソファーに何度も座りなおす。
 手持ちぶさたに目の前の雑誌をめくれば、自分たちのインタビュー記事に小さく折り目がついている。そうか、見てくれているのかと思うとなんだかくすぐったくて、大和は違う雑誌に手をのばした。
「おっ、これ、十さんのグラビアのやつだ」
 この雑誌は写真を見ては、環がかっけーかっけーとはしゃいでいた物だ。表紙の挑発的な表情を浮かべる龍之介と、バカな話で大笑いする龍之介のギャップに大和は思わず口角をあげる。あの人だったら、素のキャラでだってきっと愛されるだろうに。そうすれば友人だって作りやすくなり、大和にこうやって声をかけてくる必要だってなくなる。
「……でも、あの社長はTRIGGERのイメージでないと一蹴すんだろうな」
 気難しそうな八乙女プロダクションの社長の顔を思い出しながらうんうんと頷く。それだけでなく大和個人としても、龍之介の素の姿が周囲に知られ、自分以外とあのように出かけるのは、どうにも寂しいような気がして、大和はそのことを考えるのをやめた。
そして、ああこれがあの色男の手かと茶化すことで気持ちを落ち着ける。十龍之介の友人に選ばれるというのはどうにも気持ちが良く、しかも数少ない友人であるというのはかなり大和の自尊心を満たしてくれていたのだ。だから、それが広がるのが少し惜しかった。それだけだと、雑誌を閉じ雑念を払うようにぶんぶんと頭をふる。
「大和くん?」
 声をかけられ振り向くと、龍之介が不思議そうな顔でリビングの入り口で立っていた。
 大和はバツの悪さを隠すように、彼の横をすり抜けバスルームをのぞき込み、必要な物を手にとっては龍之介へ渡していく。
「お、上がりましたね? ドライヤーと櫛、あと、ワックスは……ハードしかないか。俺の使ってもいいですか? 何かこだわりとかあります?」
「ないけど、どうしたの? 頭なんかふって……もしかして寒い? 空調上げようか」
 心配そうにそういわれると胸が痛んだ。こんないい人に友達ができないことを望むなんて自分は何て小さい男だと。自己嫌悪に陥りそうになるが、大和はなんとか笑顔を作ると、龍之介をソファーに押しやった。
「いえいえ、お構いなく。ほら座って。覚えるんでしょ」
「う、うん」
 お願いします。そういって大人しくなった龍之介の髪に櫛を入れ、乾かしていく。ふわっと香るシャンプーの香りは普段の彼の香りとは違ってどきりとする。
 優しい、海のような香りだ。
 乾いた髪に軽く整髪剤を付けると、優しい香りの中に自分の匂いが混じったようで心臓が小さくなった。かっちりと固める事をせず、緩やかに毛先を遊ばせれば印象が変わるもので、体格の良さは隠せないが一目見て十龍之介だとはわからないだろう。
「できましたよ」
 大和がそう言って手鏡を渡すと、龍之介は歓声をあげた。
「わっ、結構違うね。全然時間かかってないのに……すごいな。スタイリストさんみたいだ」
「褒めすぎだって」
 すごいすごいと髪におそるおそるふれる姿がかわいくて微笑むと龍之介もふにゃっと笑う。
「これなら俺でもできるかな」
「できるでしょ。わかんなかったらまた聞いてください」
 洗面所でワックスが付いた手を洗おうとすると龍之介が後ろからついてきてタオルを渡してくれる。
「ありがとう、このワックスってどこのメーカー? これも買わないと」
 大和は龍之介にポケットの中に入れていた小さなプラスチックを渡す。龍之介はそれをまじまじと見ながら、商品名を覚えようとしているのだろう、小さく繰り返していた。そんな龍之介からそれを返してもらうのはどうにも気が引けた大和は、家にストックがあったよな。と脳内で確認した後言った。
「あー……これ置いていきますよ。普通にドラッグストアに売ってるし」
 その言葉に龍之介の表情が、ひくっと固まったのがわかり、大和はしまった。と後悔する。人との距離感をとるのはうまい方だと思っていたのに、少し踏み込みすぎただろうか。
「えっ、悪いよ」
 申し訳なさそうに、手の中のワックスの容器をいじる龍之介。
 そうですか。と引き下がるのも不自然な気がして、大和はもうひと押しして龍之介が拒むなら回収しようと決める。
「たいしたものじゃないんで。十さんが気にならなければ……ですけど」
 どうにも自信がなく、語尾が小さくなってしまい、大和は心の中で小さく舌打ちする。これではまた龍之介に気を使わせてしまうじゃないか。しかしその不安はすぐに消える。龍之介がぱっと表情を明るくして、嬉しそうに微笑んだからだ。
「全然気にならないよ! ありがとう。これいいな……大和くんの匂いだ」
 嬉しそうに笑いながらそのようなことを言われ、大和は頬が熱くなるのがわかった。この人は天然だから。天然のタラシだから真に受けると恥ずかしい目をみるぞと言い聞かせても、頬だけでなく顔全体、耳まで熱くなってしまう。
「また、そういうことを……。ほら、コンビニとか行ってみたらどうですか。多分バレませんから。そんでビールでも買ってきてください」
 照れた顔を見られたくない大和は龍之介を追い出しにかかる。これ以上恥ずかしいことをいわれてたまるものかと、背を押す掌にはじっとりと汗をかいていた。
 戸惑いながらも抵抗をせず押し出されていた龍之介は玄関まできて、思い出したように龍之介が振り返ろうとする。ので大和は思わず顔を背けた。
「待ってくれ、マスク……」
「そんなの付けてたら余計目立ちますから! さ、行った行った!」
 財布だけをなんとかつかんだ龍之介を追い出し、大和はその場にしゃがみ込む。顔汗ばんだ手で顔を覆うと、驚くほど熱かった。
「どうしちまったんだ俺……」
 龍之介が楽のようなことを言うから驚いたんだ。そうだそうに違いない。はぁあっと大きくため息をつき、ケータイを眺める。終電の時間はもう過ぎていた。

「バレなかった!」
 そううれしそうに帰ってきた龍之介と、彼が買って帰ったビールで祝杯をあげる。時間のことを言えば、泊まっていってもらうつもりだったんだけど……と言われたので、その言葉に甘えて夜が更けるまで二人で取り留めのない会話をした。
 さて始発も動き始めたし帰るか、という段になって龍之介から渡されたのは、彼の出演していた映画で、
「もしよかったら見てくれないか。大和くんの感想が聞きたい」
 という龍之介にたいしたことは言えませんけど、と返す。大和の演技が評価されてからというもの、指導を求めてくる声が多くなったが、大和は演技に関してあれこれ言うのが好きではなかった。だからそういうのを期待されても困りますよ。という視線を龍之介に向けるが、それでもいいからという龍之介は真剣で、その表情にどくんっと胸がなったのに驚く。いやいや、どんな人間だってこの男に真剣に見つめられたら照れるだろうと自分に言い聞かせながらも、今までとは違う感情がかすかに芽生え始めていることから大和は必死に目をそらした。

***

「知りたいんだ……お前のこと……全部……」
 龍之介が、女優をかき抱き、苦しそうに吐き出す、女優はおずおずと彼の頬をなでる。龍之介演じる社内一のヤリ手の男が、新入社員の、少し変わっているが明るく思いやりのある女性に惹かれ、紆余曲折ありながらもとうとう思いを告げるというシーンを大和は自室で一人見ていた。
 彼の演技を初めて見たわけではないが、龍之介の演じる役はどうも見ているこっちが恥ずかしくなってしまうような物が多い。グループのメンバーの出演作品であれば茶化しながら見ることができるが、龍之介は近くにいないし、かといってメンバーに一緒に見てくれと頼むのは、憚られた。だから大和は休日に一人で恋愛映画を見ているのだ。
 気恥ずかしさを紛らわせるために開けた缶ビールがどんどんと増え、見終える頃には大和は泥酔といっても良いほどの状態になっており、ふわふわとした心地で感想のラビチャを龍之介に送ろうとしていた。
 しかし、手先がおぼつかず何度打っても誤字ばかり。最後には忍び寄る睡魔に勝てなくなった大和は、次会った時に言えばいいでしょ。と適当に
「映画みました かっこよかったです」
 と送りベッドに移動することもせず、床にごろりと横たわり飲んでいる途中で熱くなり脱ぎ捨てた上着を引き寄せるとそのまま眠った。

 次に龍之介とあったのは龍之介の誕生日も近づいた十月には入ってからだった。
 すっかりと秋めき寒くなった朝、布団にくるまりながら夕方の収録までの時間の使い方を考えていた大和に龍之介から「もし暇だったらお昼ご飯一緒にどうですか」というラビチャが届いた。
 最近のアイドリッシュセブンは多忙を極めており、大和はドラマの撮影もあったため、久しぶりの自由時間だった。そのため最初に思い付いたのは一日寝て過ごす。という計画だったが、龍之介の誘いを断るという選択肢は龍之介とのあの誕生日の約束がなかったとしてもなく、すぐに「いいですよ」と返信した。
大和自身も龍之介と過ごす時間を心地よく感じており、連絡のない数日間は少し、ほんの少しだが寂しいと感じたりもしていた。
 十さんだって忙しいだろうし。
 最近の大和は少しの時間を見つけては龍之介の出演しているドラマをチェックしたり、彼の出演する予定の映画の原作を読んでみたりしていた。オフの時間をあげるのがプレゼントだもんなと自分に言い聞かせながらも、どこか違和感を感じる。大和は、この喉に刺さった小骨のような違和感やこの不思議な心地の原因が龍之介に会えばわかる。そう確信していた。

 待ち合わせ場所はおしゃれなオープンテラスのあるカフェで、女性客が多く、大和は驚く。本人に告げたら落ち込んでしまうかもしれないが、龍之介がこのような店を知っていることから意外で、思わず三度ほど店名を確認してしまった。
 気恥ずかしさを感じながらかわいらしく装飾された小さめのドアをくぐり龍之介を探すと、龍之介は窓際の席でゆったりと読書していた。
大和が教えた通り、髪型を崩しラフな服装の龍之介に店内の女性は気づいていないのだろう、おのおの楽しげにはなしていた。
やるじゃん。狭い席の間を縫うように進み大和は龍之介の前に座ると、本の背をとんとんっと叩く。
「あっ」
「どうも、ずいぶん大胆になりましたね」
「え、ああ。案外こういう店の方がバレないんだ。俺って、肉ばっかり食べてるようなイメージだろ」
「肉って」
 大和が笑うと、龍之介はどうだ、というような顔をして大和の前にメニューを広げた。かわいらしい文字で書かれたメニューをなぞる指を視線で追う。
「俺は決めてるから、大和くんも。俺のおすすめはビーフシチューかな」
「肉が入ってるから? 」
「勿論」
 大和が笑いを咳でごまかすと、龍之介は片目をつむり大和の方に顔を寄せ内緒話をするようにささやきかけてきた。「本当は天のおすすめなんだ。だからきっとおいしいよ」と龍之介はメニューをぱらぱらとめくる。しかし大和はそれを見ることはしなかった。
「じゃあ、ビーフシチューで」
「飲み物は?」
「コーヒー」
 わかった。と注文してくれる龍之介の横顔をぼんやりと眺める。鼻筋が通っており、顎のラインはシャープで太い眉が男らしい。文句なしのいい男だ。極めつけはあの目だろう。大和は龍之介の目が好きだった。あの満月よりも美しい瞳で見つめられると、思考が甘く溶けていくようなそんな心地になってしまう。
 はぁっとため息をつくと、龍之介が心配そうにこちらを見た。
「大丈夫? もしかして疲れてた?」
 最近忙しかっただろ。と申し訳なさそうに黄金色の瞳を揺らす。
「いーや、お兄さんもまだまだ若いんで大丈夫です。それより見ましたよ映画」
「うん。ラビチャありがとう。見てくれてうれしかった」
「いや、お前さんが見てくれって言ったんだろ」
「でも大和くん、苦手だろああいうの」
 だから見てくれないかと思ってた……。と頬をかく龍之介の姿に、心の柔らかい所を甘くつままれているようなそんな気持ちになり大和はふっと顔をほころばせる。龍之介はそんな大和を見て驚いたのか目を見開いた後、ふわっと笑った。
「うれしいよ、ほんとに」
「そりゃ、よかった」
 恥ずかしくなったのかもじもじとうつむく龍之介に感化されたのか大和も気恥ずかしくなってしまい、男二人でもじもじとうつむいてしまう。これではまるでつきあいたてのカップルのようじゃないか! と大和が顔をあげるとちょうどビーフシチューが運ばれてきて、二人で無言のまま食事を始める。
「……おいしいね」
「そう、ですね」
 そう答えたものの大和はそのビーフシチューの味が全くわからなかった。どろどろとした液体と、ガムのような肉を咀嚼し嚥下する。
食事の味どころではなかったのだ。大和は龍之介に感じるこの気持ちの正体に薄々気づきつつあった。大和は大人である。大人げないと三月やナギには言われがちだが、それでも二十数年生きてきていて、それなりの経験はあると思っている。この気持ち。今までの周りに流されるままに生まれていた物とは比べものにならない確かなこの感情を恋″と名付ける以外の方法を大和は知らない。

 気持ちも飲み込んでしまえば隠すこともできるもので、シチューを食べ終えた後は、龍之介の読んでいた本の話題で盛り上がった。龍之介が読んでいたのは、龍之介が今度出演するドラマの原作で、大和も彼が出演するからと先日読み終えたばかりの物だった。龍之介の出演作品には珍しく、恋愛色の強くないそれは軽いミステリーの要素が入っており、最後まで退屈することなく読むことができた。
 まだ読み終えていない龍之介に詳しい感想を言うことはできなかったが、あのシーンを演じるのが楽しみだ。という龍之介と登場人物や台詞について話し合った。「まだ半分ほどしか読めてないんだ」と笑った龍之介は、大和がそうであったように、犯人を勘違いしていた。
 龍之介が、自分が演じる役が真犯人だとわかったらどういう反応をするのだろうと考えるとおもしろく、次会ったときに感想聞かせてくださいね。約束し現場へと向かう龍之介を送り出した。
 次の約束の日は十月十一日、龍之介の誕生日の前日だ。

***

 龍之介への気持ちを自覚してからというものの、大和は時間を見つけては通販サイトで龍之介の誕生日プレゼントを探していた。大和はプレゼントを選ぶのが苦手である。しかし、その苦労が苦痛にならないことに大和は驚いていた。龍之介のことを思ってプレゼントを選ぶことはどんなに頭を悩ませても楽しかったのだ。
 今までのどの恋人にも感じなかった気持ちは大和を戸惑わせたがそれよりも恋の力とは恐ろしいもので、下手な恋愛ソングのようだがなんでもない毎日が輝きだした。本当に輝いて見えるのだから驚きである。
きらきらに上機嫌の大和は調子も良く、環に「ヤマさん最近、なんかすげーな」なんていわれてしまった。それに「お兄さん、いつでもすごいでしょ」とにやりと笑って返すと環は「すごくねー」と不服そうだった。環は勘がいいからはぐらかされたことがわかったのかもしれない。
 楽しくとも苦手なものは苦手で、通販サイトを眺めながら、あれでもないこれでもないと悩むものの結局プレゼントは決まらず、約束の日当日の夕方、大和は惣菜を持って龍之介を待っていた。
最初に出かけた日のようにドライブに行くと龍之介は言っていた。龍之介は運転するため酒は飲めないから、と酒は買わなかったが、酒飲みの買う惣菜など、酒が欲しくなる物ばかりに決まっていて、大和は直前までビールの缶とにらみ合いをしてしまった。
 十さんが飲まないんだから。俺が飲むのはだめでしょ。
 そうはいっても、待ち合わせの場所に来るまでに大和はコンビニに入ってはビールの棚でうなるを繰り返してしまった。大和は自分のアルコールに対する執念の深さにため息をつく。
「大和くん!」
 大和がもう一度コンビニに戻るか悩んでいると龍之介が車に乗って現れ、大和の脳内からアルコールのことなどかき消えた。
 周囲の輝きが増し、どくどくと心臓が静かに主張を始める。ゆっくりと息を吐き出してから友人らしい笑顔を作る。
「十さん。随分早いですね。仕事は終わったんですか? 」
「うん、早く終わったから……早く会いたくて」
 龍之介がそう言って笑うと大和の心臓がはねる。ああ、もうこの人は人の気持ちも知らないで……と助手席に乗り込む。惣菜を後部座席に置こうとして、振り返ると大きなクーラーボックスと、軽い寝具が目に入った。
 クーラーボックスはともかく寝具はどうしたのだろうかと首を傾げると、流れるように走り出した龍之介が、
「大和君、明日もオフだったよね」
 と尋ねてきた。三日前にも聞かれた質問だ。
「ええ、明日は丸一日休みですよ」
 大和がそう答えると、龍之介はほっとしたような顔で、
「よかった。今日はこのまま泊まって帰ろうと思ってたから」
「あ、そうだったんですか」
「うん、ちょっとしたキャンプみたいな感じ」
 楽しそうな龍之介の顔から大和はさりげなく目をそらす。何時間だってこの顔を見ていられるが、今日龍之介に大和の想いがバレて、ぎくしゃくしてしまうのはどうしても避けたかった。なんて言ったって次の日は龍之介の誕生日だったし、今日龍之介にとってできるだけ良い思い出になることで自分のこのかなわぬ恋とも折り合いが付けられる。大和はそう考えていた。
 十さんが求めているのは、友人なのだから耐えられなくなるまで良い友人の二階堂大和でいよう。大和はそう決意して、どんどんと明かりの少なくなる景色を眺めた。高速を一時間ほど走ると周囲の明かりは消え、一般道へ下りる頃には遠くに波の音が聞こえはじめた。波の音が大きくなると共に龍之介は言葉少なになり、夜の海が見えると二人とも口をつぐんだ。
 浜には人の姿は見えず、ザザーッザザーッという波の音と、どこか遠くから聞こえてくるサイレンの音だけが響いていた。月にはうっすらと雲がかかっており、星は見えない。昼間は意識していなかったが、そういえば空に雲がかかっていたっけ。と大和は少しだけ恨めしい気持ちになる。龍之介の瞳をみることがかなわないなら、似た色の月を眺めることくらい許してほしかった。
 潮風は冷たく、簡単に体温を奪っていく。大和は薄着をしてきたことを後悔しながら、ジャケットの前をあわせ少しでも風を避けようとするが余り効果はないようで、大和はふるりと身をふるわせる。星も見えず、黒いだけの海に魅力を感じない大和は、車に先に戻っていると声をかけようと龍之介の方を見ると龍之介はぼんやりとした表情で海を眺めており、大和はその表情につい見ほれてしまう。
 月にかえってしまいそうだ。
 そんな不安が頭をよぎり驚きそして顔が熱くなる。そんな恥ずかしいだろ。八乙女じゃあるまいし。頬をさわると血が集まっているのがよくわかる。ほんのりと暖かく、やけだとばかりにそれで暖をとる。大和の頬が手のひらと同じ温度になったころ、龍之介は満足したのかほっと息をはき、大和に振り返った。
「綺麗だね、晴れてたらもっと良かったんだけど……」
「そうですね」
 先ほどまで黒いだけだと思っていた海も龍之介が綺麗だといえば綺麗に見えてくるのだから自分も大概現金だと飽きれる。
 龍之介は相変わらず言葉少なで、車に戻った後も車内灯をつけた薄明るい中で惣菜を摘みながら一言二言交わすだけで、いつもの龍之介ではないとよくわかった。その、固い表情に、大和の胸に一抹の不安が生まれる。
 十さん、緊張してる? もしかして、俺が十さんのこと好きだってバレたのか? なんで、この人に限ってそんな……いやでも変に勘が鋭いところもあるから……どうしたものだろうか。
 大和が思考を巡らせていると、龍之介はクーラーケースの中からビールを取り出し一本を大和に渡すと、自分の分を一気にあおった。そして、意を決したように、あのさ。と切り出す。
「明日って、俺の誕生日だろ」
「あ、そうですよねおめでとうございます」
 自分の間抜けな返しにくらくらした。龍之介はぎくしゃくとした笑顔をつくる。
「ありがとう。だから、大和くんとこうやっていられるのも終わりな訳で……」
 やっぱりか。どこで気づいたかはわからないがこの人は気づいている。そしてそれを知って距離を置こうとしているのだ。大和は腹の底が冷たくなっていくのを感じた。龍之介とも目が合わせられずうつむく。
 そうですね。と返した声はくぐもっており、大和はさらに深くうつむく。演技なんてできっこない。無理だ。でもここで終わりかと思うとじわりと視界がにじんだ。
「うん……それでね。俺、大和くんに謝らないといけないことがあって」
「はい……」
聞きたくない。そう思っても耳は龍之介の吐息までしっかりと聞き取ってしまう。
「俺、友達が欲しいっていって大和くんの時間をくださいってお願いしただろ。でもそれ、嘘なんだ。俺、ずっと大和くんのことが好きで、大和くんと一緒にいれたらそれで幸せだな。一ヶ月だけでも……それでもいいやって、だから誕生日プレゼントにオフの日をお願いしたんだ。でも、俺は、欲張りだからできれば明日も、明後日も、ずっと先も大和くんといたい。だから、俺と付き合ってください!」
「は? 」
 事態が飲み込めなかった。十さんが俺のことを好き? そんな、そんな三流ドラマみたいなことって……。
 龍之介が断る時にするように胸の前で掌をつくる。まるで大和からの返事が聞きたくないとでもいうようなしぐさだ。もしかして彼は大和からいい返事が返ってくるはずがないと思っているのだろうか。その疑念は龍之介の次の言葉で確信に変わった。
「え、えっと、あの、すぐじゃなくても勿論良いし! 断ったからって態度を変えるとかはないから! 大丈夫だよ」
 この人は、大和が断るに違いないと思っているのだ。なんという勘違い。大和は震える声で龍之介に尋ねた。
「十さん、俺のこと好きなの」
「うん。ごめんね」
 おそるおそる顔を見ると顔を真っ赤にしながら眉を下げ、困ったように笑う龍之介がいた。全身が心臓になったかのように心音がうるさい。目の前がちかちかとして、星がはじけているようだ。口をひらいて初めて喉が乾いていることに気づいた。舌は縮こまって言葉を紡いでくれない。手元のビールで口を湿らせると、固まっていた舌がぎこちなくだが動き始める。
 思考がめちゃくちゃになっていた大和は見当違いの言葉を発する。
「……十さん俺の誕生日って知ってますか」
「え? バレンタインだよね二月十四日」
「そうです。バレンタインって基本三倍返しなんです」
何の話だよ。と自分で自分を叱咤するが、動き始めた舌は止まらず、どんどんと言葉があふれる。
「だから十さんもプレゼント……三倍返ししてください」
「え?」
「誕生日までの三ヶ月、あんたのオフが全部ほしいっていってんだよ」
「え、えっとそれって……」
「……分かれよ」
 理不尽なことを言っているのはわかったが、大和にはそれが精いっぱいで、目からはぽろっと涙がこぼれる。龍之介は少し考え込むようなしぐさをした後ややあって、大和に顔を寄せ、大きな手で大和の目じりをぬぐいながら、悪戯っぽく微笑んだ。
「おまけで一ヶ月追加してもいいかな?」
「いいですよ。ただし俺も三倍返ししますからね」
 大和がそういって笑い返すと、龍之介はのぞむところだ! と力こぶを作る。そのポーズに大和がくつくつと笑い始め、龍之介もそれにつられて笑う。車内には先ほどまでとは違った、明るく甘い空気が流れ出し、波の音もそれを盛り上げる。
「あっ」
 大和が外に視線を向けると、さきほどまでかかっていた雲がなくなり、満点の星空が二人の頭上に広がっていた。それに気づいた二人は視線を絡ませるとおずおずと顔を近づける。あと少しで重なるという時に、龍之介のケータイがぴこんっと音をたてた。その音はぴこんぴこんと立て続けになり、振動を続けている。
「わ、わ、何?」
「あ、時間」
 大和がケータイを見るとちょうど日付を越えたところで、大和はなるほどと呟いた。そして、震え続けるケータイをわたわたと見る龍之介の腕を引き、こめかみに口づける。
「十さん、お誕生日おめでとうございます」
 ごとっとケータイを落とし、口をはくはくと動かす龍之介の顔はおもしろいほど赤くなっており、金魚みたいだと大和は声をあげて笑った。

***

 座席を倒し、転がるようにして抱き合う。空には先ほどまで曇っていたのが嘘みたいに星がでており、周りが明るくなっていた。
ぐりぐりと首筋に鼻を押しつけている龍之介の頭をぽんぽんっとなでながら大和は天井に手をのばす。龍之介を押し返しなんとかライトを消した。
「……なんで消すの」
「や、外から見えるでしょ。見られたらお互いに困りますよね」
「もうこんな時間だよ。人なんてこないよ」
 大和が必死に手をのばして消した明かりを龍之介が手をのばし、付けようとするので大和はその手がのばせないよう、龍之介の肩を押さえる。
「いやいや、俺たちみたいな人が来たらどうするんですか」
 息がかかるような距離で大和がそう呟くと、諦めたらしい龍之介はもぞもぞと身をよじると大和に頬ずりした。
「ちょっと」
「信じられなくて。大和くんが俺のこと好きなんて、そんなことあるはずないと思ってたから」
 ちゅっと大和の耳の後ろでリップ音がなる。
 俺も今でも信じられませんよ。と返そうとして、顔をあげた龍之介の瞳に吸い込まれ、言葉をなくす。この男は、こんなにも優しい目で自分をみるのか。と想うと全身から汗が吹き出た。激しくなる鼓動に比例するように息が上がっていく。からだのどこもかしこも熱を持っており、特に龍之介にふれているところは、燃えそうなほど熱かった。こんなになるほど龍之介のことを意識していたのに、この人には一ミリも伝わっていなかったのだと思うと、少し恨めしく思えた。
「っは……」
 漏れた吐息が湿った熱を帯びていて恥ずかしい。龍之介の顔がゆっくりと近づけられ、大和はぎゅうっと目を閉じた。生娘のような反応をして龍之介が引くかもしれないという考えが脳裏をかすめたが、とりつくろう余裕など大和には残されていなかった。あの目におぼれてしまったのだ。あとは呼吸を奪われるのみだ。
 大和が、龍之介から自分のあげた整髪材の香りがする。そう気づいたその時、ぴりりりっと龍之介のケータイがけたたましくなる。
 驚いて体を起こした龍之介を責める様にぎいっとスプリングが悲鳴を上げた。二人が見つめあっている間にコール音は一度切れたが、またすぐになりはじめる。
「あ、えっと」
「どうぞ、出てください」
「ご、ごめんね」
 甘い空気はすっかりと霧散しており、龍之介が電話に出たのを横目に大和は体を起こした。自分のケータイを確認すると、以前対談の際につくったアイドリッシュセブンとTRIGGERのグループの通知がかなりたまっていた。開けば、グループ入り乱れて龍之介の誕生日を祝う言葉や、コントのような掛け合いがなされていた。最後のメッセージは一時間ほど前だ。みなもう寝ているだろうか。そう思いつつも大和は「おめでとさん」と打ち送信ボタンを押した。

 電話の主はマネージャーの姉鷺だったようで、龍之介は申し訳なさそうにすぐに帰らなければいけなくなった。と言った。
出演予定のドラマの監督が親睦会も兼ねて、龍之介の誕生日を祝おうといいだしたのだと言う。龍之介は急すぎると断ろうとしたが、主要出演人が乗り気で集まっている。と聞けば、断れるはずがなかった。
 TRIGGERはアイドルとしての地位は確立してきているが、役者としてはまだ駆け出しで、このような機会に親睦を深めておくことは今後のためにも不可欠だと大和もよくわかっていた。
 龍之介も大和もお互いのわがままでグループの今後を左右するほど子供ではなかったが、わかっていても納得できない。どうしても行きたくないという表情をした龍之介の頭を大和はおもいっきりかき混ぜた。海のような香りのシャンプーと大和と同じワックスの混ざり合った香りを思いっきり吸い込む。
 しゃりしゃりと音をたてる後頭部をなでると龍之介は気持ちよさそうに目を閉じた。なでる手を休めずに大和は龍之介を諭す。
「しょうがないじゃないですか」
「でも……」
 大和にぴたっとよりそってエンジンをかけようとしない男に大和はしょうがないなと呟くと、囁きかける。
「また、次のオフに」


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