1

 晴天。
 祝いの席にふさわしい青空だ。今日、大和君が結婚する。
 ライバルグループの俺が招待されたのは偶然で、マスコミバレ対策であろうか、前日楽屋前ですれ違った際に彼に呼び止められ「十さん、明日って暇ですか? 」と尋ねられ、たまたま次の日がオフだった俺はまたいつもの飲みのお誘いかな?と思いながら「暇だよ。」と返したのだ。

「そうですか。いや、明日俺結婚するんですけど、よかったら来てくれません? 」

 今思い返しても、ドッキリとしか思えない誘われ方だ。動揺した俺は、おめでとうとも言えずに、うん。と一言返すことしかできなかった。俺が頷いたのを見た大和君は「じゃあここですから。」と住所が書かれた紙を握らせたのだった。
 楽や天も同じように誘われていたようで、予定がつかなかったのだろう、急すぎるとプリプリと怒りながら龍之介にご祝儀を預けてきた。この二人がコンビニで買ってきたご祝儀袋に四苦八苦しながら名前を書き入れる様子はなかなか見れないものだろう。
 明日会ったら大和君に教えてあげないと。と思いながら俺は自分もコンビニでご祝儀袋を買った。
 楽や天のことを笑ったが、実は俺も何回も失敗してしまい、一枚だけ買ってきたちょっと洒落た作りのご祝儀袋はダメにしてしまったのだ。でもそれは内緒にしておこうと思う。これも直接祝える者の特権だ。

 式場は都内のはずれにある小さなチャペルで、クリーム色の教会は可愛らしく、きっとお嫁さんの趣味なんだろうな。と笑みが漏れる。それにしたってあまりに急だったから、と自分の格好を見下ろし小さくため息をつく。結婚式なんて縁遠く、数年前にお世話になったプロデューサーの式で着た燕尾服しか用意できなかった上、燕尾服の裾に大きなしわがあった。昨日の夜クローゼットから出してからアイロンを当ててみたりのばしてみたりしたが、効果は思わしくなく、近くから見るとばっちりしわがついていたことがわかってしまう。
 格好つかないなあ。
 裾を引っ張りつつチャペルにはいるとなにやら騒がしい。受付には人がいないし、皆駆け回っている。耳を澄ませば断片的に、花嫁が――とか、見つけないと――などと言う声が聞こえてくる。
一体何の騒ぎだろう。
 きょろきょろとあたりを見回せば、見知ったオレンジ色の頭が目に入る。

「三月君!これって何の騒ぎ? 」
「あっ!十さん……実は」

 花嫁さんが逃げちゃったんだ。
 その言葉にくらりと目眩がした。花嫁が逃げた?なぜ。今幸せの絶頂にいるはずだろう。しかしそんなことよりも気になったのはもう一人の主役のことだった。

「大和君は……? 」
「大和さんは……」

 三月は普段の快活さなど感じさせない疲れ切った表情で、言いにくそうに声を低めた。

2

 三月に教えてもらった部屋の扉を蹴りつけるようにして開く。
「大和君! 」
 叫ぶように彼の名前を呼ぶと、彼は花嫁の被るベールを手に持って、笑っていた。
「逃げられちゃった」

 事の経緯はこうだった。相手はドラマで共演した相手で、彼女の熱烈なアプローチにより、そろそろ身を固めてもいいかな。と思っていた大和は結婚を承諾した。彼女からはマスコミに騒がれたくないからギリギリまで式のことは内緒にして欲しいと言われていたため、昨日メンバーにも伝えたということ。もみくちゃに祝われて、仕事があるメンバーには恨み言も言われたこと。そして今日彼女がウェディングドレスに着替えるからと別室にうつったところでいなくなってしまった。とのことだ。

「正直、ああそうだったんだ。位にしか思ってないんだよな。俺も彼女も本気じゃなかった。だから逃げちゃったんだろうなって。見ます?彼女からの手紙。「ごめんなさい、やっぱりあなたを本当に好きになることはできませんでした」って書いてあるんだよ」

 ここに来るまでに噂で聞いたことだが、花嫁になるはずだった彼女には、ずっと昔から付き合っていた男がいたが、事務所が反対したため別れたのだそうだ。
 龍之介はぎゅっと唇を噛む。勿論彼女には同情するが、だからといって、こんな事をしていいはずがない。大和は事もなさげに振る舞っているが、彼が周囲に「結婚する」と話した分だけ受け取った祝儀の分だけ、話はなくなった。と伝えて回らなければならない。
 それがどれだけ不名誉で苦しいことかは、同じ業界にいる彼女にわからないはずがない。龍之介はそのことが悔しくてたまらなかったのだ。

「なんで十さんがそんな死にそうな顔してるわけ。笑ってくれって。めっちゃ格好悪いだろ? 笑ってもらえないと、お兄さん体のはりがいが無いわけよ」

 大和は相変わらずヘラヘラと笑いながら、これって鉄板ネタになるよなあ。絶対滑らねえわ。なんて言っている。

「大和君……ッ。」
「な?笑ってくれって。……お願いだから笑えよ。」

 彼の目は凪いでいて、無感動だった。いつものカッコつけたような、人を食うような笑みを浮かべた時と同じ瞳とは思えない濁った色。
 きっと踏みにじられた葉の色だ。
 そのような色で笑っている大和を見ていることに龍之介は耐えられなかった。だから、自分でも思ってもみなかった言葉が口からこぼれ落ちた。

「大和君、俺と駆け落ちしようか。」

 龍之介のその言葉に大和の瞳がすこし煌めいた。

「男二人で? 」
「そう、きっと楽しいよ。」
「アンタってそういう冗談言うタイプだっけ? 」
「冗談じゃない。本気で言ってるんだ。」

 実を言えば、龍之介は以前から大和にあわい好意を抱いていた。叶わないと割り切って友人でいれる事を何よりも幸せとしていたのだった。
 だから、大和の結婚式に「自分が」呼ばれ、参加できるということに優越を感じていたし、彼を祝う事ができる。その嬉しさにここまできたのだ。
 しかし、蓋を開ければ大和は不幸になっている。今、彼をこの不幸から救い出せるヒーローは自分しかいない。絶好のチャンスだ。と龍之介は拳を握りしめる。

「……じゃあ連れ出してよ。」
 
 大和が自嘲気味に呟いたその言葉を龍之介はきっと一生忘れないだろう。そう思った。
 白いタキシード姿の大和の腕を掴み軽く引けば彼が立ち上がる。結婚式から花嫁を連れ去るような気持ちでもう一度少し強めに引き、走り出す。彼の手からベールが滑り落ち床に広がる。
 どこに行くかなんて考えていない。誰も俺たちを知らない場所に。彼を苦しめるもののない場所へそれだけを考えて、うすぼんやりとした色の忌々しい教会を飛び出した。

3

 二人がたどり着いたのは、高齢化の進んだ小さな島で、都会から来た若者二人を、「最近はセカンドライフじゃーゆうて都会から来る人も多いけん」と暖かく迎えてくれた。二人の城として選ばれたのは木造平屋の立派な物件で、こんなに大きな家を借りるわけにはと、二人で断ったのだが、人が住まずに遊ばせておく方が金がかかるし、あんたら若いんじゃけん、友達とか来るじゃろう。とあれよあれよという間に決められ、気付けば二人でその家の和室で寝ていたという状態だった。
 その後数日は広い家の掃除をしたり、必要なものを買い込んだりして過ごした。

 都会育ちの大和は田舎の密接な近所づきあいに慣れないのか、龍之介の前以外では黙りこくっており、話したとしても二言三言だけであるため、周囲との交流は龍之介が担うことになった。若く体の大きい龍之介は、高齢者しかいない島では重宝され、畑仕事や山仕事を一通り叩き込まれ、あっという間に島みんなの息子のような位置に収まっている。
 二階堂はといえば持ち込んだパソコンで仕事を見つけたらしく、日中は自宅で仕事をしている。
 そんなこんなで新生活はなかなかつつがなく進んでいったのだった。

4

 季節は巡り幸福な花嫁のあの月から二ヶ月、龍之介は自分の畑を持っていた。それは「もう歳やけんようやらんわ」と言った田中さんから譲り受けたもので、手入れの行き届いた畑では宝石のような野菜がたわわに実る。
はさみを入れれば輝く赤を持ったトマトが手に収まった。傷を付けないようにそっとカゴへいれ、次のトマトへはさみを入れる。とれた野菜は形のいいものは農協へ持って行き、不揃いなものは近所周りに配ったり、自分で食べたりする。

「ふう……そろそろお昼かな……」
 太陽は高い位置にあり龍之介を照らす。数ヶ月前までスポットライトに焼かれていた自分が、島の畑で太陽に焼かれているというのは不思議な心地だった。
 前はこっちの方が普通だったのにな。
 沖縄での日々を思い出しふと郷愁にかられるが、頭を振ってそれを散らす。今は帰るわけにはいかない。アイドルになるといって島を飛びだした手前、恋のためにその道から逃げている自分を家族に見せるのはどうも忍びなかった。(もっとも、反対はされないだろうとは思うが……)

「よし、一旦帰ろう」

 トマトの入ったカゴを担ぎ、大和の待つ家へと向かう。カゴを揺らして傷を付けないようにと注意を払いながら、龍之介は心なしか浮かれる足で軽トラに乗り込んだ。

5

 「ただいまー」
 玄関をあけるとだしの香りがいっぱいに広がっており、きゅるっと腹が鳴る。
 一緒に暮らし初めて知ったことだが、大和くんは料理がうまい。女性が作る料理のような華やかさはないが、龍之介の舌にしっくりとなじむ。いわゆる男の料理。といった感じなのかもしれない。

「おかえりー」

 毎日のことだというのにその声を聞くとどきりとしてしまう。おかえりその四文字でこんなにも心臓が跳ねるなんて龍之介は大和に出会うまで知らなかった。腹も心臓も大音量で合奏をはじめており、あまりに恥ずかしい。それを彼に気付かれまいと長廊下の真ん中で大きく深呼吸をする(これはもはや恒例行事だ)。

「十さん、お箸だしといて」
「はあい」

 今日の料理はなんだろうと台所をのぞこうとすると、今日はうどん。とこちらを見ることなく返される。かまぼこもらったから、乗っけてくおーぜ。とうどんを水でしめる大和の言葉にうんうんと相槌を打ちながら後ろの戸棚から箸を取り出しちゃぶ台に並べる。うどんの他にもおにぎりやら、今朝の小鉢の残りやらを並べて昼食は完成だ。
 料理は大和くんの役割で、たまには変わろうか? といっても、どうせ家にいるから。とすげなく返されてしまう。俺としては大和くんがお嫁さんみたいで幸せなのだが、ルームシェアしている友人としては甘え過ぎているような気がして申し訳ない。
“友人”
そう、友人である。十龍之介一世一代の覚悟でもって二階堂大和を結婚式から攫ったまではよかったが、結局想いを告げることができずにいる。聡いくせに鈍い彼は、俺が彼を憐れんで一緒に暮らしている……と思っている。らしい。
もしかしたら気付いていて無視されているのかもしれないが……それはないと信じたいところだ。そんなことになったら俺はきっと立ち直れない。
 うどんにのった油揚げを咀嚼しながらうんうんと頭を悩ませる。このままでいいのか。彼に邪な気持ちを抱えたまま暮らしていくのは裏切りではないだろうか……そう考えるものの、告げられるかは別の問題だ。
 ぴかぴかのおにぎりを一口頬張ればただの塩むすびだというのに優しい甘みがありどことなく味わい深い。

「あ、このおにぎりおいしい……」
「米がいいからなー」
 この瞬間があまりに心地よいものだから壊す勇気が出ない。だからもう少しだけ……と考えてしまう。
でも、その甘えがあんな事件を引き起こすなんて、その時の俺は考えもしなかったのだ。

6

 積乱雲が空高く伸びていく。その大きさに夕ごろに来るだろう雨を想像し今日は水やりをさぼれるかもしれないと龍之介は笑みを深くした。抜けるように青い空と積乱雲、夏らしいが見慣れてしまったその景色に一つの要素が加わるだけでこんなにも心が躍るとは思わなかった。
 まるで映画のワンシーンみたいだ。昼に家に帰り、大和と食事をする。そこまではいつも通りで、違ったのは井戸水でキンッと冷やされたトマトを飲み込み、さあ畑に戻ろうと腰を上げた時に大和が「俺もついて行ってもいい? 」と聞いてきたことだ。

「え、どうしたの? 珍しいね」
「あー丁度仕事も終わったから。たまには外に行かないとカビが生えそうだとおもってさ。邪魔ならそこらへん散歩しに行くけど」
「いや!一緒にいこうよ」

 大和の気が変わる前にと風通しのいい薄緑色のシャツを着せ、いつもは自分がかぶっている麦わら帽子をかぶせて連れ出してきたのだ。
 畑についてからの大和はまるで子供のように興味深そうに周囲をきょろきょろと見回し、動き回っていたが龍之介が作業を始めてからは、休憩用に置いてあった木箱に腰掛けてぼうっと雲を眺めている。まるで本当に日干しされているみたいだ。なんて言ったら彼はどんな反応をするだろうか。 くつくつと笑いを堪えながら隠すように俯き、しかしすぐに吸い寄せられるようにして顔をあげてしまう。改めて見ると彼の顔は整っている。楽や天のような華やかな顔立ちではないが、絶妙なバランスで配置されたパーツはそれぞれが愛おしい。すこし白目がちな目も、なだらかな頬も、汗で髪をはりつけた額も、龍之介の心を温かくさせた。自分でかぶせた物だが、整った顔立ちとおばあが被るような日避け布のついた麦藁帽子がアンバランスでそれもまた心臓をつかまれたような心地にさせる。どんな美女の水着姿を見たときよりもこのなんでもないような大和の姿に龍之介はありていに言えば興奮していた。
 ああ、大和くんが好きだ。心の中でつぶやいたその時大和と目があって慌てる。この心臓の音が聞こえているはずなんてないのにおろおろと目を反らせば、それをどうとったのか大和が木箱から腰を浮かせた。

「手伝いましょうか? 」
「ん? いや、あーえっと……じゃあお願いしようかな……」
「ほいほい」

 腰をあげてひょこひょこと近づいてくる大和にばれない用に汗を拭うように顔をこする。これで顔が赤いことを尋ねられてもさっき強く擦りすぎたから。と答えられる。
 ぱちんぱちんと野菜を収穫していく音だけが響く。龍之介のハサミの音は慣れのためとぎれなく、大和のハサミの音は龍之介より一拍遅れたり、はたととぎれたり丁寧だ。少しずれた二つの音が重なったり、離れたり……まるでデュエットしているみたいだと彼の音に少しでも重ねようと龍之介のハサミの音は加速していく。カゴはあっという間にいっぱいになり今日はこれくらいにしようかと龍之介が声をかければ、大和がほっとしたように嬉しそうな顔で頷く。

「十さんすごいわ。こんなの毎日……。俺は腰が痛くて痛くて……」
「はは、すぐ慣れるよ。コツがあるんだ」
「そういうのって普通最初に教えてくれません?お兄さんが明日ベッドから起きあがれなかったら十さんのせいだ」
「んっ……大丈夫だよ、大和くん体力あるから」
「どうだろうな。最近全然運動してないからなー」

 笑いながらかぶりなれない麦わら帽子を脱いで前に持つ。汗をかいた頭にすっと風が通っていき心地よかったが、正直それどころではなかった。
 ベッドってだけで立つ、とか……。中学生の頃だってこんな単語で反応する方ではなかったというのに、はぁと大きく息を吐いて気を紛らわせる。さほど主張している訳ではないが、運転席に座れば押し上げているのが丸わかりだ。
 早く収まって……。願うものの逸物は意志に反して、視界のはしに大和が映る度に少しずつ血流は増していく。
 あぁもう!こういう時くらいいう事を聞いてくれてもいいじゃないか。前からこいつはそうなんだ。ライブの時とか……困る時に限ってなかなか落ち着いてくれない。叫びだしそうな龍之介の耳にゴゴゴゴっというトラックの走行音が届いた。
 トラックはゆっくりとした速度で龍之介達に近づき窓が開く。ひょこっと顔を出したのは龍之介に畑を譲ってくれた人――田中だった。

「おーう龍、今日はもう終わりなんか」
「田中さん、今日は大和くんが手伝ってくれたので早く終わったんです。一雨来そうだし水やりも無しでいいかなって」
「ほうかね。やー確かにくるじゃろうなあ……おおっ?珍しいのぅ、眼鏡の坊主も今日はおるんか」
「どうも」

 顔をくちゃっと歪めて笑う田中に大和はうろうろと視線を彷徨わせた後、ぺこっと頭を下げると一歩下がって地面を見つめている。いつものことだ。彼はここに来てから随分と人付き合いが苦手になってしまったように見える。他の人が相手だったなら龍之介も少しひやりとしたかもしれないが、田中はそういう事を気にしない質であると、付き合いの中で知っていたため困ったような笑みを浮かべるだけだった。

「変わらんのぅ眼鏡のは」
「すみません。大和くんシャイで」
「知っとる知っとる。まあもう少し慣れてもええと思うけどな!」
 がははと笑う田中にあはは……と返しながら龍之介は本題を切り出す。
「そういえば、田中さんどうしたんですか?こんなところまでくるなんて」

 大和はすっかり気持ちを明後日に向けてしまっているようで、これは早く切り上げないと大和の機嫌が悪くなることは目に見えていた。大和は機嫌が悪くなると味噌汁の具をぬくという当たりかたをしてくるのだ。以前龍之介が島民につかまり連絡なしで飲みに行ってしまった時など、まず机の上に置かれた晩御飯のおかずで一撃、翌朝謝ろうとしている龍之介を徹底的に無視した上で、いつも通りの朝食を用意するのだ。味噌汁の具はしっかりと抜いて。もし「あの……大和君……これ、具が入ってないんだけど……」と言えば「でしょうね」と返される。直接責められるよりもつらいそれに身がすくんだのを覚えている。だから龍之介は、大和の機嫌が悪くなる前に早く帰りたかった。さて、田中は龍之介の言葉をうけすっかり忘れていたというように手を打つと窓から少し身を乗り出す。

「それがの、嫁が「最近龍ちゃんが来ん」ゆうて、機嫌が悪いんじゃ。ほじゃけん呼んで来たるけん、ごちそう作れーってゆうたってな? 眼鏡の坊主もここにおるいうことは、晩飯の用意、まだしとらんのやろ? なあ、ワシを助ける思うてウチに食いにきてくれんか? 」
「え?えーっと……」

 ちらりと大和の方を伺えば、彼は目を閉じていた。

「行って来たらいいんじゃないですか?田中さんにはお世話になってますし」

 まあ、そういうよね……わかってはいたがなんとなく落ち込む。
 龍之介ががくっと肩を落とすと、田中はきょとんとした顔で大和を見た。

「なんゆうとんな。眼鏡も来るんやぞ」
「えっ」

 驚いた大和くんが今日初めて田中と目をあわせる。田中はいたずらが成功したような表情で大和を見つめていた。

「俺は、ちょっと……」
「いかんぞーいい加減慣れんと。な?二人でこいよ。まちよるけん」

 そう告げると、田中はトラックをUターンさせ、ブロロッと走り去っていく。トラックは少し離れたところで一旦停止したかと思うと、六時頃こいなーと窓を開け叫ぶとまた発進した。
 呆気にとられたように田中さんの車のあったところを見つめている大和くんと一緒に立ち尽くせば、いつの間にかあんなに元気だった息子は静まっていた。

7

 龍之介の予想通り日が傾く頃に通り雨があったが、それは三十分ほどでやみ、じっとりとした空気をのこして、夕焼けをみせた。
 「絶対に行かない! 」と、柱にしがみつく大和をどうにかなだめ、黙ってて良いからとなんとか車に乗せ、田中邸に着くとそこでは大宴会が行われていた。
 田中さん夫妻はもちろんのこと、両隣(といってもかなり距離がある)のご夫婦、お祭り好きな源さんなどエトセトラエトセトラ……その中に一人、目を引く女性がいた。平均年齢が高いこの島では滅多にみない二十代くらいの女性だ。
 龍之介はなんとなくいやな予感がして、借りてきた猫のようにおとなしい大和と一緒になるべく彼女から遠い位置に腰を下ろした。
 しかし、気のいい島民は普段からつきあいのある龍之介は勿論のこと、特になかなか姿をみせない大和をかまいたがってあれよあれよという間に輪の中心に押しやられていた。

「いっつも集まりあっても龍ちゃんしか来んけん、大和くんと会うのはいつぶりやろね」

 田中さんの奥さんが、大和に話しかけると彼は困ったような表情で小さくすみませんとつぶやく。奥さんはああ、ごめんな、責めとるわけじゃないけんねと大和の頭をなでた。石像のように緊張していた大和の肩が少しほっとゆるむ。田中さんの奥さんは、ゆるゆると大和の頭をなでながらうふふと笑っている。されるがままだった大和がちらっと龍之介を伺ってきた。

「大丈夫」

 そう龍之介が声をかければほっとしたように小さく笑う。大和君かわいい。自分は彼の安全地帯なのだろうと思うと自然と自分の頬も弛んだ。大和の笑顔をみた田中さんの奥さんがほうっと息をのんだ。

「あらあら、龍ちゃんも随分男前やけど、大和くんもかっこええねえ……都会の子はみんなかっこええんかな? 」
「どうじゃろな、前川のとこの美咲ちゃんの旦那なんか東京の人やけどそんなにじゃろ」
「どらどら、大和、顔みせてみい」

 大和を構いたくて仕方がないらしい島民がここぞとばかりにぐるっと囲み大和をもみくちゃにしている。龍之介は心配をしつつ、どうすることもできずにちみちみビールを飲みながら視界の端で事の顛末を見守っていた。
 グラスの底が見えてきたころぐいっと首に腕をまわされ何事かとそちらを見れば田中が意味ありげな表情で笑っていた。

「ずっと聞きたかったんじゃが聞いてもええか」
「んん? なんですか」
 とととっと自分のグラスと、空だった田中のグラスにビールを注ぐ。
「龍と眼鏡の坊主はつきおうとんか」
「っは!? 」

 思わず机を蹴ってしまいグラスが揺れる。田中はおっとっととグラスを掴み一口にビールを飲みほした。それに倣い龍之介も焦りで乾いた口内をビールで湿らせる。

「いやの?男二人でこんなとこ来るなんて変わっとるなーとは思っとったんじゃけど、孫に話したらそれは、きっとげい?カップルじゃーってゆうてな」

 吹き出しそうになったビールをなんとか飲み込みながら、アルコールで鈍った頭を叱咤しなんとか思考を巡らせる。自分はたしかに大和が好きだが大和はきっとそうではない。彼らにゲイだと、カップルだと思われていたら問題だ。
 どう答えるべきかと視線をさまよわせていると、避けていた女性とばちっと目が合う。彼女は龍之介の顔を見るとあんぐりと口を開け叫んだ。

「TORIGGERの十龍之介!?」
「どうしたぁー千尋、急に叫んで」
「だって、おじいちゃんその人……」

 言われる前にガタンッと大きな音をたてて立ち上がる。勢いよくぶつけた膝が痛んだが、それどころではない。

「た、田中さん俺帰ります!大和くん!」

 田中さんの腕を振りきって、囲まれて目を白黒させている大和の腕を引き、逃げるように田中邸を飛び出した。軽トラに飛び乗りじわじわと悪い汗がにじむのを感じながら、アクセルを踏む。
 ただならぬ龍之介の様子に、大和は何か言い足そうに口を開いたが、きゅっとつぐんだ。
 エンジン音とざりざりとでこぼこの道をタイヤがつかんでいく音だけが静かな車内に響く。
 家に着いたからも無言のままの龍之介に大和は、先にお風呂はいりますね。と一言声をかけただけで、それっきり会話もなく、大和は風呂にはいった後そのまま先に寝てしまった。
 龍之介は居間のちゃぶ台に手を突き頭を抱える。一度に問題が起きすぎだ。まずゲイだと思われた。更に俺らの素性がバレた。
 田中さんに俺達がゲイカップルだと言った孫というのはきっとさっきの女性だろう。しかも彼女は俺がTRIRRERの十龍之介だと知っていた。きっと大和くんのことも知っている。

「まずいなあ……」

 休止することはメンバーに納得して貰っている。しかし、休止中のアイドル同士がゲイカップルと噂になれば、グループに迷惑がかかってしまうのは避けられないだろう
 それに、これが一番の問題なのだが、龍之介は大和に好意を寄せているが大和はそうではないのだ。ゲイカップルだと噂になれば、いくら龍之介が否定しても大和は自分と距離をとるかもしれない。

「まずいなあ……」

 いくら考えたって結論なんて出るはずもなく龍之介はその晩ちゃぶ台につっぷしたまま夜を明かした。
 翌朝、大和と顔を合わせるのもどうも気まずく、大和が起きてくる前に畑にでて、そこでも木箱に腰掛けて頭を抱えていた。
 めぐるのは最悪の結果ばかりで、大和に距離をとられ、しかも週刊誌にリークされ……ということばかりが浮かんでは消えていく。
 そろそろ潮時なのかもしれない。いや、むしろ遅すぎた。心地よさばかり優先してきたツケが回ってきたのだ。
 ブロロッというエンジン音に顔を上げると、田中と、その孫が軽トラから降りてきた。
 女性はずんずんと龍之介近づいてくると、大きく息をすってこちらをを見据える。

「お話があります」

 その言葉が死刑宣告の鐘のように聞こえ、龍之介はひゅっと息をのんだ。

8

 女性を立たせたままにしておくわけにもいかず、木箱をタオルで払って勧める。彼女はすこし顔を赤らめそこに腰を下ろした。細身のスキニーに柔らかな素材のトップスを合わせ、緩やかなパーマのかかった髪を流した彼女は都会の女性といった感じで余りに木箱とは不釣り合いだった。

「それ、で。話って……」

 彼女の顔を見ないように木箱の縁を視線でなぞりながら尋ねる。ささくれを数え平静を保とうとするが、どうしても八まで数えたところでどこを数えていたかわからなくなってしまい最初に戻る。一、二、三、四、五、六、七、八……一、二、三、四、五、六、七、八……

「昨日は騒いでしまって申し訳ありませんでした。私、TRIGGERの大ファンで……」
「い、いえこちらこそ逃げてしまって……ありがとうございます」
「それで、私、あの……誰にも言いませんから! 」
「……え? 」

 ささくれから目を離し彼女の顔を見れば、目を開き、龍之介をしっかりと見据えていた。少し頬が赤いのは自分に憧れてくれているからだろうか。

「十さんと二階堂さん。同時期に休止されたので、結構ファンの中では話題なんです。一緒にいるんじゃないか……って。反対してるファンも勿論いるんですけど、私の周りはどちらかっていうと賛成っていうか……十さんが幸せならいい。って考えの人が多くて……だから! 十さんがバレたくないっていうなら、私、このことは墓場まで持って行きます」

 任せてください。そういって胸を張る彼女の瞳は澄んでいて、とても嘘をいっているとは思えなかった。その瞳の強さに緊張がほろほろと溶けていく。
 あからさまにホッとした様子の龍之介に彼女は居心地が悪そうにもぞもぞとした後、TRIGGERの現状やアイドリッシュセブンの現状について話してくれた。十と二階堂は一身上の都合で無期限の休止扱いになっていること、やめたわけではないと、しっかりと明言されていること。そして多くのファンが二人の帰りを待っているということ。

「秘密は守ります。でも、帰ってきてほしい……っていうのが本音です。二人がいなくなってから、両グループともパフォーマンスは最高なんですけど、あの……なんだか寂しそうで……。今すぐって訳にはいかないかもしれないですけど、私たちファンは、お二人に活動再開していただきたいです」
「うん……そうだね」

 待ってくれているファンのことを考えたことがなかった。といえば嘘になる。しかしそれ以上に大和との生活が楽しく、そのことから目をそらしていた。
 しかし、一度にそのことを突きつけられ龍之介は歯噛みした。待っていてくれてる。そのことだけでこんなにも戻りたくなるなんて思っても見なかった。
 目も眩むようなスポットライト、激しいビートに、仲間達の歌声。アイドルとしての自分が男としての自分を見据えている気がした。アイドルになりたい人はいっぱいいるそして、なれない人も……。お前は幸運にもアイドルになって、こんなにも思ってくれているファンがいるのだ。それなのにまだ逃げるのか?と。

「それだけ、なんです。絶対に言いませんってことをお伝えしたくて……朝早くにすみませんでした」
「いや、ありがとう。いろいろ……俺も彼も……しっかり考えてみるよ」

 十がそういうと彼女が破顔する。綺麗だ。自分たちを応援してくれる彼女たちはこんなにも美しい。
 その時ひゅうと風が吹き、枯れ葉が舞い上がり彼女の髪に絡まった。それをとろうと彼女の髪に手をかけた瞬間、ぼとっと後方で何かが落ちる音がした。

「おお、おはよう眼鏡の。ここまで歩いてきたんか。」

 田中さんの声におそるおそる振り返れば、表情をなくした大和がそこに立っていた。足下には風呂敷からこぼれたおにぎり。
 もしかして、俺のために……?少し期待してしまうが喜びを感じる間もなく大和は目が合うと、龍之介が口を開く前に彼はダッと踵をかえしてしまった。

「大和くん!」
「え、二階堂さん!?」

 走り出した彼の背中は小さく寂しそうだった。まるであの日の結婚式のように。
追いかけなきゃ。今すぐに。

「ごめんね田中さん。俺行かないと」

 ずっと握っていたタオルも、何もかも放り出して彼を追いかける。農作業を毎日していた俺と、運動不足の彼の体力の差は歴然で。一キロも走らないうちに大和の腕を腕をつかむことができた。
 掴んだ腕の細さに思わずどきりとする。あの結婚式の日共に逃げたときの大和のうではここまで手のひらに余る細さだっただろうか。

「大和くん……」
「っはぁ……いいのかよ」
「なにが」
「彼女置いて、俺なんか追いかけて来ちゃっていいわけ?」

 掴んだ手から細かい震えが伝わってくる。もしかして、泣いているのかと顔をのぞきこめば、彼は目を真っ赤にして怒っていた。

「早く戻れよ」
「大和くん……」
「どっかに行っちまえっていってるんだよ! 俺のことなんか放っておいて……アンタも俺を置いていくんだろ! 」

 大きく弾みをつけて腕を振り払われる。大和は龍之介との間に線を引くように腕を振った。

「もう終わりにしようぜ。俺は大丈夫だから」

 大丈夫なものか。だって君は今すぐにだって泣きそうじゃないか。
 そう思うが彼をそうさせているのが自分だと思うと口をつぐむしかない。大和は大きくため息をつくと吐き捨てるように呟いた。

「アンタも俺のことを、本当に好きになってはくれなかったんだ」

 その言葉に、龍之介はカッと目の前が赤くなる。本当に好きでない? その言葉にも、己の好意が一ミリも彼に伝わっていない現状にも腹が立った。

「……ッ俺がどれだけ、君のことを!」

 距離詰め彼を腕の中へと閉じこめ、息がかかりそうなほどに顔を寄せる。

「君が、嫌かもしれないと!俺は……今まで……ずっと! 」

 大和が逃げようと身をよじるのをそうはさせまいと腰を抱え込み、そのまま深く口づける。
 固く結ばれた唇を舐め、はむようにして愛撫する。薄く開いた瞬間を見逃さず舌を差し入れれば次は歯列に阻まれる。アイドルらしくそろったそこをゆっくりと舐めあげ、ゆっくりとノックする。息ができないのか胸を押す大和の力はだんだんと弱くなっていく。限界直前だろうと言うときに口を話せば彼の口がはあっと酸素を求め大きく開かれた。その酸素さえも奪い取るように再度口づければ柔らかな彼の咥内に滑り込めた。奥で縮こまる彼の舌をつつき、口蓋をくすぐる。
 大和の鼻からは、んっんっと甘えたような声が漏れ龍之介の心をすこし満たした。
 角度を変えキスを繰り返せば抱き留めていた彼の体が弛緩しくたりとしてくる。長いキスを終え、唇をぺろっと舐めあげ、口を離せば大和が大きくむせる。
 はふはふと呼吸する大和の瞳の灰色はしとどに濡れていて、龍之介は思わず喉を鳴らす。
 ここまでしてしまったんだ。もう元には戻れない。それならばいっそ……と震える彼の肩を掴もうと手を伸ばす。

「十さんは……」

 大和の言葉に手が止まる。肩をふるわせながら大和は龍之介を伺う。

「十さんは……俺とこういうことがしたかったんだ? 」
「……そうだよ。君を見ると体が熱くなって……バレないように必死だった」
「……」

 大和がうつむく。何か考えるように、うまい言葉を探すように足下をにらんでいる。

「早く、言ってくれたらよかったんだ。十さんが隠すから。俺ばかりアンタに夢中になって……。アイドルをやめさせてって……ずっと苦しかった。十さんは優しいから……俺がかわいそうだから一緒にいてくれてるんだって、ずっと……」

 彼の言葉に体の熱がすうっと抜けていく。
 何だって?大和くんが俺に夢中に……?これは聞き間違いだろうか、俺が望みすぎてとうとう幻聴がきこえたのかと疑うが、トマトのように赤くなった彼の頬がそれがあながち幻聴ではないらしいと示している。

「それは……つまり……? 」
「……俺もアンタが好きってことだよ」

 彼の言葉が耳を通り脳へと染み渡っていく。好きだって、大和くんが俺を、好きだって。好きだって!
 俺たちは両思いってことだ!

「ぃやったー!」

 両手を青空に突き上げると大和が驚いたように目を丸くする。やったーやったー!と何回も叫んでいると、ブロロッとトラックの音。

「うるさいぞ龍」
「十さんこれじゃあ島中にきこえちゃいますよ」

 田中さんと孫の千尋さんがニヤニヤと笑いながらトラックから顔を出す。

「ほんでな、お前はええかも知らんけど、眼鏡のが死にそうなかおしとるけん。あやまっとかんかいよ」
「これだからエロエロビーストは……」

 千尋さんから呼ばれた懐かしい名前に苦笑しながら、大和くんの方を見ると。許容量を越えたように硬直している大和くんがそこにいた。

「大和くん大丈夫!?」

 ああっと彼の肩をゆすると、後ろから朗らかな笑い声が響く。日はすっかりと高くなり。今日も見事な積乱雲が天高く上っていく。

9

 晴天。抜けるような青空がどこまでも続いていく。
 都内某所のライブ会場の一角に、そこだけ平均年齢が跳ね上がっている区画があった。歳を刻んだその体をライブTシャツにつつみ、青と緑のサイリウムをぎこちなく持つその老人達は、周りの好奇の目をもろともせずに、瞳は周囲と同じ輝きを持って開幕の時を今か今かと待っている。
 お帰りライブと銘打たれたそれは、大きな光の波と共に開幕した。

End.


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